京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『犬ヶ島』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年5月31日放送分
『犬ヶ島』短評のDJ's カット版です。

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日本のような国にあるメガ崎市。今から20年後。ドッグ病が蔓延していて、人間への感染を恐れた小林市長は、すべての犬をゴミの島である「犬ヶ島」へ隔離すると宣言。市長が権力にものを言わせて率いる反犬派と、ドッグ病の血清を開発する科学者や、政権の陰謀を暴こうとする学生たちなどの愛犬派が衝突。市長の養子である12歳のアタリは、自分の番犬で親友だったスポッツを探して、単身犬ヶ島へ乗り込む。
 
監督・脚本・製作は、『ダージリン急行』や『グランド・ブダペスト・ホテル』で知られるウェス・アンダーソン、現在49歳。2009年の『ファンタスティックMr.FOX』以来となるストップ・モーション・アニメーションを採用しました。14万4000枚もの写真をコマ撮り。445日をかけて撮影され、総勢670人のスタッフが動員されたそうです。

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日本からは、小林市長を担当した野村訓市が、原案や日本人のキャスティング、そして脚本にも参加するなど大きな役割を果たしています。ビル・マーレイなど、監督の作品常連のキャストが集った他、スカーレット・ヨハンソンティルダ・スウィントンオノ・ヨーコなど、豪華俳優陣、そして村上虹郎野田洋次郎など、日本人も多く参加しています。
 
昨年のベルリン国際映画祭では、銀熊賞を獲得しました。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

左右対称な構図。キャンディーカラーと言われる色彩感覚。そして、横移動するカメラ。こうした誰でも気づく特徴が、あちこちでコピー、あるいはパロディーの対象となるほどに大衆化、カルチャーアイコン化しているウェス・アンダーソンです。彼にはそういう表面的なスタイルの裏に、研究熱心な、生真面目なレベルの映画青年らしいネタを盛り込んでくるという傾向もあるんですね。
 
今回の『犬ヶ島』では、フェティッシュなレベルで彼が愛してきた日本文化をこれでもかとぶち込んでコラージュしながら、日本人にとっても初めて見るようなアンダーソン的日本像を構築するという意欲がまず彼にありました。
 
そこに、当初は考えていなかったことのようですが、現実のこの世界で起きている権力構造の変化、移民の排斥、具体的にはトランプ大統領の登場などを反映させた、ある種オピニオン映画として成立させようという意図も加わって完成しました。
 
6年前、この映画は、5匹の犬がゴミの島にいるという1枚の絵のようなイメージから始まったそうです。そこに少年が自分の犬を探しにやってくるという設定のみ。では、なぜ犬がゴミの島にいるのか。少年はどんな思いで犬を探すのか。そういう疑問を当初のイメージにぶつけながら、物語を膨らませていったと、監督はインタビューで答えています。そのせいもあるのでしょう。映画はチャプターがきっちり別れていて、キャラクター、小道具、舞台セットなど、プラモデル的にパーツを組み合わせましたという感じがします。

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たとえば、このコーナーで昨年扱った『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』も同じストップモーションアニメでしたね。あちらは作りこそコマ撮りだけど、語り口はわりにオーソドックスなファンタジーだったため、途中からはもう作りものであることを意識せずに没入しちゃうのに対して、『犬ヶ島』はコマ撮りという画作りも、語り口そのものも、あえてこれは作り物ですよっていうことを観客に意識させる手法を採用しています。キャラクターがすべてマネキンで動かないドラマ『オー!マイキー』ってのがありますが、あの感じもちょっとあって、要するにブラックかつシュールな笑いにはとても向いているんです。
 
実は今回、あの『KUBO』を制作したコマ撮りアニメの世界最高峰スタジオライカと全面的にタッグを組んで撮影されました。それだけに、一見同じ手法でも、演出によってこれだけ趣が変わるのかということ、見比べると自ずと明らかになると思います。まあ、しかし、今回もスタジオライカはすごい。犬の毛並みとか、風に揺れる様子とか、技術の粋が尽くされてます。なんなら、更新されてます。だから、コマ撮り好きの僕なんかは、もう観ているだけで幸せ。各キャラクターに萌えまくりです。
 
この萌えの部分が、ウェス・アンダーソンの真骨頂で、北斎などの浮世絵から、俳句、相撲、定食屋、ラーメン、寿司、和太鼓、街並みなど、彼の好きなJAPANてんこ盛り。さらに、映画ですね。特に黒澤明の『七人の侍』もあるけど、どちらかというとマイナーな現代劇、たとえば『悪い奴ほどよく眠る』『どですかでん』あたりから設定や人物造形を借用してきています。

悪い奴ほどよく眠る どですかでん

その結果、僕なんかは萌え死にしました。はっきり言うと、情報量が正直多すぎます。一度観ただけではとてもじゃないけど味わい尽くせないレベル。萌えに対して不死身の精神を持っていないと大変です。例によって、セリフの量も半端なく多いですしね。なおかつ、僕は吹き替えで観たんだけど、字幕版だと、犬は英語、日本人は日本語って具合に多言語でもあって、なお大変。
 
で、そこになおかつ、権力の横暴と不正に市民、特に若者が草の根で立ち向かうという、これはこれでデカいテーマ、鋭いメッセージが込められてくる。ウェスさん、ハードル高すぎませんか。というか、僕は、彼の趣味嗜好スタイルと語るべきメッセージがすんなり溶け合うレベルには達していないと考えています。
 
その結果、観終わった時のカタルシスが弱い。なんか、終始急ぎ足で、あれもこれもとバイキング形式でつまんだ結果、お腹はいっぱいになったけど、どの順番で何を食べたんだっけという、消化不良感がつきまとって、映画一本としてのカタルシスが得られないんです。情報の洪水という意味では『レディ・プレイヤー1』が、そしてフェティッシュな魅力という意味では『シェイプ・オブ・ウォーター』が近作ではありましたが、『犬ヶ島』にはその2作に共通する情報整理のスマートさが及ばなくて、楽しいんだけど、アーティスティックで人によっては難解と思えてしまうのも仕方ないのではないでしょうか。

野田洋次郎のインタビュー記事も載っているパンフレット、オススメですよ。特殊な制作過程を踏んでいる映画だけに、その舞台裏が、か・な・り興味深いから。

そして、これからご覧になるという方にアドバイス。体調は万全の状態で! 

