京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『アイアンクロー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月16日放送分
映画『アイアンクロー』短評のDJ'sカット版です。

タイトルにもなっているプロレスの必殺技アイアンクロー=鉄の爪という言葉を国際的に普及させたフォン・エリック一家。元AWAヘビー級世界王者の父親フリッツは、息子たち全員をプロレスラーに育て上げ、1980年代に絶頂期を迎えたのですが、家族には不幸が重なり、現在フリッツの息子で生きているのは次男のケヴィンのみ。若き日のケビンを中心に、フォン・エリック家の4人兄弟と両親の生き様を描きます。
 
監督・脚本は、子どもの頃にプロレスに夢中だったというショーン・ダーキン。ケヴィンをザック・エフロン、三男のデヴィッドを『ザリガニの鳴くところ』のハリス・ディキンソン、父親のフリッツをホルト・マッキャラニー、ケヴィンの妻パムをリリー・ジェームズがそれぞれ演じています
 
僕は先週金曜日の朝にTOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ここ10年ほど話題作を続々と手がけるスタジオA24が製作と配給していると聞けば、そりゃやっぱり観たいなとなるのが映画ファンですが、僕は作品を鑑賞するまで正直あまりピンと来ていなかったんです。プロレスにそもそも疎いってのもあるし、80年代に活躍したフォン・エリック家の伝記映画的なものだと聞かされても、なぜそれを今映画化するのか、もうひとつ意義がわからなかったんですが、鑑賞中からだんだんとわかってきました。これはレスラーたちの数奇な運命を描くと同時に、いや、それ以上に、家族のあり方を問う話であり、マチズモと夢という呪いの話でもあるんですよね。

© 2023 House Claw Rights LLC; Claw Film LLC; British Broadcasting Corporation. All Rights Reserved.
冒頭、父親フリッツの現役時代が少しモノクロの映像で見せられます。彼は実力はあるものの不遇な側面があり、妻と当時2人いた息子を抱えながら、巡業もあるから都合が良いとトレーラーハウスに住んでいるような経済状況なのに、試合後、家族みんなで車に乗り込もうとしたら、フリッツは誰にも相談せずに車を豪華なキャデラックに変えているんですよ。妻は当然怒りますよね。こんなことして、お金はどうなるのよと訴えるも、フリッツはスターになれば何とかなるし、何とかしてみせるから、俺についてこいとばかり。このモノクロの短い過去シークエンスで示されるのは、フリッツの激しい上昇志向と家父長制丸出しの行動原理です。そこから実際に彼は結構なスターになるのがすごいんだけれど、その成功体験と自分の果たしきれなかったさらに大きな夢を息子たちに託すもんだから大変です。

© 2023 House Claw Rights LLC; Claw Film LLC; British Broadcasting Corporation. All Rights Reserved.
この家族は仲睦まじいんです。兄弟4人の結束は固く、互いに助け合うし、それぞれに才能にも恵まれています。夫婦仲も悪くないんですよ。なんなら、映画を観ていて、最初の悲劇が起こる直前までは、フリッツが強権的なきらいはあるものの順風満帆と言っても差し支えないほどです。いかにも南部のアメリカン・ドリームを実現した家族って感じですよ。広大な土地があって、カウボーイ・ハットを被り、教会のミサは欠かさず、自宅にはトレーニングジムも完備しながら、家族誰もが自分の趣味や夢に邁進できる環境。ただ、こうした大家族にありがちですが、そこでたいがい完結してしまうがために、フォン・エリック家は閉鎖的で風通しが悪い。それが露呈するのが、ケヴィンにできたガールフレンドのパムという存在です。彼女は社交的で進歩的なんですよね。彼女が出入りすることで、フォン・エリック家の特殊性があらわになっていく。閉鎖的で淀んだ家庭内の空気が入れ替わるまではいかなくとも、少なくとも付き合っているケヴィンは彼女という窓を通して外の世界、社会の空気を取り込めるようにもなっていきます。

© 2023 House Claw Rights LLC; Claw Film LLC; British Broadcasting Corporation. All Rights Reserved.
このファミリーに起きた、まさに呪われたと言いたくなる出来事の数々についてはここでは言及しません。プロレスファンならご存知だろうし、知らない人は映画を観て驚いてもらいたい。あまりに不幸なので、ケヴィンは子どもが生まれた時に名字を変えて役所に届け出るくらい。実は、このフォン・エリックっていうのはフリッツが自分の何世代か前のルーツであるドイツ系の名字に改名したものなんです。ドイツ系の名字は、ナチズムの記憶があるので悪役レスラーにもってこいだった。つまり、フリッツはリング外でも、実社会でもレスラーであり悪役であることを選んでしまっていたんです。もちろん、呪いなんてものがあるわけではなく、あるとすれば、それはフリッツのマチズモであり、自家中毒的な上昇志向なんです。確かに不運もあったけれど、運だけでは説明できない毒素があれだけ鍛え上げた肉体を持つ家族たちをじわじわと蝕んでいくわけです。残念なことに、そのデトックスは仲良し兄弟が力を合わせても成し遂げられないどころか、その兄弟の絆も父親やプロレスという競技が要請する過度なプレッシャーも毒素を心身のより深いところまで浸透させる潤滑油になってしまいます。それがこの閉鎖的大家族の不幸であり哀しみなんですね。半ばを過ぎたあたりから、自宅敷地内にリングが作られますよね。あれは家庭そのものもやすらぎの場ではなくレスリングの延長であることの象徴です。

