京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ようこそ、大統領!』をNetflixで観てみよう

どうも、僕です。野村雅夫です。ここ20年ほど、日本で公開されているイタリア映画は、主にゴールデンウィークのイタリア映画祭でまずお披露目され、その中のいくつかが劇場公開、そしてソフト化という流れがありました。ただし、数年経って廃盤になったDVDは入手しづらくなったり、そもそも公開から漏れている作品もあったりというのが実情でした。

 

Netflixなどの動画配信サービスは、そうしたイタリア映画をめぐる状況をこれから変えていくことになるやもしれない。オリジナル・コンテンツもありますしね。ま、これは別にイタリア映画に限ったことではないわけですが、とにかくそう思っています。

 

そこで今回は、5年前のイタリア映画祭で上映され、今のところはNetflixで独占的に観ることができる映画『ようこそ、大統領!』について、クルーラーこと有北雅彦くんが文章をしたためてくれました。どうぞ!

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いきなりだけど、イタリアにこんなバルゼッレッタ(笑い話)がある。

ピエリーノがお父さんに聞いた。

「パパ、政治って何?」

「よし、例を挙げて説明してやろう。お金を稼いでいるパパは資本家というものだ。お金を管理しているお母さんは政府だな。メイドさんは労働者。やがて社会人になるお前は国民だ。生まれたばかりのお前の妹は国の将来だ。わかったかい?」

 

その日の夜中、妹が泣き出した。ピエリーノはお母さんを起こしに行ったが目が覚めない。そこでメイドの部屋に行くと、お父さんがメイドとベッドインしていた。ピエリーノは言った。

 

「政治というものがよくわかったよ。国の将来が困ってるというのに政府はバカみたいに寝てる。資本家と労働者は義務を果たさないで遊んでいて、国民が助けを求めても誰も相手にしてくれない。だからイタリアはこんなにメチャクチャなんだ」

こんなふうに、しばしばイタリアの政治は笑い話のネタになる。イタリア映画『ようこそ、大統領!』(Benvenuto Presidente!)は、そんなイタリアの政界を舞台にしたコメディー映画。2014年のイタリア映画祭で日本で公開され、現在はNetflix (ネットフリックス)で観ることができる。監督は『これが私の人生設計』などでも有名なリッカルド・ミラーニだ。

これが私の人生設計(字幕版) 

ピエモンテ州のとある田舎の村で図書館職員として働く中年男、ジュゼッペ・ガリバルディ(愛称ペッピーノ)。各政党の政治的駆け引きで大統領の選出が困難を極める中、運命のいたずらで彼が大統領に選出されてしまう。法令や様式にも疎く、いかにもな田舎の陽気なオッサンである彼だけど、持ち前の誠実さと人柄で、さまざまな政治的課題に取り組んでいく。

 

多数の政党が入り乱れる現実やマフィアの暗躍といった、イタリアの政治における問題点を提示しつつ、彼が活躍するさまが痛快だ。裏社会の刺客にもひるむことなく、ブラジル大統領や中国の首席などとも個人的な人間関係を築いて、壊滅的な債務処理問題を次々と成功させていく。人と向き合って深く関わるからこそ、問題を解決できるというメッセージにはとても共感できる。

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日本ではいま、「凪のお暇」が人気。空気読んでばかりで思うように振る舞えないOL大島凪が、空気を読みすぎたストレスが爆発し、仕事も恋もすべての人間関係を断ち切って人生をリスタートさせる……というストーリーだ。第22回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞など受賞、黒木華主演で現在、ドラマ化もし絶好調のようだ。

 

「凪のお暇」では、ヒロインの凪と、その元カレ・慎二、このふたりの視点をメインに物語が進行する。現在進行形の状況に加えて、過去にふたりがつきあっていた時、ひとつの物事に関して二人がどうとらえたか、どう感じていたか、というのがとても緻密に描かれる。恋愛ドラマにすれ違いは必須の要素だけど、この物語では特に、「空気読みすぎ」「他人と深く関われずに表面的なつきあいをしてしまう」という現代の病が、徹底的にふたりを遠ざけてしまう展開になっている。「ごめんね」「誤解なんだ」の一言を言えれば、あの物語は次回にでも完結するんじゃないかな。 

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現代は常にSNSに監視されてる。他者の視点、他者の評価をダイレクトに感じられる環境が整ってるんだね。その弊害で、空気を読みすぎる、道を外れるのを怖がる、といった病が特に若い世代に蔓延してると感じる。

 

その空気は、『ようこそ、大統領!』で描かれる、多数の政党の思惑と裏社会が入り乱れ、閉塞感が蔓延するイタリアの政治に通じるところがある気がする。ペッピーノは人と真っ正面から向き合うことでその状況を打開した。その心のあり方は、日本の社会でも今、必要とされてるような気がするね。

 

そういえば、かつて女性スキャンダルに事欠かないイタリアの元首相、シルヴィオ・ベルルスコーニについて、こんなニュースが報じられたことがあった。

 

【美人議員をナンパして妻にキレられ、全国紙に謝罪文を発表】

 

「世界で最も美しい閣僚」とも評されたマーラ・カルファーニャ(写真)を「わたしが未婚なら、すぐにでもきみと結婚する」などと口説き続けていたことに、夫人の堪忍袋の緒が切れ、夫人への公開謝罪文を発表する騒ぎになった。バルゼッレッタを超えた醜聞を提供してくれるところが、さすがベルルスコーニだ。

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親愛なるヴェロニカへ。許して欲しい。こうやってみんなの前で謝っていることが、きみへの愛の証だ。仕事、政治、様々な問題、出張…プレッシャーの毎日だった。クレイジーな日々だったんだ。きみにもわかるだろう。きみの尊厳は、そのこととは一切関係がない。私の口が軽はずみなジョークをまくしたてる間にも、私はきみの尊厳を第一に考えている。でもこれだけは信じてほしい。プロポーズはけっしてしていないということを。シルヴィオより。