さ〜て、次回、6月7日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『デッドプール2』です。ここんとこ、狼、兎、犬と続いたこのコーナー、さすがにそろそろ人かなと思ってたら、何か変なの来ました(笑)

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『ピーターラビット』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年5月24日放送分
『ピーターラビット』短評のDJ's カット版です。

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イギリスの湖水地方で動物の仲間たちや画家の美しきビアに囲まれて暮らすウサギのピーター。ただし、ビアの隣に住む、かつて自分の父親をウサギのパイ包みにしてしまったマグレガーさんとは犬猿の仲。マグレガーさんの家の畑で、農作物を巡っていたちごっこを繰り返していました。ところが、ある日、マグレガーさんが急死。土地を相続したロンドンっ子のトーマス・マグレガーが引っ越してきます。潔癖症で田舎と動物を忌み嫌うトーマスですが、ビアにはぞっこん。ビアと土地を巡り、ピーターとマグレガーの「仁義なき戦い」が幕を開けます。
 
すみません、何か、先週の『孤狼の血』を引きずってるように思われるかもしれないんですが、たいして誇張はしていないんですよ、これが。

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日本でも長年にわたり愛されてきたビアトリクス・ポターの原作絵本を、ポップな作風に定評のある『アニー/ANNIE』のウィル・グラックがメガホンを取り、CGと実写を融合しながら映画化しました。ビアには『X-MEN/ファースト・ジェネレーション』のローズ・バーン、マグレガーには『アバウト・タイム』や『スター・ウォーズ』最新シリーズのドーナル・グリーソンが扮しています。ピーターの声は、『はじまりのうた』にも出ていたグラミー賞の司会もお任せなジェームズ・コーデン。日本語吹き替え版では、先週この番組に出演してくれた千葉雄大がピーターになりきっています。
 
それでは、子どもの頃使っていたピーターラビットのお皿を今も大切に残しているマチャオによる3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

おなじみのピーターラビットですが、僕も含め、原作に触れたことがなかった人も多いと思います。むしろ、図書カードとか、企業CMに使われてキャラクターイメージだけが先行というか独り歩きしていたところ、最近ちょいちょい話題になっていたのが、ピーターのお父さんはマグレガー爺さんに肉のパイにされていたとか、鉄砲でウサギが撃たれる描写とか、意外とリアル、下手すりゃ怖いぞっていう、ほんわかイメージとのギャップでした。

ピーターラビットのおはなし (ピーターラビットの絵本 1)

日本でも原作者ビアトリクス・ポターの研究はかなり熱心にされていますが、19世紀から20世紀をまたいで生きた彼女は、当時としてはかなり進歩的で急進的な人だったようで、ピーターラビットには、彼女が感じていた社会からの抑圧や、自由へのあこがれが反映されていると言われています。つまり、模範的な教訓のある「いい話」として捉えようとするとカウンターパンチを喰らってしまう面があって、むしろそこが特に現代的には面白いんですよ。
 
ウィル・グラック監督は、ピーターを現代に蘇らせるにあたり、そのパブリック・イメージとのギャップをベースに演出しています。冒頭、美しい湖水地方を飛ぶ鳥たちの歌唱シーン。いかにも童謡めいた良い子のためのメロディーで、文科省推薦のミュージカルかよって思わせておいてからの、ピーターの登場なんだけど、もういきなり鳥たちを蹴散らしますからね。開始40秒で、いきなり世界観をぶち壊す。そこからは、もうノリの良い音楽と、地雷のように散りばめられた結構ブラックなイングリッシュ・ジョークが全体を引っ張っていく、怒涛のドタバタ・コメディーに様変わり。

ピーターがマグレガーに対して仕掛けるいたずらの数々は『ホームアローン』を思い出すし、単純な笑いだけじゃなくて社会風刺・文明批判も入っている点では『平成狸合戦ぽんぽこ』の要素も少しあります。ピーターが共に暮す、それぞれキャラの立った従兄弟たちとしでかす騒動は、エスカレートしてくるとチーム犯罪ものの匂いも加わってくるし、監督も『プライベート・ライアン』を参考にしたと告白するように、戦争映画さながらの場面まである。
そして、これは僕の信頼する映画ジャーナリスト石飛徳樹さんも先週朝日新聞に書いてましたが、マジで『仁義なき戦い』じゃないかと。でも、それを菅原文太じゃなくてウサギがやるから笑える。『ズートピア』レベルのハイクオリティなCGによる人間臭すぎるウサギと、漫画だよねってくらいに潔癖症やら鈍臭さが周到にデフォルメされた青年が、土地と女を奪い合う。
 
思ったのと違うし、教育に悪いみたいな意見もあるようですが、子どもっていたずらするもんだし、社会の欺瞞とか大人の嘘って見抜いてるものですからね。眉をひそめるは大人ばかりで、子どもはこういうのは楽しくて仕方ないでしょう。そして、やり過ぎちゃいけないってことがわかる作りになってる。取り返しのつかないレベルまで行くんだけど、そこで両者共に、自分とは違う相手のこと、自分の眼とは違う眼で見たら世界がどう見えるのかについて思いを馳せるにいたるところは素敵な着地だし、そこまでいけたのは僕にとっては意外な喜びでした。観終えた後はしっかり爽やかな余韻を味わえる。
 
