京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ドクター・ストレンジ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年2月3日放送分
『ドクター・ストレンジ』短評のDJ's カット版です。

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ご存知、アメコミの実写化「マーベル・シネマティック・ユニバース」の新作ですが、オリジナルは1963年と、実はキャラとして50歳を超えてるんですね。
 
元天才外科医にして魔術の使い手ドクター・ストレンジ。腕は立つが傲慢さが鼻につく外科医ストレンジが、交通事故によってゴッドハンドを失います。失意の彼を救ったのは人智を超えた力を操る魔術。ネパールで厳しい修行を重ねるにつれ、ストレンジの行く手には闇の魔術が立ちはだかります。元医者という異色のヒーローがいかにして人を救うのか。
 
ドクター・ストレンジをベネディクト・カンバーバッチ、彼の指導者エンシェント・ワンをティルダ・スウィントン、ヒロインの救命救急士をレイチェル・マクアダムス、そして闇の魔術師カエシリウスを、『ローグ・ワン』にも出ていたマッツ・ミケルセンが演じます。
 
例によって、アメコミを読む習慣のない僕マチャオが新しいヒーローをどう観たのか。それでは、3分間の短評をスタート!

予告編の時点で多くの人が覚えただろう既視感を僕が代弁すると…
「これ、『インセプション』じゃないの?」っていうことですよね。この目で見てきましたが、ま、絵的にはそんな感じです。『マトリックス』の匂いもプンプンです。闇の魔術へと「転ぶ」キャラがいるというのは、『スター・ウォーズ』っぽくもある。マーベル過去作との比較で言うなら、金持ちで鼻持ちならないミドルエイジの男性という意味では『アイアンマン』のトニー・スタークとも重なるし、量子という異次元に潜り込むという意味では『アントマン』とも通じる。だから、オリジナリティが薄いんだといった批判も成立するとは思うんですが、僕に言わせれば、既存のアイデアをかき集めたものであったとしても、見せ方次第でいくらでも面白くなるんですよ。その点、手放しに褒めはしませんが、オリジナリティは確実に合格ラインを越えたと思います。

インセプション (字幕版)  マトリックス (字幕版) アントマン (字幕版)

まず何と言っても『インセプション』ぽい映像ですが、予告以上であることは断言できます。もはや痛快というレベルまでやり過ぎてます。立体テトリスみたいな感じかなと思いきや、そこに歪みやねじれが加わってきますから、もう何がなんだかで圧巻です。ぜひIMAX 3Dで、めくるめく映像体験をしてください。1分。その意味では、スピリチュアルな多元世界の存在に懐疑的なストレンジがエンシェント・ワンに最初に体験させられる、というか、魂を飛ばされるシーンも、バッチリやり過ぎていて好感が持てました。『2001年宇宙の旅』もチラッと思い出す、サイケかつドラッギーな感覚が味わえます。

2001年宇宙の旅 (字幕版) 『2001年宇宙の旅』講義 (平凡社新書)

ストレンジが体得するこの魔術の多元的な世界の理屈を理解する作業は、正直、僕は途中で放棄しました。だって、何でもありなんですもん。手元からどこでもドアは出せるし、肉体から飛び出した魂のバトルとか面白いけど、なんで時々現実にも風が起きたりどこかにぶつかったり影響が出るのか、僕には説明できません。
 
監督が、この作品をきっかけに、「マーベル・シネマティック・ユニバースから、マーベル・シネマティック・マルチバースへ」と息巻いてる様子をインタビューで読んで、なるほど、うまいこと言うねえ、ユニバース(普遍)からマルチバース(多元)か… いや、これ以上ややこしくせんといて!!!
 
じゃあ、僕が話に置いていかれたのかというと、実はそうではないんですよ。もはや科学じゃないし、理屈はよくわからないんですけど、言わずもがなの魅力であるストレンジのマントを筆頭に、登場するガジェットの類にしっかりそそられます。全体的に敵の魅力が弱いのと、なぜ敵に打ち勝てたのか、理屈がわかりにくいところもありますが、元医者という特性があちこちに活かされていて、ストレンジそのもののカッコ良さと彼の抱える葛藤はしっかり伝わってきました。顔見世興行としてはそれでまずハードルクリアでしょう。
 
ド派手な映像に目を奪われがちですが、ストレンジの髭の手入れ具合で彼の心情を補足して表現したり、何度も登場する腕時計が重要な小道具としてテーマとリンクしたりという丁寧な演出に好感が持てます。ギャグは少し子供っぽいけど、コミック原作らしいし、お話の潤滑油として機能していました。特に一連の音楽ギャグは映画オリジナルでしょうけど、どれも笑えましたね。
 