 

ここまでスケールのでかい「ごめんね」になると、話が終わるどころかふくらみすぎて大変だ。彼にはもうちょっと空気を読んでもらいたいね。

 

文:有北雅彦

『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年8月8日放送分
映画『ワイルド・スピードスーパーコンボ』短評のDJ's カット版です。

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2001年、21世紀とともに始まった『ワイルド・スピード』シリーズ。英語では、『The Fast and the Furious』1本も観ていないという方も、何となく、カスタマイズしまくった車をストリートでガンガン走らせる屈強な男たちとグラマラスな女たちの話っていうイメージくらいは、ポスターからも受けると思います。これまで8本公開されていまして、ざっくり言うと、人気も評価もだんだん上がってきているという、珍しいシリーズです。ただ、もはやどっちの車が速いか、どちらのハンドルさばきが巧みかとか、そういう話ではもう無くなっていまして、ここのところは登場人物が世界の危機を救ってます。車も使うアクション映画って感じです。で、今回は初めてのスピンオフです。元FBI特別捜査官で、ドウェイン・ジョンソンが演じるルーク・ホブス。そして、もともと敵役だった元MI6エージェントで、ジェイソン・ステイサムが演じるデッカード・ショウを主役にしたバディものになっています。なので、原題は、『Fast & Furious Presents: Hobbs & Shaw』。シンプル。スーパーコンボなんてどこにも書いてないんだけど、半笑いにさせてくれる邦題としては成功していますね。

ワイルド・スピード - スカイミッション (字幕版) ワイルド・スピード ICE BREAK (字幕版)

今回、ホブスとショーの元には、行方をくらませたMI6の女性エージェント・ハッティを保護してほしいとの協力要請が、それぞれ政府から入ります。ショウの妹でもあるハッティは、人類に甚大な被害を及ぼす新型ウィルス兵器をテロ組織から奪還したものの、その組織を率いる超人的なサイボーグのブリクストンに襲撃され、ウィルスと共に消息を絶っていたのです。ホブスとショウは、もともといがみ合っていたふたり。こいつとだけは組みたくないと罵り合うものの、事態の深刻さを鑑みて、しぶしぶながら依頼を引き受けます。ただ、メディア操作もできるテロ組織は、ハッティ・ホブス・ショウの3人をテロリストだと見せかける工作をしたもんだから、さあ大変。
 
ドウェイン・ジョンソンジェイソン・ステイサムの他に、ヴァネッサ・カービーがハッティ、イドリス・エルバがブリクストンをそれぞれ演じます。また、ヘレン・ミレンエイザ・ゴンザレス、さらにはノンクレジットですがライアン・レイノルズも出演しています。

ジョン・ウィック(字幕版) アトミック・ブロンド(字幕版)

監督はデヴィッド・リーチ。『ジョン・ウィック』『アトミック・ブロンド』など、僕の好きなアクション映画を撮っているスタントマンのデヴィッド・リーチ。そして、脚本は『ワイルド・スピード』シリーズ常連のクリス・モーガンです。
 
それでは、制限時間3分の短評、そろそろいってみよう!

当たり前のようにさっきも使ったバディという言葉。仲間、相棒という意味ですが、この作品はそのバディもののお手本とも言えるキャラクター配置をしています。そして、ワイルド・スピードらしいカーアクション要素と、ファミリーの大切さという一貫したテーマを押さえつつ、デヴィッド・リーチ監督ならではの狭いところでの格闘という要素も盛り込んであります。これだけ盛りに盛っているので、ついつい笑っちゃうスーパーコンボという邦題も、映画を観終わる頃には、確かにこれは言い得て妙だと思えてくるんですよね。というわけで、相変わらずのむちゃくちゃな展開なんかもあるっちゃありますが、スピンオフとしての成功を超えて、シリーズ全体でも屈指の満足感、満腹感が味わえる1本であることは間違いないです。

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ひとつひとつ、整理しますね。まずはバディもののお手本だという点。バディものは、最初から仲が良かったら面白くないわけですよ。水と油っていうようなふたりが、なんだかんだと揉めながら、仕方なく一緒に何か作業するうちに、あれよあれよと協力しちゃう。そして、「お前ら、名コンビやないか!」となる。 こういうのが盛り上がる展開です。今回もそれを踏まえた作りになっていて、冒頭から画面をふたつに割って、ホブスとショウの1日の行動を同時に見せていましたよね。あれはうまい。LAとロンドン。パジャマ、朝食、トレーニング、乗り物、悪いやつを懲らしめるまで。ふたりの性格と手法の違いと、実は似通っている価値観を、同じ行動で見せていきます。しかも、これはシリーズの利点ですが、ふたりはこれまでもいがみ合っていたわけなんで、巡り合ってからの仲違いがまた桁違いに面白い。ここはね、ガラス張りの部屋でふたりとも罵り合うんですよ。言葉のボクシングを展開する。今回はお喋り野郎『デッドプール』でお馴染みのライアン・レイノルズも出演していましたが、この子どもの喧嘩的な罵倒の押収も加わっていて笑えます。考えたら、今ハリウッドで一番儲けているかもしれないドウェイン・ジョンソンも、最近は『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』で見せたような、行き過ぎた筋肉キャラを活かしたコミカルな演技も得意になってきていて、そうしたコメディー要素もきっちりシナリオに入れてきた脚本家クリス・モーガンの手腕が光っています。