まあ、良く言えば怒涛の展開で、悪く言えば一本調子、ドタバタでブラックなギャグのつるべうちに疲れちゃう、食傷気味になるのも確かです。ただ、またひとつ、動物CG実写融合ものの佳作が世に出たのは確か。僕はかなり好き。劇場で笑ってください。

原作にも出てくるブラックベリーを、マグレガーがアレルギーだってことにして、それこそブラックジョークにしたところは、さすがにいただけないですよね。あちらでは配給が謝罪しているようですが、僕もアレルギー反応で入院したことがあるから、ジョークとしてここはやり過ぎだったかな。
 
小鳥たちが羽を横じゃなくて前に揺らしながら、ラッパーさながらの仕草でラップするシーンは、今でも思い出し笑いします。

さ〜て、次回、5月31日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『犬ヶ島』です。全編ストップモーションアニメで日本を舞台にしたウェス・アンダーソン監督最新作! ベルリン映画祭で銀熊賞を獲得しているとあって、心躍るワン! 狼、兎と続いたこのコーナー、お次は犬。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

映画『孤狼の血』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年5月17日放送分
『孤狼の血』短評のDJ's カット版です。

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平成の一歩手前、昭和63年。暴力団対策法が成立する直前の広島県、呉原。地場の暴力団「尾谷組」と、大都市広島の巨大組織を後ろ盾に呉原で勢力拡大を目論む「加古村組」との間で、抗争の火種が燻っていた。そんな中、加古村組関連企業の金融会社社員が失踪。これは殺人事件だと踏んだ呉原署マル暴のベテラン刑事大上と、県警から配属されたばかりの新人日岡は、事件解決に向けて動き出す。かくして、それぞれの組織の思惑と疑惑が交錯して渦を巻く大騒動の火蓋が切り落とされる。

孤狼の血 (角川文庫)

原作は「警察小説X『仁義なき戦い』」だと評判を呼び、直木賞候補作、そして「このミステリーがすごい! 2016年版 国内編」で3位にランクインした柚月裕子の同名小説。監督は白石和彌、43才。公開予定も含めると、2年で5本という脅威のペースで、そしてクオリティーの高さを維持してメガホンを取り続ける最も活きのいい若手監督です。さらに、ここを声を大にしないといけないけど、僕らのアミーチでもあるということですね。
 
呉原のベテラン刑事大上を役所広司が、そして新米刑事日岡を松坂(まつざか)桃李がそれぞれ演じる他、江口洋介真木よう子中村獅童ピエール瀧竹野内豊石橋蓮司滝藤賢一音尾琢真田口トモロヲといった豪華キャスト陣が演技合戦を繰り広げます。
 
製作プロダクションと配給は、50年代から60年代にかけては警視庁物語シリーズで、さらに70年代にはご存知『仁義なき戦い』シリーズの実録やくざ路線で知られる、東映です。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

ごく簡単に東映の歴史を踏まえておくと、日本映画黄金期の1950年代に、時代劇ブームを牽引したんですが、それが下火になってくると、他の会社のように現代劇でヒットを生み出せずにいたところ、60年代に入って、高倉健を一躍スターに押し上げたやくざ映画を量産して息を吹き返します。でも、そのやくざ映画っていうのは、明治から昭和初期にかけての古いやくざ像だったわけです。とても様式的で独自の美学に裏打ちされた、そのやくざ映画も70年代にはまた下火に。そこで、もっと現代的で刺激が強く、勧善懲悪に囚われない、日本版『ゴッドファーザー』を作ろうという意図でできあがったのが、深作欣二の『仁義なき戦い』でした。これがまた一世を風靡して実録やくざ映画というシリーズが生まれる。

日本侠客伝 仁義なき戦い

 ただし、この『孤狼の血』の時代でもある昭和の終わりには、暴力団対策法も登場。反社会的なものを美化しかねないやくざ映画は、スクリーンから遠ざかり、こうした題材はVシネマ、つまりセルビデオを中心としたものに小規模化していきます。『孤狼の血』は、東映のプロデューサーが企画。かつてのアウトローな登場人物たちを蘇らせたいと白石監督に白羽の矢を立てて奮闘したものです。ただ、単なるノスタルジーではなく、この平成最後の年に、人間のギラギラした欲望と、白黒つけられない灰色の正義を、実は新しい枠組みの中で撮ったのが素晴らしいと僕は思っています。

 
ナレーションの入れ方、テロップの出し方など、確かに実録やくざ映画路線のスタイルには見えるんですが、考えてみると、これはあくまでもベテラン、新米、ふたりのバディーものであって、警察の側から描いているし、あくまでフィクションであって、手記に基づく実録ではない。広島舞台の実録路線が、実は京都市内と撮影所で撮られていたのに対し、こちらは呉でのオールロケ。白石監督は、ロケで本領を発揮する。土地の磁場を捕まる映画人です。見事なロケハンと美術・小道具のきめ細かい選択が功を奏して、昭和の瀬戸内をくすんだ色使いで蘇らせた。白石監督は色んな映画を撮っているけれど、確固たる作家性があると思っていて、それは「主流派でないオルタナティブな価値観を持っているがために、主流派の中でもがく人間の生き様を描く」ということ。彼ら/彼女らは、ある種ピュアな価値を振りかざす矜持と、時に引き返せないほどの狂気の両方をいつも持っています。

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今回の大上と日岡は、それぞれに白石映画的人物。「警察じゃけ、何をしてもええんじゃ」と暴力団と癒着する大上には狂気が、そして日岡には僕たち観客が感情移入しやすい「正義」という価値基準が託されているように最初は見えるんです。ところが、むしろ逆に見える瞬間も徐々に出てくるんです。大上にこそ矜持があるのかもしれないと思えると、今度は日岡の狂気も顕になってくる。
 
