京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年1月3日放送分
映画『シュガー・ラッシュ:オンライン』短評のDJ's カット版です。

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アメリカのとある寂れたゲームセンターに設置されたレトロなアーケードゲームの中で暮らすキャラクターたち。好奇心が旺盛なアクティブ・ガールにして天才レーサーのヴァネロペと、ゲームの中では悪役だけれど心優しきガタイのいいおじさんラルフ。ふたりは大親友です。ある日、レースゲーム「シュガー・ラッシュ」が故障するんですが、その部品はもう生産されていないとのこと。インターネット・オークションでなら手に入ると知ったふたりは、店に設置されたばかりのWi-Fiからネットの世界に飛び込み、部品探しの旅に出るのですが、そこには思いもよらない危険も待ち受けていました。
2012年に公開された前作『シュガー・ラッシュ』から6年。監督は前作から続投して、TVシリーズザ・シンプソンズ』、そして傑作『ズートピア』のリッチ・ムーア。アカデミーの前哨戦として注目されるゴールデングローブ賞では、『インクレディブル・ファミリー』『未来のミライ』『犬が島』など、このコーナーで短評した作品と並び、アニメ作品賞にノミネートしています。日本時間で今月7日の発表が楽しみな、ディズニーによる3DCGアニメ映画です。
 
ネットの世界に舞台が移るということで、ネットならではの小ネタ満載なんですが、予告でも登場していたように、白雪姫、シンデレラ、ラプンツェル、アナ、エルサなど、ディズニーのプリンセスたちが14人もお目見えするのが話題となっています。
 
続編ということで、前作を観ていない方は鑑賞に不安を覚えるかもしれませんね。基本的には特に深い予備知識がなくても楽しめる内容なので安心していただきたいのですが、ざっくりとテーマだけお伝えしておきます。ゲームというプログラミングされた世界で動くキャラクターが主体性を持ってはいけないのか?ってこと。僕たち人間もまた、社会において様々な役割が与えられています。もっと強い言葉を使えば、役割やふるまいが押し付けられることもある。それを乗り越えてはいけないのかどうかということを問いかけるお話だったと思います。たとえばラルフはゲームでは悪役だけど、ヴァネロペというわかりあえる友達がいれば、それでいいじゃないかという流れがありました。しんどい仕事があっても、世界はそれだけじゃない。世代や性別を越えた友情があってもいいなんて解釈もできる展開でした。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

今作で、ふたりの関係は次なる展開を迎えます。ここで効いてくるのが、ふたりの属性の違いです。年齢が離れていることで、友情というよりも親子に見えてくるんですよ。ヴァネロペは好奇心の塊ないたずらっ子。決められたコースを走り続けることに満足がいかなくなっています。対して、ラルフは前作で納得のいった自分の居場所とヴァネロペとの関係を維持したい。言わば、ラルフの保守とヴァネロペの革新が拮抗するわけです。それでも、心優しいラルフはヴァネロペのために特別なコースを作ってやったことが災いして、「シュガー・ラッシュ」は故障。ヴァネロペは役割と居場所を失うんですね。ふたりは親子関係だと僕は見立てましたけど、同じゲームの女子レーサーたちも居場所を失って、シューティングゲーム「ヒーローズ・デューティ」の女性キャラ「カルホーン軍曹」とフェリックスJr.のふたりが彼女たちを引き取ったら、子育てで一苦労というエピソードもありましたね。

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さあ、ラルフとヴァネロペ、この疑似親子はインターネットの中へ。この可視化されたネット社会が、はっきり言いますけど、この映画の一番の楽しみです。さすがはあの『ズートピア』を作り上げたひとり、リッチ・ムーア監督。今回もカオティックでありながら整理されていて見やすく、『レディ・プレイヤー1』的な小ネタ満載なので、何度も観たくなる。僕らが依存しているネットなので、あるある感が圧倒的。楽天AmazonSpotifyGoogle、eBayといったネット企業が実名で登場。Googleをゴーグル専門店だと勘違いしたり、eBayを聴き間違えてeBoyという男の子がいると思ってしまったり。ユーチューバー的におもしろ動画をバズらせてお金を稼いでみたり、いかがわしいポップアップ広告が出てきたりって、もう拾いきれません。ゲームも進化していて、猥雑な街をコース関係なく自由に走る「スローターレース」はゲーム「シュガー・ラッシュ」との対比もあって面白かったです。ヴァネロペがそこで憧れるシャンクという女性は、『ワイルド・スピード』に出てきそうな感じもありましたね。ここは、ヴァネロペが大人の階段を登ろうとしている、そのシンボルとして抜群でした。

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さらに、今やピクサー、マーベル、スター・ウォーズを傘下にしたディズニー帝国ならではのキャラたちも総出演。通底するのは、ネットやディズニーという巨大な虚構世界への風刺です。それをやってるのがディズニーというのが、懐が深いし、今っぽいし、余裕すら感じるし、とにかく最高です。特にプリンセスが一堂に会する楽屋シーンはやはり印象的でした。シンデレラはガラスの靴を砕いて武器にするし、白雪姫はポイズンってTシャツ着てるし、アナのTシャツには「JUST LET IT GO」って書いてあるし、もう大変です。しかも、単なる小ネタではなく、突然歌い出すミュージカルへのツッコミも入れつつ、ヴァネロペが子供から大人へ、そして自分の生き方を選択していくことになるきっかけにすることで、きっちり物語的な意味を与えています。
 