© 2023 House Claw Rights LLC; Claw Film LLC; British Broadcasting Corporation. All Rights Reserved.
監督のジョーン・ダーキンは、80年代のアメリカの空気をフィルム撮影による映像で見事にパッケージしました。時系列通り順を追って家族の歴史が描くにあたり、俳優たちが準備した肉体のぶつかり合いをしっかりした時代考証で補強していく正攻法の演出ですが、ちょっとした会話や短いインサートショットにも手を抜かない、モチーフとは逆に繊細な演出が光ります。家族を襲う悲劇も直接的に描くのではなく、画面外をこちらに想像させるあたり、確かな手腕を感じます。そして、正攻法で来たからこそラスト付近で異彩を放つ兄弟たちの交流を描くファンタジックな展開には心がほぐれます。フリッツの妻が夫に放つ最後の言葉と、ケヴィンに対してその息子たちが語りかける言葉が、この映画の救いであり、監督の、そしてスタジオA24の製作意図でしょう。僕たちは誰であれ自由にのびのびと心に正直に生きて良いはずだし、時代はもう変わっているのだと。
親が子どもに自分の夢を託す話は、うまく行けば美談としてもてはやされるけれど、うまくいかなかった場合、それも子どもがプレッシャーに押し潰された場合、美談ではなく、親がビラン、毒親の話になる。そんなことも思いながら、サントラからカントリーの名曲をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年4月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パスト ライブス/再会』。僕の番組ではぴあ関西版の華崎さんが、リチャード・リンクレイターのビフォア・シリーズと並べて紹介してくれていた、こちらもA24の作品にして、アメリカと韓国の合作。この手のメロドラマがいかにFM COCOLOのスプリングキャンペーンよろしくUPDATEされているのか、しかと観てきます。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『オッペンハイマー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月9日放送分
映画『オッペンハイマー』短評のDJ'sカット版です。

天才物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画。第2次世界大戦下のアメリカが進めたマンハッタン計画を指揮し、世界で初めて原子爆弾を開発した彼の意欲と苦悩、栄光と没落を描きます。
 
監督・脚本・製作はクリストファー・ノーラン。これまでも『インターステラー』などでタッグを組んできたカメラマンのホイテ・ヴァン・ホイテマが撮影監督、そして『ブラックパンサー』でアカデミー賞作曲賞を得たルドウィグ・ゴランソンが音楽を手掛けました。オッペンハイマーに扮したのは、ノーランが信頼を寄せるキリアン・マーフィ。妻のキティをエミリー・ブラント原子力委員会議長のストロースをロバート・ダウニー・Jrが演じたほか、マット・デイモンラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーなども出演しています。
 
そして、今年の第96回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞編集賞、撮影賞、作曲賞と7部門を総なめしましたね。
 
僕は先週金曜日の夕方にTOHOシネマズ二条のIMAXで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は決して信者ではないけれど、クリストファー・ノーランがすごいってことは、そりゃわかってはいたつもりですよ。これまでラジオで評してきたものも、どこがどうすごいのか語ってきました。ただ、これはもうちょっとまた異次元という伝記映画でした。3時間、身動きもはばかられるほどの緊張感をキープするっていうのは並大抵のことではありません。『ダンケルク』のような戦闘シーンがあるわけでも、『ダークナイト』のようにスーパーヒーローが出るわけでも、『メメント』のようなお得意の強烈な時間軸操作があるわけでもない。ましてや、物理学という素人には極めてわかりづらい分野の科学者の半生を通してアメリカという国のシステムをあらわにしながら痛いところをつくというチャレンジングな企画で、これほど観客の興味を持続させられる映画監督としての能力にはシャッポを脱がざるを得ません。

© Universal Pictures. All Rights Reserved.
オッペンハイマーがまだ駆け出しの頃、ヨーロッパでの学生時代のエピソードで印象に残っている場面がありました。彼は実験が苦手で、よく失敗しているんですよね。机の上よりも、現実と向き合うよりも、どちらかと言えば、理論で頭に浮かんでくるロジックや計算を通して物理に向き合うのが性に合っているというシーンで、先生から音楽のたとえを持ち出されます。「数式は楽譜であって、読めるのは当たり前。問題はその音が聞こえてくる」かという内容の台詞があるんです。オッペンハイマーはそこでハッとするわけだけれど、彼は紙からメロディーが聞こえてくる人だし、数式からその物理現象、あるいは物理学的可能性が見えるし聞こえる人になっていく。天才というのは、そういうことで、それはしんどいことでもあるってのが、轟音を伴うアートに近い映像となって合間合間にフラッシュバックのようにして、あるいは先のことが提示されるフラッシュ・フォワードのショットとして挟み込まれるんです。そうやって、僕たち観客も天才の頭脳を曲がりなりにも体験するわけですから、そりゃ緊張は持続するし、ノーランはそれこそ映画というメディアにできることだとロジカルに分析して表現しているのがものすごいです。IMAX65ミリとそれ対応のフィルムカメラで撮影された最高解像度の映像は、今作のためにモノクロフィルムが開発されました。これもすごいことです。自分の表現のために技術を革新するというのは、並大抵のことではないですから。これはスタンリー・キューブリックが1968年に『2001年宇宙の旅』で成し遂げたことに匹敵するでしょう。その意味で、IMAXのシアターで見るのがベストではあるものの、映像のスケールもさることながら、今作については音がとても大事なので、これからご覧になる方は、音に力を入れたドルビー・シアターも選択肢として大いにありだと思います。あそこは黒がパキッと出るので、モノクロとカラーの同居とその意味について考えるにあたり有効でしょうね。