ヒーローだから人を救ってなんぼなわけですけど、元医者の設定が効いてくるのは、「自然の摂理」をいじっていいのかという、倫理的な問いかけですね。最先端の医学は、現実問題としてそこは避けられないテーマですから。それこそ、ダークサイドへ落ちていくきっかけにもなりうる。人間は自然のルールとどう折り合いを付けるべきなのか。そして、多次元の話だから当然出てくる「時間」の問題。時間芸術である映画との相性抜群のテーマ。自然の摂理と時間の問題がどう絡んでくるのか、僕は次回以降でそのあたりを楽しみにしています。
 
途中で申し訳程度に『アベンジャーズ』っていう言葉が出てきて、当たり前の話、どうやら同じ世界にいるらしいことはわかるんだけど、マーベル映画をあまり観てない人でも入っていける独立した作品なので、入り口としても良さそうです。


さ〜て、次回、2月10日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』です。今週に引き続き、ぶっ飛んだ映像が楽しめそうですね。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『沈黙 - サイレンス -』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年1月27日放送分
『沈黙 - サイレンス -』短評のDJ's カット版です。
放送直後に僕のMacBook Proが「沈黙」してだんまりを決め込んでしまい、いくら僕が諭しても「転ぶ」様子がないため、会社のPCを使っての投稿です。まだAppleを棄教したくない…

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『タクシードライバー』『グッドフェローズ』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などなど、代表作ですら簡単には絞りきれない巨匠マーティン・スコセッシが、遠藤周作の原作に出会ってから28年。カトリックでもある監督が、幾多の壁を乗り越え、入念な準備を経てようやく日の目を見た大作です。

タクシードライバー (字幕版) ギャング・オブ・ニューヨーク(字幕版) ウルフ・オブ・ウォールストリート (字幕版)

江戸時代初期の1640年。キリシタンの弾圧が本格化する中、日本で布教していたイエズス会の宣教師フェレイラが信仰を捨てる=棄教したとの報告を受けた弟子のロドリゴとガルペ。若いふたりは、その事実を確かめようと、マカオで知り合った日本人キチジローの手引きで長崎へ潜入。そこで目にしたのは、日本人信徒たちの想像を絶する苦悩だった。信仰を貫くのか、信者を救うのか。踏み絵や拷問を目の当たりにして、ロドリゴたちは問います。なぜ彼らはこんなにも苦しまなければならないのか。神はなぜ沈黙を続けるのか。
 
ロドリゴ神父を『アメイジングスパイダーマン』や『ソーシャル・ネットワーク』のアンドリュー・ガーフィールド、フェレイラをリーアム・ニーソン、キチジローを窪塚洋介、他にも僕が似ているとよく言われるアダム・ドライバー、浅野忠信イッセー尾形塚本晋也小松菜奈加瀬亮などなど、日米の豪華キャストが集結しました。
 
『沈黙』だろうがなんだろうが、しっかりマシンガントークで短評する怒涛の3分間。それでは、スタート!

イタリア系移民の子どもとして、ニューヨークのリトル・イタリーでマフィアたち犯罪者や教会の聖職者、つまり人間の善悪両方と世界中の映画を目にして育ったスコセッシ。一度は神父を目指しもした彼が、信念と暴力・欲望、人間の強さと弱さをテーマにし続けてきたことは必然と言えるでしょう。その意味で、この『沈黙』は集大成とも言える物語。そのみなぎる気合いが画面を通してひしひしと伝わる161分でした。棄教したフェレイラ神父がかつて雲仙で目にしたキリシタンたちへの凄惨な拷問シーンから始まるんですが、そのまさに地獄と呼ぶにふさわしい絵面を見るにつけ、これは心して観ねばというこちらの覚悟が固まりました。長いから持ち込んだ飲み物よりも、息を呑むほうが遥かに多かったです。
 
まず僕が注目したいのは、西洋人でありカトリックであるスコセッシの優れたバランス感覚です。「結局キリスト教万歳じゃねえか」とか「弾圧する幕府側を悪人に描きすぎ」とか言う人もいるようですが、僕は何を観ているんだと言いたい。むしろ、僕はイエズス会のある種の傲慢さがよく出ていたと思うし、かつてはキリシタンだったけれど棄教し、今では逆にキリシタンを厳しく弾圧する側に回った奉行や通訳、つまり日本の権力者達のそれはそれで理解できるロジックがしっかり描かれていて驚きました。さすがはスコセッシで、リサーチを徹底させただけあって、日本側の事情もよく反映させているというかリスペクトすらしていると感じました。日本とヨーロッパいずれにも譲れない背景があったことをわからせることで、この末端の人々の苦しみが、だんだん普遍的な悲劇として立ち上がってくるんです。もはやキリスト教という一宗教の話ではなく、人間にとっての尊厳、信念というものがどれほど尊く、そのデリケートな領域に土足で踏み込むことがどれほど人を損なってしまうかという、時空を越えた物語に変貌していくんです。
 