原題は『Ralph Breaks the Internet』です。お父さんなラルフは、娘のようなヴァネロペのために良かれと思って必死に行動するんだけど、それが裏目に出て暴走してしまいます。これは実際にネットでよくあることじゃないですかね。でも、ラルフはそこから学んでいきます。そして、ラストを迎える。具体的には言いませんが、ほろ苦い着地です。哀愁すら漂うんです。僕はそこに驚きました。ディズニーらしくないと思う人もいるだろうし。ただ、ネットの危険を描いてから、それでもネットの良さを見捨てず、現代的な親子の距離感、そして他者の尊重というところまで持って行ったことはとても評価できます。
 
インターネットの功罪と生き方の選択をテーマに、笑いと興奮をたっぷり盛り込んだ一級のエンターテインメント。ぜひ親子でご覧ください。


僕は吹き替えで観たので、主題歌の『In This Place』は、Julia Michaelsから青山テルマへと切り替わっていました。もうひとつ、Imagine Dragonsの既存曲がエンドクレジットで鳴るんですが、書き下ろしではないのに物語と適度にリンクします。カオティックな世界でどうバランスを保つのかを歌ったこの曲を採用するのは、なかなかセンスが良かったと思います。

 

さ〜て、次回、2019年1月10日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』です。難病ものということになろうかと思いますが、演技達者な大泉洋が笑いとペーソスをどんなバランスで混ぜてくるのか、確認してきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

イタリアの移民児童文学『ぼくたちは幽霊じゃない』書評

アルバニアから対岸のイタリアへ命がけで海を渡ったヴィキは,どんな困難なときも希望を失わなかった…(岩波書店サイトより)

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今年6月、イタリアは難民の人々を乗せたNGOの船『アクエリアス』の受け入れを拒否した。新聞等で目にされた方もいるだろう。ヨーロッパで移民・難民が社会問題となって久しい。本書は、命からがら故郷を後にした人たちが、イタリアに到着したあとどのように暮らしているのか、作者のファブリツィオ・ガッティが当事者へ取材し新聞に連載した記事を小説化したものである。イタリアでは2003年に、日本では『帰れない山』と同じく関口英子さんによって翻訳され、今年8月に岩波書店から出版された(レーベルは、海外のYA=ヤングアダルト小説を扱うSTAMP BOOKS)。

アルバニア出身イタリア在住の中学生ヴィキが、夏休みの宿題である作文に苦戦しているところから物語は始まる。タイトルは「古くて新しい世界―世界におけるヨーロッパ人、ヨーロッパにおけるEU以外の地域の外国人」。なんて難しいテーマなんだ、どうしてヨーロッパ人とEU圏外の人を分けるんだ?とヴィキと一緒に頭を抱えたくなるところへ「ぼくはヨーロッパ人なのかな?それとも幽霊?」という悩みが目に飛び込んでくる。私たちの驚きに応えるように、ヴィキは7歳のときの記憶をたどって語り始める。

 

アルバニアの祖父母との別れ、屋根もないボートでの渡航、イタリア南部から父親の待つミラノへの移動、再会、新しい暮らし。アルバニアのテレビで見たイタリアの暮らしと現実は、全く違っていた。しかし彼らに味方する大人たちと、「学校はすべての人に開かれる」と明記されたイタリアの憲法に守られて、ヴィキはイタリア人と同じように公立小学校に通い、自分らしくいられる場所をもつことができた。会話の描写が多く、まるで映画を観ているように、テンポよく読める。子どもたちの素朴な「なぜ?」「どうして?」という疑問に、両親や小学校の先生といった大人たちが、言葉を選んで丁寧に答えているのが印象的だった。陽気なイタリアのイメージを持つ人には驚きの内容ばかりだろう。けれど、イタリアに住む人たちがそれぞれの事情のなかで生きる力強さ、他人のために動く情熱、といった「人間の熱」を感じられることは確かだ。

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日本人にとっても「ヨソの国のこと」と無関心ではいられない。外国人労働者を積極的に受け入れていこうという法律が成立したからだ。家族と一緒に住みたい人も当然増えるだろう。残念ながら、労働環境の厳しさや文化の違いによる孤立感などから、行方をくらましてしまう人たちがすでに存在する。教育を受ける権利があるのに、学校へ行けていない外国人の子どもたちもいる。新たな幽霊を生まない、現実的な仕組みを日本は作っていかないといけない、と実感した。「旅に出るときには、なにかをあきらめる覚悟が必要だ」という、ヴィキのおじいちゃんの言葉には切なくなる。たとえ合法であっても、人情に頼るのは最終手段として、あらゆる覚悟をもってやって来る人たちを私たちも安心して迎えられるような社会にしたい。30歳くらいになっているであろう、本物のヴィキは、今もイタリアにいるのだろうか。

