京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『怪盗グルーのミニオン大脱走』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月28日放送分
『怪盗グルーのミニオン大脱走』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170728172233j:plain

ユニバーサル・スタジオとイルミネーション・スタジオがタッグを組む人気アニメ「怪盗グルー」シリーズ第3弾。このコーナーでは、2年前にスピンオフというか、シリーズ前日譚となる『ミニオンズ』を扱いました。街中で見かけるポスターを観ても、ミニオンばかり押してるんですけど、邦題にあるように、あくまでも主役は怪盗グルーです。ミニオン達はサブキャラです。
 
悪事から足を洗い、反悪党同盟に所属していたグルー。今作の悪役バルタザール・ブラットによる世界一のダイヤ強奪を阻止できなかったミスから、反悪党同盟を追い出されてしまいます。悪さをせずに家族と仲良く暮らすグルーに魅力を感じなくなったミニオンたちは、新たなボスを求めて旅に出ていったきり… そんな折、グルーにはドルーという双子の弟がいたことが判明。ブラットをとっちめようと力を合わせるのだが…
 
監督は、もとピクサーで、『ミニオンズ』でもメガホンを取ったカイル・バルダです。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

僕が『ミニオンズ』評を振り返ると、シーンひとつひとつはよくできていても、それが有機的につながった物語になっていない。あれは人間の言葉を話さないミニオンが主人公だったので、セリフに制約がある分、ストーリーテリングの難易度が相当高かったわけですけど、今回はあくまでも怪盗グルーシリーズですから、話は比較的まとめやすいはずです。ところが、今回も似た欠点を持っているように思います。個々のシーンの組み立ては、アニメならではの飛躍もあるし、同じイルミネーションの快作『SING/シング』ばりに音楽使いもハマってるし、見ていて愉快です。いわゆるスラップスティックなドタバタのノリも冴えてる。ディズニー・ピクサーより、笑いの種類が悪いから、大人もニンマリできる。でも、シーンとシーンの継ぎ目とか、どのシーンをどの順番でどれくらいの尺で組み立てるかという脚本全体の構成は、やっぱり強引です。
 
特に今回とある理由で逮捕までされてしまうミニオンたちのエピソードは、邦題ではメインだけど、たとえばあらすじを作るなら、もはや省けるレベルなんですよ。いや、あの部分の話は笑えるし、ミニオンたちの乗り物なんて、愉快だからもうちょっと観たいくらいだったんだけど、物語として必要なのかと問われると「さほど…」と言わざるをえないです。この感じ、何か最近味わったぞ… どの映画だろう… 『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』のジャック・スパロウだ! ストーリー的にはたいして必要ないレベルなんだけど、一応主役みたいな。ま、ミニオンは主役じゃないけどさ。
 
ただ、フォローしておくと、物語の意図はわかります。こうありたいという理想とそうなってはいない現実のギャップを埋めようとする物語。悪役のバルタザールが代表で、自分の輝いていた80年代からファッション、音楽、価値観がアップデートされないままでいて、現実はもう21世紀になってるのに、彼の中では時代が止まったまま。かつてテレビで子役スターだったのに、あっさりと見捨てられたという恨みが噴出する。つまり、こんなはずじゃなかったのに、世間はどうしてわからないんだという。
 
同様のことが、グルーと生き別れたドルーにも言えます。ドルーにしてみれば最高の悪党だった父の遺志を次ぎたいという理想を胸にいだいているけれど、あまりに鈍くさく、悪党としてのスキルがないため、現実はまったく理想に追いつかない。ミニオンたちは、理想の悪党を探しているから、今回は更生したグルーに愛想を尽かして旅の途中。そしてグルーの子供たちにも、同じく理想問題がありましたね。
 
このテーマで見ていくと、実はグルーだけが、その理想に近づいているから、どうにも映画全体のエネルギーが弱いんですよ。彼の理想は、少しずつ増えた家族と仲睦まじく暮らすことでしょ? ほとんど叶ってる。強いて言えば、正義のために働くと、今ひとつ活躍できないっていう。だからこそ、今回はグルーとドルーで、欠点を補い合って、とりあえず共通の敵であるバルタザールに向かう。こんな風に、一応、それぞれの葛藤が繋がったり交錯するようにしてはいるんだけど、肝心の主役グルーの理想への推進力が弱いので、話が転がりきらない。
 
って、このシリーズにそういうロジカルな展開を求めるのは野暮だって言われたらそれまでなんですけど、僕は気になりました。アニメならではの奇想天外な飛躍も、キャラクターの魅力も、ファレルを引き込んだりする音楽使いの上手さもトップクラスのイルミネーション・スタジオなんで、ここはひとつ、脚本をブラッシュアップできる人材を調達してから、とりあえずの続編『ミニオンズ2』に着手してほしいところです。そうすれば、さらなる高みへ一気に進めるし、僕はこういう悪ガキ心を呼び覚ます毒っ気のあるアニメが好きなんで、そんな最強イルミネーションの作品を観てみたい。『SING/シング』を超える代表作をミニオン絡みで観てみたいという理想を最後に表明しておきます。

さ〜て、次回、8月4日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』です。なんか、Twitterでの短い広告動画に出てくる、あのおびただしい数の鳥たち! ヒッチコックの『鳥』を思い出して怖いんですけど〜。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
 
 
 

欧米で社会現象化の小説『リラとわたし』クロスレビュー

 翻訳家集団でもある京都ドーナッツクラブのメンバーは、定期的に開く会議の場で、イタリア文学の最新事情について情報交換をすることがある。そこで何度か話題にのぼっていた作家が、エレナ・フェッランテだ。

 イタリアとアメリカでそれぞれ100万部以上を売り上げ、世界40カ国以上での出版が決定した『リラとわたし』。「ナポリの物語1」という副題が付いているが、全4部にわたる大作。ドラマシリーズ化もされるという。各種雑誌やブックレビューはもちろん、ヒラリー・クリントンや俳優のジェームズ・フランコが絶賛し、もはや社会現象化しているにも関わらず、実はフェッランテは公衆の面前に姿を現すことはなく、女性の名前ではあるが、その性別すら明かされていない正体不明の作家なのだ。サリンジャーじゃないんだから! 