© Universal Pictures. All Rights Reserved.
その他、ノーラン監督の手腕として言及しておきたいのは、作劇の巧みさです。1920年代、学生の頃の話。30年代、アメリカ国内の共産主義者たちとの接近。42年、マンハッタン計画の打診。すなわち、軍部との接近。ニューメキシコ州ロスアラモス研究所の建設とそこでの政治家的な動き。45年、トリニティ実験。原爆投下。英雄視されながらの強烈な後悔と恐怖と孤独。水爆開発への反対。赤狩りの標的。そして、関わりを持った女性たち。こうしたとてつもない量の情報を整理していく中で、お得意の時間軸の編集の妙もある程度発揮されていますが、今回は色のあるなし、そして意外にもシンプルに伏線の貼り方に感心しました。劇中に登場する世界最高峰の物理学者たちの中でもトップクラスに有名で知らない人はいないアインシュタインとの短い会話。最初に出てくる時にはその内容は観客には明かされないんだけれど、それがやがて…というような、情報の出し方と出しどころの計算がお見事でした。厳密には伝記映画ではないかもしれないけれど、オーソン・ウェルズの映画史に残る傑作『市民ケーン』すら引き合いに出されるのも納得です。

© Universal Pictures. All Rights Reserved.
映画のキャッチコピーにもあるように、オッペンハイマーの創造物は、世界の在り方を変えました。そして、その世界に、私たちは今も生きているわけです。極めて残念ながら、人間は自分たちどころか地球そのものの存在を破壊する道具を生み出し、それに自分たちで怯え、翻弄され続けています。そんなものが生まれるプロセスについて、誰一人無関係ではいられないからこそ、観るべき作品でもあります。原爆投下がもたらした被害についての描写が足りないという意見も散見されますが、オッペンハイマーが万雷の拍手でもって迎えられた、あの部屋のシークエンスにおける描写で十分です。観て、考えて、核兵器のない世界に向けた具体的なアクションを人類が取っていく一助となりうる重要な一本です。
短評後には、クリストファー・ノーランが今作のインスピレーション元になったと公言しているStingの『Russians』をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年4月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アイアンクロー』ザック・エフロン主演で実在のプロレスラーを描いたものということで、当初は「プロレス詳しくないしなぁ」と思ったものの、試合よりも家族の物語のようだし、それなら僕でもついていけるんじゃないかと候補に入れてみたら、ものの見事に当たりました。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月2日放送分

1960年代のアメリカ、シカゴ。2人目の子どもを妊娠したジョイ。喜んでいたものの、妊娠によって心臓の病気が発覚します。やむなく中絶を考えますが、実は当時は法律的に認められておらず、病院では拒否されてしまいます。そこでジョイは、夫や娘には内緒にしたまま非正規なルートを探し、違法ながら安全な手術を提供する女性主導の活動団体「ジェーン」を頼ることになります。
 
監督は、これが長編デビューとなるフィリス・ナジー。ジョイを演じたのは、『ピッチ・パーフェクト2』や『チャーリーズ・エンジェル』では出演だけでなく監督や製作も手がけるエリザベス・バンクスです。また、活動団体ジェーンのリーダー、バージニアに扮するのは、シガニー・ウィーバー
 
僕は先週水曜日の夕方にMOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

舞台は60年代ですから60年ほど前の、昔の社会問題を扱った地味な映画という印象を下手すると持ってしまうかもしれませんが、娯楽としても丁寧に作ってあるし、細部までじっくり味わえる優れた作品として、実は今のアメリカを考える上でも大事な1本だと思っています。
 
まず本丸の妊娠中絶の是非についてですが、いろんな事情で女性が苦労をしたり辛い思いをするってだけじゃなくて、これはそもそも法的に中絶が禁止されている状況の話なんですよね。僕はその点で、主人公ジョイの設定にまず大きな意味があるとみています。夫は弁護士で夫婦関係は円満。そして、既にティーンネイジャーの娘がいて、経済的に不自由もない郊外の中流階級のマダムなんですよ。有閑マダムと言いたくなる、あえてこの言葉を使えば「普通の主婦」ですね。浮気してできた子どもでもなければ、初めての子どもでもなく、特に当時であれば高齢出産の部類に入るうえ、妊娠が原因の病気の症状が出ていて、このまま出産まで向かえば、母体、つまりジョイが生きられる確率は50%だと序盤で医師が診察するわけです。子どもは生きられるかもしれないが、下手すると、という枕詞を使えないレベルでジョイは死んでしまうかもしれません。となると、医学的にも倫理的にも妊娠中絶が妥当だと考えるのが今の価値観だと思うのですが、当時のアメリカはそうではないんですよ。医学的に決して難しい手術でもなんでもないのに、中絶をするかどうかを決めるのは当事者、この場合はジョイではなく、病院の医師たちの会議なんです。集まったのは、当然のように全員男性で、タバコをスパスパ吸いながら、ほとんど議論の余地なく、同席したジョイや夫を蚊帳の外に置きながら中絶の可能性を握りつぶしてしまいます。中には中絶した方がこのケースは良いだろうという医師もいるんだけれど、言い出せない雰囲気がそこにはある。地獄絵図ですよ。仕方がないので、ジョイは自分の命を守るために、非合法の女性支援団体ジェーンに連絡を取るんですが、ここでジョイは夫や娘に相談をせず、ひとりで行動します。これも大きなポイントで、この映画は、おそらくは箱入り娘として育てられて専業主婦になった中年女性ジョイの覚醒と自立と社会参加をテーマにした物語なんです。冒頭でヴェトナム戦争反対デモに驚く描写があるのはそのためでしょう。そして、その意味で、妊娠中絶というのは、これは実話に基づいているとはいえ、シンボリックなモチーフのひとつなんですね。

