京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『インクレディブル・ファミリー』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年8月2日放送分
映画『インクレディブル・ファミリー』短評のDJ's カット版です。

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アカデミー長編アニメ映画賞を獲得した『Mr.インクレディブル』のなんと14年ぶりの続編にして、ピクサー20本目という節目の作品です。キャッチコピーが端的でいいですね。家事、育児、世界の危機!
 
前作から14年も経ってるんで、ある程度独立した話かなと思いきや、前作の3ヶ月後を描いた地続きな続編です。単体としても楽しめますが、前作を復習しておくと、より入りやすいかな。

Mr.インクレディブル (字幕版)

スーパーヒーローたちの実力行使を伴う活動は危険すぎるとして法律で禁じられる中、スーパーパワーを持つボブたち「インクレディブル・ファミリー」は、一般人に紛れて日常生活を送っていました。そこへ、ヒーロー復活を願う巨大通信企業の経営者が登場。今一度、様々なメディアを駆使してヒーロー本来の意義を世間にアピールし、法律改正を目指そうじゃないかとボブたちを説得。ただ、ボブは力が大きすぎるということで、アピールのために白羽の矢が立ったのは、妻のヘレン、イラスティガール。ボブはといえば主夫として家事と育児を担当。わんぱく盛りの息子ダッシュ、思春期で難しい年頃のヴァイオレット、そして底知れない能力を秘める赤ん坊ジャック・ジャックの世話に悪戦苦闘します。
 
監督・脚本は前作に引き続き、ブラッド・バード。音楽も続投で、オスカー受賞映画音楽家マイケル・ジアッチーノが担当。僕は吹き替えで観ましたが、Mr. インクレディブルを三浦友和、イラスティガールを黒木瞳、娘のヴァイオレットを綾瀬はるかが演じています。
 
アメリカではオープニングの興行収入が、アニメ映画では歴代トップの約200億を記録するというロケットスタートとなったうえ、公開から約1ヶ月で、は5億4千万ドルなんで、約550億。5億ドルを越えたアニメは史上初です。日本では昨日公開になったばかりですが、どうなんでしょうかね。僕が観た回はかなり入ってる印象でしたよ。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

前作が、ヒーローものというジャンル自体の風刺をメインにした尖った展開で、「大人も」っていうより「大人こそ」楽しめるアニメとして高く評価されていたのに比べ、今作は特にディズニーの最近のメインテーマである女性の社会進出を前面に押し出して家庭内の描写も増やし、より広い層が楽しめる物語へと射程を広げてあります。
 
ヒーローとして全編に渡って悪と戦うのは、イラスティガール。これまでは主婦として控えめに生きていたヘレンが、よしここは私がヒロインとして出て行ったほうが、長い目で見れば社会と家族のためになるはずだと意を決してひとり出陣するところの強さにはグッと来ました。あのガジェット満載のバイクを乗りこなす様子は血湧き肉躍りました。セクシーで、知的で分別があって、いいぞイラスティガール!

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一方、「能ある鷹は爪を隠す」ってことが大事だと頭では分かりつつ、自己顕示欲と現実の狭間で悶々としているのがMr.インクレディブルです。ていうか、ボブです。彼が今回は家庭内でヒーローになろうとするんだけど、これがまあ大変。先週扱った『未来のミライ』でもこうした描写があったわけですが、腕白、思春期、乳幼児というバリエーションもあって、なおかつ妻への嫉妬も膨らんで、ボブがマジでやつれるんですよね。そこがいい。しかも、イラスティガールの活躍とカットバックで同時進行に見せるのが新鮮。ボブの人間としての成長と、それを見て悟った子どもたちが手に手を取る様子は、素直に家族って良いなと感じさせる効果を生んでいました。
 
一方、途中から能力者たちがわんさか出てきて、マーヴェルみたいになってくるのは楽しいっちゃ楽しいんだけど、正直なところ、もうこういう特殊能力は出尽くした感はありますよね。ただ、それは当然監督も織り込み済みで、サブキャラだってのもあるけど、彼らのかっこよくなさと未熟さを強調することで、これまたヒーロー風刺にしているのは良かったです。

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インクレディブル一家のスーツをデザインしている、あのちっこいエドナ。字幕版では監督自身が声をアテてることからもわかるように、デザインはこの映画の肝になっていて、60年代のスパイものを思わせるキャラクターと全体の画面作りは、今回も絶好調。キッチュとカッコ良さをすっきりした線で絶妙に同居させています。
 
実に良くできた本作ですが、脚本にはっきりとした弱点もあるので、最後に指摘しておきます。全体を覆う、ヒーローは社会に必要か不要かという議論があるんだけど、その結論が玉虫色なんですよ。今回の悪役となるスクリーンスレイバーは、テレビやらパソコンやら、僕らの身の回りのスクリーンをジャックして人々をマインドコントロールするんですが、その主張にはそれなりの妥当性があるんです。なるほど、一般人は自分で考えることをやめて、すべてを人任せ、ヒーロー任せにしてはいないか。それに対しての反論がはっきりとはないんですよ。ヒーローはこれを見ればわかるように特別な訓練を受けているわけでもないし、資格があるわけでもない。精神的にも未熟なところがある。しかも、力をコントロールしきれずに下手すりゃ被害が拡大することもある。やっぱりヒーローなんて要らないよとも思えるでしょ。敵の主張にロジカルに反論できていないから、最後まで見ても、ヒーローの行動がどうも行き当たりばったりな印象になっちゃう。次作があるなら、そのあたりはきっちりしてほしいところです。
 