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続いて、カーアクション。特にロンドンでのバイクとスポーツカーのチェイスシーンはすごかったですね。あそこは、ショウの運転技術が大車輪の活躍。道を塞がれたトレーラーの下に潜り込んでいくところなんて、声を上げそうになりました。あとは、やはりサモアでのヘリとトラックたちによるチェイス。このシリーズの魅力は、マジでやるっていうとこですけど、ヘリもCGではないですから。低空飛行させて、車も走らせて撮ってます。もはやミッション・インポッシブルの世界です。そこでの「ニトロだ!」は、シリーズファンとして、待ってました感もあって盛り上がります。
 
でも、今回のスピンオフで重きがおかれたのは、むしろ、デヴィッド・リーチ監督が得意とする、狭いところでの格闘ではないでしょうか。武器はなくとも、その場にあるものなら何でも使って相手を倒すというアイデアと、それをかっこいい動きとしてみせるリーチ演出はさすが。このあたりは、特に女性のハッティや、ガタイの良さではホブスに負けるショウにいい場面がたくさんありました。

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最後に、ファミリーの美徳。ショウにとっては、これは妹を救うミッションでもあるわけだし、獄中の母親まで出てくるんで、まさに家族の話。そして、ホブス側は娘との会話から始まり、やがては故郷サモアでの大家族との再会+出自の謎が明かされるという展開。そして、バディものの約束として、水と油のふたりが融和していくというファミリー感。こう並べると、シリーズでもテーマの掘り下げはトップクラスです。
 
ただ、苦言を呈するところもふたつあります。ブリクストンのサイボーグっぷりが行き過ぎてて、ひとりだけアベンジャーズの世界からやってきたみたいなんですよ。さすがにちょいと浮いてました。あとはやっぱり、尺ですね。2時間15分はさすがに長い。酒を飲んだり、大移動したり、口喧嘩したりっていう部分を刈り込みつつ、カーアクションももう少しタイトに見せれば、あと10分は短くなったでしょうから。
 
極端な話、シリーズにここから入るのもありっていうスピンオフですので、一定以上の面白さはしっかり担保された1本として、あなたも安心して劇場でどうぞ。


挿入歌からラジオヒットが生まれるような感じではないものの、サントラ全体としては今回も充実していましたよ。番組では、僕の好きなAloe Blaccによるこの曲をオンエアしました。


さ〜て、次回、2019年8月15日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ライオン・キング』です。超実写版っていう触れ込みですが、それが一体何のか、正直あまりピンと来ていないので、この目で確かめてきます。ちなみにミュージカルに疎い僕は、お話はよくわかっておりませんが、ファンはすごく多いですよね。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『ペット2』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年8月1日放送分
映画『ペット2』短評のDJ's カット版です。

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ニューヨークで一人暮らしの女性ケイティーと暮らす小型犬のマックスとフサフサの毛をした大型犬デューク。ある日、散歩中に出会った男性チャックと恋に落ちたケイティーは、結婚してリアムという息子を出産します。家で主役の座を奪われたマックスはしばらく戸惑うものの、歩き始めたリアムとしだいに打ち解け、今度は人一倍、いや、犬一倍、リアムの一挙手一投足を心配そうに見守る過保護な親のようになります。ただ、行き過ぎた心配性が仇となり、そのストレスで動物病院に連れられた彼は、首にエリザベスカラーを装着されます。そんな折、家族で田舎の農場へ旅行へ出かけるのですが、マックスがそこでどんな試練を受けるのか、そしてマックスが留守の間、ニューヨークのペットたちも騒動を起こしてしまいます。うさぎのスノーボール、でっかい猫のクロエなど、前作で活躍したキャラクターに加え、農場の猟犬ルースターやサーカスのホワイトタイガーであるフーなど、新しい動物たちも登場します。

怪盗グルーのミニオン危機一発 (吹替版) SING/シング【通常版】(吹替版)

「怪盗グルー」シリーズや名作『SING/シング』で知られるイルミネーション・エンターテインメントが贈る動物たちのドタバタコメディ、2016年に続く第二弾となります。原題は“The Secret Life of Pets”なので、「知られざるペットの生態」ってな感じでしょうか。監督は前作に続いて、クリス・ルノー。脚本家も続投です。字幕版では、新キャラである猟犬ルースターの声をハリソン・フォードがあてていることで話題を作りました。
 
僕は吹替版で鑑賞しました。前作に引き続き、マックスとデュークのコンビを、それぞれバナナマン設楽統(おさむ)と日村勇紀が演じています。ちなみに、ルースターは内藤剛志ですね。
 
そして、今回併映される短編作品は『ミニオンのキャンプで爆笑大バトル』です。
 
それでは、金魚以外のペットを飼ったことがない僕がどう観たのか。制限時間3分の短評、そろそろいってみよう!

ディズニーやピクサーと比較してみた時に浮かび上がるイルミネーションの大きな特徴は、とにかくキャラクターの魅力を突き詰めているってことです。しかも、行儀のよろしくない、決して模範的ではないキャラを好むわけです。グルーは泥棒だし、そもそも得体のしれないミニオンたちは悪党に仕える。グリンチは天下一のひねくれもの。『SING/シング』の劇場主でコアラのバスター・ムーンですら、夢を見るのはいいけど、だいぶ問題のある奴ですからね。まともな奴なんて出てこない。キャラクターの破天荒さ、悪さ、常識を軽々と超えていく痛快さに、僕たちはフィクションとして、また現実を突き抜けるアニメーションとしての快楽を覚えているんだと思います。
 
前作の『ペット』もまたその典型で、飼い主が家にいない間に動物たちがしでかす(人間にしてみれば)悪行を、スクリーンという蚊帳の外から、対岸の火事として見物するという構図がヒットの要因でした。『SING/シング』でも発揮されていた、各動物たちの実際の習性や人間側のイメージをそれぞれのキャラクターに戯画化して織り込んであるので、動物「あるある」や「ありそう」ってなネタで笑いのジャブを打った後、それをひねってエスカレートさせて盛り上げを作っていました。