©2022 Vintage Park, Inc. All rights reserved.
加えて、これが悲しいことに、映画が製作された2020年代前半において、アメリカでまたアクチュアルな問題になってしまっているのが、このモチーフを選んだ動機でしょう。1973年、アメリカでは、ロー対ウェイド判決というものがあって、中絶が合法化されたんですが、それから49年の時を経て、一昨年、人工妊娠中絶を禁止することが州によって可能になってしまい、去年秋の時点で14の州で実際にほぼ全面的に禁止されています。先程、Olivia Rodrigoの曲をかけましたが、彼女はこの流れに憤っていて、自分のコンサートでコンドームやアフターピルを配布するということもやって話題になりました。同じように反旗を翻しているミュージシャンは男性にもいて、フー・ファイターズやベック、ジョン・レジェンドも署名運動に参加をしています。アメリカで大きな議論になっているんですね。

©2022 Vintage Park, Inc. All rights reserved.
そんなデリケートかつ僕に言わせれば深刻な議論の発端にあたる60年ほど前の話を映画にするにあたり、監督たちはいかにも深刻に描くのではなく、美術もファッションも16ミリフィルムによる撮影も軽めのサスペンスを織り込んだ脚本も、とてもとっつきやすい上に、細部までこだわりがあるので、見やすいしメッセージははっきり伝わるし、当時の状況を美化なんてすることなくきっちり今に接続するものとして描いているんです。だからこそ、「普通の主婦」だったジョイがいかにして世の中の複雑さと多様さを知ってアッと驚くような行動を取るほどに自発的で知的でやさしい魅力的な女性へと変貌していくのかを僕たちは「楽しむ」ことができる。そして、考えるように促されます。ジェンダーエスニシティや経済状況に関わりなく、人間が自分の身体のことすら決める自由の余地がないなんて、なにが自由の国なんだと。僕はそう思います。あなたもどうぞご覧になってみてください。

劇中では印象的な曲がいくつかかかってその使い方もなかなかうまいんですが、ここでは希望を感じるこの曲をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年4月9日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『オッペンハイマー』。きたきたきた! クリストファー・ノーランアカデミー賞を席捲した超のつく話題作があたりましたよ。例によって時系列を目まぐるしく入れ替えているという噂ですが、ノーランのトレードマークとも言うべきその手法が今作でどう活かされているのか、映画ファンとしてきっちり見てきます。3時間あるから、映画館に着いたらまずトイレだな。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月26日放送分

1980年代前半。ビデオが少しずつ家庭に普及し始めた頃、映画監督の若松孝二は名古屋にシネマスコーレというミニシアターを作る。支配人に抜擢されたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞め、地元の名古屋でビデオカメラのセールスマンをしていた青年、木全。彼は若松孝二に振り回されながらも、なんとか映画館を運営していきます。アルバイトや観客として学生たちも集まる中、予備校生だった井上淳一は、映画監督になりたい一心で若松プロの門を叩きます。
 
映画監督若松孝二とその周囲の出来事を群像劇として描くシリーズの2本目で、監督・脚本は前作で脚本を手掛けた井上淳一若松孝二を演じるのは前作に引き続き、井浦新。支配人の木全は東出昌大が演じた他、芋生悠、杉田雷麟、コムアイ田中要次田口トモロヲ田中麗奈竹中直人なども出演しています
 
僕は先週金曜日の朝に京都シネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この作品が3月の公開で良かったです。もし2月の下旬とかでマサデミー賞2024の対象作品だったとしたら、もうアワードの組み立てがグラグラになってしまっていたことでしょうってくらいに、僕はすごく気に入った映画でした。映画を作ること。映画館をオープンして運営していくこと、つまりは見せること。しかも、大手ではなく、インディーに近い小規模で製作や興行を行うことの喜びと苦労、情熱と葛藤を描きながら、ノスタルジーに過度に引っ張られることなく、笑いと涙のバランスを上手に取りながら、80年代と今をつなげていく井上淳一さんの作劇と演出には脱帽です。
 
80年代って、ドラマ『不適切にもほどがある』のヒット及び高評価もあって、また当時の風俗に注目が集まっていますが、映画業界で言えば、テレビの台頭でとっくに斜陽となっていたところに、ビデオの普及という追い打ちがあった頃です。主人公のひとり、東出昌大演じる木全支配人も、最初はビデオカメラの営業マンとして登場するように、映画を作るにしても、観るにしても、自宅でできてしまうようになっていったんですね。となると、映画館はますます厳しくて、大手の映画会社も自分のところで監督を育てていったり、直営の劇場を全国あちこちに展開したりということが徐々に難しくなってきている状況。だからこそ、作り手ではインディー映画出身やピンク映画で表現の腕を磨いた若手が監督としてデビューすることが多くなり、映画館で言えば、どんどん数が少なくなる中で個性と特色のある小さな劇場が少しずつ生まれていく。独立プロダクションの若松プロが自前の映画館を特にゆかりのない名古屋にオープンしたのはそんな時代で、これがミニシアターのはしりにもなっていきます。