ただ、やはりディズニー・ピクサーはさすがです。途中ダレたりせずに、一気に見させる群を抜いたクオリティーなのは間違いなし。この夏、幅広い観客を巻き込む大本命の堂々たる登場です。

ちょうど生放送を控えて短評を準備していたその時に、東京医科大学の入試で、女子受験生の点数を一律で減点していたという、開いた口が塞がらない報道に接しました。ディズニーは女性の社会進出を繰り返しテーマにしてるけど、やっぱりまだまだこういう作品は必要だわ! 残念ながら、そう思っちゃったしだいです。

 

で、イラスティガールの活躍を見ていると浮かんできたフレーズを歌うアリアナ・グランデ『God is a woman』をお送りしました。

さ〜て、次回、8月9日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』です。来たよ来たよ〜。我らがトムが帰ってきたよ〜! 今回のイーサン・ハントは落ちて落ちて落ちまくるそうな。4DXも楽しそう。て、考えたらインクレディブルのブラッド・バード監督は「ゴースト・プロトコル」の監督でしたね。いい繋がり。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『未来のミライ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月26日放送分
映画『未来のミライ』短評のDJ's カット版です。

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横浜近郊を思わせる港湾都市、閑静な高級住宅街に一軒家を構える家族がいます。30代前半から半ばくらいのカップルである建築家の父と、子どもが生まれても仕事はやめず出版社に務める母。そして、4歳の男の子くんちゃんと、オスの犬1匹。そこに、ミライちゃんという女の子が生まれると、家庭内のバランスが変化していきます。両親の愛情を奪われたと感じてダダをこねてばかりのくんちゃんのもとに、ある日、セーラー服を来た自分の妹、つまり未来のミライちゃんなどが姿を現し、くんちゃんは彼らとの交流を通じて少しずつ成長していきます。
 
ポスト・スタジオ・ジブリ時代に入った日本アニメーションの中で将来を嘱望されているスタジオ地図を率いる細田守監督のオリジナル長編。声優陣は、くんちゃんを上白石萌歌、ミライちゃんを黒木華、お父さんを星野源、お母さんを麻生久美子がそれぞれ演じる他、宮崎美子役所広司福山雅治なども参加しています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

この映画には、作品そのものというより、作品を巡る外側の部分に齟齬・ミスマッチがあって、不幸な目に遭っているなと僕は感じています。中でも最大のものは、予告編から受ける、時空を超えた4歳のくんちゃんと未来のみらいちゃんが手に手を携える大冒険活劇という印象と、実際の内容との決定的な違い。これは、ひとつの小さな家族の、言わばどこにでもある、小さいけれど本人たちにとってはとても大きな変化のプロセスを、劇的にというよりは、丹念に少しずつ見せていく育児ものです。もっと言うと、育児あるあるです。その証拠に、舞台はほぼ家の中だけですからね。基本はミニマル。観客としては、期待していたものと違うものを見せられる格好になるから、「期待外れ」と思ってしまうんです。予告が誇大広告になってしまっているんですね。

サマーウォーズ 期間限定スペシャルプライス版DVD リメンバー・ミー (字幕版)

もうひとつのミスマッチ、こちらの期待との違いを挙げると、今作が細田監督の集大成ではないかという、過度な期待です。確かにそういう側面はあります。『時をかける少女』にあった時間。『おおかみこどもの雨と雪』にあった母と子の関係。『バケモノの子』にあった父(あるいは父的なメンター)と子の関係。『サマーウォーズ』にあった一族の広がりある繋がり。こうした要素がそれぞれ入ってます。さらに、『リメンバー・ミー』や、こちらは実写ですが『ファミリー・ツリー』のような、TV番組だとNHKの『ファミリー・ヒストリー』のような、連綿と続く一族の過去からのつながりの要素も取り入れています。ほら、どうしたって、スケールの大きなものを想像するでしょ? でも、この作品ではあくまでミニマルなんです。それは結局、子育てを体験した細田監督の物語の着想と、最終的な着地が、「子育てって大変だけど愛おしいよね。子どもが生まれると、自分のルーツにも思いを馳せるし、自分がここに今生きているのって不思議だよね」っていう小さな感慨だからなんですよ。
 
さらにもうひとつ。タイトルのミスマッチ。これは「未来のミライ」の話じゃないんだよ! ミライちゃんはそんなに出てこないもの。どっちかっていうと、「くんちゃんの妄想日記」ですよ。どのエピソードも一話完結的な、オムニバスに近い構成で、シーンの切れ目はほとんど黒画面ですからね。テレビで放映するなら、CMも入れやすかろうっていう。
 
ただ、最初に言ったように、僕はこうしたミスマッチが不幸だと感じているんです。映画そのものは興味深かったし、結構楽しんだから。そりゃ、問題も感じてますよ。ジェンダー的に古いだろっていうセリフ回し。結局、不思議体験が何なのか、辻褄が合わない。各エピソードのつながりが有機的に繋がりきってないから求心力がない、などなど。それでも、やっぱり細かい演出や作画の高度さ、空間の作り方は目を見張ります。決して悪くない地味だけど意欲作でもあるんです。これから観る方は、予告とかもう観なくていいから(と書きつつ、上に付けてるけど…)、フラットに鑑賞して、自分の子ども時代を思い出し、叶うならば親と自分の幼少期について話してみてください。

達郎さんの曲は、オープニングもエンディングも、それはそれはすばらしいんですが、やっぱり誰だって『サマーウォーズ』のイメージが強くあるから、これまた「一大スペクタクルなのではないか?」という期待を煽ってしまっていることも否めないと思います。

 