スコセッシは朝日新聞へのインタビューでこう語っています。「精神のよりどころ、信条は人それぞれあると思うが、それに対する互いの理解と尊重が必要だ。異文化を理解するというのは相当な努力を要するもの。それでも、自分とは違うものを認めることによって恐怖は緩和できるし、暴力も減っていくのではないか」 およそ500年前の話でありながら、21世紀の今まさに大事なスコセッシの信念が映像化されていると僕は思います。
 
抽象的な話になりましたが、ディテールを少し触れると、イッセー尾形浅野忠信の合理的な神父達の追いつめ方、そして塚本晋也と笈田(おいだ)ヨシのこれぞ体当たりとしか言いようがない演技は特に素晴らしかった。そして、全員に言えることですが、顔の筋肉の微細な動きまで見逃せません。キリスト教的には裏切り者ユダの役割を果たすキチジローを演じた窪塚洋介も、ちょっとトゥーマッチな動きも気になったものの、難しい役を体現したと言えるでしょう。
 
また、デジタル全盛のこの時代にフィルムで撮影された映像美も忘れがたいです。とりわけ、小さな船で海を渡る際の濃い霧に浮かぶ役者の顔は、溝口健二の映画史に残る大傑作『雨月物語』オマージュもあってうなりました。さらに、イタリア人ダンテ・フェレッティが務めた美術もお見事。ハリウッド製の日本舞台の映画にはどうしても「嘘くささ」が目立つものですが、『沈黙』にはそれがない。

雨月物語 [DVD]

戦国時代から江戸初期へのキリスト教と日本の関係など、多少の知識を持ってないとわかりにくいところもあるかも知れませんが、とにかく現代的なテーマとも言えるこの作品。アカデミーなどの賞レースうんぬんは脇へ置いて絶対に観るべき1本です。

全体的に抑制がきいていたこの作品には音楽らしい音楽はほぼ出てきません。あれだけロック好きでいつもサントラを相当重視するスコセッシなのにです。僕のイメージ選曲になりますが、Mumford & Sonsが同じく神と信仰、権力・権威と個人の心の中をテーマに作った"I Will Wait"を評の後にオンエアしました。
 
さ〜て、次回、2月3日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『ドクター・ストレンジ』です。僕のMacBook Proは、もう魔術で直すしかないのか。果たして、次回の放送までに直っているのか。そんなことはどーでも良いとして、とにかく、あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

ハルキストのデッドヒート #0 「4月のある晴れた朝に100パーセントの小説に出会ったことについて」

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生粋のハルキストである野村雅夫が本領発揮のマシンガントーク!
まもなく開催の京都ドーナッツクラブ主催イベントです。

 

ハルキストのデッドヒート #0
「4月のある晴れた朝に100パーセントの小説に出会ったことについて」

 

村上春樹の新刊「騎士団長殺し」発売を勝手に記念して
村上春樹を語りつくすトークシリーズ「ハルキストのデッドヒート」
キックオフイベントが堂々開催!

人がいつまでも初恋のことを忘れられないように、
はじめて読んだ村上春樹作品もみんなの心に残ってるはず。
村上春樹をあまり知らない? 大丈夫、きっと今日ファンになる!

生粋のハルキストである野村雅夫をはじめ、FM802FM COCOLOからも猛者がチルコロ京都に集結。初心者でもきっと楽しめる、ディープなエピソード満載のトークイベント。

 

ハルキスト:大内幹男(FM COCOLO) 平野聡FM802 DJ)/野村雅夫 柴田幹太 有北雅彦(以上、京都ドーナッツクラブ) ほか

 

日程:2017年2月5日(日) 開場13:30/開演14:00
チケット:前売1,500円(当日1,800円)+1ドリンク500円

 

チルコロ京都イベント詳細ページ

http://bit.ly/2hZ14Vj

ハルキストのデッドヒートお申込みフォーム

http://bit.ly/2hZ14Vj

『本能寺ホテル』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年1月20日放送分
『本能寺ホテル』短評のDJ's カット版です。

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人生の舵取りを自分でせずに、何となくレールに乗って生きてきた繭子。務めていた会社が倒産。仕事を探そうにもやりたいことが特にない。そんな折、付き合って半年の彼氏吉岡からプロポーズをされます。彼の実家のある京都へ向かい、ひょんなことから古めかしい本能寺ホテルに宿泊することに。そこで繭子がエレベーターに乗ると、なぜが1582年の本能寺へとたどり着く。彼女は現在と1582年のある1日を行き来しながら、織田信長森蘭丸と接触する。彼女は予告通り、歴史を変えることになるのか?
 