©若松プロダクション
木全青年が若松監督に口説かれて支配人になっていくあたりは頭から丁寧にシーンが積み重ねられていたので、僕はてっきりそういう見せる側の話を中心に据えるのかと思いきや、途中からはその映画館に集まってくる若者たちの群像劇へと発展していきます。中には若かりし頃の井上淳一監督も登場するわけですが、オープンした映画館のタイトルはシネマスコーレ、映画の学校。登場人物たちにとっては、まさにそういう側面があります。映画をたくさん観て、観せて、作って、映画だけでなく人生や社会についても学びながら成長していくんですよね。タイトルの青春ジャックというのは、映画に青春をジャックされた人たちの話だってことです。これは映画ですけど、観客も何かに熱くなったことはそれぞれの立場できっとあるでしょう。その上で、たとえば芋生悠演じる金本のように、女性だからとガラスの天井を実感したり、社会において自分の属性が足かせになると理不尽に思えた人もいるでしょう。簡単に言えば、夢を諦めざるを得ないとかね。そうかと思えば、井上のようにあれよあれよと運良くチャンスを得るけれど、そこで出鼻をくじかれるパターンもある。世の中、そんなに単純じゃないし、複雑怪奇だし、どうしようもなく思えて唾を吐きたくなるけれど、一方でその時代や社会が嫌いにはなれなかったり、好きになるタイミングもあって、とにかく時は僕らを乗せて進んでいく。そんな人生讃歌でもあるんですよね。

©若松プロダクション
みんな実名で描かれる脚本だけに、トリビア的なところも楽しいです。若松孝二がまさかああいう企業PR映画を撮っていて、そこに竹中直人が出ていたとか知らなかったし、それを今の竹中直人本人がカメオで再現するとかたまらない。さらにさらに、まさかそんな大御所もそんなきっかけで楽しそうに演技してたんですかっていうところも最高です。田中麗奈ゴールデン街の飲み屋のママ役はあそこに僕も通いたいって思ったし、前作を観た方は門脇麦の顔にこみ上げるものがあるでしょう。芋生悠の熱演はさすがに今大注目の俳優だけあります。でも、何よりも誰よりも、やっぱり若松孝二を演じる井浦新が絶品で、観たら誰もがモノマネしたくなるでしょう。もういい、あっち行け! 俺の視界に入るな! なんて爆笑でした。僕はもう完全に井浦新にジャックされました。

©若松プロダクション
シネマスコーレ、映画の学校は、まさに登場人物や観客にとって学び舎であり、開館から41年、今日もこの後9時30分から『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』が上映されます。
劇中、後のシネマスコーレ支配人である木全と若松監督が喫茶店で初めて会う場面。あそこのやり取りも再現しがいのある楽しいものでしたが、喫茶店ではこんな歌がかかって時代を表していました。

さ〜て、次回2024年4月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』。人工妊娠中絶が違法だった60年代後半から70年代前半のアメリカを舞台にした社会派エンターテインメントという打ち出しですが、ポスターの色使いやら予告の雰囲気が意外にもポップな味付けになっていて、硬軟のバランスがどんな塩梅なんだろうと興味を持っていたんですよね。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『ゴールド・ボーイ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月19日放送分
映画『ゴールド・ボーイ』短評のDJ'sカット版です。
完全犯罪を成し遂げたはずなのに、少年たちに目撃されていたとは……。沖縄屈指の事業家である義理の両親を崖から突き落とした婿養子の昇。その現場を偶然にもカメラでとらえた13歳の少年朝陽とその友達ふたり。少年たちもそれぞれに複雑な家庭の問題を抱えていたのですが、朝陽は「僕たちの問題さ、みんなお金さえあれば解決しない?」として、大胆にも昇を脅迫する計画を練ります。こうして始まる殺人犯と少年たちの駆け引きの結末はー。

悪童たち 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫) DEATH NOTE デスノート

原作は中国のベストセラー作家、紫金陳(ズー・ジンチェン)の小説『悪童たち』。中国の動画配信サイトでドラマ化され大ヒットを記録したものが、舞台を沖縄に移して映画化されました。監督は「平成ガメラシリーズ」や『デスノート』の金子修介。脚本は『宮本から君へ』『正欲』の港岳彦。殺人犯の東昇に岡田将生、朝陽少年に羽村仁成(はむらじんせい)、その母親に黒木華が扮している他、松井玲奈北村一輝江口洋介なども出演しています。
 
僕は先週金曜日の朝にMOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

崖から突き落とす人殺して、また素朴にして古風な手法だな。テレビの夜の2時間サスペンスみたいな画面展開なんだろうか。それにしても、ゴールド・ボーイて、タイトル、シンプルすぎひんか…。こうした不安は、それこそ崖から投げ捨ててしまえるほどに必要のないものでした。これが面白かったんですよ。先週と同じく原作ものですが、僕はパク・チャヌクの『オールド・ボーイ』とタイトルが似ているのでてっきり韓国のものかなと思ったら違いまして、おとなり中国のズー・ジンチェンという作家の小説。もちろん邦訳も出ていまして、ハヤカワ・ミステリー文庫で読めるんですが、東野圭吾に影響を受けたというズー・ジンチェン。この才能を知ることができたのも収穫でした。