この映画のすごいのは、そうした人間のわからなさ、それゆえの魅力、奥行きを、あくまでミステリーとして見せてくれることなんです。ヤクザたちはあえて単純化して描くことで、いくら抗争がややこしくなっても一見複雑な人間関係をわかりやすく交通整理。大上の黒い疑惑を白い日岡が暴くという謎解きを軸にすえました。そうして白と黒とが混ざり合い、主役2人についてはとことん灰色に塗り込めていく。こいつら何者なんだ。そういうサスペンスがずっとあって、バイオレンス、エロス、ユーモア、呉ならではの景色、最高のキャストといった映画ならではの魅力をこれでもかとぶち込み、さらにそのどれもに新しいアイデアを反映させてある。そりゃ、白石監督の堂々たる代表作にして、今年度日本映画の大本命たる1本じゃないわけがない。
 
単純明快な「正しい」メッセージとか、安っぽいメッキの正義とか、「泣ける」だ「感動する」とかいった表面的なものだけで映画が作られているようでは、日本映画そのものがダメになる。牙をむいた得体の知れない大人たちが血と汗と欲望にまみれて蠢くところに、あなたも飛び込んでもまれてみてください。価値を揺さぶられてください。
 
社会の土俵際で生きる人間を通して社会の核心を射抜く東映実写映画の精神性がここに蘇りました。

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↑ 今回の音尾琢真さんは、そらもう影の主役じゃけえ、とくとご覧くだせ〜

 

白石監督ですが、次作の公開も秋に決定!

今や伝説のインディペンデントな監督若松孝二のもとで助監督を務めた白石さんが、若松プロダクションの映画人たちを描いた青春映画『止められるか、俺達を』。なんですか、このハイペースは。もはや「止められるか、白石を」状態だよ。

凶犬の眼

そして、柚月裕子の原作は続編の『凶犬の眼』も出版されました! こ、これは、もしかして、『孤狼の血』もシリーズ化するのか? それもこれも、今作がヒットするかにかかっているわけで、ぜひともみんな映画館へ出かけてくださいまし〜

さ〜て、次回、5月24日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ピーターラビット』です。昨日の番組では、日本語吹き替え版でピーターの声を担当した千葉雄大さんを迎えましたが(下のから、5月23日までならすぐに振り返って聞けますよ)、既にある程度お話していますが僕も改めて凝視してきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

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『サバービコン 仮面を被った街』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年5月10日放送分
『サバービコン 仮面を被った街』短評のDJ's カット版です。

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1950年代のアメリカ郊外に開発されたニュータウン「サバービコン」。自然豊かで渋滞とも無縁。治安も良くて子どもの教育にも最適。アメリカン・ドリームをそのまま形にしたような街に続々と移り住んできた白人中流家庭。そこに黒人のマイヤーズ一家がやって来ると、事態は一変。話が違うじゃないかと憤る白人たちは、マイヤーズを排斥する差別的な行動を取るようになります。マイヤーズの隣に住んでいるロッジ家に強盗が押し入り、足の不自由な妻が命を落とす。まだ幼い一人息子ニッキーは、父とおばに気遣われながら日常を取り戻そうとするのだが、事態は徐々におかしな方向へと展開していく。

 

1999年に書かれてはいたもののお蔵入りとなっていたコーエン兄弟の脚本に、この作品では監督に徹したジョージ・クルーニーが、1957年に実際に起こった郊外での黒人排斥運動の要素を盛り込みました。

キングスマン: ゴールデン・サークル (字幕版) スター・ウォーズ/フォースの覚醒 (字幕版)

 ロッジ家の主ガードナーを演じるのは、マット・デイモン。妻とその姉(一人二役)には、『キングスマン・ゴールデン・サークル』で最高に悪趣味なヒールを熱演したジュリアン・ムーアが扮している他、妻にかけられていた生命保険の調査員として、『スター・ウォーズ』シリーズここ2作の人気キャラ「ポー・ダメロン」の記憶も新しいオスカー・アイザックが出演しています。

グッドナイト&グッドラック 通常版 [DVD]

ジョージ・クルーニーは監督6作目。かつて『グッドナイト&グッドラック』で脚本賞にノミネートしながら受賞を逃したヴェネツィア国際映画祭に今作は出品されました。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

邦題の「仮面を被った街」が端的に説明しているように、一見理想的で善良な家庭の抱える闇を暴く郊外が舞台の作品という要素がまずあるわけです。思い出すのは、99年にアカデミー賞5部門を獲ったサム・メンデスの『アメリカン・ビューティー』。もっと田舎町ではあるけど、デヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』も、一見のどかな町の裏に潜むおぞましさを描いてみせていました。

アメリカン・ビューティー (字幕版) ブルーベルベット (オリジナル無修正版) [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

 この種のテーマは僕は大好物なんですよ。サバービコンは理想を絵に描いた書き割りのような街。極めて人工的、画一的。白人だけが住んでいるわけだけど、人間の欲望も漂白されていて、逆に異様なんです。そこで突如起きる強盗殺人。しかし、犯人たちは金目のものを盗まなかった。それはなぜか。裏で誰かが糸を引いているのではないか。一皮むけば邪(よこしま)で欲にまみれた大人たちの手前勝手な行動を、一人息子のニッキーがじっと観察する。コーエン兄弟の『ファーゴ』にもあった「やむにやまれぬ殺人」というモチーフも登場するんですが、クルーニー監督にしてみれば、それをサスペンスの神様ヒッチコック風に描いてみようという意図が透けて見えます。

 