監督はフジテレビ所属の鈴木雅之。脚本は相沢友子。繭子を綾瀬はるか。信長を堤真一が演じる。となると、あの『プリンセス・トヨトミ』の続編か、原作は万城目学か、と早合点してしまいそうになるし、企画から公開までの流れにおけるスッタモンダがあったとも噂されていますが、続編ではないし、万城目学の名前はどこにもクレジットされていません。
 
本能寺の変の舞台、旧本能寺の程近くに住んでいる僕ですが、ちょうど鑑賞した日に、ロケ地のひとつ、鮒鶴鴨川リゾートを訪れて、意図せずして聖地巡礼をしてしまいました。12時台にお話したイベント京ショコラあそびの会場になってたんですけど、日本で2番目に古いエレベーターが現役で動いてるところですからね、これは確実にタイムスリップできそうだと思いましたが、乗るのはやめておきました。
 
さて、そんな映画と微妙にリンクする1日を過ごした僕が作品をどう観たのか、3分間で短評します。スタート!

誰でもそうだと思うんですけど、自分の住んでる街、行ったことのある場所がスクリーンに映ったらテンション上がるわけですよ。うわあ、四条大橋西詰の河原て僕もちょうど先週ここに座ってたとか。それがご当地映画、観光映画の大きな魅力のひとつ。なんですが! なまじ観客に土地勘があると、いやいや、嵐山と祇園はそんなに近くないから、とか、本能寺ホテルの場所って、なんで旧本能寺とも今の本能寺とも離れてるんだろう、とか、重箱の隅をつつかれがちというのも観光映画「あるある」でしょう。どうしても、絵になるスポットをツギハギしてしまうんでね。そのあたりの話はキリがないので端折ります。基本的に本質とは関係ないし、多少の地理的なご都合主義はどうでもいいんですから。
 
それにしても、綾瀬はるか、かわいいねぇ。場面がくるくる変わってあちこち名所も見せてくれる。歴史パートもロケ地がいいし、絵的な素材の魅力がいっぱいの映画ではありますけど、煮詰めきれないまま作ってしまった印象は否めないと思ってます。そこで、地元でロケした作品だと少し贔屓しても見過ごせないお話や映像の隙について触れておきます。
 
繭子が2度もホテルマンに尋ねているにも関わらず、彼はなぜ本能寺ホテルという名前の由来について答えてくれないんでしょうか。
 
靴や金平糖、胃薬は大事なモチーフとして登場します。繭子と共に、タイムスリップしますから。だったら、ガラガラずっと引きずっていたスーツケースはなぜ時間を越えなかったんでしょうか。
 
繭子が時をかける女性であることは周りの人にはわからないとしても、さすがにクライマックス、あのホテルのバーでふたりきりになった時、彼氏はなぜ彼女の異変に気づかないんでしょうか。
 
そもそもですけど、なぜタイムスリップしてしまうのか。戦国時代から伝わるというオルゴール、金平糖、呼び鈴、エレベーターという条件はわかるけど、結局どの組み合わせだとタイムスリップするのかうやむやだし、百歩譲ってオルゴールや金平糖は信長につながるからいいとして、なぜ呼び鈴なんですか。少なくとも、繭子は呼び鈴が条件のひとつであることに気づいていないでしょ? なのに、後半とかよく自分の意志で過去へ行くな、と。だって、戻る時に自分でコントロールできてないわけだし。
 
そこもさらに百歩譲って飲み込むとしても、せっかく現在と過去を行き来するってのに、映画的な見せ方の工夫が特になかったのは残念です。だって、そこは監督の腕の見せどころだし、劇的な場面転換っていうのは、映画ならではの見せ場になる。たとえば同じフジテレビ製作で言うなら、『テルマエ・ロマエ』だったら、時空を越える時に急にテノール歌手が雄大な自然をバックに歌い出す。ただのギャグなんだけど、そのたびに笑いが起きる。ところが、この作品だと、急にCGで金平糖が割れる様子がドンと大写しになる。うん、金平糖を食べたからね。って、それだけか〜い。ツッコミたくもなりますよ。

テルマエ・ロマエ テルマエ・ロマエ?