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では、続編となる今作はどうか。大きな変化がふたつあります。その1は、リアムという子どもが登場したこと。その2は、ニューヨークから外へ出ること。それぞれ検証しましょう。
 
まずは子どもから。彼がいることで、面白いことに『トイ・ストーリー』っぽくなるんですよね。もともと、「人間の暮らしに密着しながらも人間の感知しないところで、コミュニティーが形成されているとしたら…」という着想は似ている両シリーズですが、リアムくんを心配して手助けしてやろうという小型犬マックスの行動も感情も、ウッディーに似ているわけです。しかし、現実にはウッディーはおもちゃであって、マックスは生き物。ウッディーのように、自分の存在意義はどこにあるのかといった実存的な問いをマックスがすることはなく、ただただ心配が積もり積もって医者に診てもらうというギャグにサラリと落とし込んであります。ただ、うまいなと思うのは、本来の住処とは言えないニューヨークという大都会で動物たちが暮らすと、これに限らず環境負荷によるストレスってペットは抱えちゃうよねっていう、人間のご都合による災難という風刺は病院での他のペットたちの描写からうかがわせている点ですね。

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そんな前置きを経て、その2ですよ。彼らはニューヨークを出て、本来いるべき場所とも言える自然いっぱいの農場へ出向くわけです。ここでは、たくましくダンディーな猟犬ルースターとの出会いがあって、言わば都会っ子で動物としての本能を忘れかけたマックスが導かれて成長していきます。
 
ざっとこうした変化があるわけだけど、はっきり言って、これだけじゃ弱いんですよね。だって、原題の「知られざるペットの生態」って部分が途中から抜け落ちるし、物語をドライブさせる悪役もいない。そこで、もうひとひねり。マックスやデュークが留守中のNYの顛末を描こう。前作で悪役だったうさぎのスノーボールが、今回はスーパーマンなどヒーローに憧れる空威張りのスカした野郎として、依頼に基づき、悪徳サーカス団に囚われているホワイトタイガーを救出するというエピソードや、マックスにホの字のメス犬ギジェットがマックスから預かったおもちゃを巡る騒動も付け加え、それらを編集でコロコロと場面転換しながら群像劇風に語っていくという構成にしてあります。

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何だか楽しそうに聞こえますね。実際楽しいです。飽きないです。ただ、これもイルミネーションの大きな特徴ですが、脚本は強引です。キャラクターのアクの強さは天下一品ですが、そこを重視するあまり、お話の調和は取れていません。色んな人がいてこの社会は成り立っていることを肯定するダイバーシティやホワイトタイガーが象徴する移民・難民の問題への目配せくらいはあるものの、何か立派な教訓やメッセージも無いに等しいです。でも、定番のギャグから臆面もないパロディーまで笑えるところは山盛り。お行儀は悪いし、まとまりには欠けますけど、とにかく楽しませますよという、あっけらかんとした心意気。僕は買います。3の製作も予定されているようだし、この夏、頭を空っぽにして、安心して楽しめるダークホース『ペット2』を劇場で楽しんでください。


いくらニューヨークが舞台だからって、冒頭にこの超のつく有名曲を流してしまうという臆面のなさが、もうむしろイイぞって気がしてくるから不思議です。実際、ニューヨークは魅力的に描かれているからいいんだけどさ。


さ〜て、次回、2019年8月8日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』です。アニメが3週続いたんでそろそろ実写がみたいなと思っていたら、もはやアニメ以上に荒唐無稽な展開をみせている大人気シリーズの新作がブルンブルンとやって来ましたよ。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『天気の子』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年7月25日放送分
映画『天気の子』短評のDJ's カット版です。

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離島から家出して東京へフェリーでやってきた高校生の帆高(ほだか)。都合よく職にありつけるわけもなく、マンガ喫茶を転々とするうち、所持金も残り少なくなっていきます。そんな彼が藁をもすがるようにしてありついた仕事は、船で自分を助けてくれたライターの圭介が姪の夏美と営む小さな編集プロダクション。帆高はそこに住み込みで、都市伝説的な現象を調査して雑誌に売り込む記事を書くようになります。折しも、東京はずっと雨。連日、雨。帆高は「100%の晴れ女」だという少女、陽菜(ひな)と出会います。陽菜は小学生の弟と二人暮らし。生活に余裕がない様子を見かねた帆高は、陽菜の能力を商売に活用してはどうかと提案し、それは軌道に乗っていくのですが、彼らには警察や児童相談所など、大人社会の影が忍び寄ります。東京が晴れる日は来るのか? そして、少年少女の行く末は?
 
累計動員が1900万人を超え、興行収入は250億円と邦画歴代2位となった『君の名は。』から3年。新海誠監督が帰ってきました。今回もオリジナルのストーリーなので、脚本も新海誠。企画とプロデュースは川村元気。音楽は、劇伴も主題歌もRADWIMPS。このあたりは前作と同じ座組ですね。

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主人公帆高と陽菜の声は、それぞれ声優初挑戦となる醍醐虎汰朗と森七菜が担当。ライターの圭介を小栗旬、その姪の夏美を本田翼が演じている他、倍賞千恵子平泉成といった大御所俳優も参加しています。さらに話題となっているのが、『君の名は。』の主人公たちが、それぞれ意外なところで登場して、もちろんその声を神木隆之介上白石萌音が吹き込んでいることです。
 
さて、3年前の『君の名は。』を僕がどう評したかってことなんですが、アニメーションとしての水準の高さは認めつつ、そして物語を語る装置としての映像さばきのうまさを具体的に評価しつつ、後半の出来事には倫理的に僕は馴染めなかったと言いました。
 
それでは、今回はどう感じたのか。制限時間3分の短評、そろそろいってみよう!

