京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月7日放送分

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ご存知、海賊アドベンチャーのお化けシリーズ第5弾。ディズニーランドのアトラクションから映画が生まれたという珍しいパターンで、2003年の「呪われた海賊たち」からスタートしたんですが、一応、3までで一度話が完結するんだけれども、お客さんも入るし、もいっちょやろうってことで、「生命の泉」という4作目も製作し、88億円という興行収入を叩き出しました。今回はそこから期間の空くこと6年。久々の続編です。

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ジャック・スパロウと共に冒険したウィル・ターナー。息子のヘンリーは、現在は幽霊船の船長になっている父を救うために各地の伝説を調べ、呪いを解く鍵はポセイドンの槍だと発見。一方、天文学を研究しているというだけで魔女の濡れ衣を着せられているカリーナ。彼女は生き別れた父が残したポセイドンの槍に関する謎を解こうとしていた。はたまた、かつてジャック・スパロウに一杯食わされて海の死神となったサラザールがゴーストたちを率いてジャックへの復讐の狼煙を上げる。サラザールから逃れるためにも、呪いを解くポセイドンの槍が必要。かくして、同じ槍を巡り、登場人物たちの思惑が交錯しながら、物語は意外な方向へと進路を変えていきます。

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ジャック・スパロウには、もちろんジョニー・デップ。死神サラザールは、『ノー・カントリー』のハビエル・バルデムが演じる他、ジェフリー・ラッシュ扮するおなじみのキャプテン・バルボッサも登場します。監督は、今シリーズ初、この番組でも4年前の7月に扱った同じ海洋アドベンチャーもの『コン・ティキ』のヨアヒム・ローニングとエスペン・サンドベリの40代コンビ。
 
それでは、ディズニーからのれっきとした依頼を受けて、つまりディズニーお墨付きでジャック・スパロウに扮し、6年前のファンキー・マーケットでは、一日署長ならぬ一日船長を経験した僕野村雅夫が、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

シリーズ物の宿命ってあるんですよね。映画業界では当たらないと言われていた海賊ものでそのジンクスを吹き飛ばした1の「呪われた海賊たち」。客観的に言って、あれが一番好きだっていう人が多いです。人気もそうだし、評価も高い。ところが、続編を作る度にその人気も評価も衰えているのが実情。だけど、お客さんは入るんです。収益で言うと、1が一番少ない。結局、他に似た映画がないし、ある程度は絶対面白いだろうし、たとえばデートや家族で観に行っても、良くも悪くも引きずらないエンターテイメントだろうという世間的なポジションを確立してるってことが言えるでしょう。
 
では、もっと具体的に、人はパイレーツに何を求めているのか。シリーズの特徴を整理して、今作と比べてみましょう。シリーズの魅力はざっくり言うと、2点。ひとつは、騙し騙され、裏切り裏切られな登場人物たちの駆け引きです。それが、冒険心をくすぐる、いかにもなお宝を巡って行われるわけです。しかも、ジャックとバルボッサのような海賊たちはもちろん、言わば堅気の人達も目的のためには手段を選ばない。猜疑心に駆られた状態で観客も観るので、先が読めずにハラハラする。「ワンピース」のような仲間意識でも「ワイルド・スピード」のような絆でもないんです。情の部分はさっぱりしてるから、見ていて重たくならない。なおかつ、権威に一泡吹かせる展開もあって、スカッともできる。
 
そして、もうひとつは、映画ならではのアイデアたっぷりなアクションシーン。中世だからできる剣と大砲の応酬。船の衝突・爆破、乗り移り。マストで高さ、錨で海の底まで、地上では実現しないアクションには、制約があるだけに、どんな手が次に来るかとワクワクする。さらに、地上でもしっかりやりますよ。2本目「デッドマンズ・チェスト」での転がる水車の上での剣の戦いは忘れがたい。そういう、絵的に問答無用でアガれるアクションが用意されている。
 
そんなパイレーツのスタイルが今作ではどう発揮されていたかって話ですけど、残念ながら、発揮しきれていないというのが正しいんですよ、これが。
 
アクションでのいいところ、ありますよ。予告にも出てくる銀行強盗の場面とジャックがギロチンにかけられるところ。酔っ払ったジャックが、まるで無表情の喜劇王バスター・キートンのように、建物が動くようなビッグスケールな騒動に飄々と巻き込まれる。ギロチンのくだりも笑えますね。ジャックの前にカメラが据えてあるんだけど、ジャックは半分破壊されたギロチンごとブランコみたいになってですね、揺れる度にギロチンの刃がジャックの首元ギリギリまでやってくるという… って、僕の話を聞いていても想像つかないと思います。それが映画的ってことなんですよ。観たら興奮するけど、言語化しにくいっていうね。

