京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月31日放送分
映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』短評のDJ'sカット版です。

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エピソードIV「新たなる希望」の公開から42年。遠い昔、はるか彼方の銀河系を舞台にスカイウォーカー家を中心に繰り広げられてきた、壮大なサーガがついに完結です。伝説の騎士ジェダイルーク・スカイウォーカーの想いを受け継いで、銀河を司るエネルギー、フォースを前作で覚醒させたレイ。そして、祖父ダース・ベイダーの遺志を受け継いで宇宙を支配する組織ファースト・オーダーの幹部として指揮を執るカイロ・レン。ライトサイドとダークサイド、光と闇を象徴するこのふたりの宿命の対決はどうなるのか。R2-D2C-3PO、BB-8、レイア将軍、天才パイロットのポー、元ストームトルーパーのフィン、レジスタンスの同志、ハン・ソロ、彼の良きライバルのランド・カルリジアン、チューバッカ、ルークなどなど、旧三部作、新三部作、そしてこの続三部作に登場する様々なキャラクターたちも華を添えながら、新たなる夜明けはどう訪れるのか。

スター・ウォーズ/フォースの覚醒 (字幕版) スター・ウォーズ/最後のジェダイ (字幕版)

 監督・脚本は、続三部作の陣頭指揮を執ってきたJ・J・エイブラムス。前作「最後のジェダイ」を監督したライアン・ジョンソンは、今回は結局関わりませんでした。シリーズのオリジネーターであるジョージ・ルーカスは、作品の権利を製作会社ごとディズニーに譲り渡したわけですが、新しい構想がディズニーから却下されているということで、この買収以降のエピソード7から今回の9というのは、ディズニーの上層部とJJたちの合作ということになります。もちろん、丹念なマーケティングに基づいたものです。なので、最初から3作がきっちり練られていたというよりは、毎度、作っていった感じとのことですが。

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(C) 2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
レイアは、亡くなったキャリー・フィッシャー。『フォースの覚醒』の未使用テイクを合成しました。レイをデイジー・リドリー、カイロ・レンをアダム・ドライバー、フィンをジョン・ボイエガ、ポー・ダメロンをオスカー・アイザックが演じています。

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(C) 2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
僕は今回、ブルク7でドルビー・シネマのデビューを果たしてきましたよ。2D字幕版。黒がしっかり黒ってのが良かったです。しかも、スクリーンの入口から気分を高める仕掛けがあって、かなり満足の鑑賞となりました。それでは、容姿がわりかし似ていることから、人呼んで南森町アダム・ドライバー、つまりはカイロ・レンことマチャオ、今年最後の映画短評いってみよう!

旧三部作を劇場で観た世代がいて、僕のように新三部作から劇場で観てきた世代もいるし、もちろん続三部作からという若者たちもいるわけです。そのすべてのファン層を相手に、広げきった風呂敷を畳む役割を担ったJ・J・エイブラムスの気苦労たるやといったところですが、先に結論めいたことを言うならば、JJは手堅いってことです。2時間22分の長尺ながら、まったく中だるみすることなく、要所に見どころを散りばめて、きれいなラストに着地させるという、まとめる手腕は、さすがって感じでした。スピルバーグを想っての『SUPER8/スーパーエイト』を撮り、『ミッション:インポッシブル』『スター・トレック』という超人気シリーズを続々と手掛けた人物ですからね。今作も、何かええもん観たぞという気にさせてくれます。そしてこれまで描かれてきた要素もきっちり出てくるし、女性が活躍して、黒人やアジア系もいれば、スター・ウォーズで初めて同性のキスシーンまであって多様性にも配慮しているし、言うことないんじゃないか。と、観終わった直後は思ってしまうほどです。
 
ただ、そのまとめ上手が災いしたというべきか、サービス精神に溢れすぎて、過去作へのリスペクトばかりが先行して、肝心のオリジナリティーに欠けているのではないかという批判が、『フォースの覚醒』で起こりました。で、J・Jからバトンを受けて、ライアン・ジョンソン監督はケレン味溢れる絵面で、私達を魅了。したんですが、確かに血湧き肉躍るものの、どんでん返しのためのどんでん返しが多く、『最後のジェダイ』は152分かけたわりに、スケールが小さく感じられたし、フォースが民主化されたのはいいんだけど、そのフォースが万能すぎて、「それがありやったらさ…」という不満を残したと僕は評しました。

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(C) 2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
スター・ウォーズというのは、宇宙を舞台にした神話であり、ファンタジーであり、戦記であり、冒険活劇の娯楽作です。その長きにわたる歴史は、技術の進化とともにありました。だからこそ、旧三部作から新三部作までも16年の時間が必要だったわけです。その意味で、続三部作にも、溢れる情熱に満ちた、物語のパターンを超えるある種のいびつさを含んだ、わくわくさせるサムシングが求められていたことも確かだと思います。ところが、実際に用意されたのは、マーケティングに基づいた、見所を作るべくして作った、帰納法的に整理された小綺麗な物語という商品でした。予定調和的で、要はリスクを回避しすぎているってことです。難題ではあるけれど、一応ひと連なりの物語である以上、途中でルーカスが排除されてしまったことによる弊害を感じざるをえません。

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(C) 2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
さっきも言ったように、面白く観たことは事実なんですが、死んだ人物が生き返るほどのフォースが乱発されたことには、今回もめまいがしました。ともするとスカイウォーカー家とその周辺の出来事だけに感じられなくもない話を、前作で血縁から解き放って開かれたものにしたはずなんですけど、今回の展開だと、結局元の木阿弥は言い過ぎにしても、やっぱり特権階級のものなのかという感じしちゃうんですよね。まるでカイロ・レンが金継ぎよろしく手下に修復させたマスクのように、ノスタルジーに満ちたあれこれを継ぎ接ぎすることに時間を割いてしまい、すべての対立の根源である光と闇の拮抗、人はなぜダークサイドに堕ちてしまうのか、そこに一条の光を差し込むジェダイたちライトサイドの力の源はなんなのか、そこを掘り下げる展開を観たかったとも想うのは贅沢にすぎるのでしょうか。僕には結局パルパティーンという悪の姿がよくわからなかったんです。
 