 名実ともにイタリアを代表する(謎の)作家となったフェッランテの代表作が、いよいよ日本にもやって来た。原文に真摯でありながら読みやすい訳で僕も(嫉妬混じりに)リスペクトする飯田亮介氏のフィルターを通って。

 この『リラとわたし』出版を記念して、京都ドーナッツクラブでは、ふたりの30代女性メンバーがそれぞれ異なる切り口でレビューを書いた。この作品が、多くの人の現代イタリア文学への入口となりますようにと願いを込めつつ。

 野村雅夫akaポンデ雅夫

リラとわたし (ナポリの物語(1))

リラとわたし (ナポリの物語(1))

 

*「ココナッツくにこ」の場合* 

 60代の作家エレナはある日、長年の親友リラが失踪したことを知る。エレナは直感で事件がリラの意図的な仕業であると確信する。そして過去の記憶を辿りながら、エレナは親友との物語を静かに語り始める… 本書は1950年代のイタリア・ナポリを舞台に、対照的な二人の少女の成長を描いた作品。本好きで勤勉なエレナと頭脳明晰な反逆児リラ。強い絆で結ばれた二人は助け合いながらも、唯一無二のライバルとして生涯の友情を育んでゆく。

 著者のエレナ・フェッランテは1943年、イタリア・ナポリ生まれの作家で、デビュー作は1992年の“L'amore molesto”(「愛に戸惑って」)。2011年に発表した『リラとわたし』をはじめとするナポリ四部作が世界的ベストセラーになり、現在40カ国以上での刊行が決定している。2016年にはタイム誌により「世界で最も影響力のある100人」に選出された。本書は初の日本語によるシリーズ一作目。著者はデビュー以来、性別すら明かさない覆面作家として名高い。

 物語はリラの失踪後、二人の幼年期から思春期までが描かれている。日々の生活を心豊かにしてくれる女友達の存在に心癒される二人。だがそんな仲のいい友人同士でも嫉妬心や競争心といった複雑な心情を伴うのが常である。そんな人間の性を著者は赤裸々に描き出す。同時に母娘の確執にも触れ、母に怯える娘の心情をまるで実体験のように綴る。こうして親友を“羨望の的”に、母親を“恐怖の対象”として対極化させることで、多感な思春期の心情を実に上手く描いている。他にも“優越感への欲”や、“格付け”といった無意識うちに行われる行為についても人間の本質を突いており、著者の鋭い洞察力がうかがえる。

 こうした負の感情を互いに持ちつつも、エレナとリラの友情は壊れるどころか日増しに強くなってゆく。二人の間には常に絶対的な信頼と愛情が存在するのであった。この二つが二人の生命力といっていい程の強さを放つ。「孤独」という言葉をよく耳にする現代の希薄な人間関係とは全くもって正反対である。現代人が忘れかけている人との真の絆というものを、本書は私達に教えてくれる。人によっては過去の友情を思い出す人もいるだろう。

 そんな健気な二人の友情を際立たせているのが当時の時代背景である。日常的な暴力と貧困にあえぐ1950年代のナポリは男性優位の社会。女性の地位は低く、生活基盤は地元住民との密接な繋がりが必要不可欠であった。商売ともなれば地元有力者との関わりは避けて通れず、これが後のリラの結婚に影響を及ぼすことになる。結婚式という地域の一大イベントの裏でうごめくビジネスと金。物語後半では愛情と打算が渦巻く世界に二人は翻弄される。

 最後に物語の鍵を握る「靴」の存在について触れておきたい。靴職人の娘であるリラは兄と共に一足の靴を作る。世界でただ一足しかないこの靴をリラの未来の夫がある日、多額の金で購入する。ところがこの「二人の恋の貴重な証人となるはずの靴」が、予想外の展開を招く。この映画さながらの小物使いのテクニックには恐れ入る。正体不明のミステリアスな著者が放つ仕掛けをぜひ皆さんにも味わって頂きたく思う。確実に興味をそそられるはずだ。

 本書は現在、世界でシリーズ累計550万部を突破し、アメリカとイタリアでミリオンセラーを記録。既にTVドラマや舞台化も決定している。覆面作家の本が売れているこの現象、海の向こうでは「フェッランテ・フェノミナン」と呼ぶそうだ。果たして日本ではどうか。一度読んだら病みつきになる『リラとわたし』、この夏お勧めの一冊である。

L'amica geniale

L'amica geniale

 

 *「チョコチップゆうこ」の場合*

 「向上心のない者は馬鹿だ」

 この言葉に出会ったのは、夏目漱石の本を読んだからではない。

 私が中学の時の担任教師が、宿題や諸々のプリント類に毎度毎度印字していたのだ。それはそれは常にキツイ女性教師だった。宿題を忘れた生徒にはビンタで応えていた。今なら大問題になりかねないのだろうが、20年前にはこんな教師もチラホラいたものだ。だから当時の私は「なんかまたキツイ言い方してるなー」くらいにしか感じていなかった。この『リラとわたし』を読むうちに、そんな思い出が蘇ってきた。 

 この物語は、戦後間もないイタリア・ナポリの貧しい地区で育つふたりの少女の成長を描いたものだ。話は主に「わたし」であるほうのエレナの言葉で綴られている。

 このふたりの小学校の先生がまだ幼いエレナに語った言葉がある。私が冒頭のフレーズを思い出したきっかけだ。進路の話の際、唐突に「平民」とは何かをエレナに問うのだが、彼女の答えに先生はこう加える。