なんだよ、マチャオ褒めてるじゃないか! そこはね。でも、陸上でしょ? 海のシーンは? そうだな、若かりしジャックがサラザールをまんまとやり過ごす場面は痛快でした。でも、若い時の話だからね… あとは、サラザール率いる幽霊船が、まるで文字通りガイコツ船っていうか、骨組みしか残ってないような船なのに、水に浮かぶし、半分空中に浮くし、みたいなアイデアは面白かったです。ただ、それでゴリ押してます。もちろんCGだし、人間じゃないんで、何でもありってことになると、そもそもがご都合主義上等のシリーズなんで、だんだん興味が薄れてくる人がいてもしょうがないでしょう。
 
だいたい、今回はジャックがいくらなんでも活躍しなさすぎです。落ちぶれているのはわかったけど、すべてが運任せだし、何をどうしたいっていう意志も伝わってこない。あと、セリフのギャグも、そこそこ滑ってます。そう、ジャックはあくまで潤滑油くらいの存在で、歯車は不在の父親とつながろうとする若い男女とバルボッサなんだけど、正直言って、若者たちには荷が重い。そもそも駆け引きをするような奥行きのあるキャラじゃないうえ、主役という貫禄が薄いんですよ。線が細いというか。どうしても、オーランド・ブルームキーラ・ナイトレイに重ねてしまうからでしょうね。だから、今作で一番おいしいのは、実はバルボッサです。理由には触れないでおきますが、後半のある展開から一気にグイッと前に出てくるんだけど、その理由もね、僕は、「取ってつけたような話」やなと思ったのは事実です。
 
そんなこんなで、まとめると、パイレーツの魅力とスタイルを発揮しきれてないぞっていうのは間違いないです。ただ、このシリーズは、1以降、多かれ少なかれ、そんなとこなのかもしれません。その意味で、一定の面白さは保証されてるけど、それ以上にはならないという感じ。誤解は禁物。今回も面白いです。が、観客動員数ランキング初週1位の売れてる映画なんで厳しく言いますが、もっと魅力を研ぎ澄まさないと、飽きられます。参考になるのは、「ワイルド・スピード」ですね。もう、ここまで来たら、空を飛ぶのもありじゃないかと。そんなことないか(笑) ま、らしさを維持してフレッシュなアイデアを投入し続けるというシリーズ物の鉄則を肝に銘じて、さしあたっては次は「海賊ものらしさ」を取り戻していただきたいところです。

ポール・マッカートニーが出てきました。ジャックのおじさん役。僕はその情報をすっかり忘れていたので、普通に驚きましたよ。確か、キース・リチャーズがお父さん役だったから、ポールとキースは兄弟ってことになりますね。番組では、ポールの曲の中でも、ミシェル・ゴンドリー演出のMVにゴーストが出てくるこちらDance Tonightをチョイスしてオンエアしました。
 
それにしても、邦題の「最後の海賊」は、なんでこんな事になってしまったんでしょうか。そのまま「死人に口なし」ではダメなんでしょうか。「シリーズはこれがラストだって勘違いするお客さんがいるといいな」という魂胆でないことを心底願います。


さ〜て、次回、7月14日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『メアリと魔女の花』です。僕、米林宏昌監督の『思い出のマーニー』が結構好きだったんですが、今回はいかに。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 
 

『ハクソー・リッジ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年6月30日放送分
『ハクソー・リッジ』短評のDJ's カット版です。

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カトリックの信心深いデズモンド・ドス。米軍に志願するものの、武器は一切持たず、「汝、殺すことなかれ」の教えを戦場でも実践。第2次世界大戦末期、沖縄の激戦地ハクソー・リッジ(前田高地)に衛生兵として従軍した彼が75人の命を救った実話です。

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監督は、色々あったメル・ギブソン。メガホンを取るのは、『アポカリプト』以来10年ぶりとなります。主演は『アメイジングスパイダーマン』のアンドリュー・ガーフィールドですが、沈黙 -サイレンス-』が記憶に新しいところ。
 
アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門にノミネートし、編集と録音で賞を獲得しました。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

どうしても凄惨な地上戦のシーンに注目が集まりますが、それまでのよくできたドラマがあってこその展開なのを、まずは分かっていただきたい。ドスの家庭環境と人となりが示される前半から中盤にかけてが素晴らしいです。父親アルコール依存症で、母親にしょっちゅう手を上げているんだけど、ある時、デズモンドが彼女をかばって寄り添っていると、「父さんは昔はああじゃなかった」と母が言うんです。父も元軍人で、第1次世界大戦で親友3人を亡くして、今で言うPTSD状態に陥ってしまったんです。確かにろくでもない父親に成り下がってはいるかもしれないけれど、愛する子どもを戦場へは送りたくないという想いには説得力があります。
 
デズモンドの人格と思想が形成されていくプロセスも、端的で無駄のない描写でした。ヴァージニア州の自然豊かなところで、元気に身体を動かして育つんだけれど、ある時喧嘩でやり過ぎて、兄弟をレンガで殺しかける。そこで知った、人を殺してしまう恐怖。青年になると、今度は事故で怪我した人を病院に担ぎ込み、命を救ったその経験が彼のその後を決定づける。家が貧しいから叶わなかったが、本当は医者になりたかったこと。看護師と育んだ恋愛。そこに、戦争の影が忍び寄る。ドスの真面目っぷり。こうと決めたらまっしぐらなところ。誰かと自分を比べたりせずに、僕は僕なんだという芯の強さ。それが故に、周囲とのコミュニケーションではズレが生まれる様子が、意外にも当初はコミカルに描かれるんです。軍隊に入ってからでさえ。
 