君の名は。』を思い出してみると、今作と似通っているところがたくさんありますよね。思春期の男女が想いを寄せるボーイ・ミーツ・ガールという大枠の中に、女の子が巫女としての役割を果たすこと。地方で暮らした人が東京へ出てくること。ぼやかして言いますが、人智を超えた大きな出来事が起こること。生と死、此岸(しがん)と彼岸の行き来など。
 
ただ、今作の興味深い点は、こうした似た道具立てや舞台を用意しながら、登場人物の取る行動とその原動力となる考え方が、前作とはまったく違うということです。『君の名は。』を冷静に振り返ってみると、主人公の男女はやたらと運命に翻弄されていたんですね。別の言葉で言えば、偶然の積み重ねですよ。一方、『天気の子』の場合は、帆高がいつも何かを選択して自らアクションを起こすことで物語が動いていくんです。そもそも家出しているし、ひとりぼっち。資金も後ろ盾もないところから、自分で未来を掴み取ろうとする。そこに新しい繋がりが生まれ、陽菜に恋をする。仕事だって自分で生み出す。そうやって獲得したささやかな幸せと充足感を奪おうとする障害があろうものなら、それが社会のシステムだろうと、彼女が背負い込んでいる超常的な運命だろうと、世界の危機だろうと、何が何でも抗っていくわけです。

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今世紀に入ってからサブカル周りの物語論でよく使われる分類にセカイ系というものがありますね。この場で細かく論じることはかないませんが、ごく些細で個人的なレベルの話が、いきなり大きな世界そのものの危機と直結していくというタイプのものだと大雑把に捉えておきましょう。新海誠は、そんなセカイ系作家のアニメにおける代表格とされてきました。僕はこう見ています。『天気の子』において、彼は自分の描く「セカイ」と現実の「世界」との折り合いをつけようとしていると。どういうことか。ひとり語りの多いセカイ系の作品において、僕たち観客の前に広がるのは彼/彼女の自意識のセカイであって、現実の世界というのはいつも背景として存在している。それが、この作品では、同じレイヤーとまではいかなくとも、こだまするんです。現実と折り合いをつけようとする。
 
ここでキーパーソンとなるのが、帆高に仕事を与えて世話してやる圭介です。帆高のセカイと圭介が代弁する世界。後半に入ってからの帆高と圭介の会話が、帆高の決定的な選択とそれによって起きる出来事、そしてエピローグへ向けて、帆高の考えと意志を整理する役割を果たしている。これは新鮮でした。

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その上での結論としては、身も蓋もなく言えば、「自由に生きろ」ってことかなと思います。今回の結論を受けて、僕は素直に揺れてます。その決断はどうなんだろうかという思いと、それでも、空気ばかり読まされて、右へ倣えで、息苦しい現実の世界にあって、まぶしく映ったことも事実です。自分の意志で自由に生きてしまえと。セカイ系にノレない人の最大の理由は、「お前のその小さな心の動きなんて知らねえよ」ってことだと思うんだけど、前作の大ヒットの先に新海監督が辿りついた結論を、今回は手前勝手なセンチメンタリズムだと片付けるわけにはいかない。監督の力強い前進だと受け止めたし、あったりまえのように超ハイクオリティな、ハイパーリアルな描写を含め、もちろん劇場でリアルタイムで観ておいてほしい作品です。


RADWIMPS新海誠のコラボレーションは、今回さらに一歩グイッと踏み込んだものになったと聞いていますが、『天気の子』のサントラは、そのままRADのニューアルバムという位置づけであり、歌もの5曲は、挿入歌と主題歌ではなく、すべて主題歌となっています。今回の大きな特徴は、1年に及ぶオーディションで抜擢された三浦透子という女性の声が入っていること。中でも『祝祭』とこの曲について、野田洋次郎くんは自分の声では表現できないものだったと語っています。


さ〜て、次回、2019年8月1日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ペット2』です。夏休みだけあって、アニメのつるべうち。『トイ・ストーリー4』と『天気の子』、そして『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』の三つ巴というところもありますが、動物をあなどってはいけませんね。僕の場合はまず前作を観るところから始めます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『トイ・ストーリー4』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年7月18日放送分
映画『トイ・ストーリー4』短評のDJ's カット版です。

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1995年、劇場公開作としては当時初となる全編CGアニメーションとして、そして今や泣く子も黙る世界最高峰のスタジオとして知られるPIXARの船出としてヒットを記録したのが『トイ・ストーリー』でした。誰もが子供の頃に遊ぶおもちゃが実は人格を持っていて、人間の目につかないところで互いにコミュニケーションを取っているという設定は、子どものみならず大人のハートもつかみました。続いて、99年に「2」が、さらに2010年には「3」が、それぞれCG技術をアップデートしながら公開され、シリーズとしての区切りが付いたと誰もが思っていたのですが、ここに来て9年ぶりに「4」がお目見えという流れ。

トイ・ストーリー (字幕版) トイ・ストーリー2(字幕版) トイ・ストーリー3(吹替版) 

前作で新たな持ち主ボニーの手に渡ったウッディやバズら、おもちゃの仲間たち。ボニーは幼稚園に通うことになるんですが、なかなか環境に馴染めずにいます。ボニーに早くも飽きられているウッディですが、彼女が心配でこっそり幼稚園についていき、工作の手伝いをしてあげます。できあがったのは、先割れスプーンやモールを使った手作りおもちゃのフォーキー。ただ、フォーキーは自分のことをあくまでゴミだと思っていて、他のおもちゃの目を盗んではゴミ箱へ戻りたがっています。そんな中、ボニー一家は、キャンピングカーでドライブ旅へ。同行したおもちゃの中から、フォーキーはやはり逃げ出すのですが、ウッディは彼を救うべく自分も車から飛び降ります。その後、通りかかったアンティークショップで、ウッディはかつての恋人ボーと再会します。新キャラも続々。ウッディはフォーキーやボーと共にボニーの元に戻ることができるのか。