 「(平民という)身分に甘んじる人間がいるとすれば、つまり自分も、自分の息子たちも、そのまた息子たちもずっと平民でいいと考えるとしたら、その人間にはまるで価値がないわ」

 もちろん、幼い彼女にはその意味を掴みきれない。先生は「平民」を相当に惨めな存在というが、彼女にとっては古代ローマ時代の階級のひとつにすぎなかった。

 タイプは違えど勉強のできるふたりは、先生からも大いに褒められ期待されていた。しかし、一生懸命勉強してふたりで本を書いてお金持ちになろう、という無邪気な発想さえしていた幼い少女たちも、貧困や時代の流れといった自分たちでは変えようのない現実によって次第に別々の道を歩くことになる。手段は異なるが、ふたりが求めていたのは「力」だ。貧しくて、暴力的で、古臭い、自分たちを取り巻く現実を変える力。現状に甘んじず、力を手に入れようともがく姿が彼女たちの成長とともに描かれている。

 私は当初スローペースで読み進めていたのだが、だんだんとページをめくる手が止まらなくなり、一気に最後のページにたどり着いてしまった。

 なぜか。それは、彼女たちが成長する過程で味わう気持ち、特に嫉妬、劣等感、優越感、挫折といった口に出しづらい気持ちが、私もいつかどこかで感じたことがあるものだからだ。「となりのあの子のほうが可愛いよね」とか、「勉強したってどうせあの子が一番とるだろうな」とか、認めたくないけど認めざるを得なかった、少しだけもやもやした気持ちを思い出してしまう。だから彼女たちに早く成長してほしくて、どんな風に成長するのかを知りたくて、ついついページをめくってしまうのだ。私だって成長しているはずだから、と思いながら。

 この物語は四部作の一作目なのだが、リラもエレナも幼いながらに自分たちなりの方法で上を目指して努力し、その努力が節目を迎えるところで終わる。その努力の結果を聞いてエレナは「平民」の意味を思い知るのだが、身分に甘んじず上に向かっていこうとしていた矢先だっただけに切ない。それでも、先生のあの言葉はキツイ言い方だけれども彼女への愛があったから発せられたことに気づくのではないだろうか。気づいたとして、さてそれからどう進んでいくのか。どんな力を手に入れるのか。それは続編でのお楽しみだ。

 そういえば、ただキツイだけの教師だと思っていたあの私の担任も、冒頭の言葉の裏には生徒たちへの愛情を込めていたのかもしれない。苦手意識しかなかったけれど、そういえば英語の課題で私が当時好きだったリンドバークの某曲を英訳した時は、いま思えば拙い訳だったけれど絶賛してくれて、私の外国語への興味を深めてくれたような気がする。『リラとわたし』を読んで、思いがけず先生に感謝することにもなった。

 

『カーズ/クロスロード』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月21日放送分
『カーズ/クロスロード』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170721184741j:plain

レーサーとして抜群の戦績を誇るライトニング・マックイーンにも、陰りが見え始めていた。彼を文字通り追い抜いていったのは、最新のテクノロジーを駆使した若手ジャクソン・ストーム。そんな時、マックイーンは大きなクラッシュを起こします。引退がささやかれる中、彼はクルーズ・ラミレスという女性トレーナーをタッグを組み、再起をかけるのだが…
 
ディズニー・ピクサー、人気シリーズの3作目。これまで監督を務めたジョン・ラセターから、監督は若手のブライアン・フィーに世代交代しています。先週は『メアリと魔女の花』を扱って、宮﨑駿率いたスタジオ・ジブリからの米林宏昌監督の独立と船出について触れましたが、奇しくも、今作でも似たような制作背景があるばかりか、作品のテーマそのものが、世代間のバトンの受け渡しになっているわけです。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

カーズ2の主人公がレッカー車のメーターというスピンオフ的な位置づけだったので、今回は実質的には1の続編になってます。なので、これから観に行く方は1はおさらいしておいた方がより楽しめるでしょう。で、その1を振り返ると、もう既に今作につながるテーマがあったんですよね。若き天才だったマックイーンは、高速道路ができてすっかり寂れてしまったルート66にある田舎町の住人たちとの交流を通じて心持ちが変化する。時代の流れと、そこで忘れられている価値の見直し。モータースポーツらしい、チームワークや友情の大切さ。

カーズ (字幕版) カーズ2 (字幕版)

今回は若かったマックイーンが、もう王者になって久しい状況からスタート。リアルタイムで1から11年経ってますから、スポーツ選手の現役生活のスパンからいっても、モータースポーツの技術革新の面からいっても、とても現実的な設定で、なるほど、うまいです。今回も、やはりかつての価値の再評価が出てきて、場所は変えてあるけれど、独特のトレーニング方法も含め、ここも1を踏襲しています。
 
大きな違いは、今回相棒となるトレーナーのクルーズ・ラミレスが鍵となること。科学的で合理的なトレーニングを重んじるんだけれど、マックイーンと一緒にいるうちに、実はかつてレーサーを目指していたけれど諦めていたということが明らかになります。これまでは裏方としてスタジオに勤務していた今作の監督、ブライアン・フィーと重なります。ラミレスという名前からもわかりますが、ヒスパニック系の女性なんですよね。イタリア車のルイージなど、人種構成というか、車種構成というか、さすがはディズニー。「正しい」としか言いようがないです。
 
この作品、結構アッと声を出してしまうレベルのオチがありまして、それはさすがに言えないんだけど、要するに、傑出したデータ分析と技術力を誇る新世代に対抗してレーサーとしてサバイブできるのか、引退を先延ばしにしてまた黄金時代を作れるのかというサスペンスに対して、わりと驚きの着地をしてきます。そこは、はっきり意見が分かれます。僕はどう思っているかと言うと、世代交代というテーマに対して、それは「正しい」メッセージではあると思うけれど、映画としては首をひねらざるを得ないんです。
 