ただ、当然、軍にいながら武器を手に取らないという信条は、軋轢を生み、彼は冷遇され、しごかれ、軍法会議にかけられすらするわけです。ここで一気に立ち上がってくるのは、非暴力で暴力に立ち向かえるのかという問いです。ドスが志願した発端は、真珠湾攻撃じゃないのか。そのスタンスで仲間や国を守れるのか。すごいなと思うのは、それでも米軍はドスを軍から排除しなかったんですよね。日本軍ならあり得ないでしょう。
 
そして、1945年5月、沖縄。戦闘が始まるまでの静寂。一気に始まる銃撃戦。息をつく暇のない、そして目を背けたくなる怒涛の展開。安っぽい言葉だけど、映画史に記録されるレベルです。四肢は飛び散り、銃弾が脳天をあっさり貫き、銃剣が胸を刺します。火炎放射器は人を生きたまま焼きます。兵士たちは日米双方ともにバタバタと倒れ、吹っ飛ぶ。文字通り無数の屍を越え、両軍は一進一退の攻防に明け暮れる。そんな中、デズモンドは仲間が退却しようとも、負傷者を手当し、崖から下ろして救助する。何と、時には敵まで。ほとんど狂気です。でも、はっきり言って、多かれ少なかれ、そこでは狂気に支配される。それが戦場なのだということがよく分かります。グロテスクな描写も残酷趣味という批判に、僕は当たらないと思う。
 
ただ命を救うための兵士がひとりくらいいたっていい。ドスはそんな事を考えます。そんなに武器が嫌なら戦争に行かなけりゃいいじゃないかとはならないんですよね。彼をそう揶揄するのは、たとえば、戦場を取材するジャーナリストや、国境なき医師団の活動を浅はかに軽んじるのと近いものがあるような気がします。人が人でなくなる戦争そのものが狂気の産物なのであって、戦争という地獄が無ければ、彼の狂気もないわけです。その意味で、これはきっちり反戦映画として成立する堂々たるメル・ギブソン復帰作と言えるのではないでしょうか。恐れ入りました。


短評後には、島唄ウチナーグチver.)/THE BOOMをオンエアしました。

 

日本側の視点が入っていなくて一方的じゃないかという意見もあるようですが、そんなの無理でしょう。これだけでも139分かかってるんだから。そして、日本軍の兵士は大勢出てきますが、決して偏見に基づいているわけではないし、そこは僕でも伝え聞くレベルのエピソードしかありません。少なくとも、一面的に「過ぎる」という批判は的外れでしょう。

 

沖縄県浦添市のホームページに掲載されている鑑賞の参考になる一連の地図や記録、動画は、日本側からの視点を知る助けにもなりました。こちらから閲覧ください。
 
ちょうど先週6月23日が沖縄慰霊の日でしたが、5月の闘いを描いた本作からまだおよそ1ヶ月地上戦が続き、米軍の死者は1.4万人。負傷者7.2万人。日本側の死者は18.8万。およそ半数は民間人だったと言われています。
 
それにしても、ガーフィールドは『沈黙 -サイレンス-』に続いて、信仰に生きる葛藤を見事に体現。あっぱれ!


さ〜て、次回、7月7日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、シリーズ5本目となる『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』です。FM802で唯一ディズニーからの依頼を受けてジャック・スパロウになりきった経験のある僕が、心を込めて短評するつもりです(笑) あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『キング・アーサー』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年6月23日放送分
『キング・アーサー』短評のDJ's カット版です。

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イングランドの王ユーサーを叔父のヴォーティガンに殺され、追ってから命からがら逃れてスラム街で育ったアーサー。ユーサーが残した聖剣エクスカリバーを手に入れ、魔術師の力を借りながら困難を乗り越え、王座を奪還する物語。

シャーロック・ホームズ (字幕版) パシフィック・リム(字幕版)

日本産RPGにも大きな影響を与えた中世の騎士道物語を大胆に脚色するのは、『シャーロック・ホームズ』シリーズなどで知られる映像の魔術師ことガイ・リッチー。アーサーを演じるのは、『パシフィック・リム』のチャーリー・ハナム。悪役ヴォーティガンには、ジュード・ロウが扮する他、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』で人魚シレーナを演じたフランスをベースに活躍する女優アストリッド・ベルジュ=フリスベが魔術師メイジを担当しています。
 