あと、細田守監督は、僕はやはり脚本を、かつてタッグを組んでいた奥寺佐渡子でないとしても、誰かと共作するスタイルに戻した方が良いような気が僕はしています。物語のアイデアとかそういうことよりも、ブラッシュアップのところで、誰か対等な人とやり取りしながら、それこそ『未来のミライ』のお父さんとお母さんのように、「この子がいつの間にかこうなるなんてね」っていうところに作品が到達すると思うんですよね。余計なお世話だろうけど。

さ〜て、次回、8月2日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『インクレディブル・ファミリー』です。こちらは映画の日8月1日(水)公開なんで、かなりタイトなスケジュールにはなりますが、先週に続いての家族もの、子育て要素の強いアニメってことで、並べて観ると面白そう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月19日放送分
映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』短評のDJ's カット版です。

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マイケル・クライトンによる原作小説を、スティーヴン・スピルバーグ監督が93年に映画化したご存知『ジュラシック・パーク』。シリーズとして3本作られましたが、2015年、かつての惨劇から22年後を描く『ジュラシック・ワールド』としてリブート的に復活。今回はその新三部作の2本目にあたります。
 
中米コスタリカ沖に浮かぶイスラ・ヌラブル島。多数の死傷者を出した恐竜のテーマパーク「ジュラシック・ワールド」。その崩壊から3年。恐竜たちは島で自由に暮らしていましたが、島の火山活動が活発になったことで絶滅の危機に瀕します。人の手で恐竜を救い出すのか、自然に任せるのか。政府は、ジュラシック・ワールドが民間の運営であることも加味して後者を選択。一方、3年前は施設の責任者だったクレアは、恐竜の保護活動に身を投じていて、政府の決定に落胆。そこへ、かつてのジュラシック・パークの創設者ハモンドの旧友ロックウッドから連絡が入ります。豊富な資金を持つロックウッド財団の今の責任者ミルズから、独自の恐竜保護のアイデアを聞かされたクレアは協力を決め、知性の高いラプトル「ブルー」の育ての親であるオーウェンを誘って、再び島へと向かいます。

ジュラシック・ワールド (字幕版) ジュラシック・パーク(上)

 スピルバーグは前作同様、製作総指揮。前作の監督コリン・トレヴォロウは製作総指揮と脚本です。そして、今回メガホンをとったのは、ギレルモ・デル・トロを師と仰ぐ、スペインのフアン・アントニオ・バヨナ、43歳。またしても、若手をフックアップした形です。オーウェン役のクリス・プラット、クレア役のブライス・ダラス・ハワードは、もちろん続投しています。

 
恐竜たちですが、もちろんCGもたくさん使ってはいるものの、今回はアニマトロニクスと呼ばれる技術で、セットには実物のロボットがいる状態で撮影されています。これは、シリーズ1作目に立ち返る手法です。
 
それでは、劇場で何度か驚きすぎて反射的に身体をビクッと動かしてしまった、普通に怖いもの苦手なマチャオによる3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

この作品は、誰の目にも明らかなくらいに、前半と後半の2幕にはっきりと分かれています。ヌラブル島を舞台に、迫りくる噴火と溶岩の危機から逃れるべく、ノアの方舟よろしく恐竜救出を目指すのが前半。バヨナ監督の過去作には、スマトラ沖地震とその後の津波による被害の中を生き延びる親子を描いた『インポッシブル』という佳作がありましたが、この前半はディザスター・ムービーの演出をベースにしたアクションが続きます。
 
そして、ゴシック建築の館を舞台に、恐竜救出を巡る人間の欲深い思惑が浮かび上がる中、閉所での恐竜との戦いが繰り広げられるのが後半。『シャイニング』や『フランケンシュタイン』を彷彿とさせるような、様式的でタメのあるサスペンス、ホラー演出が続きます。

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さらに、1・2作目に登場していたあの人がとても重要としてカムバック。今回は連邦議会で意見聴取を受けている、マルコム博士。彼は複雑系理論の数学者で、自らの立場から、人間は自分の生み出した万能に見える科学技術をもってしても、自然を完全に制御することはできない。だから、あの島は、たとえ恐竜がどうなろうと、人知を超えた領域ということで放っておくべきなのだと主張するわけです。博士は言わばナレーターのように、あるいは原作者クライトンの代弁者のように、恐竜と人間のドタバタをクールに分析する立場として再登板することで、このシリーズ全体の文明批判的色付けを行っています。

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考えてみれば、1作目の93年当時は、クローンだとか遺伝子操作だとか言っても、一般人にはまだまだSFの世界の話だったし、まず何よりもスピルバーグはどでかい恐竜をスクリーンで思う存分動かしてみせるという、見たこともない景色を見せるところに重きを置いていました。当時はそれで良かった。ところが、遺伝子操作なんて誰でもよく耳にするようになった現在においては、つまり、クライトンの予見が現実のものとなった以上、ここは改めて文明批判的側面を強調すべきという判断でしょう。
 
僕は後半のあるポイントまで、この1本としては、前半と後半でさすがにチグハグなんじゃないかと思っていました。ところが、あるデカい秘密がそれこそヒッチコックばりのサスペンスとして明かされて、その結果として、シリーズのこれまでの作品のどれとも違うエンディングを迎えるにあたり、シリーズ全体としては、この設定自体をアクチュアルなものとして活き活きとさせるために大事なバトンパスをする1作なのかもしれないと考えを改めました。
 
だいたい、今回はこれまで以上に人間がダメなんですよね。前作の短評で僕に「なんでお前がヒロイン気取りなんだ」と言わしめたクレアなんて、恐竜を商売道具としてしか見ていなかったのが今回はコロッと恐竜保護団体を組織していたり、オーウェンも行き当たりばったりばっかり。なんだよ、こいつらって思ってたんですけど、それもそのはず。