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監督は長編としては初メガホンのジョシュ・クーリー。脚本には、シリーズを通して関わるアンドリュー・スタントンも関わりつつ、若き女性ステファニー・フォルサムが加わっています。声のキャストは、ウッディをトム・ハンクス、日本語は唐沢寿明バズ・ライトイヤーティム・アレン、日本語は所ジョージといったところ、もちろん引き継いでいます。新キャラでカナダ生まれのスタントマン、デューク・カブーンの声をキアヌ・リーヴスが当てていることも話題となっています。僕は日本語吹き替えで観たので、我らがキアヌの声は確認できていないんですが…
 
それでは、特に日本で賛否両論渦巻く中での制限時間3分の短評、そろそろいってみよう!

このシリーズ、3で完璧なラストを迎えていたために、4なんて必要ない。どうやったって蛇足にしかならないだろうという世評があったことも事実ですが、そこはピクサーですよ。毎回世界最先端の技術を駆使するだけでなく、チーム内で散々ディスカッションをして物語を徹底的に練り上げる伝統がある上、本シリーズはスタジオの看板ですから、商業的な理由だけでおざなりなことはやりません。そこで、決定的なネタバレは避けつつ、本作がこれまでとどう変わったのか、否定派の人たちがどこに違和感を感じているのかを踏まえながら、僕としては複雑なのは認めつつ、やはり評価してしまうのだなという理由を話していきます。
 
ピクサーが得意としている擬人化の代表作である「トイ・ストーリー」シリーズ。「だるまさんがころんだ」的な条件はありつつも、おもちゃはおもちゃでそれぞれに人格を持ち、互いに助け合う疑似家族、疑似社会を形成しているというこの設定。突き詰めて複雑化していくと同時に浮上する問題は、そんな人格のある「生き物」が、誰かの所有物であっていいのかということ。しかも、主は子どもなんですよ。子どもはまだ人格形成の途上にいるし、注意力も散漫で、それが故に時に残酷。だから、このシリーズにおけるおもちゃと子どもの関係は、僕らの生きる現実の人間関係や主従関係とは違って、少々、時にかなりいびつなんです。冷静に見れば無機物のおもちゃでありながら、映画の中では、ぶーぶー主に不満を垂れたり、逆に主に対して親のような役割を担ったりもする。こうした現実離れした設定のため、ウッディたちはこれまでも何度もアイデンティティについて悩んできました。そこに僕らも感情移入しては一喜一憂してきたという経緯があります。

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そんな中、これまで3作は、いずれもおもちゃたちが家からどこかへ出かけて、冒険をし、持ち主のもとに帰ってくるという「行って来い」の物語でした。おもちゃミュージアムで展示されることも、保育園で新入りおもちゃとしてファシスト・ベアーの下で過ごすことも拒否し、最後には必ず帰ってきた。そして、完璧なラストと呼び声の高い3では、大学生、つまり大人になったアンディーからボニーへと持ち主の世代交代が行われました。正直なところ、物語から退場していったおもちゃのことを考えると、僕としては不憫に思う部分もあったんですけれど、一応そこはあくまでおもちゃなんだからと折り合いをつけて、ある種保守的とも言える、誰もが認めざるを得ないエンディングに軟着陸してみせていました。おもちゃに寿命はないけれど、人間はどんどん成長していくものだから。
 
実際、シリーズ自体がスタートから四半世紀を経過する中で、たとえば1を小学生で観ていた人も30代半ば。今度は自分の子どもを連れて観に行っているくらいの、世代交代が起こるような時代の変化も一考に値します。で、今作は初めて、「行って来い」の物語から外れる部分があるわけです。本作に向けられた最大の批判はそこでしょう。でも、これは究極の擬人化の行き着く先として必然でもあります。これまでにも、捨てられたり飽きられたおもちゃの行く末については言及がありましたよね。彼らにも人格があるのなら、成長も、価値観の変化だってあるわけで、となると、「与えられた役割からの脱却」という今日的なテーマが前に出てくるのも必然です。

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トイ・ストーリー」でそのテーマを扱わなくてもっていう戸惑いもあるでしょうが、むしろ「トイ・ストーリー」という複雑な擬人化が行われてきたシリーズだからこそ辿りついた地平とも言えるでしょう。迷子のおもちゃという、冷静に考えればかなり謎な概念ですけど、今回はそんな呼び名が登場します。新キャラのフォーキーにウッディたちはおもちゃの何たるかを説いて迎え入れながら、自分たちもまた、役割から離れ、自分なりの出直し、セカンドライフがあっても良いのでは? と考えるわけです。これはある意味、おもちゃの余生の可能性を描いた、おもちゃも年を取るという話でもあるんじゃないでしょうか。

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そして、おもちゃが子どもの使うものである以上、僕たちは誰しもが無意識的であれ、壊したり、捨てたり、忘れたりした「罪」があるわけで、その後ろめたさを解消する効果もあります。ってのは人間に都合のいい話ではあるけど、おもちゃにしてみても切実な物語として、僕は複雑ながらも評価したい1本でした。
 
こうなると5の可能性も出てくるわけですが、今はまだそこは考えず、余韻に浸って、良くも悪くも、このモヤモヤを味わうことにします。


サントラから1曲かけるなら、やはりこれでしょう。Randy Newmanの“You've Got A Friend in Me”をオンエアしました。

 

ところで、評では省きましたが、CG技術の革新は今回もすごいです。冒頭はいつも力の入るところですが、今回のあの雨の表現。そして、移動遊園地での濃密描写力はもう手放しで賛辞を寄せる他ありません。あれだけの情報量を描きこんでいるのにゴチャッとは見せない画面の統制力もすごい。ハイパーリアルな絵を堪能しました。

 

そして、新キャラで一気に人気をかっさらった存在として、フォーキーだけでなく、デューク・カブーンも最高だったことを忘れてはなりません。物語や設定そのものが破綻スレスレとなっていた、かなり強引なハイライトを、カブーンのユーモアが和らげていたし、彼のブレイクスルーにも拍手を送りたい。イエス・アイ・キャ〜ナダ!