それでは、エクスカリバー並みの切れ味となるか、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

アーサー王は6世紀にウェールズから異民族を撃退した英雄とされているんだけど、その物語は民間伝承やフィクションだし、そもそもアーサー王が歴史上の人物かどうかも議論があるくらいなわけです。つまり、エクスカリバーだ魔法使いだ円卓だ聖杯だといったモチーフさえ出しておけば、後はある程度自由なわけですよ。イギリス人にとってどころか、世界中で、2次創作的なものを育んできた物語の型。これまでも幾度となく映像化されているとは言え、キャラも多いし、ワーナーが新しいマーヴェル的なシリーズ世界、シネマティック・ユニバースを作りたいという意図もよくわかります。
 
そこで、まずガイ・リッチー監督ですよ。昔は失敗もありましたけど、型をうまく改変する素質が今の彼に備わっていることは、『シャーロック・ホームズ』で誰もが知ってる。そう見込まれたわけですからね、リッチーは製作と脚本も手がけて大活躍。というか、大喜びだったんでしょう。良くも悪くも、リッチー節が炸裂した、ケレン味だらけのスーパー歌舞伎みたいになってます。ある程度自由に改変っていうレベルをはるかに超えて、完全に自由なんです。
 
まず父ユーサーが暗黒魔法を使うモルドレッドと戦うプロローグの部分。ファースト・ショットから誰もが思いますね。象がデカすぎる。なんかインドっぽく象の上に人が乗った軍隊っていう設定も時空が歪んでクラクラするけど、それよりも何よりも、象がさすがにデカすぎる。
 
アーサーが難を逃れて育ったスラムで成長する20年くらいを1分強で編集する技には参りましたね。超高速編集はうまいし、見ごたえがあるけど、さすがに端折りすぎ。
 
聖剣エクスカリバーの威力が、もはや理解不能なほどにさすがにありすぎ。魔法はいいんだけど、もうちょい何ができて何ができないかをわかるようにしておいてもらわないと、さすがに雰囲気で押しきりすぎ。
 
中国のカンフーの達人からアーサーが武術を教わってるってのも、衣装全般も、時代考証をさすがにすっ飛ばしすぎ。アーサー王の次創作物である本やゲームや映画からの影響でしょうね。ていうか、時代も何100年か勝手にずらして後にしてるんですよね。
 
一言にまとめると、自由なガイ!
 
なんて言って、笑いのネタにしてるようだけど、これらの要素はすべて長所でもあるんです。ガイ・リッチーは、この映画を面白くするために、良かれと思ってやってるんです(当たり前だけど)。だから、リッチー演出が好きって人はいいけど、そうでなかったら、なんじゃこりゃってなっちゃうかもしれないです。膨らませるところと端折るところのバランスもいびつだし。
 
 
もし普通のやり方なら、さすがに恋愛要素を増やすかな。もうちょい女性キャラを増やすかな。キャラの説明とか、あの世界の地図とか入れるかな。もはや監督がメガホン・エクスカリバーを手に入れたのかってくらいに自由。
 
権力への執着と不安が身を滅ぼすこと。本当の自分というのは、他人、周りが見つけてくれるものであること。そして、もちろん、キャッチコピーにもある下克上の面白さ。敵ではなく仲間を増やすこと。
 
こうしたわかりやすく普遍的なテーマのある物語なんで、たとえばディズニーなら、そこを軸にもっとわかりやすくするでしょうね。でも、そうすると、リッチー節は削がれてしまい、下手すると毒にも薬にもならない歴史もので終わっちゃうでしょう。その意味で、リッチーの起用は諸刃の剣。僕は笑いながらリッチー版、ウェールズスーパー歌舞伎をかなり楽しみました。


サントラは特筆に値します。打楽器を中心にした複雑なビート。細かい息遣いのサンプリング。手拍子。リッチー特有の細かい映像編集とマッチしてました。ダニエル・ペンバートンという音楽監督、グッジョブです。彼は同じくリッチーの『コードネームU.N.C.L.E.』や、ダニー・ボイルの『スティーブ・ジョブズ』を手がけているんですね。

コードネームU.N.C.L.E.(字幕版) スティーブ・ジョブズ (字幕版)

クライマックスへの景気づけに流れる歌ものは、京都音博にも出ていて、僕も面識のあるSam Leeが曲作りにも参加。彼は古い楽器や中世の民俗音楽、ロマ族の音楽、さらには日本の琴までサウンドに取り入れてポップスを作る人なんで、相性がいいはずです。サムを使うとは、わかってんなあって、僕はほくそ笑みましたよ。


さ〜て、次回、6月30日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ハクソー・リッジ』です。沖縄慰霊の日の放送に届いたお告げ。メル・ギブソン渾身の作品ということで、心して観なければ。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

 

 

【読めるかな?】八〇二美武麗男罵倒瑠部第一回満員御礼!