だいたいあのホテル、宿が取れない京都で飛び込みで取れちゃったわけですよ。しかも、祇園の裏通り、路地とは言え、中心部。僕は「はは〜ん、なんかこのホテルマンが隠してる、人が寄り付かない歴史的な不穏な理由や噂があるな」と想像したのに、そういうのも皆無でしたよね。じゃ、なぜ部屋が空いてるのよ。
 
ポスターの文言にもあるように、タイムスリップした先は信長最後の日なんですけど、現在パートも1日の出来事ということになってるんですね。もう繭子どんだけ忙しいねんって思うし、さらにタイムスリップして、彼女はよく正気でいられるなと心配になるんですけど、そこも百歩譲って飲み込むとして、僕はもっと日にちや時間をシンクロさせて、サスペンス要素を入れたりしたほうが盛り上がると思うんですけど、それもしないんだよなぁ。
 
それはたぶん、あくまでこの映画の最重要テーマが主人公繭子の成長にあるから、他の余計なサスペンス要素は省いたってことだと推測できます。信長からも、そして現在でもある人物から人生の教えをもらって、それによって彼女は葛藤を乗り越えていく。人生に主体的に向き合うようになる。ねらいはわかります。
 
でも、だったらね、もっと彼女の心理を掘り下げておかないとカタルシスが生まれないでしょ。のほほんとしてたり、タイムスリップ先で急に強心臓ぶりを見せつけてみたり、キャラクター演出が行き当たりばったりに見えてしょうがないですよ。制作陣が目指していたことを実現するなら、すべての行動に登場人物の心理的裏付けを与えるような演出でないといけなかったのではないでしょうか。
 
こういうことを言うと、そこはご愛嬌でしょって人がいるかもしれないけど、いやぁ、さすがに無理がありました。明らかにあちこちネジが緩んでるは釘が抜けてるわで、『本能寺ホテル』、かなり立て付けが悪いなという印象を拭えない結果となってしまいました…


さ〜て、次回、1月27日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『沈黙-サイレンス-』です。原作は高校生の頃に読み、長崎の遠藤周作文学館や教会巡りをしたこともある僕。マーティン・スコセッシが原作と出会ってから28年。かねてより映画化のアナウンスが何度も聞こえていたこの作品をいよいよ観ることができるとあって、僕もかなり気合いを入れる162分になりそうです。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『この世界の片隅に』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年1月13日放送分
『この世界の片隅に』短評のDJ's カット版です。

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10年前、2007年1月からちょうど2年にわたって「漫画アクション」に連載され、その後単行本化された、こうの史代の同じタイトルの漫画を原作とし、監督は片渕須直。もともとは宮崎駿とも『魔女の宅急便』とかアニメ『名探偵ホームズ』で共に仕事をした人で、TVアニメ『名犬ラッシー』や長編アニメ『マイマイ新子と千年の魔法』で知られています。

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日本有数の軍港だった広島県呉市が主な舞台。ヌボーッとしていて、絵を描くことが得意な20歳そこそこの女性すずが、次第に悪化していく戦況の中、よく知らぬ嫁ぎ先で懸命に生きていく姿、その家族との交流が描かれます。
 
すずの声を演じたのは、能年玲奈からの改名後初の仕事となる「のん」。サウンドトラックは、KIRINJIのメンバーでもあるシンガーソングライターのコトリンゴが担当しています。

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

製作費をクラウドファンディングで補って完成させたこの作品は、昨年11月12日、いわゆる単館系として全国63スクリーンで封切られましたが、作品の出来栄えが評判を呼んで、上映スクリーン数が3倍以上に拡大。今年に入り、観客動員数が75万人を突破したのは最近の報道にもある通りです。予告編にはあったあの桜のシーンも含め、このままいけば幻の30分拡大版が製作されるかもしれないということも期待されています。そして、今週、権威ある映画誌キネマ旬報の2016年ベストテン日本映画作品賞を獲得しました。1位だと。
 
もう先に言いますけど、日本映画史に残る傑作のひとつという評論家達の評価を僕は後追いするしかないです。こんな豊かで多面的な味わいを含んだ作品を3分間で話すのは、はっきり言って端から無理があるんだけど、現時点での僕なりのまとめ方でトライしてみます。では、行ってみよう!

めったに言わないことですけど、原理原則をお伝えしておこうと思います。まず、アニメーションという言葉。どういう意味かご存知でしょうか。anima魂、霊魂というラテン語に由来していて、1枚1枚では動かない絵を連続して見せることで、そこに動きと時間という魂を注入するという意味。それがアニメーションです。
 
僕はこの作品を初めて観た時に、アニメーションならではの物語世界への「魂の入れ方」を今目撃しているという興奮に身震いしました。決して写実に徹したいわゆるリアルな絵のタッチじゃないのにも関わらず、恐らくは端折った線と残した線のバランスが生み出す動きと構図により、すずのような人物はもちろんのこと、動植物にいたるまで、すごく生き生きと、いや、スクリーンの中に生き物が息づいています。こうの史代片渕須直両氏の徹底したリサーチの努力に基づいた映画製作スタッフの努力の結晶の結果、ああ、言葉で言うと軽いなあ、戦時中の日常が、名もなき女性の人生がスクリーンに映し出されます。
 