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ヒロインはラプトルのブルーであり、あるいはあの女の子メイシーへと鮮やかにシフトしたんです。そうやって哲学的なテーマを帯びつつ、キャッチコピーにもなっている“The Park Is Gone.”。つまり、本当の意味で「ジュラシック・パーク以降の世界」が姿を現す。そこで、こちらはシリーズで何度か出てきたキーワード“Life Finds A Way.” つまり、「生物は自分の道を見つける」、もっと言えば、「生まれた以上は突破口を見出してしまう」、要するに「コントロールなどできないのですよ」っていう、極めてSF的で哲学的な命題がドンと重たく首をもたげて翼を広げるんです。あの翼竜プテラノドンのように。そして、観た人ならわかる「ジュラシック・ワールド」って言葉の意味が明らかに… この世界どうなるんだよ!? と、3年後公開のラストへとつながります。
 
その意味で、バヨナ監督はバトンパスの役割ながら、シリーズ全体のパラダイム・シフトとも言える大事な1作をうまく導いていましたし、彼の手腕が今後ハリウッドでまた発揮されることを願います。
 
ところで、邦題の「炎の王国」って言っちゃうと、そりゃ「前半しか反映してないよね」ってことになるし、ここは原題の“Fallen Kingdom”「落ちた王国」の方がしっくり来るよなぁ。

さ〜て、次回、7月26日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『未来のミライ』です。やってまいりました。日本の夏、細田守の夏。ってな感じになってきましたね。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

映画『虹色デイズ』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月12日放送分
映画『虹色デイズ』短評のDJ's カット版です。

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地方都市の高校を舞台に、性格も趣味もバラバラな男子高校生4人の恋愛と友情を描く青春もの。元気だけれど、ピュアすぎてまったくすれていないなっちゃん。チャラくて女好きなまっつん。物静かなコスプレ好きオタクの秀才つよぽん。笑顔とは裏腹にサディスティックな側面のある恵ちゃん。いつもこの4人でつるんでいたところへ、恋に奥手ななっちゃんが違うクラスの杏奈に片思いしたことから、彼らの日常がざわざわと動き出します。
 
別冊マーガレット」で連載されていた水野美波の大人気少女コミックを実写映画化。男子高校生4人組を、佐野玲於中川大志高杉真宙横浜流星が演じる他、なっちゃんが恋するヒロイン杏奈に吉川愛が扮しています。監督・脚本は、僕と同学年で現在39歳にして、既にキャリアは15年クラスという飯塚健。『荒川アンダーザブリッジTHE MOVIE』『大人ドロップ』あたりが代表作。小説も書けるし、芝居の演出もやるし、MVも結構撮ってます。OKAMOTO’S、NICO Touches the Walls、アジカンチャラン・ポ・ランタンと、802ゆかりのミュージシャンもよく一緒に仕事している方ですね。
 
それでは、原作の1巻を買って読んでみて、久々の少女漫画のコマ割りと文字情報の多さに面食らったマチャオが、これまた久々のキラキラ映画をどう観たのか、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

まず製作の背景をお伝えすると… 飯塚監督は、当初この企画をプロデューサーから頼まれた時に、かなり難色を示したようです。少女漫画か… 壁ドンとか、自分には到底できないぞ、と。ところが、漫画を読んでみて、これなら自分にも面白いものが作れるという勝算が持てるなと引き受けた。確かに、少女漫画で男子高校生目線のわちゃわちゃした群像劇というのは珍しいですね。

虹色デイズ 15 (マーガレットコミックス)

一方、原作者は「二次元色の強い作品だと思っていたので、まさか実写のお話をいただけるとは想像もしておらず」驚いたと発言しています。実際、僕も漫画を少し読んでみて、たとえばSキャラの恵ちゃんなんかはムチをいつも携帯していたりっていう、非現実的でどうかしている漫画っぽい設定は実写にはそぐわないなと思ったし、実は漫画だと映画ほどピュアじゃなくて、イヤな女とか普通に出てくるし、必ずしもこんなに眩しくないんですよね。
 
原作は全15巻でもう完結してますが、脚本が動き出したのは単行本で8巻が出たくらいの頃。そこで、監督は映画独自のストーリー展開をするべく、脚本の構成を練りました。まず、全編にわたって4人の男子にフォーカス。もちろん、女の子たちは大事だけれど、彼女たちの心理をそれぞれに深く追うことはせずに、あくまで4人との関係性の中で描いていく。だから、親も出ないし、友達もその他大勢としてしか出てこない。先生もひとりだけ。部活描写なし。なんなら、4人が自分の部屋にひとりでいる場面もなし。そして、トピックは潔く恋愛と進路、このふたつに限定しました。かなり大胆な脚色方針だけど、2時間以内にまとめるには必要な方法論でしょう。監督が目指したのは、この場合だと女子高生向け、みたいな狭いターゲットに絞った作品ではなく、青春が過ぎ去った人たちの方が面白く見てもらえるもの。いい志ですね。
 
ただ、その結果は、必ずしも、いや、かなり、伴っていないと言わざるをえません。
 
4人それぞれにはっきりしたキャラ付けがなされているわけですが、なぜそういう性格になったのかという背景描写がないため、ドラマを動かすはずの葛藤が臨場感をもって伝わらないんです。なっちゃんもそうだし、彼が恋する杏奈も、どうして本好きで社交性に乏しいのか、理由がわからないから説得力がない。読んでる本が、それこそ少女漫画じゃなくて中島らもだとか、小道具で何とかわからせようという努力はしているんだけど、それだけではさすがに伝わりません。むしろ、謎めいてしまうばかり。