僕は観終わって、今回すごくモヤモヤしました。シーンごとに盛り上がるし、ちょっとセリフが多いけど、そりゃピクサーだけあって、作り込みは世界最高レベルです。CGアニメの、特に自然描写については、そして時には車のリアリティまで、これは実車じゃないのかと目を疑いたくなるレベルに達しています。さらに、ピクサーそのものの世代交代ともあいまって、流れそのものはいいんですよ。でも、何だかカタルシスを感じきれない。
 
近いテーマを持っていた『ローガン』とそこがはっきり違うんです。アメコミヒーローがその枠を揺さぶってまで表現していたのに対して、カーズ3は、むしろ、ピクサーの十八番である、物の擬人化とCGアニメの実写への接近を究めた結果、逆に魅力が損なわれてしまったような… 

【映画パンフレット】LOGAN ローガン 監督 ジェームズ・マンゴールド

先週、女神様からのお告げが下った時に、レーサーって普通に言ってるけど、これは人じゃなくて、人っぽい車の話だからねって、笑い混じりに喋りました。今回は観ていて、「この世界って、寿命とか、生と死の概念はどうなってるの?」って初めて思いましたからね。比喩というエンジンを噴かせすぎて、映画そのものがオーバーヒートしているんです。これはもう、脚本だけの問題ではなくて、アニメ論にも発展するトピックなので、それはまたどこか別の場所で。
 
とはいえ、そして、ともかく、高すぎる次元での話です、これは。特に大人はグッとくるはず。子供は子供でレース描写にハラハラするはず。これでおそらくもうチェッカーフラッグが振られたであろうカーズです。109シネマズでご覧ください。
 
☆ちょっとした追記
ルイージの声の吹き替えはジローラモさんでした。万が一、次があるようなら、僕もイタリア車に声優として乗り込ませてちょうだい!
 
・車のプロレスさながらのデモリション・ダービーのシーンがすごく好きです。日本では馴染みもないし。


さ〜て、次回、7月28日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『怪盗グルーのミニオン大脱走』です。僕は正直、ミニオンよりも「ひつじのショーン」派なんです。2年前の夏、前作はわりと厳しめに評しましたが、今回はどうでしょうねぇ。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『メアリと魔女の花』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月14日放送分
『メアリと魔女の花』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170714190749j:plain

田園にたたずむ赤い館村に引っ越してきた11歳の少女メアリ。かなりのうっかり者で、天然パーマの赤毛にそばかす。そんな自分の性格にも姿にも、コンプレックスを感じています。ある日、猫に連れられるようにして分け入った森の中で、7年に1度しか咲かない不思議な花「夜間飛行」を発見。それは、その昔魔女の国から盗み出された禁断の花。一夜限りの魔法を手に入れたメアリは、空の上にある魔法世界の最高学府エンドア大学へ誘われるのだが…

借りぐらしのアリエッティ [DVD] 思い出のマーニー [DVD]

監督は、スタジオジブリ出身の米林宏昌。『千と千尋の神隠し』や『崖の上のポニョ』などで原画を担当し、『借りぐらしのアリエッティ』で監督デビュー。『思い出のマーニー』では脚本も手がけて、アカデミー賞長編アニメーション映画賞にノミネートされましたが、ジブリはご存知のように制作部が解散。米林監督は、同じくジブリにいた西村義明プロデューサーと新たにスタジオポノックを設立。その記念すべき船出となるのが今作です。原作は、イギリスの女性作家メアリー・スチュアートが1971年に発表した『小さな魔法のほうき』。今回の映画化にあたり、KADOKAWAから『新訳 メアリと魔女の花』が出ています。

新訳 メアリと魔女の花 (角川文庫)

メアリを杉咲花(すぎさきはな)、村の男の子ピーターを神木隆之介が演じる他、天海祐希(ゆうき)、小日向文世大竹しのぶ、そして満島ひかりなど豪華キャストが声を担当しています。
 
それでは、10年に1度だから「魔女の花」以上にレアなサボテンの花を今週咲かせた僕マチャオが、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

まず、この映画をジブリというか駿のパクリだと言っている人に僕は言いたい。おやめなさいと。日本人はすぐパクリだとレッテルを貼って貶すんだけど、百害あって一利なしです。創作活動を貧しくこそすれ、豊かには絶対にしませんから。そもそも、米林監督はジブリに長年いたわけで、そりゃ、モロに影響下にあるわけです。そんな人が、ラピュタっぽい場面、千と千尋っぽい、何より魔女の宅急便っぽいとか、百も承知に決まってるじゃないですか。その批判を覚悟の上で作ってるんだから、比較するのはいいけど、パクリだからダメだと一刀両断するのはもったいなさすぎます。
 
そんな前置きをしつつ、この映画は大きく分けてふたつの解釈ができると思います。まずは、駿もテーマにしてきた科学万能主義への批判です。具体的には、もう誰の目にも明らかですが、原子力です。メアリが迷い込む魔法の国では、魔法と科学の融合が研究されていて、倫理的に問題のある実験が行われていたりする。ま、魔法使いたちに倫理を問うていいものかどうかは別問題にしましょう。とにかく、メアリなど人間たちからすれば、受け入れがたいことが行われている。クライマックスでは、詳しくは言いませんが、はっきり311の原発事故を想起させる展開が用意されています。
 