いわゆる銃後の現実を描いた映画、たとえば息子を戦場に送り出す母みたいな作品はこれまでもありましたけど、まずもって驚いたのは、きっちり笑えるコメディーでもあることですね。笑いの裏に涙があって、涙を必ず笑いが追っていくんです。戦時中の悲壮な話と思って敬遠しないでください。ジブリで言えば、『火垂るの墓』よりも、奇しくもキネマ旬報ベストテンでこの作品の他に唯一1位を獲った、なおかつ1988年に同時公開された『となりのトトロ』に近いかもしれない。でも、どちらにもない要素として、生活があるということは、そこに性生活もあるということで、ほのめかしも含め、人間の性の営みもしっかり描いている大人の映画でもある。結婚初夜のエピソードもあるし、遊女も極めて重要なキャラクターりんさんとして登場します。

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とはいえ、さっきも言ったように写実や自然主義とも違うわけで、すずの目を通した「リアル」と、作者の目線が絶妙に入り混じったリアルがそこにある。たとえば、終戦の日にすずが「まだやれる」と悔し泣きする一方で、太極旗(韓国の国旗ですね)が掲げられている様子がさりげなく描写されるあたり、見事なバランスだったと思います。イデオロギーを押し出さず、賛成とも反対とも声高に主張せず、ただそこに生きた人々の様子を見せる。プロパガンダ的な押しつけがないんです。
 
でも、さりげないと言ったって、「素朴」で済まされるものではまったくない。むしろ実験的ですらあるんです。すずの描いた絵が動き出すとか、ある事情でタッチが急に変わるとか、視覚的な情報、画面構成そのものの変化が作品の内容と一致するという、とても挑戦的な作風でもあります。原作よりはまだわかりやすいところに落ち着いていたかもしれないけど、『君の名は。』的なエモい描写はほぼないのに、映画を観終わってからもずっと彼らのことが気がかりなくらいにエモさが持続する。神業です。あっさりあっさりあっさり、観終わってどすんみたいな。
 
名もなき、まさに「この世界の片隅に」生きるすず。どんな映画に出てきても僕が大好きな要素ですけど、モノや人が足りなくても、自分で修繕したり、知恵を絞ってその場にあるものを寄せ集めて何とかやりくりするっていう、フランス語でブリコラージュっていうんですけど、戦時中ってもうこのブリコラージュそのものなわけで、語弊を恐れずに言えば、その「営みと知恵の面白み」を描ききっている点で僕は惚れ惚れしました。
 
こんなことめったに言わないけど、芸術の価値の柱のひとつは、それを鑑賞する人間に、「生きるとは?」という哲学的な問いを与えること。生き残った自分が「笑顔の入れ物」になるというセリフや、すずがあるものを失ったからこそ巡り合うラストのあの人との交流などなどを見るにつけ、僕も僕なりに生きるってことについて考えさせられました。
 
情報量が多くてテンポも早いし、素朴なフリして描きこまれたアニメです。僕の短評なんて取るに足らない。とにかく、四の五の言わずにぜひご覧になって、皆さんで語り合ってください。僕もこれから何度も見返して、語り続けていきたいと思います。
 
☆☆☆
 
コトリンゴのサウンドトラック(歌声も含め)は絵のタッチにも似て素晴らしかった。そして、ブリコラージュ的な内容は、クラウドファンディングによって完成されたこの映画の成り立ちともリンクしますね。


さ〜て、次回、1月20日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『本能寺ホテル』です。僕は京都市内、現在の本能寺にも近いし、もっと言うと当時の本能寺により近いエリアに住んでいるので、これは気になる。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『土竜の唄 香港狂騒曲』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年1月6日放送分
『土竜の唄 香港狂騒曲』短評のDJ's カット版です。

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高橋のぼるの人気コミック実写映画化第2弾。監督三池崇史、脚本宮藤官九郎、主演生田斗真という豪華なトリオと、仲里依紗遠藤憲一堤真一岩城滉一といったメインキャストはそのままに、今回は瑛太、本田翼、古田新太菜々緒など、これまたパワフルなキャスティングが実現。
 
潜入捜査官「モグラ」として、凶悪なヤクザ組織数寄矢会に潜り込んだ主人公菊川玲二。思いがけず日浦組の若頭に就任した彼は、捜査のターゲットである会長の轟周宝から、自分のボディーガードとチャイニーズマフィア仙骨竜の撲滅を命じられる。その頃、エリート警察官の兜真矢が若くして組織犯罪対策部課長に就任し、警察とヤクザの癒着を断ち切るべく玲二の逮捕に向けて動き出す。
 
年末、仕事納めしてから、何だかお気楽な気持ちで観に行ったので、その僕ののほほんとしたテンションが今回は短評に影響するような気がするんですが、とにかく今年も3分間でまとめます。いってみよう!