大阪新町のラポーティアで開催された802ビブリオバトル部。記念すべき第1回は、満員御礼で幕を閉じました。ご来場いただいた皆さん、そして、お誘いいただいた先輩DJ浅井博章さん、どうもありがとうございました。

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僕が紹介したのは都築響一夜露死苦現代詩 (ちくま文庫)。命の宿った生身の言葉たち。商品として世に出回ることのないポエトリー。そして、イントロ紹介だって詩になりうるのだという、玉置宏の曲紹介の匠の技について記録された章で僕がラジオDJとしていかに救われたかについてお話した結果…。人生には本当に「まさか」という坂があるものなのですね。僕が勝利してしまいました。

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そして、延長戦といったていで始まった映画版では、僕の愛してやまないジム・ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』で挑んだところ、まさかの敗退。僕と浅井さんのビブリオバトルは、見事痛み分けとなったのであります。いや、これぞ本当のウィンウィンでしょうか。

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会場には、ダイハン書房高槻店が即売ブースを設置。僕がイタリア語の監修をした増山実さんの新刊『風よ 僕らに海の歌を』(角川春樹事務所)もたくさん売れたようで、とても嬉しかったです。

 

選書する準備段階から本番まで、自分の読書体験を振り返る良い機会にもなりました。楽しかったので、また参加したいと心から思える素晴らしいイベントでしたよ。802ビブリオバトル部、次回は8月6日(日)、浅井さんとオチケンさんこと落合健太郎さんの書評対決をお楽しみください。

 

最後に、読書談義も含め、僕が話題にした作品はこちら。

 

せきしろX又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』幻冬舎文庫

ジュゼッペ・グラッソネッリほか『復讐者マレルバ 巨大マフィアに挑んだ男』早川書房

谷川俊太郎ほか『にほんご』福音館書店

村上春樹騎士団長殺し』新潮社

あだち充『みゆき』小学館

カキフライが無いなら来なかった (幻冬舎文庫) 復讐者マレルバ 巨大マフィアに挑んだ男 (早川書房) にほんご (福音館の単行本)

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編 みゆき (1) (小学館文庫) 風よ 僕らに海の歌を

 

 

『パトリオット・デイ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年6月16日放送分
『パトリオット・デイ』短評のDJ's カット版です。

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パトリオット・デイ、つまり「愛国者の日」に毎年開催されるボストン・マラソン。2013年に爆弾テロが起きたのは、ランナーが続々とたどり着くゴールエリアだった。警備にあたっていた地元警察のトミーやFBIの捜査官、そして一般市民や犯人など、映画は多種多様な事件関係者の映像を縫い合わせるようにして進みます。もちろん日本にも報道されたこの悲劇の解決までの102時間。その緊迫する裏側を描いていく。

ローン・サバイバー(字幕版) 

監督はピーター・バーグ。実録路線の中で唯一に近い実在しないキャラクター、ボストン警察のトミーという主役を演じたのは、マーク・ウォールバーグピーター・バーグ監督とマーク・ウォールバーグ。このふたりの「バーグ」がタッグを組むのは、この番組でも扱った『ローン・サバイバー』、日本ではこの春に公開された『バーニング・オーシャン』に次いで、これで3作目。今回はウォールバーグが製作総指揮でもあります。他に、ケヴィン・ベーコンジョン・グッドマンJ・K・シモンズといった渋くも実力派を揃えたキャストが実在の人物たちになりきっています。
 
それでは、制限時間3分間の短評で映画の裏側まで暴けるか。今週もスタート!

何日何時何分、誰がどこにいるか。ボストン・マラソン前夜から、事件、犯人逮捕まで。シンプルな文字情報で時間と場所と人物を示しながら、映画は基本的に時系列で進んでいきます。記憶力の悪い僕は、始まってから10分くらいで、「これ、覚えられるかな」っていうくらい人が出てきたんで心配になりましたけど、何とかなるさと流れに身を任せていたところ、確かに何とかなりました。いや、むしろ主要キャラクターの整理がきちんとできていて、編集が素晴らしいので、名前まで覚えるのはさすがに難しくとも、関係性とできごとの流れは見事に伝わってくる。当然ながら、特に爆発以降、人々がどんどんと関連していくわけです。その意外なつながりにあっと驚き、その後「何たる偶然…」とこちらが不憫に思う暇もなく、事件はずんずん緊迫感を増していく。手に汗握りました。
 
大きな倉庫に急遽作られた捜査本部で、ケヴィン・ベーコン演じる捜査官が「ここにゴール付近の街の様子を遺留品を置いて再現しろ」と指示して、それが手際良く実行に移される場面がありましたけど、映画全体のスタンスはその再現方法に近いです。言わば、遺留品が映画では各視点の映像なんです。それをうまく組み合わせれば、全体像がくっきりと浮かび上がる。映画というメディアの特性を活かした演出ですね。この手の作品だとアカデミーで編集賞を獲ったオリバー・ストーンの『JFK』を思い出したりもしました。

JFK ディレクターズ・カット版 (字幕版)