光と影の強調、ナイフの使い方もそれっぽいし、やがて誰かが口にすることになる毒入りのミルクなんて、まんま『断崖』という映画です。そして、死体の始末をするところに笑いを盛り込んでくるあたりは『ハリーの災難』も思い出します。マット・デイモンが身体のサイズとまったく合わない小さな自転車を必死でこぐところとか噴飯物でした。まとめると、ひねりのあるコーエン兄弟の物語をヒッチコック的様式でくるんだ、ブラック・コメディー+サスペンス・スリラーでロッジ家の地獄、欲望の成れの果てを社会風刺として描く映画を目指した、と。

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 好みは別として、僕はそこまではある程度はうまくいっていると思うんです。僕の大好きな「人は見かけによらない」というテーマもうまくハマっていました。ただ、リベラルな運動家としても知られるクルーニーですから、それだけでは物足りないし、自分がやる意味がないとでも思ったのでしょう。このコーナーでも最近よく扱う黒人差別(しかも実話ベース)の要素を付け加えて、自分のスタンスを表明しながら、分断されたアメリカへの批判も盛り込むことで、20年ほど前の脚本を今映画化する意味を見出した。その意図は分かります。見上げたことです。

 
でもね、クルーニーさん。映画を観たら、後で脚本を足したんだなってことが丸見えになっているのはいただけないですよ。黒人差別を描くマイヤーズ一家のパートと、郊外の闇を描くロッジ家のパートが噛み合ってなくて、ただ偶然隣り合っていたっていうだけになっちゃってる。唯一噛み合ったのは、クライマックスの部分で、ロッジ家での派手な物音を、マイヤーズ家の回りで暴徒化する白人たちの騒ぎがかき消す役割を果たしていました。でも、それだけじゃダメでしょ。黒人差別問題を小道具にしているだけっていう批判が出てしまうようでは、クルーニーさんのねらいの逆の結果になっているとも言えるわけだから。そうなっちゃうと、あの後味スッキリの素敵なエンディングも、鼻白む客が出るのは仕方ない。
 
ただし、僕は実は結構好きな1本です。ニッキーくんも含め演技はみんな最高だし、キッチュな美術の色使いも配慮が行き届いています。それだけに、クルーニーさん、もったいないよ〜。次は肩肘張らずに、またスリラーにトライしてほしいなと僕は本気で思っています。
さ〜て、次回、5月17日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、役所広司松坂桃李が奮闘する『孤狼の血』です。今週番組では白石和彌監督をゲストに迎え(下のリンクから、5月15日までならすぐに振り返って聞けますよ)、既にある程度お話していますが僕も改めて凝視してきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

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『君の名前で僕を呼んで』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年5月3日放送分
『君の名前で僕を呼んで』短評のDJ's カット版です。

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1983年夏。北イタリアの小さな町(メインのロケ地はクレーマというロンバルディア州の町で、人口は3万5千人ほど)を舞台に、家族で夏を過ごす17歳のエリオと、考古学者である父がアメリカから避暑と研究の手伝いのために招いた24歳の大学院生オリヴァーの淡い恋模様を描きます。ふたりは同じ家、隣同士の部屋に住み、自転車で街を散策。川で泳いだり、読書や音楽鑑賞をして過ごすうち、エリオの気持ちがだんだんと止められない恋心へと成長していきます。それぞれに女の子と付き合ったりはするのですが…
 
原作者はアンドレ・アシマンという1951年エジプト生まれの作家。彼自身が大学教授でもあって、今もニューヨーク大学で教鞭をとっています。この種の恋愛経験があるわけではないということらしいんですが、やはりイタリアで過ごした少年時代の思い出をベースに物語を編んでいます。翻訳が出るのが遅くて、4月27日にいきなり文庫でマグノリアブックスから出版されたばかり。僕も購入しました。

君の名前で僕を呼んで (マグノリアブックス)

脚色したのは、カズオ・イシグロの小説を映画化した『日の名残り』や『モーリス』などで知られる映画監督のジェームズ・アイヴォリー89歳。ロケ地もイタリアということで、製作スタッフの多くをイタリア人が占めています。その筆頭として、監督はまだ46歳と若いルーカ・グァダニーノ。イギリスの女優ティルダ・スウィントンとの仕事で知られている人で、彼女をキャストに迎えた『ミラノ、愛に生きる』や『胸騒ぎのシチリア』は日本でもDVD化されていて、簡単に観ることができます。

ミラノ、愛に生きる [DVD] 胸騒ぎのシチリア(字幕)

主人公のエリオを、『インターステラー』でケイシー・アフレックの少年期を担当していたティモシー・シャラメが、そしてオリヴァーを『コードネーム U.N.C.L.E.』のアーミー・ハマーが演じています。
 
本作は、今年のアカデミー賞で、作品賞、主演男優賞、脚色賞、歌曲賞にノミネートし、見事脚色賞をジェームズ・アイヴォリーが史上最高齢で獲得しています。
 
それでは、久々にイタリア舞台の作品ということで力の入る3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

ざっくり言えば、これはA Summer Affair、ひと夏の恋物語です。昔からこの手の話はよくあるわけですよ。避暑地で出会って惹かれ合うふたり。でも、それぞれには本来の居場所がある。夏が終われば、元の生活に戻らないといけない。そのタイム・リミットが火に油を注ぐ格好になり、恋は燃え上がる。
 
その構図が、男女ではなく、この映画では男同士になってるんですよね。華奢なエリオと、劇中にも出てくる彫刻のような肢体の持ち主オリヴァー。夏ということもあり、ふたりの露出度は高く、ていうか、ほとんど半裸の場面も多く、確かに、超ど級に美しいです。劇場にはそんなふたりの胸キュンなやり取りに燃え萌えな女性たちが詰めかけていて、さながら目の保養所と化していました。要はこの作品、これまでもよくあったひと夏の恋物語に、LGBTの要素をかけ合わせたことで目新しいものにしていると勘違いしている方、多いと思うんですが、それは僕に言わせればちょっと違うんです。
 