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人格形成の背景で突っ込んで描写するのは、なぜか、杏奈の親友にして極度の男嫌いである、まりなんです。当然、僕は彼女をかなり興味深く見ていました。彼女だけ、家族がはっきり出てくるんですよね。建設現場で働いているお兄ちゃんがいる。そして、とにかく杏奈に固執している。レズビアンを匂わせる描写もあるし、彼女の葛藤は群を抜いて、というより唯一ヒリヒリしていたんですが、蓋を開けたら、「え? それだけの理由なの? 嘘でしょ?」ってくらいに拍子抜けしました。
 
登場人物たちは時間とともに変化はするんですが、いかんせん、心理的な描写が浅いために、どういう理由があって葛藤を乗り越えるのか、ピンときません。ちょっとした会話そのものは面白くても、それらが有機的に繋がっていなくて、そのために全体が恋愛ゲームみたいになってるんですね。高校生なんだから、そういうゲーム性があっても僕はいいと思うんだけど、問題は狙ってそうなっているんじゃないってことです。特に後半、すれ違い、行き違い、勘違いの類がいっぱい出てくるんですが、もうそれはドラマを生み出すための設定にしか見えないんですよ。キャラが勝手に動き出す話じゃなくて、キャラを動かしているのが見えちゃうんですね。
 
プールへの飛び込みや、夏祭り、クリスマス、文化祭という、あるあるなハイライトも、どこかで見た以上の演出はないです。むしろ、思っていることは、どれもセリフで説明するし、ここ大事ですよっていうところは、これ見よがしに背景の音が小さくなったり、お芝居みたいにスポットライトが当たったりする、作り物感。花火だって虹だって、そのまま見せてしまうし、それがどう見てもCGだったりするから、フェイクであることが際立ちます。誰だって覚えてるよっていう場面を回想で見せるのも、スマートとは言い難い。少なくとも、虹色デイズなんだから、それはあくまでたとえとして、彼ら彼女らの日々が虹色だってことでいいんじゃないでしょうか。
 
良かったところもあるんですよ。滝藤賢一演じる、パンチパーマにサングラス、強面だけど生徒想いの先生。地方都市のロケーション。駅と坂道の空間配置。歩道橋のところとか、時折差し挟まれる、コントラストの強い画面づくりなど。あとは、吉川愛のかわいさとか、コンタクトレンズが見えてしまうレベルに寄った吉川愛の顔とか。
 
今をときめくキャストの魅力が伝わるアイドル映画的側面は僕は評価しないわけじゃないけど、逆に美男美女の出演で一定の需要を満たせているからこそ、監督には冒険が必要なんです。結果として、リアリティー方向にもファンタジー方向にも飛躍できなかったのは残念でした。

音楽を過去作でも多用してきた監督だけあって、挿入歌の選曲はどれも良かったと思います。ただ、邦楽なので台詞と歌詞がかち合ってしまうのを避けるため、会話がないところでたくさんの曲が流れてきます。なるほど確かに、歌詞が状況を補足するような組み合わせにはなっているんですが、その分、この演出を何度か繰り返していると、映画というよりMVが挟まっている印象になってしまうのも、もうちょっと工夫が必要でしょうね。

 さ〜て、次回、7月19日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ジュラシック・ワールド 炎の王国』です。今週はかなり吠えてもうたからなぁ。次は恐竜の咆哮を浴びることにしよっと。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月5日放送分

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スター・ウォーズ」シリーズ屈指の人気を誇る愛すべき悪党ハン・ソロ。エピソード4「新たなる希望」で初登場した彼が、いかにして銀河一のパイロットを目指すことになったのかを描く、エピソード4の10年前を描く外伝です。銀河帝国が支配する暗黒の時代。辺境の惑星コレリアで自由を夢見るハンと幼馴染の恋人キーラ。ふたりは星からの脱出を試みるものの、キーラは捉えられました。ハンは彼女との再会を胸に誓いながら、帝国航空学校で飛行機の操縦を学びます。やがて彼は腕を上げ、コレリアへ彼女を連れ戻しに行こうと目論んでいた矢先、思いもよらない形でキーラにめぐり逢います。
 
監督は『ダ・ヴィンチ・コード』『バック・ドラフト』などのロン・ハワード。「スター・ウォーズ」のオリジネーターであるジョージ・ルーカスと長年の親交があるベテランですね。ハリソン・フォードの当たり役ハン・ソロの若き日々を演じたのは、オールデン・エアエンライク。キーラには、エミリア・クラークが扮しました。どちらも名前と顔がまだそこまでは売れていない期待の新人です。他に、ハン・ソロの師匠のような役割として登場するベケットを、『スリー・ビルボード』で地元警察の署長だったウディ・ハレルソンが担当しています。

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先に公開された本国アメリカで動員が奮わないという知らせも届いてはいますが、『スター・ウォーズ』マニアでない僕は、あくまでフラットに鑑賞してきました。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

報じられている通り、当初は『LEGO ムービー』のフィル・ロード&クリス・ミラーという40代前半で実験精神に富んだ若手コンビがメガホンを取る予定だったんですが、結果としてふたりは製作総指揮に回り、60代の名匠ロン・ハワードへと監督が交代となりました。僕はここに、ルーカスフィルムの社長にして今回のプロデューサーであるキャスリーン・ケネディの意図が透けて見えると考えています。つまり、お話こそ若きハンの冒険活劇ではあるものの、作品として冒険したいわけではなく、むしろ手堅くまとめたいということですね。