僕は『バーニング・オーシャン』を観ていないんですが、バーグ監督の同じ実録路線『ローン・サバイバー』との共通点を考えると、「唐突さ」が挙げられるのかなと思います。物語の展開はいつも突然で、人々は予想外の出来事に呆然とし、おろおろし、うろたえる。登場人物たちの多くは、アクションよりもリアクションなんです。そのあたりを僕ら観客はリアルだと感じているのではないでしょうかね。もちろん、演技、撮影、照明、録音、編集と、スタッフの一級の仕事があってこそですけど、もっと大枠の構造として、何かが起こるプロセスよりも、起きてしまってからの対応のプロセスを軸に据えているから、観客はみんな結果を知っているはずなのに、その都度、唐突に起こる展開に登場人物同様びっくりするから引き込まれる。そうやって緊迫感を作っていきます。
 
この構造の欠点としては、どうしても全体が一面的になることでしょう。僕も観終わった後にまず考えたのはそこです。この群像劇の中にせっかく最初から犯人を出してるんなら、もうちょっと踏み込んで、あの若き兄弟がなぜそんな凶行に及んだのか、その背景も暴いて見せてはどうか。でもね、冷静になって振り返ると、そこまでやってしまうとスピード感がそがれる上、モザイク画のようにして小さなピースの集合体として全体を見渡す構造そのものが破綻してしまうんですよね。むしろ、途中でふたりには「911は政府の陰謀」だとか言わせてました。あれがギリのバランスだったのかなと。つまり何が言いたいのかというと、バーグ監督はふたりをシンプルに敵扱いしているわけじゃないだろうってことです。
 
誰かを祭り上げてヒーローにするのではなく、ボストンそのものを、市民たちを、しかも移民も含め、自由の旗印のもとに団結したみんなが立ち直る様子を群像劇的に最終的に感動に結びつけているわけです。アラブを敵視してもいない。むしろFBIや警察もそこには人権的な配慮をしていました。
 
ローン・サバイバー』ではアフガニスタンでの米軍の泥沼の戦いを描きました。その果てに、アメリカ本国はどうなったか。セットで考えると、バーグ監督のつとめて冷静なスタンスがうかがえると思います。「テロなんてブラックリストをいくら作ったって防げない」というFBIの発言は今の日本ではタイムリーに響きますね。さすがに最後は感動的に作り過ぎかなと思ったりもしましたが、「愛国者の日」というタイトルの映画のわりには、プロパガンダではなく、むしろリベラルなバランスで作られた、しかも、語弊を恐れずに言いますが、映画として面白くしあげている良作です。
 
※ どうでもいい補足ですけど、ドアを蹴破る時は、足の裏からドンといくようにしましょう。決して、膝からぶつかってはいけません。そんな機会、これからあるかどうかわかんないけど。


さ〜て、次回、6月23日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『キング・アーサー』です。名高い聖剣エクスカリバーの威力はどんなもんなんでしょうかね。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『LOGAN/ローガン』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年6月9日放送分
『LOGAN/ローガン』短評のDJ's カット版です。

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マーヴェル・コミック原作で、特殊能力を持ったミュータントたちが活躍するヒーローチーム「X-MEN」。2000年の映画化から、本体が6作品発表されていますね。その中でも、鋭い反射能力と超回復能力、そして何より出し入れ可能な刃を手に備えて人気を誇るキャラクターがウルヴァリン。これは、彼を主人公にしたスピンオフの3作目にして、17年にわたってそのウルヴァリンを演じてきたヒュー・ジャックマンのシリーズからの引退作であると言われています。ローガンというのは、ウルヴァリンがかつて記憶喪失だった頃に呼ばれていた名前ですね。

X-MEN (字幕版) ウルヴァリン:X-MEN ZERO (字幕版)

さて、今回、ローガンはヒーローとしてではなく、しがないという言葉が似合うリムジンの運転手として登場します。しかも、アルコール依存症です。もはや彼の能力は衰え、メキシコ国境付近で貧しい生活を送っています。ミュータントたちは既に絶滅寸前の近未来。ある日、メキシコ人女性から、ローラという組織から追われている少女をノースダコタまで連れて行ってほしいと頼まれたローガンは、やむなく彼女を引き受けます。もともと匿っていたプロフェッサーXと彼女を連れ、ローガンは長い旅に出る。
 
監督は、ウルヴァリンシリーズからラブコメ、そして西部劇まで幅広く手がけるジェームズ・マンゴールドです。
 
それでは、制限時間3分間の映画短評。今週もいってみよう!