この種の恋愛ものだと、特に時代のこともあり、不寛容な社会からの差別とどう折り合いをつけるのか、あるいはHIVウィルス問題の動揺をどう受け止めたのか、そういった言わば逆境の中での話になることが多いのに対し、この作品にはそうした傾向はほとんど無いんです。フォーカスしているのは、もっとピュアなふたりの心身の動きそのものなんですね。その他の要素はほぼ省いてあります。
 
監督のグァダニーノ。彼はこれまでも社会や周囲が味方してくれるわけではない恋愛をモチーフにしてきました。登場人物を少人数に絞り、その関係性、生じる力学の変化をすくい取ってきた。たとえば『ミラノ・愛に生きる』でもそうなんですが、心と身体の交流に微細な自然描写を差し挟むことで、認められない恋だろうとこれだけ美しいんだという見せ方をしてきたのかなと僕は思ってます。ただ、正直、僕は世間ほど高く評価してはいませんでした。こう持っていきたいんだという作り手の意図が見え隠れして、言葉は悪いんだけど、ちょっとあざとさを感じるところもあったんですよ。
 
ところがどうでしょう。この作品では、そんな不満もどこへやら。ひたすらに賛美です。勝因のひとつはアイヴォリーの適切な脚本です。3ヶ国語が飛び交う洒脱なユーモアに満ちた会話と、その言葉の比重を減らした余白の作り方が絶妙。その余白に北イタリアの自然美が花開く構成。監督もこれまで以上に映像の運びが上手くて、ふたりのそれだけではなんてことない無邪気な動作なんかを積み重ねることで、ふたりのその時にしか体験できない、忘れられない時間の層をフィルムに焼き付けていく。その意味で、僕は編集がすばらしかったと思います。結構カット数が多くて、もうちょい長かったらダレてしまったり退屈させたりする直前でスッと次へ行くんですよ。その緩急がうまい。
 
ふたりともユダヤの血を引いてるんだけど、ダビデの星のペンダントであるとか、ふたりの過ごす部屋の配置と扉の開け具合、たわわに実った果樹園のあんず、自転車、彫刻、そしてしょっちゅう画面で飛んでるハエ(!)も含め、小道具の使い方とそこに込める含みのある意味もお見事。

FM802春のキャンペーンACCESS、今年のキャンペーンソング『栞』の中で、尾崎世界観はこう書いてます。「簡単なあらすじなんかにまとまってたまるか」。この映画はまさにそれ。あらすじにするとあっさりするんだけど、これは132分を一緒に生きてなんぼの映画です。ときめき。嫉妬。迷い。苦しさ。反発。衝動。欲望。歓喜。別離。記憶。痛み。成長。この映画には恋愛感情のあらゆる要素が詰まっています。
 
それを経たラスト10分くらいのエリオを見てください。もう最初とはまったく違う美しさをたたえた青年に変貌してるんです。そして、彼らを見守る両親のスタンスの素晴らしさたるや! 何最後にお前らええとこ持っていくねん! 最高やないか〜〜!
 
男同士だからといったバイアスはいったん忘れて、あなたも純度120%の恋愛映画に打ち震えてください。

それにしても、ふたりの美しさは神がかってました。エリオは映画史に残る美少年として名高い『ヴェニスに死す』(これも北イタリアで、男同士だ!)のビョルン・アンドルセンに匹敵しますね。

ベニスに死す [DVD]

アイヴォリーはヌードシーンを脚本に用意していて、監督も交えて撮影の打合せまでしていたそうですが、最終的にはフルヌードの濡れ場はありません。PG12だしね。むしろ、ベッドシーンではあっさりとカメラは引いてしまいます。結果として、僕はそれで良かったのだと思います。その生々しさで勝負しちゃうと、やっぱりLGBTの色彩が前にせり出してきて、この映画に限ってはそれがマイナスになりかねませんから。

さ〜て、次回、5月10日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、ジョージ・クルーニー監督、マット・デイモン主演『サバービコン 仮面を被った街』です。この組み合わせで、ひねりと風刺のきいたスリラーなのかしら。予告を観る限り。よくわかんないけど、いずれにしても楽しみだ。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

 

『レディ・プレイヤー1』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月26日放送分
『レディ・プレイヤー1』短評のDJ's カット版です。

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2045年。貧富の差が拡大し、荒廃した世界。人々は現実に楽しみや希望を見いだせず、VRの世界OASISに逃避する日々。なぜなら、OASISはゴーグルをつけさえすれば、誰でも何にでもなれるから。そこでは理想がリアルに体験できるから。ある日、亡くなった開発者ジェームズ・ハリデーの遺言のようなメッセージが発信されます。このOASISに隠された3つの謎を解き明かした者に、彼の莫大な遺産、並びにOASISを運営する権利が授けられるというもの。17歳の孤児ウェイドはその謎解き、宝探しに躍起となるうち、美女アルテミスなど他の仲間と出会うのだが、巨大企業IOIがその行く手を阻みます。
 
2011年に出版され、エイティーズ・ポップカルチャーへの賛辞を前面に出して世界的ヒットとなったアーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』を、スティーブン・スピルバーグ監督が映画化。アニメ、ゲーム、映画、音楽。OASISの中にこれでもかと詰め込まれたオマージュの数々には、ガンダムメカゴジラAKIRAストリートファイターハローキティなどなど、日本のものもたくさんあります。
 
スピルバーグ、現在71歳。日本では『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』が先月公開されたばかり。スピルバーグ最新作をハシゴできてしまうこの状況にまず驚きです。
 
それでは、なんとなくゴーグルみたいなのを付けて観たいと思い、3D吹き替えで鑑賞してきた僕による3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