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー (字幕版)

同じディズニーが配給しているアベンジャーズと比較してしまうんですが、あちらはキャラクターごとにそもそも作品があって、それらがひとつのユニバースに属しているのに対し、スター・ウォーズは基本的にはスカイウォーカー家のひとつの遠大な物語です。そこに、『ローグ・ワン』とか、『ハン・ソロ』とか、サイドストーリーを今接ぎ木していっている状態。特殊能力フォースを持たないキャラクター達にもスポットを当てて、ディズニーはスター・ウォーズもユニバース化しようとしているのだと見て取れます。ただ、ディズニーがルーカスフィルムを買収して以来、毎年のように新作が公開されて、みんな疲れてきているわけです。さらに、作品が増えすぎて、新参者にはどんどん敷居が高く感じられている。そこで、マーベル・シネマティック・ユニバース作品のように、単体で楽しめるものにしたい。でも、スター・ウォーズ・ファンも満足できるお約束、サービスもしっかり入れないと、彼らにそっぽを向かれてしまう。総合すると、作品としては冒険できなくなるわけです。

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ストーリーはいたってシンプル。愛するキーラとの自由な暮らしを追い求めながらも、それがなかなか敵わないという太い軸があります。キーラを取り戻すため、銀河系でタフに生き抜くため、帝国の支配の下で暗躍するシンジケートに身を投じ、そこで出会ったベケットというメンターから処世術を学ぶ。その過程でさんざん泥水を飲んでは成長していく。ルーカスは、ハン・ソロのキャラクターをこんな言葉で描写しています。「グループの一員であること、公益のために尽くすことの重要性を理解している一匹狼」。これはきっちり描けていました。一匹狼とはいえ、本当はキーラとの愛に生きたいと願っていること。色々あって、横にいるのは、美女じゃなく、毛むくじゃらのチューバッカであること。悪党なのに憎めないという彼の特徴は、生き馬の目を抜く銀河系で、他者を信じるという信念を獲得したからだということ。よくわかりました。悪党というわりには、いい子ちゃんで物足りないという不満の声もあって、それも理解できるけど、ずる賢さよりも青臭さを優先することで、ハンの青春を表現するという選択は妥当でしょう。
 
ダイヤのネックレス、ソロという名の由来、決め台詞I have a bad feeling about this.の変化球的な出し方、ミレニアム・ファルコン号との出会い、黒幕があいつなのかというサプライズなどなど、ファンサービスに抜かりはないです。
 
ライトセーバーが登場せず、レーザー銃のブラスターをメインの武器に、西部劇を強く意識した戦闘シーン。追いつ追われつの空中戦などなど、これでもかと山場もたっぷり。
 
ハン・ソロの話なのに映画そのものが優等生的ではあるけど、ここからスター・ウォーズに入っていくことも十分可能な、このスピンオフの果たすべき役割は果たしています。一点を除いて。

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小さな不満は置いといて、僕が最も問題視しているのは、キーラです。
 
彼女との恋愛要素が、何より若きハンのエネルギー源なので、とても大事な存在なんですが、ひょんなことから再会しての後半、彼女が何を考えているのかよくわからないんですね。ハンと離れていた数年間に色々あったことは想像できるんだけど、そこはセリフであっさり示されるだけなのに加え、最後にまたサプライズがあってますますキーラの空白期間の謎が深まるため、ラストのモヤっと感がものすごい。
 
要は続編の可能性を残しておいたんでしょう。でも、それははっきり言って潔くないし、せっかくのスター・ウォーズ入門編的な位置づけが、ここで完結しなかったら台無しじゃないですか。きっちりこれ一本で落とし前をつけていれば、同じくエピソード4前夜を描いた『ローグ・ワン』のように、観終わったらすぐにエピソード4を見直したくなったろうに、この構成だとそうはならない。
 
結論として、普通に面白く、しっかりスター・ウォーズなのに、少なくとも現状はこれだけ宙に浮いた作品になっているのが、全体としてはどうかなというところです。

もちろん、この曲はサントラでも何でもないんですが、「ハン・ソロのソロって… こういうタイミングでこういう理由でこの人が名付けたんや!」と思って、お送りしました。

さ〜て、次回、7月12日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『虹色デイズ』です。キラキラ青春映画は久しぶりかな。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての忌憚なき感想Tweetをよろしく!

映画『空飛ぶタイヤ』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年6月28日放送分
『空飛ぶタイヤ』短評のDJ's カット版です。

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走行中にタイヤが外れる事故を起こしたトレーラー。宙を舞ったタイヤは歩道を歩いていた主婦を直撃して死なせてしまいます。警察はトレーラーの所有者である赤松運送の整備不良が原因だと推測して家宅捜索。整備ではなく車両の構造に欠陥があったのではないかと考える二代目若社長の赤松は、トレーラーの製造販売元に事故原因の再調査を依頼するものの、ホープ自動車販売部の沢田はその要求をつっぱねます。その間、沢田は社内に自分も知らない極秘事項があることに気づきます。他方、同じグループ企業のホープ銀行営業部井崎も、週刊誌の記者からホープ自動車について探りを入れられ、ずさんな経営計画とある噂を耳にします。それぞれが辿りつくのは、リコール隠しという大企業の不正でした。

