京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

冒険は期せずして始まる

私が来る日も来る日も通い続けているチネチッタの歴史は古い。
その成り立ちはファシズム政権時にまでさかのぼる。
映画を政治的プロパガンダの格好の道具として利用すべきだと息巻いたムッソリーニは、
1935年、ローマ郊外に巨大な撮影所の建設を計画した。
実際にイタリアの国策映画が例えばドイツにおけるように成功したかどうかは微妙なところだが、その莫迦でかいスタジオは自他共に認めるナンバー・ワン好みのムッソリーニの気持ちを満足させるには十分だった。
1936年1月29日着工のこの施設は、わずか1年余りという急ピッチの工事によって、翌37年4月21日、大規模なオープニングセレモニーとともに、その複雑な歴史の幕を開けることになった。

「映画は最強の武器である」
当時のこのスローガンはあまりにも有名だ。

スタジオの総面積は14万平方メートル。
甲子園球場がすっぽり3個半入る大きさだ。
タイガースファンの私としては、
ここはあえて広さの尺度として
東京ドームを用いるのを避けた。
その結果、
3個半という中途半端な数字が出てきたことを
ここに詫びる次第である。

  (ところで、
  球場を1個2個と数える風潮にもの申したい
  気持ちはあるのだけれども、ここでそんなことを本格的
  に言い出すと話が完全にファールグラウンドに到達する
  という愚かな事態に陥ってしまう危険があるので、ここは
  ひとつ体制に順応してみることにした。
  まぁ、どうでもいいことなのだけれど…)

さて、こんな前置きで私が皆さんに理解してもらいたかったのは他でもない、このスタジオの広さである。

長崎における青春時代、北大阪における花の大学生時代、旅行会社における添乗員時代、そのいずれの時代においても天性の方向音痴っぷりをいかんなく発揮してきた私にとって、チネチッタの巨大さはまさに脅威以外の何物でもなかった。

前回の文章では「スタジオ内を知り尽くした今でこそ・・・」
などと大風呂敷を広げていた私だが、今ではそんなものさっさと畳んで押入れの奥にでもしまってしまいたい心境である。
そう、要するに大見得を切った全くのでまかせだったのです。
実際のところ、現実の私にとってみれば、チネチッタ内の学校に通い始めて半年が経過した今もなお、スタジオの大部分は未知の世界として神秘のベールがかかっているのだ。

通学路以外の部分に興味がないというわけでは決してない。
好奇心は旺盛な私だから、敷地の全てをちゃんとこの眼で確認したいという気持ちもある。
甲子園3個半という巨大さも私への挑戦ではないかという疑念すら心に浮かぶこともある。
しかしだ。
調子に乗ると痛い目にあうということもよくよくわかっている。
何しろスタジオ内にはどれも似たような建物が乱立しているので、私からすればほとんど迷路も同然の世界であり、そこへ単身でコンパスもなしに乗り込むというのはあまりにも危険なことなのである。

こういった事情から、私は集団下校する小学生のごとく、どんなことがあっても通学路から道を踏み誤らないよう、いつも神経を研ぎ澄ませていたのだ。

ある日、授業が予定よりも早く終わった。
私は学校脇のテリトリー内にあるスタジオのバールで友人たちと談笑していた。
そこで級友たちは、驚嘆すべき計画を練り上げてしまった。
驚嘆しているのはどうやら自分だけだというこれまた驚嘆すべき事実に気づいた私は、
やっとのことで自らの驚嘆さ加減を顔色から悟られないよう努力した。
スタジオ内を探索してみようというのである。
ついにこの日がやってきたのだ。
私は好奇心から生じる喜びと方向音痴から生じる不安の間で板ばさみとなった。
この板ばさみ加減も悟られてはなるまいとしたのはいいものの、もはや私の顔面には様々な感情がごった返してひしめき合い、相反するベクトルを持った種々の想いが交錯し相殺し、結果としては恐ろしくニュートラルな表情になっていたというのは不思議な現象である。

そんなニュートラルな私が友人たちの誘いを断れるはずもなく、いつのまにやらギヤは1速に入り、私はゆっくりと前進し始めた。
5人も仲間がいる。
既に未知の領域に足を踏み入れたと豪語する猛者もその中には混じっている。
どう考えても道に迷うことはなさそうだ。
ギヤは2速に入り、さらには3速へとチェンジしていく。
潜在的に備えていた冒険心はその長い眠りから覚め、いつしかギアはトップへ。
もう後戻りはできない。
友達からはぐれないよう歩き続けること5分。
私は眼前に広がる光景に我を疑った。
「ちょっとしか歩いてないじゃないか、何を大げさな」と指摘されるかもしれないが、
そのとき脳裏に浮かんだのはこんな言葉だった。
「私たちはいったいどこまで歩いてきてしまったんだ…本当にここはローマなのか?」

だって、私たち、ニューヨークにいたんですもの!!

続きます。