80年代に百花繚乱したポップカルチャーの数々。諸説ありますが、70年代から日本ではオタクという言葉が生まれ、現実にうまく適応できない人達が、一種の逃げ場として、シェルターとして、フィクションの世界に耽溺するという現象が見受けられるようになりました。二次創作など、独自の文化とコミュニティを生み出してきたオタクたちですが、インターネットが登場してますますその数を増やし、それぞれにコミュニティを形成。果てはクール・ジャパンなどという政府の掛け声も生み出すほど、オタクの地位向上というか、ネガティブなイメージで語られることも減りながら現在に至ります。
 
こうしたポップカルチャーはテクノロジーの進化と切り離せないもの。僕も先月オースティンのSXSWで確認しましたが、もうVRはすごいことになってました。たとえば、イライラしている人がゴーグルをして仮想世界に入り、そこにあるテレビとかパソコンとか電化製品を壊しまくってスカッとするアトラクションとかあったんですよ。いくら見本市とはいえ、傍から見ていた僕は正直その姿に吹き出してしまいました。と同時に、近い将来、時間があればVRの中へ入り込む人が大勢出てくるんだろうなと思ったわけです。もちろん、100年を越える歴史を持つ映画だってそういう装置には違いないんだけど、ゴーグルひとつで文字通りの別世界へ飛んでいけるとなると、発想は延長線上にあるとはいえ、一線どころか二線か三線越えてるのではなかろうか。

未知との遭遇 ファイナル・カット版 (字幕版)

前置きが長くなりました。これは映画作家スピルバーグのひとつの到達点だと僕はみています。初期の名作『未知との遭遇』で主人公が最後に何をしたかを思い出してください。多くのスピルバーグ作品の主人公にとって、現実の世界というのはキツいものであって、自分のいるべき場所ではなかった。ここではないどこかに自分が幸福になる場所があるはずなんだ。フィルモグラフィーの節目節目で、映画史に残る技術革新を形にしながら、テーマとしてはそういう映画を撮ってきた人です。この『レディ・プレイヤー1』は、自分が一気に世界に名を轟かせた80年代を、自分の作品も含めて総ざらいしつつ、最高だよね〜アガるよね〜と観客をもてなすだけじゃないんです。むしろ、ちょっと待てよ。俺たちはフィクションを見て「リアルだ」とか何とか言ってるけど、現実をなおざりにしていいのかよっていうところへと導いていく。そこがこれまでのスピルバーグと違うところじゃないでしょうか。

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冒頭のシーン。ヴァン・ヘイレンのJumpをかけながら、2045年の貧民街の様子を見せていきます。積み上げられたトレーラーハウス。高いところに住んでいる主人公ウェイドが、まさにジャンプを繰り返して地上に下りていく。その途中、そこらのトレーラーハウスには、ゴーグルを付けて現実逃避している人々のなかなか滑稽な様子が映る。ここでもうスピルバーグはテーマを早くも提示してると思うんです。ヴァン・ヘイレンのあっけらかんとしたアガるサウンドにも関わらず、現実のウェイドのジャンプは後に出てくるOASISの中のように華麗なるものではないし、何より空もそのスラムもすべてが灰色。このギャップですよね。
 
スピルバーグは正面切ってCG技術の粋を尽くしながらOASISを描きました。自分でもゴーグルを装着して演出したそうです。一方、現実の場面ではフィルムを使って撮影。ハイブリッドな映画作りをしています。
 
この作品を「プロフェッショナルな廃品回収リサイクルボックス」だとするアメリカの評論家がいます。マニアックで閉じられていて、二次創作の延長にすぎないということでしょう。

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僕は違うと思う。一匹狼だった主人公が友情を育んで力を合わせ、敵と戦い、謎解きをして成長するという、少年ジャンプ的でもある極めて王道のストーリーラインを軸に、何度観ても発見がありそうなサブリミナルレベルのものまでぶち込んだサブカルまとめ情報を巧みに入れつつ、でもそれだけじゃダメなんだ。フィクションは絶対に人間に必要だけれど、フィクションを絶対視してはいけないんだというところに着地してみせた。
 
OASISの創設者であり、OASISの中ではアノラックとして『ホビット』のガンダルフの姿で登場するジェームズ・ハリデーは、スピルバーグの自己投影でしょう。これは技術的に画期的かつ個人的な作品であり、映画史にも太字で刻まれるような重要な1本になっている。結論として、やっぱりスピルバーグは凄い!

サントラも話題となっていますね。僕はこの曲がかかるところで結構グッと来ました。

 

あ、そうそう、今回僕は吹き替えで鑑賞したんですが、クレジットに日髙のり子と三ツ矢雄二の名前を発見! こ、こ、これは… 『タッチ』やないか〜〜! あだち充ファンとして、ニヤリな瞬間でしたよ。

さ〜て、次回、5月3日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『君の名前で僕を呼んで』です。80年代の北イタリアが舞台。監督はイタリア人のルカ・グァダニーノ泣く子も黙るアカデミー脚色賞受賞作。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

『パシフィック・リム:アップライジング』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月19日放送分

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今思えば、巨大ロボットや怪獣など、日本が得意としてきたコンテンツの谷間だったと言える2013年。前作『パシフィック・リム』が公開されました。そこで日本のアニメ&特撮ものへのこだわりとリスペクトを込めたのが、今年『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞を獲得したギレルモ・デル・トロ。今回彼は製作総指揮に回り、テレビやストリーミングで演出をしていたスティーブン・S・デナイトが監督を務めました。

パシフィック・リム(字幕版)

海の底の裂け目から現れたKAIJUたちが地球を襲った惨劇から10年。復興が進んでいく中、KAIJUを倒した人間が操縦するロボット「イェーガー」の技術は更新され、民間企業による無人型イェーガーの開発も進められ、KAIJUのいない時代なりに、人類は備えをしていました。訓練中、突如現れてこちらに襲いかかってきた謎のイェーガー。その正体は? 人類の新たなる戦いが始まる。
 