 

翻訳本の良いところは、当たりまえだが母国語で異国の作品を読めることだ。本書にはぜひイタリア好きの人以外にも、この効能を発揮してもらいたい。

 

(文:京都ドーナッツクラブあかりきなこ)

『アリー/スター誕生』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年12月27日放送分
映画『アリー/スター誕生』短評のDJ's カット版です。

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歌の才能に恵まれ、歌手として生きていきたいと願いながらも、業界では容姿が水準に達していないなどと言われてきたアリー。ウエイトレスとして働きながら、小さなバーでステージに立ち続けていました。ある日、彼女は世界的なカントリー・ロックスターであるジャクソンに見初められます。ふたりは共に曲を作って一緒にステージに立ち、アリーはそのままショービジネスの世界で一気にその才能を開花させて人気を博していくのです。一方、ジャクソンは持病である聴覚障害、アルコール依存、ドラッグの使用、そして自分の出自にまつわる精神的な不安から、アリーとは逆にだんだんと身を持ち崩していきます。ミュージシャンとして、そして恋人ととして、ふたりはどうなるのか。
ハリウッドの映画業界を舞台にした1937年のオリジナル版から、1954年、そして舞台を音楽業界に移した1976年と、これまで3度製作されてきた物語が、40年以上の時を経て4度目のリメイクです。原題はいずれも『A Star Is Born』。主演はご存知レディー・ガガブラッドリー・クーパー。そして、メガホンもクーパーが取っている他、彼は製作と脚本にも名前を連ねています。もともとは7年前にクリント・イーストウッドが監督をしてビヨンセを主演にするという企画としてスタートしたものの、紆余曲折の後、現在の座組に落ち着き、昨年春に撮影がスタート。これが、ブラッドリー・クーパーの初監督作となります。
 
クーパー、ガガ、そしてカントリーの大御所ウィリー・ネルソンの息子ルーカス・ネルソンが中核となって作り上げたサウンド・トラックは、全米・全英のチャートを含む各国で軒並み1位を獲得。映画ではアカデミー賞、音楽ではグラミー賞をうかがう、この冬一番の話題作と言っていいでしょう。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

前回のリメイクから40年以上経っているので、これが初めての「スター誕生」というリスナーが多いと思います。映画を観れば、これがいかに普遍的な話かということは理解できるし、その分、王道というか、ある程度は物語の行方も想像できるものです。それだけに今改めて映画にする難しさがあったことでしょう。企画が具体的に動き出すまでかなり難航したという事実がそれを裏付けています。上っ面をなぞるのではなく、いかに現代的に説得力を担保できるかが大事になってくるわけですが、その点でブラッドリー・クーパーレディー・ガガというコンビはとんでもない偉業を成し遂げたと僕はひっくり返りました。
 
先ほどまとめたあらすじからもわかるように、これはアリーだけの物語ではなく、あくまでジャクソンとのバランスですべてが成り立っています。アリーは右肩上がりに知名度を上げ、ジャクソンは右肩下がりに落ちぶれていく。スターにはスポットライトが当たるもの。本人の輝きが増せば増すほど、その人の輝きに負けじとばかり、スポットライトはより強く当たるもの。その光が強くなればなるほど、それによって生じる影もより濃く暗くなります。この物語は、アリーとジャクソンの光と影、その明暗のコントラストがどう逆転していくのかを克明にスクリーンに映し出します。その意味で、邦題はジャクソンを無視していて、僕にはどうもいただけないんですよねぇ。ま、措いときましょう。

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クーパーとガガのタッグがなぜこうも成功したのかと言えば、それはふたりの実人生がどうしたってオーバーラップするからです。ガガもアリー同様、クラブダンサーからフックアップされたわけだし、クーパーはアルコール依存を経験しています。そんなふたりが文字通り心身ともに役にのめりこんでいきます。一緒に作曲し、一緒に歌う。サウンド・トラックはすべて脚本と見事にシンクロしています。クーパーは音楽経験がなかったにも関わらず、ギターと歌唱のトレーニングを連日受けたと伝えられていて、ライブシーンは観客をCGにせずに大量のエキストラを動員。場末のスーパーの駐車場で深夜ふたりで共有した歌が初めてライブで披露されるシーンでは、僕は鳥肌を通り越して、思わず身震いしながら涙を流してしまいました。
 
たとえばテイラー・スウィフトが好例だと思いますが、カントリーからブレイクすると、ダンサーを従えてポップス路線に転向する。今作でもそんな流れがありました。ジャンルとしてのポップスを軽く見ているんじゃないかっていう批判がアメリカでは一部上がっているようです。僕も実は映画を観ながら、ちょっと首を傾げてしまった部分もあります。でも、アリーは自分を売り出す若いプロデューサーに対して毅然と振る舞って、決してマリオネットにはならないという姿勢を示しますよね。映画が進むにつれ、彼女は明らかに表現者として成長していくわけです。その意味で、僕はむしろ現代的な女性アーティストとしてのあり方を提示できていると思います。
 