なんて具合に、結局もやもやした気分が抜けない僕ではありますが、ともあれ、これをもってスター・ウォーズは一応の完結をみました。がしかし、前作のライアン・ジョンソンが中心となっての新たな三部作が構想されているようで、ディズニーは2022年から1年おきに公開する模様です。マジか… ま、ドル箱ですからね… 開かれたスター・ウォーズが、本当の意味でスカイウォーカーという血脈から解き放たれて、フレッシュな魅力が爆発することを願ってやみません。
どうでもいいことですけど… レイたちが砂地獄に落ちて大変な目に遭うところで、ライトセーバーが懐中電灯の代わりになるってところは、思わず「そんな使い方もあるのか! 欲しいぞ!」と思ってしまいました。あのシーンだけに、完全に蛇足な感想ですけどね!
さ〜て、次回、2020年1月7日(火)、新年1本目に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『テッド・バンディ』となりました。いやぁ、新春早々、実在の殺人鬼のお目見えです。どんなあんばいなんでしょうか。僕は予備知識ゼロですわ。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

アイザックソンの『レオナルド・ダ・ヴィンチ』レビュー

どうも、僕です。野村雅夫です。

世界で最も名を知られたイタリアの人物(だろう)レオナルド・ダ・ヴィンチ。今年は没後500年にあたり、日本でもたくさんの関連本が刊行されましたが、その中でも最高峰との呼び声高いウォルター・アイザックソンのものが、文藝春秋から春に上下巻で出ていました。遅ればせながらではありますが、アニヴァーサリー・イヤーのうちに、あかりきなこがレビューを書いてくれたので、以下、どうぞご一読を。

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イタリアの人たちは「レオナルド」と聞けば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を自然に連想するそうだ。2019年は、かのルネサンスの巨匠の没後500年であり、日本でも関連本が何冊も出版された。

 

ひときわ目を引かれたのが「7200ページの直筆メモ」をもとに、レオナルド・ダ・ヴィンチという「人間を」考察した本書である。

 

「私が伝記作家として一貫して追い求めたテーマを、彼ほど体現する人物はいない」と言うアメリカの評伝作家ウォルター・アイザックソンによって2017年に出版され、日本語版は、今年3月、土方奈美さんの訳により刊行された。私は美術作品には疎いが、多才なレオナルドの人となりにずっと関心があったので「よくぞ書いて、訳してくれました!」とすぐさま本屋に走りたい気持ちになった。

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本を手に入れ、目次に初めて目を通したとき、様々なキーワードで章立てされていることに気づいた。そのとき起きた感情は、色んなレオナルドが知れそうだという「わくわく感」と、内容を自分の中で整理できるだろうかという「軽い不安」。しかし後者は杞憂であった。実際には時系列に沿って並んでいて、レオナルドの興味や作風の変化が分かりやすい構成になっている。「レオナルドの人生の詳細についてはさまざまな説がある」が「本書では最も信憑性が高いと思われる説を書き、異論・反論については注で触れている」とあるように、レオナルドの実態に極限まで迫ろうと試みたことが分かる。文章は冷静な視点を基本にしながらも、彼への敬愛が随所で感じられる。レオナルドは研究の成果を論文にまとめたいと言いながら一度もなしえなかったそうだが、他の人たちに伝えたいという彼の夢はアイザックソンによってまた新たに実現されたといえる。

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特に、研究ためのスケッチの余白に書かれたメモやいたずら書きの分析が面白い。一見几帳面なレオナルドがメモの書き込み時期やテーマごとの分類にはこだわらなかったことが、現在も私たちの想像力をかき立てている。逸話と総合して筆者が記したレオナルドの日常生活や心情の推察は、動きや色を伴って私の中の薄っぺらいレオナルド像にたっぷりと肉付けをしてくれた。教科書やテレビでよく紹介される「長いひげをたくわえた老齢期の自画像」の顔になるまでに、なんと様々な経験をしたことか。知らなかったことを知ることも、自分の勝手なイメージが修正されるのを感じるのも心地よかった。

 

意外だったのは、筆者が冒頭からレオナルドは「ふつうの人間でもあった」と強調していたことだ。「「天才」という言葉を、安易に使うべきではない」と。筆者は下巻の第33章でその根拠と「彼に学び、少しでも近づく努力はできる」として、スティーブ・ジョブズも引き合いに出し、現代の私たちにもできることを挙げている。確かに言われてみればできそうな気もすることばかりなのである。それらに気づいた筆者の洞察力はレオナルド並にすごいと思う。私はといえば、レオナルドとは時間や地理的な要素も含め違うことが多すぎて、最初から彼を完全に自分から離れた存在としてとらえていたからだ。特に「脱線する」ことでレオナルドの知性が豊かになった、という部分には励まされる。自分の寄り道も何らかの糧になっていると信じたい。

 

最後に注目すべきは「訳者あとがき」にある映画化の話だろう。縁あって同じ名前をつけられたレオナルド・ディカプリオが主演という。現在の進捗状況は明らかになっていないが、制作陣がレオナルドのように未完で放り出さないよう願いながら、引き続き楽しみにニュースを待ちたい。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 上

レオナルド・ダ・ヴィンチ 上

 