メアリは「夜間飛行」を見つけることで、後天的に、一時的に魔女になります。エンドア大学へ行ってみると、先天的で変えられない、自分の嫌いな赤毛を羨望の眼差しで皆から見られ、「私にもいいとこあるじゃん」っていうか、短所は見方を変えれば長所であることを学ぶわけです。大事な成長ですね。ただ、逆に、魔法は彼女にもともと備わっている能力ではない。急にほうきで空を飛べるようになったけど、それは核物質の如き「夜間飛行」の力の賜物。褒められて調子に乗ったメアリは、そこからある嘘をつくことによって、魔法=世の中を自在に操ることができる(はずだと魔法使いたちがその応用を研究している)技術の研究開発を一気に進めさせることになってしまい、各キャラクターを巻き込んで大騒動へと発展するわけです。
 
つまり、ここで描かれるのは、魔法というものの危険性。科学の盲信と置き換えてもいい。探求すること、研究すること、知恵を結集して工夫することは人間のすばらしい能力だけれど、自分で制御できなくなるようなものを作り出し、そこに希望を見出すのはいかがなものかという警鐘ですね。取り返しのつかないことになるぞという。
 
このあたりが、真っ当でストレートな解釈でしょうが、もうひとつ、後半の展開や、ここで言えないのがもどかしいけど、あるキーとなるセリフを、アニメという魔法を操ってきたスタジオジブリからの米林監督の脱却宣言だと捉えた人もいるはずです。
 
ここまでは言っていいかな… 魔法を解く魔法というのが何度か出てきますが、ここで言う魔法は、呪いと置き換えてもいいでしょう。メアリがコンプレックスを乗り越え、自分のルーツを受け入れながら、自分で活路を見出していく様子に、監督がまったく自分を重ねなかったわけがない。その意味で、ジブリパクリと言われるような要素を敢えて入れたことも理解できます。頼もしいぜ、米林監督!
 
がしかし、1本の作品として、僕が手放しに褒めるかというと、そんなわきゃない!
 
脚本レベルでの僕が気づいた問題点をザッと挙げます。魔法の国のマダムとドクターが、かつて「夜間飛行」を発見した時に抱いたとされる野望と、それによってもたらされる危機がよく描けていないので、クライマックスの恐怖がいまいち伝わりきらない。エンドア大学のディテールは何となくわかるんだけど、魔法の国の全体像がさっぱりわからない。最後に、あの本! あれがあるなら、大学要らなくないですか? そして、メアリは独り言が多すぎる! 「マーニー」の時のアンナにも感じたことだけど、どうにも言葉が多すぎます。セリフを減らして、キャラの動きで感じさせてほしいところ。は〜、スッキリした。
 
その動きで足りなかったのは、意外に思われるかもしれないけど、スピード感でしょうか。絵そのものの話じゃなくて、キャラとカメラの動きなんです。かなり動いているのに、落下シーン以外でスピードを感じなかったということは、何か技術的にブラッシュアップの余地がある気がします。もっと、ロジカルなアクションの組み立て方をすると、生き生きとしてきて、それがシーンの躍動感、ひいては作品全体の躍動感につながるんじゃないでしょうか。トータルにのっぺり感じてしまう人がいるのは、きっとその辺が理由ではないかと僕はみています。

Suchmosは新レーベルにFirst Choice Last Stanceというかっこいいフレーズをあてましたが、米林監督のスタジオポノックの最初の選択も決して悪くないどころか、いい船出だと僕は思います。主題歌『RAIN』を引用するなら、「雨は草木を育てていくんだ」ということなんで、ポノックの映画制作にも豊かな実りがありますように。次作も楽しみにしています。


さ〜て、次回、7月21日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『カーズ/クロスロード』です。「あのマックイーンがベテランレーサーに」みたいなスポットがたくさん流れていますが、改めて言っておくと、擬人化した車の話なので、レーサーというよりはランナーなんじゃないか。そんなくだらないことを番組後に考えていた僕です。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月7日放送分

f:id:djmasao:20170707214754j:plain

ご存知、海賊アドベンチャーのお化けシリーズ第5弾。ディズニーランドのアトラクションから映画が生まれたという珍しいパターンで、2003年の「呪われた海賊たち」からスタートしたんですが、一応、3までで一度話が完結するんだけれども、お客さんも入るし、もいっちょやろうってことで、「生命の泉」という4作目も製作し、88億円という興行収入を叩き出しました。今回はそこから期間の空くこと6年。久々の続編です。

パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち (字幕版) パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト (字幕版)

ジャック・スパロウと共に冒険したウィル・ターナー。息子のヘンリーは、現在は幽霊船の船長になっている父を救うために各地の伝説を調べ、呪いを解く鍵はポセイドンの槍だと発見。一方、天文学を研究しているというだけで魔女の濡れ衣を着せられているカリーナ。彼女は生き別れた父が残したポセイドンの槍に関する謎を解こうとしていた。はたまた、かつてジャック・スパロウに一杯食わされて海の死神となったサラザールがゴーストたちを率いてジャックへの復讐の狼煙を上げる。サラザールから逃れるためにも、呪いを解くポセイドンの槍が必要。かくして、同じ槍を巡り、登場人物たちの思惑が交錯しながら、物語は意外な方向へと進路を変えていきます。

ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD] コン・ティキ [DVD]

ジャック・スパロウには、もちろんジョニー・デップ。死神サラザールは、『ノー・カントリー』のハビエル・バルデムが演じる他、ジェフリー・ラッシュ扮するおなじみのキャプテン・バルボッサも登場します。監督は、今シリーズ初、この番組でも4年前の7月に扱った同じ海洋アドベンチャーもの『コン・ティキ』のヨアヒム・ローニングとエスペン・サンドベリの40代コンビ。
 
それでは、ディズニーからのれっきとした依頼を受けて、つまりディズニーお墨付きでジャック・スパロウに扮し、6年前のファンキー・マーケットでは、一日署長ならぬ一日船長を経験した僕野村雅夫が、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