前作で殉職した英雄の息子だが、ゴロツキとして廃墟で暮らしていたところを軍に呼び戻されて真のパイロットへと成長していく主人公ジェイクをジョン・ボイエガ、その同僚ネイサンをスコット・イーストウッドが演じている他、日本からは前作に引き続き菊地凛子、さらに、若きイェーガー・パイロットとして新田真剣佑など、前作に引き続き、日本人キャストも参加して話題を呼んでいます。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

もしもデル・トロが今回もメガホンを取っていたら… 1が日本でもあれだけの熱狂を生んだだけに、監督交代劇を惜しむ声はよく聞かれます。でも、補足しておくと、デル・トロにはやる気があったわけです。実際に撮影の段取りも組んでいたんですが、そこで制作会社レジェンダリー・ピクチャーズと配給会社ユニバーサル・ピクチャーズの対立が深刻化してあえなく中止。企画はしばらく宙吊りになりました。その後、レジェンダリー・ピクチャーズは中国の大連万達(ワンダ)グループによって買収。こうしたゴタゴタで時間を食った結果、デル・トロは『シェイプ・オブ・ウォーター』に集中するべく、自分は製作総指揮に回りました。それでアカデミー作品賞を獲得したわけだから、デル・トロは今後より影響力をもって、トレードマークでもあるフェティッシュなこだわりを実現できる土壌を手にしたわけで、それはそれでトータルで見ればOKだと言えるでしょう。
 
彼は作家性を重んじる人だから、続編と言えど、デナイト監督でないとできないことを実行するといい、押し付けはしないから、好きにやってくれと伝えられたようです。
 
具体的に言えば、今回僕もしっかり驚かされたイェーガー同士の戦いというアイデアはデル・トロによるものです。ただ、それをどう見せるかという演出の部分において、
デナイト監督は、はっきり、前作の踏襲よりも革新を、おかわりよりも違う調理法を選んでいます。その志は評価すべきなんだけど、作家性と嗜好の違いが浮き彫りになった結果、あくまで続編として考えた時に、前作ファンの求めるものとの齟齬が無視できないレベルで生まれているわけです。

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では、その違いとは何か。メインの戦闘シーンに端的に表れています。前作は夜だったり雨が降ってたり海だったりと、とにかく暗い絵面が多かったですよね。何が起きているか分かりにくくて、あれはCGの粗をごまかすためだとも言われていました。確かにそういう技術的な理由もあったはずですが、それをむしろ活かしたデル・トロは、ブレードランナー的とも言える終末論的世界に仕立てました。原子力で動くイェーガーは、操縦がふたり一組でやたら難しいし、動きも鈍重でした。KAIJU相手に劣勢に立たされることもしばしば。でも、だからこそ、ケレン味の利いた日本的な間合いから繰り出される必殺技が決まった時のカタルシスがあったんですね。

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それがデナイト演出にかかると、戦闘シーンはほとんど昼日中、降り注ぐ陽光の下で展開されます。この5年でグレードアップしたCG技術を誇示するかのように。イェーガーそのものもグレードアップ。無人機も含め、バリエーションが増え、カラーリングもスタイリッシュ。操縦は容易になり、動きがキビキビしました。デナイト監督はウルトラマン好き、なおかつマイケル・ベイトランスフォーマー・シリーズに最近は脚本家として参加していますから、そりゃ鈍重なロボットは嫌でしょう。
 
両者の違いは、ロボットを捉えるアングルにも出ています。デル・トロは重量感を際立たせる下から見上げるものが印象的だったのに対し、デナイトは高いところから見下ろすことが多い。デル・トロのジメジメした湿度過多な画面に対して、デナイトはカラッとしていて悲壮感が弱め。
 
ネタバレの問題があるから踏み込まないけど、イェーガー同士の戦いがあるってことは、単純に人類vsKAIJUじゃないわけで、物語の力学も違いが鮮明です。
 
以上、違いを挙げてきましたが、今作には映画としてのまとまりに少し難があることも付け加えます。前作で記憶に残るのは、やはりバトルそのもの。話は正直そこまで重要じゃないというか、ありふれたものでした。アルマゲドン的自己犠牲。KAIJUって一体何なんだという謎。これができなかったらもう終わりだというタイムリミット・サスペンス。でも、話が分かりやすかった分、観客もバトルに集中できたわけです。
 
今回は物語を構成する要素が多い上、それを並べるのに時間がかかっている分、バトルが淡白になってしまってます。操縦も簡単だしね。だから、とりあえずスケール感を出すために、続編にありがちな力のインフレが起きてしまっています。せっかくイェーガーをスタイリッシュにして種類も増やしたんだから、それぞれの特徴を描けば萌えそうなもんだけど、そこに時間を割けていない。となると、真剣佑を含めた若きパイロット達のキャラや成長も描ききれず、ドラマとしても淡白です。
 
結論。デナイトの意欲は買うし、ジャンル映画として一定の水準に達している。その証拠にヒットもしている。大画面で観る価値大アリ。なんだけど、次があるなら、やはりデル・トロにもう一度アップライジングしてほしいと思ったのが正直なところです。

映画通としてもおなじみ、川上洋平くんが『シン・ゴジラ』に反応して書いたというKaiju / [Alexandros]をオンエアしました。

さ〜て、次回、4月26日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、スピルバーグ『レディ・プレイヤー1』です。これ、またガンダムが出てくるぞ〜。2週連続、ガンダム(「アップライジング」でも、チラッと映り込むんですよ)。しかし、結局『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』を観られてないんだよなぁ。それはともかくとして、スピルバーグのタイプの違う新作を同時に観られる環境は素晴らしすぎる! あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!