 ※出版社のサイト『文藝春秋BOOKS』では「おすすめ記事」でヤマザキマリさんも書評を書かれています。別の魅力を紹介されていますので、こちらもぜひ♪


<文:あかりきなこ>

『ラスト・クリスマス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月24日放送分
映画『ラスト・クリスマス』短評のDJ'sカット版です。

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© Universal Pictures

ロンドンのファンシーな雑貨店で働く歌手志望の女の子ケイト。クリスマスを前に、妖精エルフのコスチュームに身をまとう彼女ですが、オーディションはうまくいかず、ヘマをやらかして居候先の友達の家から追い出されてしまいました。そんな中、ケイトのことを何かと気にかけてくれる青年トムが登場。彼はそそっかしいケイトの様々な問題点を見抜いて導いてくれ、しだいに彼女は心を寄せるようになるのですが、この時代に携帯を持たないトムとは会うのも一苦労。彼がボランティアをしているというホームレス支援の施設へ出入りするするようになり、ケイトはやがて世界の見方を変えていきます。

 
ワム!の大名曲『ラスト・クリスマス』を下敷きに組み上げたクリスマスのラブ・ストーリー。原案と脚本は、ジョージ・マイケルの友人でもあった女優のエマ・トンプソン。監督は、2016年版『ゴースト・バスターズ』のポール・フェイグ。ケイトを演じたのは、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のエミリア・クラーク。そして、トムを『クレイジー・リッチ!』のアジア系ヘンリー・ゴールディングが担当した他、脚本を手がけたエマ・トンプソンミシェル・ヨーなどが出演しています。

ゴーストバスターズ (字幕版) クレイジー・リッチ!(字幕版)

 さらに、映画マニアでワム!大好きのポニーキャニオン・プロモーター岩渕氏が教えてくれて知ったんですが、あるシーンでチラリとアンドリュー・リッジリーの姿も垣間見えます。憎いキャスティングですね。

 
日本では12月6日公開で、そろそろ上映回数が減ってきているようですが、僕がMOVIX京都で観た木曜午後の回はそこそこの入りでした。カップルも多かったかな。それでは、特にワム!にそこまで思い入れのない僕がどう観たのか、今週も映画短評いってみよう!

思ってたんと違う! 映画を観ていて、ちょいちょい聞かれる感想の第一声です。ポスターや予告から受ける印象と、実際に観てみての内容のギャップに面食らうという現象。この『ラスト・クリスマス』では、僕も後半にある秘密が明らかになってから、もうなんなら観ながらひとりつぶやいてしまいました。思ってたんと違う。これは否定的なニュアンスで発せられることが多いですが、今回は違う。思ってたんと違って、良い! となるんですよ。どういうことか。
 
だって、クリスマス映画でしょ? ワム!の音楽ものでしょ? となると、ジョージ・マイケルの音楽をバックに、ロンドンの洒落た町並みをバックに、とにかく甘い恋が展開するのだろうと。主人公のケイトはおてんば娘っぽいから、ドタバタのスクリューボール・コメディっぽくいろいろとやらかして、そこにトムという王子様が登場。当初こそ、反りが合わないものの、やがてはロマンティックにひっついていくんだろう。そして、メインの曲は『ラスト・クリスマス』で1年前の別れの歌だから、何かきっとほろ苦いできごとがあって、エンディングでは1年後の様子がエピローグとして描かれるのだろう… ってな具合に、安っぽい脚本家気取りで、お話の流れを予測しながら劇場へ出かけたわけです。いけませんねぇ。だから、実は先週この映画をおみくじで引き当てた際にも、タイミングこそ完璧なものの、結構酷評になったりしてって密かに考えておりました。
 
ところが、思ってたんと違ったわけですよ。どう違うのか。大きくふたつです。

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© Universal Pictures

まずひとつは、個人の小さなお話を描きながら、イギリス社会の、いや、ヨーロッパの、ひいてはグローバルな社会テーマを高い志で語るものだったということ。冒頭で描かれるように、ケイトたち家族というのは、旧ユーゴスラビアからの移民なんですね。この番組でも何度もニュースでお伝えしてきたように、UKは主に年長者がもうEUに見切りをつけよう、離脱しようという声を大にしてブレクジットを進めてきて、年明けにもそれが確定するという流れがあるわけです。これは世界中で起きている現象ですけど、何か自分たちの意に沿わないことがあると、その不満というのは、異邦人に理由が押し付けられ、あいつらさえいなければ問題ないんだと短絡的に排斥されてしまう。ケイトたちも肩身の狭い想いをしていて、それは特に彼女が反りの合わないお母さんが体現しているんですが、彼女自身も名前をイギリスっぽくケイトとしているけれど、本名のカタリアは表に極力出さないようにしていました。悪目立ちしたくない、溶け込みたいという意識の現れです。
 
そうした移民問題以外にも、ジョージ・マイケルが実際に行っていたホームレス支援のチャリティーのエピソードも重要なトピックになってきます。ギスギスしたり、わめいたり、無視したり、誰かに不寛容になるよりも、困っている人がいれば手を差し伸べて、やさしく接することで、社会はもっと、自分にとっても居心地の良いものになるんじゃないかという真っ当なメッセージがあるわけです。そのためには、まず自分が自分を愛すること。下を向くよりも上を向くこと。みんなが普通でフラットより、みんな特別なんだと考えるほうが、ずっと楽しい。そこで、名台詞ですよ。「”普通”なんて、人を傷つける愚かな言葉だ」。あの言葉が放たれた瞬間だけは、ケイトに嫉妬しましたよ。「ト、トム、僕にもそれ言うて!」って思いましたもん。さらに、青年トムは、とにかく上を見ろ、Look Upとさとします。実際、街を見渡すと、楽しいことはいっぱいあるんですよね。それに気づけと。