©2024 GOLD BOY
収穫と言えば、映画では朝陽少年を演じた羽村仁成ですね。彼のことは今後覚えておきたいですよ。彼の言動がいちいち嘘か真かわからない、つまりは、劇中で「演技をしているという演技」が必要なんですが、それが見事でしたよ。しっかり翻弄されました。なにしろ殺人犯を少年たちがゆするわけですから、相当肝が据わっているし、途中から嘘をついているんだなとはっきりわかるところが出てくるだけに、そしたら、もしかしてあの発言も嘘だったのか、とか、いつから嘘をついていたのか、とか、すっかり疑心暗鬼になってしまうわけです。朝陽少年が表立って対決するのは、殺人犯であることが明かされている岡田将生演じる昇と、江口洋介演じる刑事なんですが、単純に1対1で相対するだけでなく、1対2になるくだりも出てくることで、まさにおじさん顔負けの展開がなるほど原作のタイトルは「悪童たち」なんだなと頷けるし、悪童「たち」と複数になっていますが、この少年少女のトライアングルに加えて、両親とのやり取り、ある意味、対決の構図にもしっかりハラハラさせられます。

©2024 GOLD BOY
このあたりは中国ミステリー作家ズー・ジンチェンさすがのプロットだなと思う一方で、この映画化では舞台を沖縄に移しているわけですよね。断崖絶壁のあるところなら、たとえば東尋坊のある福井県でも良いんじゃないかと観る前は思っていたのですが、別に福井県なら福井県でも成立するかもしれないけれど、脚色をした港岳彦のうまいさばきで、沖縄の要素が巧みにストーリーに織り込まれていたと思います。たとえば朝陽くんの母親がシングルマザーで生活苦に喘いでいるから掛け持ちしている仕事のひとつが高級リゾートホテルだったり、昇が婿養子として一員となった家族が島のあらゆる業種を牛耳る県随一の企業だったり、刑事がその企業の親戚であることから捜査に加われないという閉鎖空間ならではの濃ゆい人間関係があったり、独自のお墓の形やそこでの風習が事件に絡んできたりと、沖縄であることの意味がしっかりありましたからね。なおかつ、映画として重要なのは、沖縄のあの光です。北野映画を始めとして、日本映画に欠かせない名カメラマン柳島克己(やなぎじま)が捉えたあの映像は、このミステリー作品にとって極めて大事な青春映画としての側面とマッチしていました。特に、昇の家に少年たちが意を決して入っていく時の少女夏月が少しこちらを振り返る様子を収めたショットは忘れがたいものがありました。あのあたりは、さすがは少年たちを撮るのがうまい金子修介監督だなと感じます。

©2024 GOLD BOY
少々展開が強引なところもあるにはありましたが、中国原作ものをこうして日本映画として形にする文化交流や共同製作の今後に期待が持てるとても満足のいく出来栄えです。今後と言えば、続編もありそうな終わり方にもゾクゾクしましたよ。含みのあるラストだっただけに、金のためならなんでもやってのけるあの人間のこれからも余韻に浸りながら考えてしまいます。金子監督って、まさにゴールド・ボーイですよね。この座組で、ぜひもう一本!
 
エンド・クレジットとともに、この曲が流れてきても、まだ席は立たないように。

さ〜て、次回2024年3月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』。日本のインディー映画の巨匠だった若松孝二監督。井浦新が扮しているんですよね。今回は名古屋の映画館シネマスコーレを作り上げていく過程を描くようですが、楽しみでなりません。「ただで起きないために、転べ」っていう惹句も最高だ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『52ヘルツのクジラたち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月12日放送分
映画『52ヘルツのクジラたち』短評のDJ'sカット版です。

幼い頃から家族に翻弄、搾取されて生きてきた20代の女性、三島貴瑚。ある強烈な経験を経て、心身の傷を癒やすべく、東京から海辺の田舎町の一軒家へと引っ越してきたばかりです。彼女はそこで、母親から「ムシ」と呼ばれて虐待を受ける、うまく声を出せない少年と出会います。貴瑚は彼と交流するうちに、東京で自分の声なき声に耳を澄ませ、絶望から救い出してくれた人、アンさんと過ごした日々のことを思い起こしていきます。
原作は、2021年に本屋大賞を受賞した町田そのこの同名小説。監督は、『八日目の蝉』『ソロモンの偽証』、そしてこの番組で評したもので言えば『いのちの停車場』の成島出。脚本は『ロストケア』の龍居由佳里が担当しました。貴瑚を演じたのは、杉咲花。アンさんには志尊淳が扮した他、宮沢氷魚小野花梨余貴美子倍賞美津子なども出演しています。
 