序盤にジャクソンが歌う『Maybe It’s Time』という曲があります(上の予告動画で最初に流れるもの)。「古いやり方を葬る時が来たようだ」という歌詞。彼は古いミュージシャン像を体現していたとも言えますね。今回のリメイクでは、ジャクソンのバックグラウンドがしっかり示唆されたことでやるせないし悲しみが増すんだけど、理由はどうあれ、子どもっぽくて酒浸りでダメダメ。なんだけど、どう見たってかっこいい。かっこいいんだけど、落ちるところまで落ちる。その落ちっぷりは目を覆わんばかりです。何もそこまでってくらい。でも、だからこそ、ふたりの愛が哀しくも燃え上がって、ある種必然的なラストを迎えます。これも、古い表現者像を葬る『Maybe It’s Time』ってことかなと僕は解釈しつつ、そこまで含めて現代的なテーマにちゃんと落とし込めています。

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アメリカン・スナイパー』でイーストウッドの薫陶を受けたクーパー監督。手持ちカメラのぶれ。極端なクロースアップ。ガガの脱ぎっぷり。場面ごとの色使いの巧みさ。説明過剰にならない抑制のきいた演出。どれを取っても、立派でした。映画全体を俯瞰してみれば、クーパーという映画人のスター誕生です。あっぱれでございました。
 
って、我ながら褒めすぎたかなという思いもあるんですけど、それほどにクーパーに惚れ、彼の今後の活躍を願ってファンファーレを鳴らしたかったんでしょうね、僕は。

さ〜て、次回、2019年1月3日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『シュガー・ラッシュ:オンライン』です。「ディズニーがここまでやる!?」という噂は耳にしているし、予告でその片鱗は確認済み。期待が高まってきました。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『グリンチ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年12月20日放送分
映画『グリンチ』短評のDJ's カット版です。

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山間にたたずむ雪深いフーの村。人々は、クリスマスに向けてウキウキと準備を進めていました。村のそばにそびえる山の洞窟で暮らすグリンチは、愛犬マックスといつもふたりだけ。家族も友達もおらず、寂しい毎日を送るうち、すっかりひねくれ者の大人になっています。そんなグリンチにしてみれば、村中が幸せに包まれるクリスマス・シーズンは常に居心地も胸くそも悪いのです。どうにも我慢ならないグリンチは、村からクリスマスにまつわるものをあらいざらい盗んで憂さ晴らししようと思いつきます。その頃、村の小さな女の子シンディ・ルーは、サンタにある願いを叶えてもらおうと、とある作戦を実行に移そうとするのですが…
原作はドクター・スースが1957年に出した児童書『いじわるグリンチのクリスマス』。アメリカでは知らない人はいないというほど愛されている作品です。日本ではアーティストハウスという出版社から翻訳が出ています。覚えている人もいると思いますが、2000年に一度、ジム・キャリーの主演でまさかの実写映画化されていました。で、今回はそれをミニオン関連作や『SING/シング』『ペット』などで知られるイルミネーション・エンターテインメントが3DCGアニメで再度映画化しました。
 
グリンチの声を演じるのは、オリジナルだとベネディクト・カンバーバッチ。吹き替えでは、大泉洋。僕はその吹き替え版で鑑賞してきました。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

この作品を理解する上で、前提としてまずひとつお伝えしておくと、日本とアメリカではグリンチに対する思い入れが桁違いだということです。あちらでは、クリスマスなんて大嫌いなこのキャラクターが、面白いことに半世紀にわたってホリデーシーズンのアイコンになっているんですね。お話そのものもよくよく知られているわけです。原作の原題は“How the Grinch Stole Christmas!”。「グリンチはいかにしてクリスマスを盗んだのか?」という意味で、みんなそのHowの答えも知ってる状態だってことですね。
 
今回は絵本と2000年の実写版を基本的に踏襲。おなじみのお話を、イルミネーション独自の技術で今っぽくアニメ化しましたってことです。物語はいたってシンプルで、展開は王道です。何かの事情で反社会的な心情を持つにいたった主人公が、人のやさしさに触れて改心する。繰り返し描かれてきたテーマと流れですよ。この映画の場合、グリンチの妬み嫉み込みのひねくれっぷりを、彼の家と村でそれぞれ見せる。そこへ、孤独なおっさんグリンチときれいに対称を成す幼い女の子シンディ・ルーが登場。彼女は茶目っ気のあるやさしさの塊です。ふたりの接触してからは、それぞれの行動の動機が明かされて、それぞれのクリスマスを迎える。グリンチには心の変化が訪れる。

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イルミネーションとしては、愛されているグリンチというキャラクターそのものの魅力をアニメで表現することが最大の目標だったんだろうと思います。考えてみたら、ものすごくイルミネーションらしいキャラですよね、グリンチって。一昔前のディズニー的な優等生ではなく、社会のはみ出し者で謎めいていて、頭にくるんだけど憎めない。そういう毒っ気のある設定は、ミニオンやグルーがまさにそうです。ていうか、クリスマスを盗むなんて荒唐無稽な発想は、グルーが月を盗むってのと似てるじゃないですか。
 