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© Universal Pictures

そして、もうひとつの思ってたんと違うのは、シンプルに歌の解釈です。まさかそんな風に『ラスト・クリスマス』が聞けるだなんて! それが物語になるだなんて! という目を見開いてしまう受け取り方をエマ・トンプソンはしていて、親交のあった生前のジョージ・マイケルにもこの物語の構想を話して承諾を得ていたのがすごいなと。人によってはね、このあたりは少々ファンタジックが行き過ぎてアクロバティックに思えるかもしれない筋立てと半笑いで受け取ることでしょう。あと、音楽映画だからもっと歌を大事にしてほしかったという声があるのもうなずけます。エミリア・クラークの歌は人を圧倒するものではないでしょう。でも、そこはジョージの歌があちこちで華を添えているわけですし、ケイトが今後歌を生業にする、つまり夢を叶えるというきれいなゴールよりも、僕は今回の流れの方がより現実的で良いと思うんです。クリスマスなんだもの。人にやさしく、歌をみんなで歌うのが良かろうと。

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© Universal Pictures
そして、エミリア・クラークがかわいすぎたので、今まで語ってきたことなど、どうでもいいくらいに、僕は彼女そのものに夢中になったことを最後に付け加えておきます。こうして、もう1枚、ただただ貼り付けたくて画像も貼り付けておきます。ともかく、思ってたんと違って、心に深く残るチャーミングな1本でした。
良い悪いは別にして、今後この曲を聴くたびに、ケイトとトムの物語を思い出すことになるだろうなって思います。それはそれで、悪くないぞ。


さ〜て、次回、2019年12月31日(火)、大晦日に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』となりました。どうも、先週からくじ運を映画神社に使っている気がしてなりません。あるいは、僕のフォースが目覚めたか。2020年の夜明けを前に、エピソード9が当たりました。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『決算!忠臣蔵』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月17日放送分
映画『決算!忠臣蔵』短評のDJ'sカット版です。

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1701年3月14日。江戸城の松の廊下で事件が起こります。赤穂藩主であった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、義憤に駆られ、賄賂・不正にまみれていたという吉良上野介(きらこうずのすけ)を斬りつけたのです。喧嘩両成敗となるかと思いきや、幕府は浅野に切腹を命じ、浅野家はお取り潰し。対して、吉良はのうのうとしています。路頭に迷った赤穂藩士たちが名誉をかけて、吉良邸に討ち入るという、いわゆるおなじみの忠臣蔵の物語ですが、この物語はその討ち入りそのものを描くのではなく、そこにいたるプロセスを、もっぱら藩の懐事情、経済的観点から検証する時代劇コメディーです。討ち入りするにも予算が必要。移動にも準備にもすべてにお金がかかる。藩を会社にたとえ、倒産、財務整理、リストラなど、現代の用語を交えながら綴ります。で、どうする? 討ち入り、やめとこか?

*1" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41vh4TAf7zL.jpg" alt="「忠臣蔵」の決算書 *2" width="175" /> 決算! 忠臣蔵 (新潮文庫) 

原作は新潮社新書から出ている『「忠臣蔵」の決算書』。東京大学史料編纂所教授である山本博文の著書です。これを劇映画の脚本に仕立てて監督したのが、中村義洋。『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズや映画だと『ゴールデンスランバー』『白ゆき姫殺人事件』『殿、利息でござる!』などで知られるヒットメーカーですね。キャストを紹介しておきましょう。大石内蔵助堤真一、勘定方の矢頭長助(やとうちょうすけ)を岡村隆史、毒見役の大高忠雄(おおたかただお)を濱田岳が演じた他、横山裕荒川良々妻夫木聡、西村まさ彦、木村祐一竹内結子石原さとみなどなど、茶の間レベルでよく知られる俳優・芸人たちが勢揃いしたほか、関西小劇場から、たとえばsundayの小松利昌(こまつとしまさ)が出演しています。
 
11月22日に公開されてから、3週間が経過してもなお、観客動員がベスト5に入っているだけあって、先週木曜昼間にブルク7で観てきた時も、かなりお客さんが入っていました。では、映画短評、今週もいってみよう!

かつて栄華を誇った時代劇が映画でもテレビでも下火になって久しいですね。その理由を多角的に論じた本に、春日太一『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)がありまして、これは名著です。ぜひご一読を。このままだと、京都の撮影所でも、殺陣に代表される演出や道具立ての技術が継承されなくなって断絶してしまいかねないという背景がある中、ここ数年の間にひとつの潮流を生み出しているのが、時代劇コメディーです。『超高速!参勤交代』『殿、利息でござる!』『駆込み女と駆出し男』『引っ越し大名!』などなど。チャンバラを封印して、演出も価値観も現代に寄せながら、何とか時代劇からのヒットを模索する動きと言えるでしょう。
今作ももちろんそのひとつで、忠臣蔵というガチガチの鋳型を、別アングルから語り直すという試み。こうした大きな流れを春日太一さんがどう見ているのかにも興味があるんですが、それはともかく、中村監督が資料的な新書を物語にストンと落とし込んでみせた手腕はさすがだと、まず讃えておきます。刀は持っているけれど、実践の経験のない侍が多い中で、討ち入りがクライマックスのはずの忠臣蔵を、チャンバラはほぼ見せずに語るというのは、確かに面白かったです。
 
映画はそば1杯の値段を現代の貨幣価値に置き換えるところから始めて、エピローグでまたそばに立ち返るという、構造も明快でいいし、語り手を女性にしたのが効いてます。そうすることによって、男性たちの無駄遣いを、勘定方だけでなく、女性の視点、あまり好きな言い方ではないけれど、主婦目線も持ち込むことで、ツッコミが鋭さを増すんです。