僕は先週水曜日の昼にTOHOシネマズ梅田で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

原作がベストセラー小説なので、読んでいる方も多いでしょう。僕が、すみませんが、原作未読でして、小説と映画の比較ができないんです。だから、どこまでが映画の脚色なのかわからないものの、物語の構成としてはとても映画っぽいなと思いました。まず主人公の三島貴瑚という20代の女性が海辺の街に登場する。そこは海が見下ろせる一軒家で、住み始めたら建物の傷みに気づいたのか、特に木造のテラスを若い大工に修理してもらっています。都会から来たっぽい若い女性の一人暮らしに興味を持つ大工たち。東京で性風俗に従事していたんじゃないかとか噂を立てられるんですね。それというのも、この家にはその昔、芸者だった女性が流れ着いて住んでいたという歴史と、その記憶が街に息づいているから。すると貴瑚は、「半分は正解。その芸者あがりの女性は私のおばあちゃんだから」みたいなことを言うわけです。そこで、観客は貴瑚の過去と家系に興味を持つ。貴瑚はどうしてこの田舎町にやって来たのか。物語は3年ほど前に遡る。それと同時に、その街で親からネグレクトされている少年と出会ったり、貴瑚にとって大切な人だったというあんさんの幻影が映像として出てくることにより、彼女の過去の人間関係、そしてこれからつながっていく現在・未来の人間関係にと、興味が広がるしかけ。このセットアップができたら、あとは過去と現在のエピソードをそれぞれシャッフルしながら、時系列にそのまま見せていったのでは生まれないサスペンスとミステリーが生まれるんですね。

52ヘルツのクジラたち【特典付き】 (中公文庫)

そこで鍵となるのが、タイトルの「52ヘルツのクジラ」です。クジラはその鳴き声で仲間同士でかなりの情報をやり取りできる生き物ですが、このクジラの場合には周波数が合わないことで、いくら鳴いても叫んでも、自分の思いが他のクジラに伝わらない孤独なクジラなんだということが示されるわけです。究極のマイノリティであるそのクジラの鳴き声をイヤホンで聞くことで、人間社会におけるマイノリティたるキャラクターは、自分にも仲間がいるかも知れないと少し安らげる。この物語では、実際のところ、複数の人物がそれぞれに現実の中で声を上げられないどころか、声を押し殺して生きているんですよね。その理由は、ヤングケア、ジェンダー、ネグレクトなどなど。そして、貴瑚は言わばその中心として、まだ若いその人生において強烈な体験を経て今にいたっていることが示されます。これ、時系列に見せられたら、とてもじゃないけど耐えきれないというくらいなんですが、さっき言ったように、映画的な、あるいは映画というメディアが得意とする語りの手法によって現在の彼女の様子が先に頭に入っているからまだしもで、そうでなければ先が不安すぎてキツいですよ。でも、裏を返せば、エピソードのシャッフルによるミステリー的な語りによって失われる重さも人によっては感じられるでしょう。過酷な現実があっさり時間をジャンプしていくことで、パズルのピースとしてはハマるけれど、語りの段取りが目立ってしまい、軽く感じられるということです。

(C)2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
でもね、むしろ僕が感じたもどかしさは、それぞれの挿話において被害者がいるとして、その加害者側の掘り下げがほとんどないことです。特に気になったのは、ふたり。生まれてきた子どもを虫けら呼ばわりする若い女性と、再婚したことで相手の男性に気を使うあまり娘への愛情と憎しみが振り子のように極端になってしまう中年女性。それぞれ社会階層や環境が違うことはわかりますが、それ以上の言及はなく、この物語からそれこそネグレクトされることで、記号的な存在になっているんです。それがしかも、揃って女性というのが問題で、これだとまたステレオタイプを生み出しかねないんですよね。あとは、何人かが口にする「誰かが誰かを守る」という言葉と「魂の番」というキーワードには、それがここで問題となっている人間関係の呪いや息苦しさを生むんだぞという違和感も覚えました。

(C)2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会
ただ、杉咲花の演技はなるほどすごかったですし、余貴美子の出番は短いながらもこういうお母さんいるなと思わせる説得力が群を抜いていました。演出面では、成島監督あるいは相馬大輔撮影監督の成果なのか、ライティング、色味の寒暖の差の付け方が印象に残りました。トータルとしては手堅いし、少なくとも、声をなかなか出せない境遇に追い込まれた人たちの声を聴くこと、拾い上げること、声を上げやすくすること、周波数を合わせることの難しさや、それがゆえの当事者たちの知られざる息苦しさはしっかり伝わる作品でしたよ。

さ〜て、次回2024年3月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ゴールド・ボーイ』。僕ね、岡田将生の演技が好きなんですよ。端正な顔立ちながら、「こいつカチンとくるなぁ」っていうキャラクターを演じさせたらピカイチだと思うんです。今回はどんなだろ? さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『コヴェナント 約束の救出』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月5日放送分
映画『コヴェナント 約束の救出』短評のDJ'sカット版です。

2018年、アフガニスタンの米軍基地。タリバンの武器庫の場所を突き止める命を帯びたジョン・キンリー曹長は、アーメッドというアフガン人通訳と出会います。言語能力も高く、堅物ではあるが信頼できる男で、冷静に物事が分析でき、戦闘能力もメカニックとしての腕も確かなアーメッド。ジョンは彼を連れて作戦に出向くのですが、部隊はなんと全滅。タリバンの支配地域に取り残されたふたりの数奇な運命と、命をかけた救出の様子を描いた作品です。
 
監督は、ガイ・リッチー。脚本は『キャッシュトラック』のアイヴァン・アトキンソンとマーン・デイヴィス。米軍のジョン・キンリーに扮したのはジェイク・ギレンホール。アーメッドは、イラク出身のダール・サリムが演じました。
 