グリンチの魅力をアニメで描き出すという狙いは、僕は見事に達成したと思います。毛並みや雪の質感といった繊細極まりないところまで克明に描き出す3DCGアニメとしてのハイレベルさはもちろん筆頭に上がります。加えて、ひねくれてはいるが発明家気質のグリンチが生み出す便利だけどどこか抜けていたり滑稽だったりするガジェットの多彩さ。山間だという設定を活かした、フーの村の立体的な演出。オープンもクローズもあっという間にできちゃうお店がいくつかありましたけど、あれも込みで、フーの村は飛び出す絵本のような楽しさがありましたね。そこで、キャラたちが大きくすばやく動くことで生まれるスラップスティックな身体を張ったギャグが大きな魅力となっていて、僕は見ていて、それこそ古いディズニーっぽさも感じました。とにかく楽しいです。

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ただ、物足りないという声が多く聞かれるのはなぜか。明らかに脚本の問題です。いくらなんでも、キャラクターの心理が表面的だし、その変わりようも唐突です。シンディ・ルーのシングルマザーにしろ、ヒゲのブリクルバウムにしろ、みんないいキャラなのに、バックグラウンドが描きこみ不足で、掘り下げがほとんどなし。ここは絵本の流れを踏襲しておこうっていう事情もよくわかるけれど、どうせやるなら『SING/シング』ぐらい練り込んでほしかったところ。

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一方、批判も多いナレーションですが、僕はわりと気に入ってます。絵本にはやはり優れたナレーションが似合うんです。オリジナルではこの天の声をファレル・ウィリアムスが担当。僕は日本語版の吹き替えはなかなか良かったと思います。言葉遊び満載の原文を、韻を踏み倒す日本語に翻訳された桜井裕子さんの仕事は素晴らしかったと思います。僕も翻訳家の端くれとして、かなり感心しました。
 
あと、オリジナルを現代版ヒップホップ風にアレンジした主題歌やイルミネーションお得意の挿入歌のチョイスもハイレベル。なんだけどなぁ…
 
ということで、アニメーションそのものと音楽的なアイデアについては、最高峰のクリスマス映画です。グリンチよろしくひねくれ者の僕みたいな大人も、最後には、「なんだかんだ面白いところがいっぱいあった」ということは認めてしまうはず。大きな画面でゲラゲラニンマリしながら鑑賞ください。

結局クリスマス礼賛じゃないかという見方もできるけれど、宗教色はないし、誰かのことを考えるやさしさに触れる行事なんだという解釈でひねくれ者の僕も落ち着きました。

さ〜て、次回、12月27日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『アリー/スター誕生』です。今年最後の短評は、話題沸騰の音楽映画。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『来る』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年12月13日放送分
映画『来る』短評のDJ's カット版です。

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関西のとある山間の出身で、現在は東京暮らし。絵に描いたような幸せな新婚生活を送る会社員の秀樹。ある日、勤務先にアポなしの来客があり、受付に出向いてみたものの、その姿が見えません。取り次いでくれた後輩は、「用事は知沙さんの件だ」と話していたと言うけれど、それは妻が身ごもっている、まだ秀樹と専業主婦の妻以外は誰も知らないはずの名前でした。その頃から、彼の身の回りでは不可解なできごとが起こるようになります。それでも、家族生活を謳歌しようとする秀樹は、イクメンを自称して育児ブログを開設。日々、その更新に勤しむのですが、2年後、超常現象に恐れをなした彼は、親友の民俗学者に相談し、オカルト系のライター野崎を訪問。紹介してもらったのは、霊媒師の血を引くというキャバ嬢の真琴。調査してもらったところ、秀樹に取り憑いている「何か」は、想像を絶するほど強大な力を持っていることがわかる。

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫) 

原作は、第22回ホラー小説大賞をデビュー作で獲得した、沢村伊智の『ぼぎわんが、来る』。監督は、『告白』や『渇き』で知られる中島哲也。企画とプロデュースは、東宝のヒットメーカー川村元気。会社員秀樹を妻夫木聡、その妻を黒木華、オカルト系のライター野崎を岡田准一が演じる他、小松菜奈松たか子柴田理恵伊集院光などが強い存在感を示しています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

先にホラー映画苦手な人に伝えておきます。全然大丈夫です。突然大きな音がしたり、画面に恐ろしいものが大写しになったりということは、ないわけではないですが、そのシーンでひっくり返って「もうやだ!」みたいなお化け屋敷的怖さを心配している人は、とりあえず杞憂です。むしろ、この映画はお化けやもののけよりも、人間の闇を描こうとしていて、僕はそこにこそこの作品が原作から化けきれていない理由がるとみています。
 