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©2019「決算!忠臣蔵」製作委員会
『超高速! 参勤交代』の時にも思ったけど、今では当たり前に日帰り出張している東海道なんて、行って帰って一月かかるわけですよね。当然ながら、倹約が求められた赤穂藩にかごを使う余裕などなく、徒歩ですから、疲れも出るし、ちょいと羽根を伸ばしたりしたら、お金にも羽が生えて飛んでいく。こりゃ大変ですよ。
 
しんどい時は「かご使ったらええのに」って、これはもう完全にタクシーですよね。そういう置き換えがなされて、討ち入り直前の決算まで持ち込んでいく。忠臣蔵というと、日本型の名誉、義理、人情の典型のようですが、それが藩という集団・組織で動くものである以上、使うのは経費であって、個人の財布ではないんですよね。平たく言い換えれば、自腹なら動きたくないと思う人が一定数以上いるのも仕方ない。さすがに、綺麗ごとだけでは、家族もあるんできびきび動けませんわという人も出てくる。そりゃそうだ。

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©2019「決算!忠臣蔵」製作委員会
ただ、価値の前提となった「そば」にたとえるとするなら、茹で加減にムラがあったことは否めません。討ち入る討ち入らないの決断をするまでのすったもんだでそこそこ尺を食うんですが、あの中盤は笑いの仕掛けというか論理が基本同じままで行きつ戻りつするので、間延びしてしまいました。そして、画面にテロップが多用されるから余計に、場所によってはいかにもテレビ演芸的なコテコテの笑いが目立ってしまって、のびる+人によっては少し冷めて感じられる部分もありました。
 
ただ、いざ後半の作戦を立てるくだりの笑いの波状攻撃は面白かったですね。どんどん畳み掛けていって、周到な計画のもと、万全の体制で討ち入りたいし、部下たちは守りたいとは思うものの、経済的な理由からそうもいかなくて、計画の変更のたびに一喜一憂する上司の心部下知らずって感じが、物語そのものと笑いのハイライトが重なるシーンにきっちりなっていました。

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© 2019「決算!忠臣蔵」製作委員会
一方で、全体的に芸人さんたちが演じる豪華な再現ドラマっぽい印象も強くて、これはっていうインパクトのある絵が少ないので、おいしいんだけど薄味、映画を観たという喜びを、江戸時代の裏事情を知れたという知識欲のほうが上回ってしまったというのが正直なところです。
 
それでは、この映画にチケット代2000円弱を払う価値があるやなしやというあたり、僕はそれでも十二分にあると思います。何かと物入りなこの時期だからこそ、切迫感をもって追体験できるやもしれない『決算!忠臣蔵』をあなたも体験してみてください。

このコーナーに入る前に、今週はYESの『Money』をかけたんですが、もう1曲これをと思って、クレイジーケンバンドスポルトマティック』をお送りしました。僕が20代半ばの頃、夢だけがあって金がなかった頃によくカラオケで熱唱していたナンバーです(笑)


さ〜て、次回、2019年12月24日(火)、クリスマスイブに扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『ラスト・クリスマス』となりました。もうこのタイミングしかない、後がない(笑)、そんな絶妙な采配でしたね。自分でもびっくり。これ、評判いいですよね。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『影踏み』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月10日放送分
映画『影踏み』短評のDJ'sカット版です。

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人々が寝静まった深夜。民家に忍び込んでは盗みを働く「ノビ師」が専門の泥棒、真壁修一。その技術の高さは、警察にも一目置かれるほど。ある夜、県議会議員の邸宅に侵入した真壁は、自宅に放火しようとしていた妻の姿を目撃します。その瞬間、彼の脳裏には、自分の家族に起きた20年前の事件の記憶が蘇るのでした。さて、その事件の真相は? そして、かつて法律家を目指した真壁がなぜ泥棒になったのか?

月とキャベツ [DVD] 8月のクリスマス [DVD] 

原作は『64 ロクヨン』や『クライマーズ・ハイ』などの映画化作品でも知られる作家、横山秀夫。脚本は2010年版の『時をかける少女』や『味園ユニバース』の菅野友惠。監督と主演は、それぞれ篠原哲雄山崎まさよし。このタッグは、まさよしさんの『One more time, One more chance』を主題歌にした96年の青春音楽映画『月とキャベツ』以来。そして、まさよしさんも映画主演は2005年『8月のクリスマス』以来ですから、久しぶりです。

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写真:有村蓮  ウェブサイト「好書好日」より

キャストは他に、真壁と学生時代から親交のあった久子を尾野真千子、真壁を兄貴と慕うチンピラのような男を北村匠海。さらには、中村ゆり竹原ピストル滝藤賢一鶴見辰吾大竹しのぶら豪華キャストが集いました。

 
もう公開館数が減ってきてはいるんですが、配給が東京テアトルということもあって、テアトル梅田が良かろうと、先週木曜日夕方に観に行ってきましたよ。では、映画短評、今週もいってみよう!
僕にとっては『月とキャベツ』がかなり思い出の詰まった作品ということで、まずこの座組に惹きつけられました。山崎まさよし鶴見辰吾以外にも、謎の少女ヒバナを演じていた真田麻垂美がチラッと図書館で出てきて、ワオってなったりして。っていうのは、ファンへの目配せなわけですが、もうひとつ2作の大事なつながりは、群馬県というロケ地です。小栗康平監督が『眠る男』を撮影した廃校となった中学校を改装した伊参(いさま)スタジオという場所があって、そこでは映画祭も実施されているんです。原作の横山秀夫はそこで審査員をしていて、横山ファンである山崎まさよしと出会い、「ぜひ僕の原作の映画にいつか」という横山氏の言葉を受けて、『月とキャベツ』の松岡プロデューサーが今回の企画を立てました。
 