ローガンは老眼だった。これは、先週の番組終わりに、僕がスタッフに言ったダジャレなんですけど、実際に映画を観て、ローガンが何度も老眼鏡をかける姿を目の当たりにしながら、「本当に老眼じゃねえか!」って声に出しそうになりましたよ。どうでもいいと思うかも知れないけど、これ、画期的なんですよ。アメコミのスーパーヒーローが老眼鏡ですよ? ミスターX-Men akaヒュー・ジャックマンが、シリーズに決着をつけるわけです。有終の美を飾ると言ってるわけです。ヒーローものって、続けるのは比較的簡単だけど、終わらせるのって難しいわけです。そこで、監督のジェームズ・マンゴールドは「画期的な」要素を用意して、ヒュー・ジャックマンに花道を用意しました。つまり、老いさらばえたヒーローという枯れた味わいを出してきたわけです。アメコミですよ? なのに、ローガンはFワードを連発するし、グロデスク描写もやりたい放題。彼が同行する女の子もとんだ殺人マシンです。いくらミュータントとは言え、10代の女の子がばんばん人殺しってのは、普通はアウトです。もちろん、R指定。こんなの、避けるのが常套手段です。ヒーロー映画好きなティーンエイジャーは観られなくなるから、興行的に響くもの。でも、せっかくなら、最後くらい、目先の利益じゃなくて、10年20年先も記憶に残るものを作りたいという映画人の矜持を僕は感じました。

シェーン [DVD] マッドマックス 怒りのデス・ロード(字幕版)

監督が参照したのは、劇中で引用される『シェーン』に代表される西部劇です。今回、三世代のロードムービーとして3人がボロ車で移動するのは、そのほとんどが荒野。ただし、これは近未来のお話。だから、文脈はずらしてあります。X-Menシリーズは、かねてから言われているように、突然変異したミュータントたちを社会のマイノリティーのメタファーとして描いているわけです。その意味でメキシコ国境付近に絶滅寸前のミュータントを住まわせる設定はたぶんにトランプ政権への目配せを感じます。さらに、ミュータントたちが絶滅の危機に追い込まれている理由や、途中で出てくる畑のまるで工業製品を生産するような農業のあり方が、完全に遺伝子操作の恐怖を前提としたものであることを考えれば、これがどれほど現代社会への批判であるか、すぐにわかります。しかも、ミュータントを迫害する一方で、殺人兵器としてのミュータントをこれまた遺伝子操作で人為的に「生産」するという恐ろしさ。敵は公権力というより、合理性をとことん追求する資本であるというのが鋭いですよ。この、人間を「もの」として「生産して利用する」存在がいて、舞台が荒野であるという点で、僕は『マッドマックス怒りのデスロード』を思い出したりもしました。
 
この映画において、主人公は、もはやウルヴァリンではなく、ローガンなんです。つまり、ミュータント的な側面よりも、人間臭さが強調されているんです。僕が確認した限りなので正確ではありませんが、字幕にこそ「正義」という言葉はあるものの、英語ではジャスティスという言葉は出てきません。老いさらばえたヒーローにとって、そんな大上段に構えた議論は意味が無いんです。目の前にいる人や、たとえ行きがかり上であっても身近な人を守りたいという想いにこそ正義が宿るのだと、ぐちぐち悩むのではなく、行動で示す姿が実に西部劇的でした。ただ、いくら正義感に基づいていようとも、人を殺すのは重いことなわけです。いくら正当化したって、そこには哀しみと罪の意識が付きまとう。だからこそ、殺人の場面は軽くできないし、しっかり意味と重みのあるグロデスク描写は避けて通れないわけです。
 
行き過ぎた合理主義、そして政治よりも大資本が支配する世界の末路をこれでもかとえぐり、なおかつヒーロー映画をラディカルに問い直してみせる本作は、映画史のミュータントとして特筆すべき作品だと思います。

予告で使われていたのが、こちら。ナイン・インチ・ネイルズの曲をジョニー・キャッシュがカバーしたものでした。この選曲も、監督が映画の方針を反映しています。
 
Twitterでツイートもしましたが、ワンショット内で、ピントを手前から奥、あるいはその逆に移動させるフォーカス送りという手法もよく使われていて、印象に残りました。極端な使い方をするから、画面が歪むような気すらするんです。スタイルと言っていいレベルだったと思います。精緻に分析してるわけじゃないけど、そもそも西部劇において視線の移動はとても大事だし、ローガンは老眼なわけで反射能力も見事に衰えてますから、今回はいつも気づくのが遅いんですよね。
 
多くの人が言及していますが、劇中にX-MENのコミックを登場させるメタ演出にも驚きました。ここまでやるのかと。「現実世界では、人は死ぬんだ」みたいなことをローガンに言わせるなんて! 何度も確認するけど、これ、アメコミだよね? 


さ〜て、次回、6月16日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『パトリオット・デイ』です。まだ4年前、記憶に新しい事件の映画化です。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『光』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年6月2日放送分
『光』短評のDJ's カット版です。

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視力がしだいに失われゆく写真家の雅哉。視覚障害者向けのバリアフリー映画上映の音声ガイド用に原稿を作る美佐子。奈良の街に暮らすふたりの心模様を軸に、人にとって何かを失うとはどういう事なのか、そして光と影の芸術である映画そのものについても考えさせる作品です。
 
監督・脚本・編集は河瀨直美。『あん』に続いての出演となる永瀬正敏が写真家の雅哉を、そして美佐子を水崎綾女(みさきあやめ)が演じる他、映画内の映画を監督し主演する役柄として藤竜也、美佐子の上司と劇中映画の女優として神野三鈴(かんのみすず)、さらには、ある大事な役柄で『あん』で主演した樹木希林が登場します。