全体は3幕構成で、プロローグとエピローグがそれぞれ付きます。プロローグは、秀樹がまだ結婚前の妻を紹介がてら実家の法要に連れてくるというくだり。そこで示されるのは、かつて彼が小さな子どもだった頃、仲の良かった女の子が行方不明になったこと。その子から、彼は山の中に誘われ、そこで嘘つき呼ばわりされたこと。僕らは、その女の子が、やがて「来る」「何か」と密接に関わるのだろうと考えることになります。ホームページのあらすじにもあるように、その「何か」は声や姿形を自在に変えるらしいので、あるいはその女の子も、何かの化身なのか、それとも、何かの元凶なのか。どうしたって、想像してしまいますね。ところが、そのシーンで描かれるメインは、どちらかというと、金田一耕助的な、田舎の閉鎖的でこじれた人間関係や価値観に辟易する秀樹の彼女と、それを笑ってスルーする秀樹の姿。つまり、人間の醜態なんです。
 
で、1幕では秀樹が結婚して娘を授かり、2歳を迎えるまでの様子を彼よりの視点で見せるんですが、ここでも、超常現象は起こるものの、そしてそれは確かに不気味なものの、もっと印象が強いのは、秀樹という人間の醜悪さです。このあたり、中島監督の『乾き』でもそうでしたけど、妻夫木聡は好演してます。さらに、彼の周りにも、まあろくなやついねえなっていう、人間の表裏をまざまざと見せつける、現実版魑魅魍魎の世界。そうこうするうち、ある決定的な出来事がおこり、2幕では視点が別の人物に移りつつ、それまで脇役に見えた人をグイグイ巻き込みながら、3幕で大団円へとなだれ込む。

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当然、最終的にはその何かと対決ってことになるんだけど、原作はホラー小説なので、賞をもらってるぐらいだから、その何かについては源泉を遡るわけですよ。ところが、映画はですね、ものすごく予算をかけた対決シーンをお膳立てするのはするんですが、結構多くの人がポカンとする着地になっているんですね。もやもやする。すっきりしない。そういう声は僕の周りでも聞きました。そして、エピローグで美しいし悪くないんだけど、もうひとつ根拠の弱い着地をしてみせます。なんでこうなったんだろう。
 
監督のオフィシャルのインタビューに、こういう趣旨の発言があります。映画化のきっかけについて。「原作の登場人物が面白かったことに尽きる。ホラー映画を作ったんだという感覚は、正直自分にはあんまりない」。なるほど〜。これで合点がいきました。監督は、ホラー的な味付けこそすれど、ホラー映画にするつもりはない。対して、製作側としては、宣伝を見ればわかる通り、クリスマスに上映するホラーを狙っている。これは明らかに監督とプロデュース側のミスマッチかすり合わせ不足だと言わざるを得ないです。
 
監督のやりたかったテーマは、こういうことでしょう。昔も今も、子供たちがいかに大人たちからぞんざいにあつかわれているのか。その証拠に、それぞれの登場人物に、何かしら子供に対する原作上の強い負い目を与えています。それ自体は悪くないんですよ。虐待、育児放棄、また家族を支える社会の不寛容や無関心を描いた部分はそれなりに評価していますが、それをやりたいなら、はっきり言ってこの企画でなくてもいい。たとえは古いけど、どいつもこいつも笑うセールスマンにどーーーーーん!なんて喰らうっていうブラックユーモアでも成立するじゃないですか、お化け出さなくても。 

笑ゥせぇるすまん [完全版] DVD-BOX

結果として、ホラー部分がどうしても副次的に見えてしまうし、作品としてホラー演出に落とし前がつけられなくなった、いびつな作品になっていると僕は考えています。
 
ただ、見どころ、笑いどころ、考えどころ、痛々しさ、など、いいシーンもたくさんあるので、あなたもどうぞ、劇場でご確認ください。僕は原作を読みたくなりました。
放送では、挿入歌となっていたButterfly / 木村カエラをオンエア。この曲がかかっていたシーンも含め、CM出身の中島監督は、あの手のキラキラしているけれど、それが虚飾に満ちているのだと感じさせる描写が特にうまいです。そして、とにかく岡田准一のカッコ良さよ。僕は好きなんですよ、岡田さん。今回はビビりまくる演技という新しい側面も拝むことができて眼福でした。


さ〜て、次回、12月20日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『グリンチ』です。「クリスマスなんて大嫌い」な彼が、最後にはクレイジーケンバンドばりに「なんちゃって」と言えるのか、チェックしてきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

山岳文学の新しい峰『帰れない山』

不定期に行っている習慣、本屋パトロール。より目を光らせる海外文学の棚で見つけたのが、新潮クレスト・ブックスから10月末に出た『帰れない山』。著者はパオロ・コニェッティ(Paolo Cognetti)。僕と同い年の1978年、ミラノ生まれ。はて、どこかで見た名前だ… 

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)

 

 そうだ! イタリアの直木賞と言われるストレーガを2016年に受賞した作品じゃないか。『帰れない山』という邦題と「八つの山」(Le otto montagne)という原題がうまく結びつかなかったけれど、そうか、邦訳が出たんだ。訳は旧大阪外国語大学(現大阪大学国語学部)の先輩であり、書籍に映画にと翻訳家の第一線で活躍されている関口英子さん。信頼できる。ためらうことなくレジへ急いだ。

 