横山氏は「今回の群馬オールロケが視覚的な通奏低音として統一感をもたらした」という趣旨の発言をしています。僕もその効果は大きいと考えています。今では珍しいドライブイン。うどんやトーストの自動販売機なんて、もうなかなかないですよ。他にも、警察署、駅前旅館的安宿、こぢんまりしたネオン街のスナック、刑務所や裁判所の様子っていうのが、テーマとなっている地方都市の閉塞や家族という血の息苦しさを描く上で、絵に説得力をもたせていました。フィルム撮影ではないと思うんだけど、闇の場面にもそんな味わいがありました。

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(c)2019「影踏み」製作委員会
そして、俳優陣もそれぞれに熱演していました。山崎まさよしは、特にその佇まいや姿勢で悲しみを背負った「影」を体現していましたし、大竹しのぶの悲壮感・絶望、滝藤賢一の得体のしれなさ、それから細かいキャラクターで言えば、真壁をマークする刑事の助手のいい意味での上っ面感とかね、みんないい味を出していました。
 
がしかし! 実は僕、決して高くは評価しておりません。映像化は極めて難しいと言われていたこの原作。その困難を突破するために、キャスティングや役作りが念入りに行われ、物語の半ばで明らかになる、とある大胆な仕掛けが用意されています。これはね、驚きもあるし、一定の成功を収めているんですが、そこに注力しすぎたのか、肝心のストーリーの骨格、輪郭がぼやけているんです。実際のところ、かなり複雑な話です。複数の事件とその背後の人間関係のこじれや鬱屈とした心情があって、それらが交差しているはずなんですけど、交差点ばかりが強調されて、そこにいたる道筋がはっきりしないので、わかりそうで色々わからないんです。描く描かないのメリハリなど、整理が必要です。だって、終盤で「お前か、こいつめ!」っていう展開があるんだけど、あの人の事情なんて描写がすっ飛んでますから。

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(c)2019「影踏み」製作委員会
そうしないと、せっかくのあのシンボルツリー、丘の上で過去と現在がクロスして未来を見据えるあのせっかくのキメの構図も白々しく見えてしまうんです。
 
面識もある監督だし、思い入れのある座組だけに、言うことは言うというスタンスで、評しました。でも、これはあくまで僕の評価ですから、あなたも劇場で。テアトル梅田の今やレトロな劇場の味わいも、この映画の鑑賞を一層味わい深くしてくれますよ。


山崎まさよしサウンドトラックも手がけていて、クレジットを見ていると、そちらはまさよしも漢字になっていて区別されていました。映画の最後にこの同名の主題歌を聴くと、歌詞の「影」や「ブランコ」に込められた意味、そのシルエットが、こちらはよりくっきりとしてきます。

 
ひとつ付け足すとすれば、トムカさんというリスナーからの指摘にもありましたが、女性のキャラ付けがいずれも受け身で、さすがにこの時代の設定としてはどうなのかと僕も思いました。演歌の世界じゃないんだから。


さ〜て、次回、2019年12月17日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『決算!忠臣蔵』となりました。「え〜と、何かと物入りな師走に映画で1000円から2000円か〜」なんて算盤勘定は御無用。「討ち入り、やめとこか!」なんてコピーが踊っていますが、あなたはお近くの映画館へ討ち入るべし! 鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月3日放送分

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1988年。アメリカ、メイン州の田舎町デリーで暮らしていた7人の少年少女は、虐待、潔癖症、弟の死、差別など、それぞれに心の傷を抱えながら、学校や社会の片隅で生きていて、『ルーザーズ・クラブ』を結成していました。そんな彼らの前に現れたのは、残酷で情け容赦ないピエロの怪物ペニーワイズ。何とか追い払うものの、それは27年の周期でまた戻ってくるといいます。そして、27年後。やはりそれはやって来ました。7人はそれぞれに立派に成長していましたが、それは「それ」に関する記憶を忘れていたから。再び結集した彼らは、ペニーワイズとの第二ラウンドにしてラストラウンドに臨み、自らのトラウマとも向かい合うことになります。

IT(1) (文春文庫) 

86年に出版されたスティーヴン・キングの同名小説を原作とし、まずは90年にテレビドラマ化、その27年後ってとこがリアルで怖かったんですが、2017年に映画化され、ホラー映画というジャンルではベストの興行収入を記録するなど、大ヒットとなりました。僕も当時担当していたFM802 Ciao! MUSICAで短評しました。あれから2年、その続編にして結末が描かれます。

監督は、前作に引き続き、アルゼンチン出身の若手注目株アンディ・ムスキエティ。『進撃の巨人』ハリウッドリメイクの監督も決まっています。ルーザーズ・クラブのキャラクターたちがアラフォーになっているので、もちろんキャストは一新。ジェームズ・マカヴォイジェシカ・チャステインが出演。一方、もちろんペニーワイズは今回もビル・スカルスガルドが演じています。っていうか、「顔を貸してます」って感じかな。
 
僕は先週金曜日の午後にMOVIX京都で観てまいりました。老若男女問わず、客層は幅広くて、公開から1ヶ月経っているにも関わらず、結構はいっているなという印象でした。それでは、僕がこの続編をどう受け取ったのか、映画短評、今週もいってみよう!