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 2002年に実際に起きたタイヤ脱輪による死亡事故と、その後に発覚した三菱自動車の不祥事を下敷きにしたこの物語。原作は、『下町ロケット』や『半沢直樹』『陸王』など、これまで何度も作品が映像化されてきた池井戸潤が2006年に発表した同名小説。2009年にはWOWOWがドラマ化もしていましたが、池井戸作品としては実は初の映画化として、『超高速!参勤交代』の本木克英がメガホンを取りました。赤松運送の社長に扮するのは長瀬智也ホープ自動車販売部課長の沢田を我らがディーン・フジオカ、そして赤松運送・ホープ自動車双方と取引のあるホープ銀行営業部の井崎を高橋一生が演じています。他にも、笹野高史深田恭子ムロツヨシ岸部一徳小池栄子など、豪華キャストが揃いました。

超高速!参勤交代

公開2週目に入ったこの作品は、『万引き家族』に次いでの観客動員数2位をキープ。既に65万人を突破するヒットとなっています。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

僕も軽く驚いたのは、池井戸潤作品の映画化はこれが初めてだということ。今回ドラマ版の『空飛ぶタイヤ』を観て、その理由のひとつがわかりました。組織の力学の中で生きる個人が描かれているがために、登場人物がとても多い。積み重ねられたサイドストーリーが全体を少しずつ動かしていく群像劇です。
 
原作は文庫で900ページ。ドラマ版はトータル5時間ほど。これを2時間ほどの映画にまとめるのは至難の業で、脚本段階で相当の工夫が必要です。その点、『藁の楯』や『白ゆき姫殺人事件』で知られる脚本家、林民夫の大胆な仕事が光っていました。ドラマ版の良かった脚色も採用しながら、話の枝葉を相当刈り込んでます。自動車が万単位の部品で作られるように、この事件に関わる人物たちも大勢いるわけですが、映画版では、事件の直接的な原因となったハブのような存在として運送会社の赤松と自動車販売部の沢田を両輪に据えて、全体をトラックから軽自動車並みにシンプルな構造にしています。
 
中小企業vs大企業。直情型で泥臭い2代目社長と、旧財閥系で出世こそ生きがいのクールなエリート。とてもわかりやすい対立を最後まで真っ直ぐにぶっとく引っ張ることで、赤松の息子のいじめ、週刊誌記者の暗躍、警察の捜査などなど、刈り込まれた枝葉もイキイキと鮮やかになっています。だから、確かに2時間の映画にしてはこれでも登場人物は多めなものの、複雑でついていけないというほどではないというバランス。ただ、情報そのものはそれでも多いので、お話のテンポはかなり速い。当然、ひとつひとつのショット、シーンの持続時間も短めで、パッパと次へ次へ進みます。その分、これは尺の長いドラマ版ですらそう思ったけど、いわゆる説明ゼリフは多いです。みんなよく喋る。その意味でも、脚本の映画なんですね、これは。
 
本木監督としては、「人間を描きたい」んだという思惑があったようですが、今言った事情から、心理描写に時間は割けない。そこで、カット割りを工夫して、人物たちをかなり寄りで撮ってます。言外の想いは顔で語ってもらおうということでしょう。長瀬智也ディーン・フジオカを大写しで堪能できるという利点もあります。会話の場面では顔の配置にもバリエーションを作って飽きさせない工夫をしていました。
そういう意味で、幅広い観客を想定するエンタメとして、そつない作品にはなってるんですが、魅力ある役者たちの演技を引き出しきれていないことは指摘しておきます。演技が悪いんじゃなくて、パターンが少ない。一度出てきたら、あとはだいたい同じようなアクションになってしまっているので、ちょっとした仕草でもいいから変化をつけて深みを出してほしかったところ。だから、笹野高史ムロツヨシといった、ほっといても上手い役者の目立つこと!
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もう1点。昔ある放送業界の大物から、仕事は夜に動くんだと僕は言われたことがありますけど、食事のシーンが特にホープ自動車の面々は多かったですね。ここもバリエーションが欲しいんだよな〜。食べてるもの、食べ方、飲み方、あるいは食べてなさ、などなど、設定を活かしきれていない印象でした。
 
あと、CGも必要だったのかなっていう感じだったなぁ。走る凶器と化したトレーラーの怖さは、カメラのテクニックだけで見事に出せていたから、飛ぶタイヤはCGにしなくても… あるいは、空飛ぶタイヤそのものは見せなくても…
 
とか何とか、僕がこんなビッグバジェット映画に再撮影を依頼するようなことを言ってもしょうがないんですが、全体としては僕、楽しみましたよ。
 
池井戸作品ならではの痛快な逆転劇なんだろうと高をくくっていた僕ですが、人情の中小企業と非情の大企業という色分け、コントラストにとどまらず、キャラクターそれぞれを良いところもあれば悪いところもある多義的な、要は人間らしく結果的に感じさせる話です。「立場が人を作る」って物言いがあるけれど、その悪い面ですね、つまり僕らは家族や学校・会社などの組織とその論理・力学の中で、誰もが社会の部品として機能させられている虚しさや苦さを味わわせてくる。スカッとしたようでいて、そうでもなく、という苦い余韻は、事故現場に立つ赤松と沢田の表情にも表れていました。冴え渡る晴天のもと、冴えない顔を浮かべるふたりを、ドローンかクレーンで上から見下ろす演出も良かったし。ただ、そこから主題歌へ流れこむとこのカット割りがガタガタしちゃってたのが惜しいよなぁ。

四の五の言いましたが、面白い話なのは間違いないです。桑田さんの歌詞を引けば、「しんどいね 生きていくのは」(ちなみに、「生存競争」と書いて「生きていくのは」と読ませる、桑田さんならではの言葉遊び付き)ってな重いテーマをここまでわかりやすくエンタメ化できている大衆娯楽作として、僕はこの映画の肩を持ちたいと思っています。

 さ〜て、次回、7月5日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』です。これまた、スピンオフとはいえ、なかなかヘビーなのが来ましたぜ。マチャオ、がんばる。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての忌憚なき感想Tweetをよろしく!
 