その日、勤務しているFM802で自分のロッカーを開けると、関口さんから謹呈いただいた同書が届いていて苦笑したけれど、とにもかくにも読書という名の山ごもりを僕も始めることにした。

 

ピエトロと山好きの両親は、ミラノに暮らす3人家族。彼らは夏休みをモンテ・ローザというヨーロッパ・アルプスで2番目に高い山の麓の寒村で過ごしていた。そこで親しくなるのが、村育ちで畜産農家の息子ブルーノ。違ったバックグラウンドを持ちながらも、沢や森で一緒に遊んでは親交を深めた少年時代。ピエトロの父に連れられて3人で登った雲上の峰々。ところが、反抗期にピエトロは父と反りが合わなくなり、だんだんと両家の人間関係の力学が変化していく。それから20年ほど。都会に出て映像作家になったピエトロは、父の死を経て、ブルーノと再会を果たすのだが…

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父と息子の関係。友情。そして、新しい家族。彼らの人生を語るうえで取っ掛かりになる、クライミングで言えば、人生のホールドになるような出来事を中心にエピソードが綴られていくものの、決してダイナミックな展開で読者をアッと言わせるような小説ではない。登場人物はごく少なく、だいたいが寡黙。その分、彼ら/彼女らの心理は、繊細かつ丹念な自然描写が補うようにして透かせて見せる。アルプスの山も大事な登場人物なのだ。

 

特に前半は作者コニェッティの自伝的要素が色濃いらしい。確かに、経歴に目を通すと、一致するところも多い。繰り返すが、僕は同い年。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属してあちこちの山に登り、大学院では映像制作に夢中になった。挫折も経験しながら、30代にラジオDJの道へと進み、40歳を前にこじれた関係だった父を亡くした。主人公ピエトロと一致する要素がとても多いので、途中からは、これからどうなることかと気が気ではなかったが、切なさとやるせなさ、そして一抹の爽やかさが立ち込める読後の余韻は、これまで味わったことのないものだった。

 

山は川や湖、海などの水辺に置き換えてもいいだろう。あなたにありありと様子を思い出せる自然があるのなら、そこがこの物語の舞台だ。青春時代と、やがて来るイノセンスの終わり。そしてそれをずっと見つめるかのように佇む山々。僕らを包んで安らぎをくれるかと思いきや、頑とした厳しさで命を奪いかねないこともある。僕がふと思い出したのは、サザンオールスターズの『山はありし日のまま』。原由子が歌う、山に生きた友の死を悼む歌だ。

キラーストリート(リマスタリング盤)

訳者の関口さんは、あとがきによれば、奥多摩山麓に長くお住まいだそうで、そこでお子さんを育てられたのだとか。訳しながら、その記憶も参照されたことだろう。読んでいると手で直に触れられそうなコニェッティの自然描写を、日本語ですらりとすくい取る見事な仕事をされたと思う。邦題が関口さんのアイデアによるものなのかは不明だが、後半で明らかになってくる「帰れない」という言葉の意味を考えると、原題よりも味わい深いくらいだ。

 

作家としてのキャリアにおいて、どちらかというと短編に重きを置いてきたパオロ・コニェッティ。他の作品も手にとってみたい。

『くるみ割り人形と秘密の王国』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年12月6日放送分
映画『くるみ割り人形と秘密の王国』短評のDJ's カット版です。

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今週月曜日に、ドイツ・クリスマスマーケット大阪2018をご紹介しましたけれども、そのドイツのクリスマスに欠かせない実用品であり民芸品でもあるくるみ割り人形。19世紀前半、文学・音楽・絵画・法律などマルチに活躍したホフマンが執筆した『くるみ割り人形とねずみの王様』で広く知られるようになりました。それが19世紀後半にはチャイコフスキーの音楽によるバレエ作品『くるみ割り人形』となり、そのメロディーとともに世界中で時を越えて愛される物語となりました。これまでも何度か映画化はされていたんですが、今回はディズニーということで、2018年のクリスマス映画として注目が集まっています。
 
舞台は19世紀後半のロンドン。愛する母を亡くして心を閉ざしていしまっていたクララが、クリスマス・イヴに形見として受け取ったのは、卵型の入れ物。「あなたに必要なものはすべてこの中にある」と書いてあるものの、ロックされていて鍵が見当たらない。科学技術好きで博識のおじが主催するクリスマス・パーティーに家族で参加したクララは、鍵をくわえたねずみとフクロウにいざなわれるようにして、屋敷の中からいつの間にか不思議な世界へ。そこは、花の国、雪の国、お菓子の国、そして謎めいた第4の国からなる秘密の王国。そこでプリンセスと呼ばれ、亡き母がその王国を創り上げたと知ったクララ。出会ったくるみ割り人形と共に、鍵を取り戻す冒険を始めます。

ギルバート・グレイプ [DVD] 僕のワンダフル・ライフ (字幕版)

監督は、名匠ラッセ・ハルストレム。『ギルバート・グレイプ』や『ショコラ』で知られるスウェーデンの監督ですが、僕のCiaoでの短評ではやはりディズニーの『マダム・マロリーと魔法のスパイス』、そして『僕のワンダフル・ライフ』を扱い、どちらも高く評価しました。監督はもうひとり、『ジュマンジ』などのジョー・ジョンストンが、どうやら途中からのサポートのような形で参加していて、ふたりのクレジットになっています。
 