僕は前作を概ね高く評価していました。振り返って少し引用すると… 「『スタンド・バイ・ミー』や『グーニーズ』にあるような、はみだしっ子たちの連帯。思春期特有の性への興味と恐怖が描かれる、チームでの成長・ジュブナイルものとして、爽やかにすら観られるパートもあって、実は間口の広い映画。彼らがどんな大人になるのか、27年後を舞台とするのだろうチャプター2が今から楽しみです」
 
楽しみにした結果なんですが、僕にはどうも楽しみきれませんでした。なぜか。これは1もそうだったんだけど、やたら思わせぶりなんだけど、どうもその結果が伴わない。むちゃくちゃ怖いし、この後どうなるんだって思わせるのはすごく上手いんだけど、フリが上手ければ上手いほど、それを回収しなくちゃいけないという問題が浮上します。で、その落とし前をつけてくれるのかっていうと、そうでもないのがもどかしいんです。これはホラーというジャンル映画なんで、別に何から何まで正体を明かせとか、ミステリーのように謎解きをしろだなんて言っていません。うやむやだからこそ楽しめるというジャンルでもあるんでね。その意味で、ムスキエティ監督は、思わせぶり演出はやっぱり長けているんです。死霊館シリーズを書いてきた脚本のゲイリー・ドーベルマンもそう。

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たとえば、ペニーワイズが再び街に戻ってくる導入部。後にまた舞台となる遊園地で遊んでいたゲイカップルが、不寛容で保守的な不良グループに暴行されますね。差別と暴力をセットで受けた弱者のもとに、ペニーワイズがとどめを刺しにやって来る恐怖。風船、血で書いた文字など、モチーフのおさらいも抜かりない。で、その事件を合図に、唯一街に残っていたルーザーズ、黒人のマイクが仲間たちを呼び戻す。フリとしてすごく効いてます。他にも、無垢な未就学児童の女の子がペニーワイズの餌食になる様子もありました。あそこも怖かったし、遊園地の鏡の間も映像的に面白かった。先日評した『グレタ/GRETA』同様、老婆が突如披露する若者もびっくりな軽快なダンスの怖さもありました。
 
と、ここで思い出していただきたいのが、作家になったジェームズ・マカヴォイ演じるビリーです。彼は、劇中で繰り返し揶揄されていたんですよ。「君の話は面白いが結末が良くない」と。なんと、彼がかつて乗っていた自転車を取り戻すリサイクルショップの店主としてカメオ出演していた原作者スティーヴン・キングにも同様のセリフを言わせているのが強烈なんだけど、残念ながら、僕はその言葉通りにこの映画もなっていると思います。

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僕が考える問題点はふたつ。ひとつは、その構成です。一旦集ったルーザーズ・クラブのメンバー全員のトラウマを、ご丁寧にすべて振り返るんですけど、前作をなぞる部分も多くなるし、いくらトラウマがそれぞれとはいえ、見せ方がさすがに似たりよったりになるばかりか、各エピソードのつながりがないので、連ドラっぽくなるんですね。結果として、ただただ尺が伸びるばかりで、だんだん飽きてくる。そのうえで、ペニーワイズと対決するわけですが、結局「それ」が何なのかよくわからないため、すっきりしない。僕はむしろ最初からスッキリしないほうが怖いと思うんですよ。だって、ITというタイトルが象徴するように、そもそもひとつの恐怖じゃないものでしょ、ペニーワイズってのは。コックリさん的な集団で感じる恐怖に近いものではないのかと。言わば、それぞれのペニーワイズがあるものじゃないのかと。これは原作の問題でもあるのかもしれませんが。だから、変にあの恐怖の館にまとめられても、どうも納得できないんですね。

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もうひとつの問題点は、怖がらせ方。ホラー映画というジャンルへのリスペクトもあるのかもしれないけど、基本的にお化け屋敷っぽい突如驚かせるサドンデス方式が続くんで、途中から先が読めて笑っちゃうのはどうなんでしょうか。
 
その意味で、結論を出しきる必要のなかった前作のほうが、今思えば完成度は高かったように思えます。謎をうまく残してほしかったんですよ。これだと、色々散らかっただけというか。と、ついくさしてしまいましたが、コミュニティから爪弾きにあった人、何かを失った人がどう立ち直るのか、その時には信じることのできる誰かの存在と過去と正面から向き合うことが必要だというメッセージについてはしっかり受け取ることができる作品なのは間違いないので、未見の方は映画館という恐怖の館へ足を踏み入れてみてください。
ここではやはり、New Kids On The Blockを聴いておきましょう。かつて肥満気味だった少年ベンが現実逃避先として夢中になっていたのが、彼らの音楽で、今回もチラッとその様子が振り返られていました。
 
コーナーの尺もあって、あえて放送では言いませんでしたが、僕はこの続編を観ていて、『笑ゥせぇるすまん』を思い出したんです。なんでだろ? ペニーワイズに喪黒福造の影を見てしまった格好です。
さ〜て、次回、2019年12月10日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『影踏み』となりました。来週のFM COCOLOはサンクス・ウィーク。スタジオの映画神社が空気を読んだのか、マンスリーアーティスト山崎まさよしさん主演作となりましたよ。篠原哲雄監督との、あの『月とキャベツ』以来となるタッグ。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

映画『ひとよ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月26日放送分
映画『ひとよ』短評のDJ'sカット版です。

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地方都市でタクシー会社を経営する父親の熾烈な家庭内暴力から子どもたちを守るため、2004年、母親が夫を殺害します。彼女はその直後に子どもたちを集めて事情を説明し、刑期がどれほどになるかはわからないけれど、15年経ったら戻ると言い残して、そのまま出頭。それから15年。親のいなくなった長男、次男、長女の3兄妹は、それぞれに心に傷を追ったまま、曲がりなりにも人生を過ごしてきました。そこへ母が戻ってきます。家族は、そして社員に引き継がれていたタクシー会社はどうなるのか。

凶悪 サニー/32 

原作は劇団KAKUTA主宰の桑原裕子が2011年に初演した舞台です。監督は、僕が最もインタビューしている映画監督にして日本映画界若手の筆頭である白石和彌。脚本は、『ソラニン』で知られる他、白石監督と『凶悪』や『サニー/32』で組んできた高橋泉。キャストも粒ぞろいです。母親を演じるのは田中裕子。吃音症で現在は電気店に務める長男を鈴木亮平、かつては作家志望で現在はフリーライターの次男を佐藤健、美容師の夢を諦めてスナックで働く末娘を松岡茉優が担当する他、タクシー会社に中途入社してきた中年男性に佐々木蔵之介が扮します。さらには、白石組常連の音尾琢真MEGUMI、千鳥の大悟なども出演しています。
 
当番組では11月4日に白石監督をお迎えしましたので、僕は公開前に試写で作品を拝見していました。はっきり言って、僕は彼のファンではあるんですが、いったんその気持ちは引き出しに閉まっての、映画短評、今週もいってみよう!