シリーズ物の宿命ってあるんですよね。映画業界では当たらないと言われていた海賊ものでそのジンクスを吹き飛ばした1の「呪われた海賊たち」。客観的に言って、あれが一番好きだっていう人が多いです。人気もそうだし、評価も高い。ところが、続編を作る度にその人気も評価も衰えているのが実情。だけど、お客さんは入るんです。収益で言うと、1が一番少ない。結局、他に似た映画がないし、ある程度は絶対面白いだろうし、たとえばデートや家族で観に行っても、良くも悪くも引きずらないエンターテイメントだろうという世間的なポジションを確立してるってことが言えるでしょう。
 
では、もっと具体的に、人はパイレーツに何を求めているのか。シリーズの特徴を整理して、今作と比べてみましょう。シリーズの魅力はざっくり言うと、2点。ひとつは、騙し騙され、裏切り裏切られな登場人物たちの駆け引きです。それが、冒険心をくすぐる、いかにもなお宝を巡って行われるわけです。しかも、ジャックとバルボッサのような海賊たちはもちろん、言わば堅気の人達も目的のためには手段を選ばない。猜疑心に駆られた状態で観客も観るので、先が読めずにハラハラする。「ワンピース」のような仲間意識でも「ワイルド・スピード」のような絆でもないんです。情の部分はさっぱりしてるから、見ていて重たくならない。なおかつ、権威に一泡吹かせる展開もあって、スカッともできる。
 
そして、もうひとつは、映画ならではのアイデアたっぷりなアクションシーン。中世だからできる剣と大砲の応酬。船の衝突・爆破、乗り移り。マストで高さ、錨で海の底まで、地上では実現しないアクションには、制約があるだけに、どんな手が次に来るかとワクワクする。さらに、地上でもしっかりやりますよ。2本目「デッドマンズ・チェスト」での転がる水車の上での剣の戦いは忘れがたい。そういう、絵的に問答無用でアガれるアクションが用意されている。
 
そんなパイレーツのスタイルが今作ではどう発揮されていたかって話ですけど、残念ながら、発揮しきれていないというのが正しいんですよ、これが。
 
アクションでのいいところ、ありますよ。予告にも出てくる銀行強盗の場面とジャックがギロチンにかけられるところ。酔っ払ったジャックが、まるで無表情の喜劇王バスター・キートンのように、建物が動くようなビッグスケールな騒動に飄々と巻き込まれる。ギロチンのくだりも笑えますね。ジャックの前にカメラが据えてあるんだけど、ジャックは半分破壊されたギロチンごとブランコみたいになってですね、揺れる度にギロチンの刃がジャックの首元ギリギリまでやってくるという… って、僕の話を聞いていても想像つかないと思います。それが映画的ってことなんですよ。観たら興奮するけど、言語化しにくいっていうね。

なんだよ、マチャオ褒めてるじゃないか! そこはね。でも、陸上でしょ? 海のシーンは? そうだな、若かりしジャックがサラザールをまんまとやり過ごす場面は痛快でした。でも、若い時の話だからね… あとは、サラザール率いる幽霊船が、まるで文字通りガイコツ船っていうか、骨組みしか残ってないような船なのに、水に浮かぶし、半分空中に浮くし、みたいなアイデアは面白かったです。ただ、それでゴリ押してます。もちろんCGだし、人間じゃないんで、何でもありってことになると、そもそもがご都合主義上等のシリーズなんで、だんだん興味が薄れてくる人がいてもしょうがないでしょう。
 
だいたい、今回はジャックがいくらなんでも活躍しなさすぎです。落ちぶれているのはわかったけど、すべてが運任せだし、何をどうしたいっていう意志も伝わってこない。あと、セリフのギャグも、そこそこ滑ってます。そう、ジャックはあくまで潤滑油くらいの存在で、歯車は不在の父親とつながろうとする若い男女とバルボッサなんだけど、正直言って、若者たちには荷が重い。そもそも駆け引きをするような奥行きのあるキャラじゃないうえ、主役という貫禄が薄いんですよ。線が細いというか。どうしても、オーランド・ブルームキーラ・ナイトレイに重ねてしまうからでしょうね。だから、今作で一番おいしいのは、実はバルボッサです。理由には触れないでおきますが、後半のある展開から一気にグイッと前に出てくるんだけど、その理由もね、僕は、「取ってつけたような話」やなと思ったのは事実です。
 
そんなこんなで、まとめると、パイレーツの魅力とスタイルを発揮しきれてないぞっていうのは間違いないです。ただ、このシリーズは、1以降、多かれ少なかれ、そんなとこなのかもしれません。その意味で、一定の面白さは保証されてるけど、それ以上にはならないという感じ。誤解は禁物。今回も面白いです。が、観客動員数ランキング初週1位の売れてる映画なんで厳しく言いますが、もっと魅力を研ぎ澄まさないと、飽きられます。参考になるのは、「ワイルド・スピード」ですね。もう、ここまで来たら、空を飛ぶのもありじゃないかと。そんなことないか(笑) ま、らしさを維持してフレッシュなアイデアを投入し続けるというシリーズ物の鉄則を肝に銘じて、さしあたっては次は「海賊ものらしさ」を取り戻していただきたいところです。

ポール・マッカートニーが出てきました。ジャックのおじさん役。僕はその情報をすっかり忘れていたので、普通に驚きましたよ。確か、キース・リチャーズがお父さん役だったから、ポールとキースは兄弟ってことになりますね。番組では、ポールの曲の中でも、ミシェル・ゴンドリー演出のMVにゴーストが出てくるこちらDance Tonightをチョイスしてオンエアしました。
 
それにしても、邦題の「最後の海賊」は、なんでこんな事になってしまったんでしょうか。そのまま「死人に口なし」ではダメなんでしょうか。「シリーズはこれがラストだって勘違いするお客さんがいるといいな」という魂胆でないことを心底願います。