クララを演じるのは、『インターステラー』で娘の幼少期を担当したマッケンジー・フォイ18歳。キーラ・ナイトレイヘレン・ミレンモーガン・フリーマンがそれぞれ印象的な役で登場する他、世界トップクラスの黒人女性バレエダンサーであるミスティ・コープランドの舞も堪能できます。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

ピクサースター・ウォーズ、マーヴェルを取り込み、CGたっぷりの映画で王国を築いているディズニーですが、こちらはむしろ手法としては昔懐かしいものでした。もちろん、CGもたくさん使っているものの、あくまでその役割は補助的なものであって、大事なシーンでは大規模なセットを組み上げ、贅を尽くした衣装を役者にまとわせて、うっとりとさせてくれます。それから、ぜんまいや歯車のようなアナログな技術がたくさん登場するのも楽しいところでした。舞台は19世紀末です。つまりは映画という技術が生まれた頃でもあります。監督はそのあたりを意識しながら、人間のイマジネーションと科学が新しいもの、魔法のようなことをクリエイトするのだというメッセージを打ち出しています。冒頭、屋根裏部屋、クララがピタゴラスイッチ的な機械を弟に披露していましたよね。そこにネズミがちょこちょこ走る。カメラを誘導するのは、知恵のシンボルであるフクロウ。作品を貫くモチーフを早速出しながら、母を亡くしたことで閉じこもってはいるけれど、受け継いだ聡明さは失わずにいるという主人公クララの紹介もさらりとやってのける的確なオープニングでした。

リメンバー・ミー (字幕版)

他にもメッセージはいくつも、そしてはっきりと観客に伝わります。何事も見た目や先入観に騙されてはいけないこと。自分に自信を持つことの大切さ。知識とそれを活かす勇気が身を助けること。『リメンバー・ミー』的な思い出の尊さと、そうした愛しい記憶を音楽が深めてくれること。女性たちや黒人といった、ともすると現実の19世紀末には軽んじられたり虐げられたりしていた人たちも、今や平等に活躍できるのだよという、ここ10年ほどでディズニーが確立したリベラルな価値観。ハンサムなくるみ割り人形は黒人でした。クララはプリンセスと呼ばれながらも、くるみ割り人形に助けられるのを待つなんてことはせず、当初は部下である彼に命令を下すわけですが、続いてクララ自身も軽やかな身のこなしで冒険と戦闘の先頭に立ち、やがては上下関係もほどけていく。支配欲や、防御ではなく攻撃を目的とした武力の虚しさ…
 
やはり、ファンタジーであり童話なので、こうした教訓をはっきりと盛り込むのは良いと思います。古い話を今語るならこうでなきゃっていう、アップデートのうまくいった好例と言えます。ここで無闇にラブロマンス的なものを入れないのも懸命な判断でしょうね。

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一方で、ここからは僕が満足できなかった要素を指摘しますが、お話そのものが膨らみきっていないんです。直線的でテンポも良くて、見せ場もハイライトもあるんですよ。なのに、何だかお話としては物足りない気がする。理由はふたつ。せっかく4つある王国と、その中心にある宮殿を端折りすぎているのがまずひとつ。だって、雪の国と花の国なんかほとんど出てこないんだもの。僕としては、予告を観ていて、4つのエリアをお遍路のように、あるいはディズニーランドのアトラクションのように、巡っていくもんだと思いこんでいたので、これには拍子抜けしました。そして、もうひとつは、冒険が実にあっけないこと。日本語で王国と訳してあるわりに、第4の国なんて、確かに謎めいてるけど、あれじゃ狭すぎるでしょうよ。クララの頭がいいってのはわかるけど、解決策をすぐに思いついちゃうのも問題ですね。水車のくだりなんて、僕のおつむが弱いからか、なんでそこまでしなくちゃいけないのかわからないってくらいに、とにかくあちこちコンパクトにしすぎているので、感じるカタルシスが弱くなるし、クララの成長にもインパクトを与えきれなくなっています。
 
ただ、子どもと一緒に観るクリスマス映画として、100分という尺はちょうどいいし、圧巻のダンスの美しさも味わえるし、科学への興味や普遍的な倫理観は養えるし、僕みたいなおじさんがくさすのはほどほどにすべきだぜって意味で、この冬間違いなくオススメの1本です。


イタリアが世界に誇るテノール歌手アンドレア・ボチェッリとエド・シーランのデュエットをオンエアしました。ボチェッリは息子さんと主題歌を英語で歌っていて、そちらもかっこいいのですが、今日はエドの来阪ニュースも交えてPerfectをチョイス!


さ〜て、次回、12月13日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『来る』です。ダメだって、ほんとに。噂の傑作『へレディタリー/継承』もためらっているのに、『来る』が向こうから本当に来ちゃったよ。は〜。そんな僕のビビリはほっぽって、あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!