白石監督は疑似家族的な人間関係の物語をテーマに、そのほとんどを地方都市を舞台に撮り続けてきました。たいていの登場人物には、どこか常軌を逸した過剰さがあって、その当事者と周囲の人間が、その出過ぎた杭とどう折り合いをつけていくのか、つけていけないのかといった物語の鋳型があるように思います。それはつまり、社会の周縁で、言わば土俵際で不器用に踊ったり踊らされたりする人たちの哀しきダンスを見せるものでした。社会という名の端に切り立つ崖から落ちそうになっている人たちをカメラという網ですくい取るような、キャッチャー・イン・ザ・ライ的な監督とも言えるのではないでしょうか。で、今回は、血縁でぎちぎちに繋がった家族ものにスライドしたのかなと思ったんですが、先日放送したインタビューで監督も言っていたように、血縁と、会社という非血縁関係で繋がる疑似家族、その双方の合わせ技にまとめています。テーマとしては、今までよりも一歩踏み込んでいるんですね。

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そこで大事になるのが、空間的な演出。これはもともとは演劇で、舞台上にはドンとタクシー会社のセットがあったようですが、映画ではカメラを外にも持ち出すわけですから、演劇ほど、あの住居兼会社に居座るわけではないんですが、それでも、監督を含めた製作陣は実在する建物が醸し出す雰囲気にこだわって、セットを建てず、ロケハンに普通じゃないほど多くの時間を割きました(ただ、今回の場合はどこにでもある匿名的な地方都市を描いているので、そのロケ地をここで特定することにあまり意味はありません)。
 
その成果となる室内シーンで印象的だったのは、ライターである次男が帰省して上がりこんだ部屋で、自分が過去に父親から受けた虐待を回想する場面です。佐藤健が室内の一角を見つめると、その記憶が蘇るんですが、そこでカットを割るのではなく、カメラを佐藤健の視線の方へ向けると、そのまま幼い次男が現れて、父親にボコボコにされる様子が地続きに見える。あれは、人間の記憶がいかに空間と紐付いているのか、そこに染み付いているのかを示すすごい演出でした。

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一方、外では彼らはよく自転車やタクシーといった乗り物で移動しています。そこに広がるのは、監督が描き続けている疲れた地方都市の姿でした。なんとなくどんよりとしていて、広い空間なのに閉塞感の漂う様子が映し出されていましたね。ユニークだと思ったのは、そこで声が大事な役割を果たすこと。タクシーの無線や電話が、隔たれた空間をつないでいました。そして、乗り物は往々にして故障します。次男が父親の墓参りに行こうとまたがった自転車は、タイヤの空気が足りないし、かつての事件を嗅ぎつけられて嫌がらせを受けた会社のタクシーも、タイヤの空気が抜かれていました。
 
その究極の形が、映画独自のシーンであるクラッシュです。15年の空白があって、ぶつかろうにもぶつかることすらできなかった家族と擬似家族が、文字通り、あるいは映像通りクラッシュする夜。これは15年前の父親の殺人シーンも観客の中でフラッシュバックさせる効果もあげていました。

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とある揉め事を経たところで、疑似家族的タクシー会社の、音尾琢真演じる社長がこんなことを言っていました。「巻き込まれてやれよ。行動でしか思いを伝えられない人だって知ってるだろ」って。これ、考えてみれば、映画そのものもそうじゃないですか。行動、アクションで伝えるメディアである。で、何を伝えるかって、登場人物たちの、やり直しなんですね。ひとりひとりの、そして共同体としてのやり直し。みんなそうでした。
 
で、最後に、次男とカメラを乗せたタクシーが、会社を離れて駅へ向かうところ。ここもカットを割らず、カメラは後部座席の佐藤健とリアのガラス越しに、家族と疑似家族をまとめて捉えます。車はグルっと敷地中央のポールを巡って外へ。それに伴い、一度視界から消えた人々が、またフレームイン。あのラストの余韻はたまりません。
 
白石監督は、またひとつ、見事な作品をものにしました。今後、少し休まれるようですが、次の作品が既に楽しみ。必ずや年度末のマサデミー賞に絡む一本をぜひ劇場で。
昔は嫌だったろうけど、親と暮らした故郷に帰るのも悪くないぜとBon JoviがJennifer Nettlesと歌うWho Says You Can't Go Homeをかけようかなと用意していたんですが、リスナーBerioさんの感想を目にして、岡村孝子『夢をあきらめないで』へと直前にスイッチしました。劇中で松岡茉優がスナックのカラオケで酔っ払いながら歌う様子が切ないんですよね。
映画では、こちらも白石監督とのタッグが続く大間々昂サウンドトラックがバッチリしっくりきています。大間々さんはそれにしても幅広い!


さ〜て、次回、2019年12月3日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』となりました。ほんと、もう! なんなのよ! だいたい、スタジオのマイクの風防が赤いんですよ。ピエロっぽいんです。怖いんです。正直、嫌です(笑) とはいえ、前作も短評していたことですし、甘んじて受け入れるとしましょう。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

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