さ〜て、次回、2019年7月25日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『天気の子』です。夏休みに入るということで、アニメ大作が続く格好ですね。新海誠の前作『君の名は。』を必ずしも褒めなかった僕です。いわゆる「セカイ系」のアニメに対し、身構えるところもあったりなかったり。ま、フラットに観てきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

映画『Diner ダイナー』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年7月11日放送分
映画『Diner ダイナー』短評のDJ's カット版です。

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舞台は殺し屋専用のダイナーです。オーナーはエリアを牛耳る殺し屋たちの長。料理の腕を振るうのは、やはり元殺し屋の天才シェフ、ボンベロ。そこでウェイトレスとして働くことになったのは、破格の給料に惹かれて手を出した怪しいアルバイトの最中に身売りされてしまったオオバカナコという20代の孤独な女性。組織内の殺し屋の権力闘争もくすぶり始める中、一筋縄ではいかない、クセの強い殺し屋たちを、ボンベロとカナコはもてなすことはできるのか。
原作は、ホラー作家平山夢明が2009年にポプラ社から出版した同名小説です。監督は、写真家の蜷川実花。映画は『さくらん』『ヘルタースケルター』以来ですから、久しぶりなんですが、9月にはもう新作『人間失格 太宰治と3人の女たち』を控えています。旺盛ですね。
 
キャストは、オオバカナコを玉城ティナ、ボンベロを藤原竜也が演じています。ダイナーにやって来る殺し屋たちに扮するのは、窪田正孝本郷奏多(かなた)、武田真治。他にも、各エリアのボスたちとして、土屋アンナ小栗旬、真矢ミキ、奥田瑛二が配役されつつ、有名人があちこちに顔を出しています。斎藤工佐藤江梨子川栄李奈コムアイ板野友美木村佳乃、そして3年前に他界された監督のお父さん、蜷川幸雄など。
 
それでは、制限時間3分、感想ひとつで消されることを覚悟の映画短評、そろそろいってみよう!

「俺はここの王だ。砂糖の一粒まで俺に従う」というシェフ「ボンベロ」の台詞が予告編から印象的だったこの作品。最もこのスピリットを実践しているのは、ボンベロというよりも蜷川実花、監督だったと思います。画面に映るすべての要素をコントロールして自分の美意識を具現化したいっていうことですよ。写真ならいざしらず、映画でそれをするのは、しかも実写においてはかなり大変ですけど、とにかくスクリーンを蜷川実花ワールドに染め上げたい。そんな欲望が何よりも優先された作品です。
 
冒頭、かなこのモノローグ、主観的なひとり語りがありました。いかに疎外感を抱えてひとりぼっちで生きてきたのか。彼女は語り手として登場するわけですが、その後、ダイナーに入ってからは、メイドの格好でひたすら理不尽な目に遭い続け、ナレーターとしての機能はほぼ失う。今度は蜷川実花のカメラワークがその役割を担います。そこでのポイントは、監督の世界観が物語にすら優先されるということです。ほぼ密室劇の全編セットだってのも、そのためでしょう。

 

物語が始まる時には、そこでの約束事というのが前半で示されることが多いですね。この作品でも、ありました。たとえば、店には扉が3つあり、そのひとつひとつに据えられた監視カメラで、ボンベロは店にそぐわない人物がやってこないか、客を選別するというもの。その後、物語であのシステムは活用されましたっけ? むしろ、困った客に苦労させられてませんでした? 扉、開けなきゃ良いのに。

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まあ、でも、別に僕はそれで構わないとも思うんです。そういうタイプの監督はもちろんいるし、それ自体決して悪いことではない。ただ、これは2時間の娯楽劇映画であって、写真やMVではない。だとすれば、原作のある物語を隠れ蓑にするにしたって、もう少しくらいは物語然とできないものでしょうか。だって、カナコがなぜ母親からネグレクトされていたのか。僕はうまく説明できないんですよ。幼稚園のお遊戯会や演劇を導入する演出は覚えてるのに。
 
東西南北の殺し屋たちの権力闘争と、亡くなったボスの死の真相についても、クライマックスでの花びらいっぱい、色いっぱい、スローモーションいっぱいの演出は覚えてるけど、結局なんだったんだっけ? やはりピンとこない。
 
挙句の果てには、肝心の料理も色に埋もれておいしそうに見えない。それは別にいいとしても、ボンベロの料理がどうすごいのか、その技を見せるショットがひとつもない。

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これ、全体のテーマとしては、自分の存在価値をどう扱うのかだと思うんだけど、今挙げたような物語的な悪条件が重なった結果、テーマとリンクするいい感じの台詞が出てきても、その時はなるほどと思っても、いつも刹那的にしか響かないんです。それぞれのシーンが前後とうまく連なってないからですね。
 
蜷川実花のビジョン、世界観をとやかく言うつもりは僕には毛頭ありません。それは好みの問題です。演出に映画的なブランニューワンが欲しかった。あのスローは新しくないし、他は主に演劇的、写真的、漫画的、絵画的でしたから。せっかく映画というメディアを使うならこんなことをやってみるというアイデアと、形だけでも隠れ蓑でも良いから連続性をもった物語にしていれば、「愛でる作品」にとどまらず、「愛せる作品」と捉える人がもっと増える気がします。