僕は先週金曜日の昼にTジョイ京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

実話ベースの話が映画になる時って、フィクションでしかありえないようなことが本当に起こったことが契機になる、動機になるように思うんですが、そう頭ではわかっていても、そして映画を観ても、にわかには信じられないような物語でした。ガイ・リッチーは、いわゆる娯楽作の作り方なら手慣れたものだろうし、映画というメディアだからこそ面白くなる時系列のシャッフルみたいな得意技も持っている人ですが、今回はもともとドキュメンタリーを見て感銘を受けて準備をしたということで、出来事そのものがとても興味深く感動的なのだから、語りのテクニックはむしろ極めてシンプルにしてあります。状況も複雑なので、これは賢明な判断と言えるでしょう。いわゆる3幕構成になっていて、メインキャラクターのふたりが出会い、武器庫を探し、叩きに行くのが1幕目。そして、2幕と3幕では、それぞれ立場の変わる救出が行われます。それぞれ、序破急と言っても良いのかもしれません。しかも、ふたりとも立場は違えど米軍に所属しているのに、この救出作戦は個人の判断、そしてそのほとんどを米軍の助けを借りずに行われるんです。それが感動を生みます。目の前に血を流して倒れている仲間がいるのだから、彼が安心して治療を受けられる場所まで運ぶ。文字通り、たとえ火の中水の中という根性で、とにかく運んでいく。

(C)2022 STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED
負傷して自分ではまったく動けないどころか、意識がある時には痛みで顔を歪め、うめき声を上げるのがジョン軍曹です。いろいろあって孤立無援。救助要請もできない中、通訳のアーメッドのすごいのが、迷いがまったくないこと。俺は彼を米軍基地まで連れて行くんだ。って言ったって、100キロ離れているんです。タリバンがウロウロしているし、ふたりは捜索対象なので彼らに血眼になって行方を追っているわけだから、たとえ車があったとしても、安易には使えません。そして、実際に、ありません。舗装された道路なんて、飛んで火に入る夏の虫状態だから通れません。しょうがないから、山道を行くんだけど、僕も山歩きをするからわかりますけど、平坦なところを100キロ進むのと山道とではまったくもって違う話なんですよ。それ、どうすんの? その方法と苦労と歯を文字通り食いしばる姿が2幕目の見どころになります。

(C)2022 STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED
そして、3幕目は、ジョンによる通訳アーメッドの救出劇。ジョンを救い英雄となったがために、アフガニスタンで生きていくのがより難しくなってしまい、妻と幼子を連れて潜伏生活を送っているというアーメッドを、当初の約束通り、彼らの望み通り、アメリカへと連れてくるというジョンの単独行動です。はっきり言って、2幕目まででも映画としては見応え充分だし、話を少し広げたりしながら十分に成立させられるはずですが、アーメッドの捨て身の行動に、こちらも捨て身で報いたいというのがジョンなんです。そして、この3幕目で初めて、ガイ・リッチーの得意な時間の入れ替えが行われます。といっても、シンプルなフラッシュバックですけどね。ジョンは怪我で意識をほぼ失った状態だったから、2幕の救出の様子を断片的にしか見ていないし、記憶がほとんどない。それが夜、悪夢のような形を取って、PTSDの症状のひとつだと思いますが、蘇ってくる。僕たち観客もそれを追体験することで、アメリカにいないアーメッドの偉業と、彼があるから自分が今こうして生きているんだというジョンの実感、そして彼の責任感に物語的説得力が生まれるんです。ガイ・リッチーはなんとも手堅いし、このあたりは本当に巧いです。これだけ内容を話ていても、観たら絶対にドキドキするし、そもそも特にアメリカでは世間にある程度知られた話なんで、ネタバレなんて当たり前にある状態でも食い入るように観てもらえないとダメな映画なんです。それをやってのけたところに、僕はガイ・リッチーの高い実力を見ました。

(C)2022 STX FINANCING, LLC. ALL RIGHTS RESERVED
そのうえで、きっとこれこそが本当に伝えたかったのだろう、911に端を発した20年にわたる米軍のアフガニスタンにおける作戦の虚しさや犠牲の数々、特にアフガン人通訳にはビザを発給すると言っておいてその約束を十全に果たしていないアメリカへの憤りがありありと観客にはわかります。covenantというのは、約束や合意、協定、誓いといったような意味ですが、ジョンとアーメッドのような絆に発展する個人的なものがある一方で、あっさりと無惨にも反故にされてしまう国家的なものもあるってことですよ。アーメッドを演じたダール・サリムは喋っていない時も、喋ろうとしてためらった時の表情もすばらしかったし、他の役者も一様に高いレベルでした。アフガニスタンでは当然ロケができませんから、スペインの似たような地形を活かしたという、言わばマカロニ・ウエスタン方式の撮影もお見事。大国が武力を行使して紛争を解決しようとする行為の難しさと虚しさ。観ておくべき作品ですよ。
映画が始まってすぐに鳴り響くのが、Americaの『名前のない馬』。砂漠が舞台だし、軍人たちや現地の人々を示唆しているように感じました。そして、考えたら、ガイ・リッチーはイギリスの人ですが、アメリカというバンドもロンドンで結成されたんですよね。しかも、メンバーの父親は皆、イギリスに駐留していたアメリカの軍人だったとか。ピタリな選曲でしたよ。

さ〜て、次回2024年3月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『52ヘルツのクジラたち』。ベストセラー小説の映画化ですね。杉咲花がすばらしいという話を聞き及んでおります。楽しみ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!