さ〜て、次回、7月14日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『メアリと魔女の花』です。僕、米林宏昌監督の『思い出のマーニー』が結構好きだったんですが、今回はいかに。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 
 

『ハクソー・リッジ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年6月30日放送分
『ハクソー・リッジ』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170630185613j:plain

カトリックの信心深いデズモンド・ドス。米軍に志願するものの、武器は一切持たず、「汝、殺すことなかれ」の教えを戦場でも実践。第2次世界大戦末期、沖縄の激戦地ハクソー・リッジ(前田高地)に衛生兵として従軍した彼が75人の命を救った実話です。

アポカリプト(字幕版) アメイジング・スパイダーマン (字幕版) 沈黙-サイレンス- [DVD]

監督は、色々あったメル・ギブソン。メガホンを取るのは、『アポカリプト』以来10年ぶりとなります。主演は『アメイジングスパイダーマン』のアンドリュー・ガーフィールドですが、沈黙 -サイレンス-』が記憶に新しいところ。
 
アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門にノミネートし、編集と録音で賞を獲得しました。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

どうしても凄惨な地上戦のシーンに注目が集まりますが、それまでのよくできたドラマがあってこその展開なのを、まずは分かっていただきたい。ドスの家庭環境と人となりが示される前半から中盤にかけてが素晴らしいです。父親アルコール依存症で、母親にしょっちゅう手を上げているんだけど、ある時、デズモンドが彼女をかばって寄り添っていると、「父さんは昔はああじゃなかった」と母が言うんです。父も元軍人で、第1次世界大戦で親友3人を亡くして、今で言うPTSD状態に陥ってしまったんです。確かにろくでもない父親に成り下がってはいるかもしれないけれど、愛する子どもを戦場へは送りたくないという想いには説得力があります。
 
デズモンドの人格と思想が形成されていくプロセスも、端的で無駄のない描写でした。ヴァージニア州の自然豊かなところで、元気に身体を動かして育つんだけれど、ある時喧嘩でやり過ぎて、兄弟をレンガで殺しかける。そこで知った、人を殺してしまう恐怖。青年になると、今度は事故で怪我した人を病院に担ぎ込み、命を救ったその経験が彼のその後を決定づける。家が貧しいから叶わなかったが、本当は医者になりたかったこと。看護師と育んだ恋愛。そこに、戦争の影が忍び寄る。ドスの真面目っぷり。こうと決めたらまっしぐらなところ。誰かと自分を比べたりせずに、僕は僕なんだという芯の強さ。それが故に、周囲とのコミュニケーションではズレが生まれる様子が、意外にも当初はコミカルに描かれるんです。軍隊に入ってからでさえ。
 
ただ、当然、軍にいながら武器を手に取らないという信条は、軋轢を生み、彼は冷遇され、しごかれ、軍法会議にかけられすらするわけです。ここで一気に立ち上がってくるのは、非暴力で暴力に立ち向かえるのかという問いです。ドスが志願した発端は、真珠湾攻撃じゃないのか。そのスタンスで仲間や国を守れるのか。すごいなと思うのは、それでも米軍はドスを軍から排除しなかったんですよね。日本軍ならあり得ないでしょう。
 
そして、1945年5月、沖縄。戦闘が始まるまでの静寂。一気に始まる銃撃戦。息をつく暇のない、そして目を背けたくなる怒涛の展開。安っぽい言葉だけど、映画史に記録されるレベルです。四肢は飛び散り、銃弾が脳天をあっさり貫き、銃剣が胸を刺します。火炎放射器は人を生きたまま焼きます。兵士たちは日米双方ともにバタバタと倒れ、吹っ飛ぶ。文字通り無数の屍を越え、両軍は一進一退の攻防に明け暮れる。そんな中、デズモンドは仲間が退却しようとも、負傷者を手当し、崖から下ろして救助する。何と、時には敵まで。ほとんど狂気です。でも、はっきり言って、多かれ少なかれ、そこでは狂気に支配される。それが戦場なのだということがよく分かります。グロテスクな描写も残酷趣味という批判に、僕は当たらないと思う。
 
ただ命を救うための兵士がひとりくらいいたっていい。ドスはそんな事を考えます。そんなに武器が嫌なら戦争に行かなけりゃいいじゃないかとはならないんですよね。彼をそう揶揄するのは、たとえば、戦場を取材するジャーナリストや、国境なき医師団の活動を浅はかに軽んじるのと近いものがあるような気がします。人が人でなくなる戦争そのものが狂気の産物なのであって、戦争という地獄が無ければ、彼の狂気もないわけです。その意味で、これはきっちり反戦映画として成立する堂々たるメル・ギブソン復帰作と言えるのではないでしょうか。恐れ入りました。


短評後には、島唄ウチナーグチver.)/THE BOOMをオンエアしました。

 

日本側の視点が入っていなくて一方的じゃないかという意見もあるようですが、そんなの無理でしょう。これだけでも139分かかってるんだから。そして、日本軍の兵士は大勢出てきますが、決して偏見に基づいているわけではないし、そこは僕でも伝え聞くレベルのエピソードしかありません。少なくとも、一面的に「過ぎる」という批判は的外れでしょう。

 

沖縄県浦添市のホームページに掲載されている鑑賞の参考になる一連の地図や記録、動画は、日本側からの視点を知る助けにもなりました。こちらから閲覧ください。
 
ちょうど先週6月23日が沖縄慰霊の日でしたが、5月の闘いを描いた本作からまだおよそ1ヶ月地上戦が続き、米軍の死者は1.4万人。負傷者7.2万人。日本側の死者は18.8万。およそ半数は民間人だったと言われています。
 
それにしても、ガーフィールドは『沈黙 -サイレンス-』に続いて、信仰に生きる葛藤を見事に体現。あっぱれ!