あん DVD スタンダード・エディション 萌の朱雀 [DVD]

先日この番組に監督がゲスト出演いただきましたね。97年の長編デビュー作『萌の朱雀』で新人監督賞カメラ・ドールを、そして2007年の『の森』では審査員特別賞のグランプリを獲得してきた河瀨さん。10年ごとにカンヌで大きな賞を獲っていて、しかもいずれも奈良が舞台でした。今回も10年経って、また舞台は奈良。第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品ということで、トップに当たるパルム・ドールへの期待がかかりましたが、惜しくも及びませんでした。それでも、キリスト教関連の選考委員が精神性の高い作品を選ぶエキュメニカル賞を獲得。青山真治監督の『EUREKA』に次いで、日本人監督としては二人目の快挙となりました。
 
それでは、先日監督に直接ぶつけた点も踏まえつつ、制限時間3分間の映画短評。今週もいってみよう!

河瀨監督の作品すべてを観ているわけではないんですが、喪失感を抱えた人間がどう再生するのか、あるいは人生に一筋の光明を見出すのかといったテーマを据えることが多いように思います。その意味で、今回はまさに集大成。ひとつの到達点でしょう。美佐子の父は蒸発していて、母は認知症を患っている。いずれも、これまでにあったモチーフです。ただ、そんな彼女が映画の音声ガイドをしているという設定がとてもユニークです。これは、台詞よりも映像にはっきりと重きを置いてきた監督の言葉の再評価と考えていいでしょう。映画を構成する要素、映像、音楽も含めた音、言葉、そして観客の想像力。監督は今作でこうした要素を一度バラバラにして吟味し、それらを再構築するような、つまりは映画そのものについて考える作業を行っているのだと僕は思います。その証拠に、鑑賞後にも言葉が残ってるんです。たとえば、「目の前から消えてしまうものほど美しい」なんて、その筆頭です。これは、以前なら、監督は言葉にしなかった、言葉にするのを避けたと思うんですが、今回はとてもいい働きをしていました。
 
音声ガイドは映像を感知できない人とも映画を共有しようという役割ですが、僕もラジオという音声メディアで映像について毎週語っているわけで、その難しさはよく分かります。ガイドの出来栄えを視覚障害者立ち会いのもとにチェックするモニター会が節目節目で出てきますが、そのたびごとに、美佐子は映画への理解と想像力をたくましくしていきます。そうするうちに、言葉にすることと言葉にしないことについて、思いを巡らせることになる。
 
一方、そのモニター会で美佐子が知り合う雅哉は、文字通り光を失いゆく存在。写真家ですから、それは致命的なことなんだけれど、僕はここでも言葉に注目したい。写真家の表現は、当たり前だけど、映画以上に映像のみなわけです。その映像から離れざるを得なくなっていく雅哉が美佐子との交流の中で再評価するのは、やはり言葉なんじゃないでしょうか。ふたりは映像を介して知り合い、距離を縮めるんだけれど、心を開くのはその言葉による部分が大きいのではないかと。
 
堂々巡りするようですが、そんな言葉の再評価は、あくまで映画というメディア全体の中でのことなわけで、台詞に重きを置いた分、じゃあ、他の要素の価値が下がっているってことじゃなくて、むしろ、その逆。強力なスタッフの力を借りて、河瀬監督はこれまで以上に映画の表現の密度を上げることに成功しています。
 
中でも、写真家出身でこれが劇映画デビューの撮影監督百々新(どどあらた)さんが素晴らしい。写真のような構図。自然光の繊細な表現。これまでよりアップが多い人物描写の的確さ。映画movieは、写真が動いているものだって久々に思い出しました。それから、奈良の雑踏の音までデザインした録音のRoman Dymnyさんもすごい。
 
視覚障害者とか、親が失踪とか、特殊な人の話に思えるだろうけど、そうじゃない。人は誰でも何かを失いながら生きていくわけで、それをより分かりやすくする設定なんです。こういう事を話すと、理屈っぽいと思えるだろうけど、むしろとても分かりやすいです。河瀬直美監督の作品をこれから観るなら、『あん』と『光』の2本がオススメですってはっきり言えます。彼女の作家性がとっつきやすい形で味わえますから。
 
トーリーのネタバレじゃないから言っていいでしょう。最後の方に、バリアフリー上映が行われている映画館のお客さんたちの顔がたくさん写ります。一般の人です。役者じゃない。ドキュメンタリー出身の監督は、デビューの頃から使っている手法ですが、今回が一番ハマっていると思います。「映画っていいもんですねぇ」としみじみ感じる場面でした。それをあなたも映画館でご覧ください。好き嫌いは別にして、河瀬直美さんみたいな監督の作品が、日本で、しかも地元関西で映画館いっぱいにならないってのは絶対にダメ! とりあえず、何はなくともご覧ください。


さ〜て、次回、6月9日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ローガン』です。マーベルはどんどん出してくるね。どこまで復習しようかしら。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!