『ワンダー 君は太陽』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年6月21日放送分
『ワンダー 君は太陽』短評のDJ's カット版です。

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スター・ウォーズ』が大好きで、将来の夢は宇宙飛行士。得意教科は理科。そんな10歳の男の子、オギーことオーガスト。どこにでもいそうな子どもだけれど、実はトリーチャー・コリンズ症候群を抱えていました。これは遺伝子の疾患によって、普通の人とは違う顔で生まれてくるというもの。オギーは、27回もの整形手術を経験しながら、ずっと自宅学習をしてきました。そんなオギーは、両親の決断によって、みんなと同じ学校へ通い始めます。これは、オギーの葛藤と成長、そして彼を取り囲む家族や友達との関係の変化を描いていきます。
監督は、スティーブン・チョボスキー、48歳。正直、あまり名前は日本では通ってないんですが、彼は作家、脚本家、映画監督と3つの仕事を横断しながら活動しています。YA、ヤングアダルト小説に分類される自分の小説を自分で脚本にしてメガホンも取ったのが、代表作『ウォールフラワー』。エマ・ワトソンが出てた青春映画で、サントラもすばらしかった。それから、脚本家としての代表作は、昨年公開の実写版『美女と野獣』ですね。
 
今回はアメリカの女性作家R.J.パラシオの原作小説をチョボスキーが脚本にして演出しました。オギーを演じるのは『ルーム』の演技もすばらしかったジェイコブ・トレンブレイくん。そのお母さんを、ジュリア・ロバーツが演じています。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

「難病もの」と呼ばれるジャンルがあって、そういう作品が「泣ける」と評判になることも多いですね。この「泣ける」っていう枕詞で注意したいのは、いわゆる「感動ポルノ」と批判される「お涙ちょうだい」演出に基づいた作品が混じってくるからです。なぜ批判されるかって、それは、映画だって芸術と言えど商売でもあるわけで、要は病気や障害を表面的に利用して金儲けするなよってこと。確かに、安っぽい感動を押し売りするものも結構あって、それに辟易した結果、「難病もの」を避ける人もいます。あと、単純に観ていて辛そうだからヤダ、みたいなね。
 
僕はこの『ワンダー』は、そうした批判には当たらない爽やかな映画だと思う。「君は太陽」という邦題の副題に僕は実は当初警戒したんです。君は眩しい存在だよ、みたいなね。子どもや障がい者を変に美化してしまうケースもありますから。見てみると、違いました。これは太陽系の比喩なんですね。太陽の周りには、色んな惑星があって、互いに影響を与え合いながら存在している。それを、オギーとその周囲の人間関係になぞらえたセリフから取ってるんです。確かにオギーは確固たる主人公ではあるけれど、実は母、姉、友達など、それぞれの名前を付けたチャプターに映画がゆるく分かれて進行していきます。意外にも群像劇だったわけなんです。だから、オギーに対してその周囲がどんなことを考えているのか、そして彼らにも彼らの人生、悩みが当たり前にあるってことが描かれる。
 
高校に入った姉は、幼馴染の大親友の女の子が高校デビューして急に口をきいてくれなくなって戸惑っていたり、母はオギーが生まれて以来、自分の修士論文を棚上げし続けていたり。オギーを中心に据えたこの物語は、あちこちで軋轢が生まれながらも、彼らがそれぞれにそのトラブルを想像力と工夫、そしてちょっとした勇気と優しさで乗り越えていく様子を見せるうち、オギーがそれこそ太陽のように人々の心を温めてるんだと教えてくれます。チャプター分けしてあることで、ひとつの出来事を別のアングルから見直すという映画的な語り口になるのも良かったです。
 
こうした構造なので、オギーの心理を深く拾いきれていないというのは、その通りです。でも、監督の狙いはそこじゃない。あくまで、オギーのような人物がいる場と人間関係、その磁場のようなものを捉えることで、人間というのは、「近寄ってみればみんなどこかおかしい」んだと相対化してくれているんです。見た目の違いは、そりゃ大きいけど、それだけが全てじゃないってことですね。オギーみたいな障害を持つ人を、英語でフェイシャル・ディファレンスと呼ぶそうですが、レベルは違えど、僕も80年代の日本で過ごした小学生時代、似たような想いとか悩みはありました。オギーは宇宙服のヘルメットをかぶってたけど、僕は阪神帽を目深にかぶってた。そういう目に付きやすい「しるし」でなくとも、多かれ少なかれ、みんな何かのディファレンスがあるわけです。でも、うまくやれば、だんだん一緒になって豊かな人間関係を育むこともできるって教えてくれています。
 
もちろん、本当はね、ここで描かれていないような苦労とか経済的な問題とか、トリーチャー・コリンズ症候群当事者にはあるはずです。そこに冷徹に焦点を当てる、たとえばドキュメンタリーだってあるべきです。だけど、この映画はもっと大きな視点で、僕たちが周囲に対して、be kind、親切に、やさしくあろうよ、そしてユーモアを大切にしようっていうことを訴えることを目標にしているから、これはひとつの入門として十二分に意義ある素敵な作品です。

さ〜て、次回、6月28日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『空飛ぶタイヤ』です。DEAN FUJIOKAさんが、折しも来週火曜日に番組出演。なんだけど、いつものように、あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての忌憚なき感想Tweetをよろしく!