 主題歌は曲としてはとても良いと思うんですが、『千客万来』とはとても言い難い、むしろ会員制のダイナーが舞台なんだけど、これいかに…


さ〜て、次回、2019年7月18日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『トイ・ストーリー4』です。先日、1を見直そうとアマゾン・プライムでレンタルしようとリモコンを操作したら、誤って購入してしまいました。198円のつもりが、2000円の出費です。面白くない状況ですが、4も間違いなく面白いことでしょう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

イタリア映画『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動』レビュー

ガブリエーレ・ムッチーノ監督が12年ぶりに活動拠点をイタリアへ戻した。
 
僕が彼の名前を知ったのは、『最後のキス』(L’ultimo bacio、2001年)だった。30がらみの男性たちのピーターパン・シンドロームをえぐるように描いたこの作品は、その年のイタリアの映画賞を総なめし、2006年にはアメリカでリメイクされるほど、興行的にも批評的にも大成功した。ステファノ・アッコルシ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、ジョルジョ・パソッティ、クラウディオ・サンタマリアなど、当時まさに30前後で勢いに乗っていて、その後イタリア映画界を代表する存在となった俳優陣がたくさん出ていた他、僕の愛する往年の名女優ステファニア・サンドレッリの御姿も拝めるとあって、大興奮で鑑賞したことをよく覚えている。

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思えば、ムッチーノ監督は当時30代半ば。早熟である。その能力をイタリア半島という長靴の中に押し込めておくのはもったいないと、彼が自分で思ったのか、周囲がそう思ったのか、あるいはその両方だったのか、とにかく彼はハリウッドに活動の場を移した。ウィル・スミスを主演に迎えた『幸せのちから』や『7つの贈り物』を観たことがあるという人も多いだろう。何度かイタリアへ戻って撮影することはあったものの、この12年間、基本はアメリカの映画人としてロサンゼルスに暮らしていた。現在52歳。そこそこの成功を収め、失敗もあった。そんなムッチーノがキャリア後半の舞台をイタリアに戻してくれたことを、僕としては歓迎したい。

幸せのちから (字幕版) 7つの贈り物 (字幕版)

彼の原点は、50年代〜60年代のイタリア式喜劇にある。凝った映像的仕掛けで観客を魅了するというよりは、市井の人々の喜怒哀楽をあくまで役者のイキイキした演技から浮かび上がらせることを得意とするタイプだと僕はみている。登場人物たちは饒舌な台詞を発しながら、全身でその感情を表現するのだ。往々にして、手前勝手に、そして懸命に。そうした手法には、イタリアの役者がよく似合う。その意味で、今作『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動』を観ながら、僕は待ってましたと頬を緩めた。あらすじを公式サイトから引用しておこう。
 
世界屈指の美しさを誇るイスキア島に暮らすピエトロ&アルバ夫妻の結婚50周年を祝うために、親戚一同19名が集まった。教会で金婚式を挙げ、自宅の屋敷でパーティも開催される。久しぶりに再会したファミリーの楽しい宴もお開きとなる頃、天候不良でフェリーが欠航に!思いがけず、二晩を同じ屋根の下で過ごさなければならなくなった、それぞれの家族たち。今まで抑えていた本音が見え隠れし始め、次々と秘密が暴露されてゆく――果たして、この嵐の結末は?
浮気、借金、嫉妬・・・ワケありの大人たち。家族だからこそのストレートな感情をぶつけ合う姿に「私の親戚にもいる!」と、誰もが笑って泣いて共感せずにはいられない人間賛歌!

 

今作にも、『最後のキス』の役者たちが何人か登場する。ステファノ・アッコルシ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、ステファニア・サンドレッリ。やはりみんな手前勝手だ。間違っても巻き込まれたくない。原題は“A casa tutti bene”。直訳すれば、「家ではみんないい感じ」。このタイトルがあくまで表面的なものであるのは、イスキア島の天気が急変するところから僕らはわかり始めることになる。いや、正確に言えば、その以前から、つまり一同が船に乗り込むところから、あるいはイスキア島に親戚を迎え入れるところから、雲行きは怪しかった。つまり、天候は急変するべくして崩れたのだとも言える。

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そこで幕が上がるのは、激情の劇場だ。表面張力いっぱいでこぼれ出さないようにしていた欲望、羨望、渇望、嘱望が雨後の筍のようにニョキニョキと顔を出す。彼らは時に自らの、時に誰かの化けの皮を剥がし、その下の顔を見ては驚き、笑い、涙する。まさに「大騒動」である。家族とは憩いの場であると同時に個人を幽閉する檻でもある。のびのびもできるが、窮屈でもある。そう、あの風光明媚なイスキア島のように。

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乾杯は麗しいものだが、あたりが強ければグラスは割れる。その表裏どちらをも描くのがムッチーノだ。役者たちの演技合戦のお膳立てが実にうまい。なにしろ、登場人物は19人。この相関図を見るだけでややこしくてクラクラしてしまうが、鑑賞にあたっての心配は御無用。交通整理はきっちりしてあって、混乱させられることはない。
 
はてさて、笑って鑑賞したのはいいが、家路につきながら考える。自分の親族は果たしてどうか。その余韻がまたビタースイートでやめられない。ムッチーノ、よくぞイタリアへ戻ってくれた。Ben tornato in Italia.
 
それにしても、イタリア映画の新作と言えば、全国公開されるものはゴールデンウィークのイタリア映画祭を経由するものがほとんどだったが、近年は配給会社の事情も変わってきたようで例外も多い。最近だと『幸福なラザロ』もそうだった。つまりは観られる本数が増えているとも言えるのだが、うっかりすると見落としかねないので注意が必要だ。自戒を込めてということだが。
 
<文:野村雅夫>