さ〜て、次回、7月7日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、シリーズ5本目となる『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』です。FM802で唯一ディズニーからの依頼を受けてジャック・スパロウになりきった経験のある僕が、心を込めて短評するつもりです(笑) あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『キング・アーサー』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年6月23日放送分
『キング・アーサー』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170623230030j:plain

イングランドの王ユーサーを叔父のヴォーティガンに殺され、追ってから命からがら逃れてスラム街で育ったアーサー。ユーサーが残した聖剣エクスカリバーを手に入れ、魔術師の力を借りながら困難を乗り越え、王座を奪還する物語。

シャーロック・ホームズ (字幕版) パシフィック・リム(字幕版)

日本産RPGにも大きな影響を与えた中世の騎士道物語を大胆に脚色するのは、『シャーロック・ホームズ』シリーズなどで知られる映像の魔術師ことガイ・リッチー。アーサーを演じるのは、『パシフィック・リム』のチャーリー・ハナム。悪役ヴォーティガンには、ジュード・ロウが扮する他、『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』で人魚シレーナを演じたフランスをベースに活躍する女優アストリッド・ベルジュ=フリスベが魔術師メイジを担当しています。
 
それでは、エクスカリバー並みの切れ味となるか、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

アーサー王は6世紀にウェールズから異民族を撃退した英雄とされているんだけど、その物語は民間伝承やフィクションだし、そもそもアーサー王が歴史上の人物かどうかも議論があるくらいなわけです。つまり、エクスカリバーだ魔法使いだ円卓だ聖杯だといったモチーフさえ出しておけば、後はある程度自由なわけですよ。イギリス人にとってどころか、世界中で、2次創作的なものを育んできた物語の型。これまでも幾度となく映像化されているとは言え、キャラも多いし、ワーナーが新しいマーヴェル的なシリーズ世界、シネマティック・ユニバースを作りたいという意図もよくわかります。
 
そこで、まずガイ・リッチー監督ですよ。昔は失敗もありましたけど、型をうまく改変する素質が今の彼に備わっていることは、『シャーロック・ホームズ』で誰もが知ってる。そう見込まれたわけですからね、リッチーは製作と脚本も手がけて大活躍。というか、大喜びだったんでしょう。良くも悪くも、リッチー節が炸裂した、ケレン味だらけのスーパー歌舞伎みたいになってます。ある程度自由に改変っていうレベルをはるかに超えて、完全に自由なんです。
 
まず父ユーサーが暗黒魔法を使うモルドレッドと戦うプロローグの部分。ファースト・ショットから誰もが思いますね。象がデカすぎる。なんかインドっぽく象の上に人が乗った軍隊っていう設定も時空が歪んでクラクラするけど、それよりも何よりも、象がさすがにデカすぎる。
 
アーサーが難を逃れて育ったスラムで成長する20年くらいを1分強で編集する技には参りましたね。超高速編集はうまいし、見ごたえがあるけど、さすがに端折りすぎ。
 
聖剣エクスカリバーの威力が、もはや理解不能なほどにさすがにありすぎ。魔法はいいんだけど、もうちょい何ができて何ができないかをわかるようにしておいてもらわないと、さすがに雰囲気で押しきりすぎ。
 
中国のカンフーの達人からアーサーが武術を教わってるってのも、衣装全般も、時代考証をさすがにすっ飛ばしすぎ。アーサー王の次創作物である本やゲームや映画からの影響でしょうね。ていうか、時代も何100年か勝手にずらして後にしてるんですよね。
 
一言にまとめると、自由なガイ!
 
なんて言って、笑いのネタにしてるようだけど、これらの要素はすべて長所でもあるんです。ガイ・リッチーは、この映画を面白くするために、良かれと思ってやってるんです(当たり前だけど)。だから、リッチー演出が好きって人はいいけど、そうでなかったら、なんじゃこりゃってなっちゃうかもしれないです。膨らませるところと端折るところのバランスもいびつだし。
 
 
もし普通のやり方なら、さすがに恋愛要素を増やすかな。もうちょい女性キャラを増やすかな。キャラの説明とか、あの世界の地図とか入れるかな。もはや監督がメガホン・エクスカリバーを手に入れたのかってくらいに自由。
 
権力への執着と不安が身を滅ぼすこと。本当の自分というのは、他人、周りが見つけてくれるものであること。そして、もちろん、キャッチコピーにもある下克上の面白さ。敵ではなく仲間を増やすこと。
 
こうしたわかりやすく普遍的なテーマのある物語なんで、たとえばディズニーなら、そこを軸にもっとわかりやすくするでしょうね。でも、そうすると、リッチー節は削がれてしまい、下手すると毒にも薬にもならない歴史もので終わっちゃうでしょう。その意味で、リッチーの起用は諸刃の剣。僕は笑いながらリッチー版、ウェールズスーパー歌舞伎をかなり楽しみました。


サントラは特筆に値します。打楽器を中心にした複雑なビート。細かい息遣いのサンプリング。手拍子。リッチー特有の細かい映像編集とマッチしてました。ダニエル・ペンバートンという音楽監督、グッジョブです。彼は同じくリッチーの『コードネームU.N.C.L.E.』や、ダニー・ボイルの『スティーブ・ジョブズ』を手がけているんですね。

コードネームU.N.C.L.E.(字幕版) スティーブ・ジョブズ (字幕版)

クライマックスへの景気づけに流れる歌ものは、京都音博にも出ていて、僕も面識のあるSam Leeが曲作りにも参加。彼は古い楽器や中世の民俗音楽、ロマ族の音楽、さらには日本の琴までサウンドに取り入れてポップスを作る人なんで、相性がいいはずです。サムを使うとは、わかってんなあって、僕はほくそ笑みましたよ。


さ〜て、次回、6月30日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ハクソー・リッジ』です。沖縄慰霊の日の放送に届いたお告げ。メル・ギブソン渾身の作品ということで、心して観なければ。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!