これはかなり好き嫌いが別れる作品でしょうね。ノレるノレないの分かれ目は2つあると思います。ひとつは、下ネタのテイスト。もうひとつは、原作マンガからのアレンジ。
 
順に話してみると、まずは下ネタ。予告にもある通り、いきなり大阪で全裸の空中飛行があり、股間を通天閣のさきっぽにチーンとぶつけるわけです。玲二はヘリからぶら下がってふるい落とされまいとしがみついて大阪を浮遊するわけですけど、まさにここでしがみついていられる人と、ふるい落とされる人が出て来るのは致し方ないでしょう。小学生レベルの下ネタがあちこちで炸裂するので、苦痛だと感じるかもしれません。
 
生田斗真の素敵な裸体に見惚れる女性方も、どこまでついていけるのか。そして、股間がフィーチャーされるのは、生田斗真のような男性だけではありません。菜々緒仲里依紗も下着丸出し、しかも股間にピントが合う状態がそれぞれあって、これはこれで鼻の下を伸ばしていた男性方も、エッチを越えてトゥーマッチだとしんどくなるかもしれません。

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続いて、原作マンガからのアレンジについてですが、明らかに違うのは、シリアスな要素を完全に排除していること。恐らくは、原作ファンほど、笑いに特化したこの映画化はいかがなものかとノリきれないんじゃないでしょうか。
 
豪華キャストが揃って、一応大作お正月映画という体はとってるんだけど、その実、よくR指定付かなかったなってくらいにエロくておバカに振り切った映画なので、裾野広く受け入れられるようなものでないのは明らかです。いわゆる「メッセージ」も皆無ですしね。
 
で、僕はノレたのかってことですけど、ばっちりノレました。のほほんと劇場へ出かけた、こちらのテンションもマッチしたんだと思いますが、下ネタも過剰な笑いも受け入れられたんです。何度か声に出して笑いました。玲二が欲情すると、リコーダーが鳴る演出で、ご丁寧に小学生が笛を吹く姿を一回挟むところとか、轟夫人て初めて会っ気がついたら全裸になってるところとか、車での本田翼との無茶苦茶なロジックのエロトークとか、仲里依紗とか仲里依紗とか仲里依紗とかのムンムンな色気とか。あの虎とのラストもバカバカしすぎて、失笑するつもりがはっきり笑っちゃう。
 
でも、映画としてデキがいいかと聞かれると、むしろその逆と言わざるをえません。漫画の映画化なのに、漫画のままっで感じで、全体のバランスと話運びはかなりイビツです。「この絵が撮りたかったんだろうな」っていうオモシロがあちこちにあって、そこから逆算してシーンが組み立てられてるもんだから、展開が無理矢理だし、シーン同士のつなぎもとりあえずボンドでくっつけたような乱暴さが目立つ。CGを使いまくってるし、香港狂騒曲なのに香港ロケしてないし、チャイニーズマフィアがモチーフだってのに中国人が出てこなさすぎるし。笑いに寄りすぎてヤクザたちの迫力が完全に殺がれてるし、まあリアリティはほぼなしです。
 
ただ、ここが難しいんだけど、三池崇史宮藤官九郎も、そこは承知して振り切ってるんだろうと思うんです。今並べ立てた僕のツッコミなんて想定内だろうし。パトロクルスさんが先週つぶやいていた通り、ほぼ全編顔芸の生田斗真を始め、役者陣は相当攻めてるし、もうこれはこれでいいんじゃないかという気がしてくるんですよね。だから、評論としては歯切れ悪いけれど、あばたもえくぼでニンマリぼんやりのほほんと観る作品だというのが僕の結論です〜。
 
原作はまだまだ続いているし、次はシチリアマフィア編となるのか、そうなると、シチリアロケはあるのか? 楽しみです(笑)


さ〜て、次回、1月13日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、ついに来ました『この世界の片隅に』です。僕は3度目の鑑賞に向かいますが、あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『バイオハザード:ザ・ファイナル』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年12月30日放送分
『バイオハザード:ザ・ファイナル』短評のDJ's カット版です。

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日本のゲームメーカー「カプコン」のゲームをベースにしたシリーズ一応の完結編。一応というのは、ミラ・ジョヴォヴィッチがアリス役、つまり主演をするのはこれが最後という意味で、別の形でシリーズが続く可能性はまったく否定できない、やりかねんということです。
 
監督は、何らかの形でシリーズすべてに関わっているポール・アンダーソン。ミラ・ジョヴォヴィッチの夫ですね。今回は娘のエヴァ人工知能レッドクイーン役で出演してます。ローラもちょっと出てます。シリーズを彩ってきた敵味方たちもだいたい出てきます。
 
おびただしい数のアンデッド(ゾンビのこと)が地上を埋め尽くす。生き残った人類はもう数少ない。48時間以内にウィルスに対抗する空気感染のワクチンを散布せねば! 例によってアリスが奮闘する中で、これだけのアンデッドを生み出したアンブレラ社と戦い、そこでアリス自身の秘密も明らかになっていきます。
 
27日火曜日の夜、FM802 RADIO CRAZY初日終わりに109シネマズ大阪エキスポシティへと車で駆けつけまして、4DX3D、足して7Dという強烈に刺激的な環境で観てきましたよ。今日は番組でのっけから4DXが聞きしに勝るもんだと吠えた僕ですが、あくまで、映画そのものの評価はクールに分けて考えます。
 
それでは、いつものように3分間の短評、いってみよう。

4DX3Dで観るのに最適と僕が言ったのには理由がありまして、一定以上ややこしい話だと、4DXみたいなアトラクションに乗りながら追っていくのはかなり困難だからです。ジェットコースターに乗りながら、日本の安全保障について考えるのは無理でしょう。気になる女の子を口説く方法ですら難しいかもしれません。その点、バイオハザードなら問題ありません。ナレーションがちょこちょこ入るくらいで、あとはアクションの釣瓶撃ちなので、観ていればわかります。そして、驚くべきことに、過去作を観ていなくても、ほぼわかります。僕がそうでしたからね。
 
映画シリーズのねらいについて、アンダーソン監督はインタビューでこう語ってます。主人公アリスは「記憶を喪失した状態で始まるから、観客と知識の差異がない。原作ゲームの知識がなくても、置いてけぼりになることがない」。いや〜、徹底してますね。原作どころか、シリーズ過去作の知識がなくても、一応ついていけましたから。ってくらいに、シンプルでありふれた話なわけです。監督はこう続けます。「1はお化け屋敷っぽい密室劇。2は町中アンデッドだらけの壮大なアクション。3はクレアという相棒が登場して『マッドマックス』的な黙示録展開になる。4は皆が囚われの身になり、5はアリスが追いかけられるチェイス映画」であると。そして、今回は舞台のラクーンシティーもそうですが、原点に立ち返ってサバイバルアクションホラーになってます。要するに、これはもう作家性と言っていいと思いますが、アンダーソン監督はアクションとその構図こそが映画であって、ストーリーはあくまでアクションのきっかけである。もっと平たく言うなら、かっこいい絵をバンバン撮りたいから、話は二の次三の次だってことでいいでしょう。そんなアンダーソン監督がやりたいように振り切ってやっている印象なので、僕はもうスカッとしましたね。
 
なぜこんなところに武器やバイクが都合良く転がっているんだとか、アリスはもはや不死身だよねとか、そういうツッコミはもういいんです。脚本のあらゆる箇所に、ご都合主義というウィルスが感染してしまっていますが、それで上等なんでしょう。
 
代わりに、ファイト一発的な見せ場がどっさり。監督自身もミラ・ジョヴォヴィッチも原作ゲームが好きということですけど、全体的にゲームっぽい作りになってます。見せ場が作れるシーンがあって、セリフやナレーションで強引にでもつないで、次にまた見せ場を置く。一面をクリアしたら、次の面があって、シチュエーションとミッションを変えてという流れ。だから、仲間が死のうが何しようが、感傷にふけってる時間はないのです。一難去ってまた一難なんです。さながら、風雲たけし城やSASUKE。恒例のレーザートラップもバッチリ出てきます。
 
でも、107分という尺もしっかりあっさりしていて、長くなりがちなこの手の映画の中ではコンパクトな方ですね。シリーズの色んな要素もできる限りぶっこまれてますから、刺激いっぱいお腹いっぱい、設定そのものには疑問いっぱいのまま、とりあえず終わっていきます。
 
深刻な話だし本人たちは大真面目なのに、どうしたって笑っちゃうところもいっぱいあります。でも、ゲームを土台に映画としてオリジナルにどこまで展開できるのかというゲームと映画の関係性においては突出したシリーズだったわけです。観ながら、僕は『ハンガー・ゲーム』とか『メイズランナー』のことを思い出してました。最近のYA映画化作品群に影響を与えていることは間違いないと思います。ゲーム要素については、そもそも『不思議の国のアリス』から受けた影響(というか引用?)もありましたね。
 
僕はこのザ・ファイナルもなんだかんだ嫌いにはなれない。ミラ・ジョヴォヴィッチの露出度高めのアクションがかっこよく見えて、アンデッドやら妙なクリーチャーやらが気持ち悪くて、お化け屋敷的に驚かされて、アリスの秘密を知ることでまた1に戻りたくなるようなこの作品。これだけクリアしてたら、もう十分です。
 
僕はこの手の映画を敬遠してる人ほど、4DXで一度観てみるといいかなと。

さ〜て、次回、1月6日(金)、新年一発目の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『土竜の唄 香港狂騒曲』です。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!