京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

ひげ店長と気だるい昼下がり (旧ウェブサイトコラム『ローマで夜だった』)

 時の流れは無情なもので、もはや9月だ。こちらの希望や事情を聞き入れることなく我が道を歩み続ける時間には常日頃から不満を抱いてはいるのだけれど、時が流れれば季節が変わるというメリットを見逃すわけにもいくまい。あの鬱陶しくも憎めない夏、いや、憎めないが鬱陶しい夏が過ぎ去ろうとしているわけなのだから。

 大阪では残暑も残りわずかということなのだろうが、ここローマはどういうわけか暑さはまだまだ本番の様子である。ローマは、いまだ汗ばんでいる。そして、ローマからは爪弾きにされている感もあるエリアに位置するこのローマ支部だが、どうせなら気温に関しても爪弾いてくれればいいものなのに、当然ながらそういうこともなく、暑い。なおも限定すれば、ODCの電脳本部たるパソコンルームも非常に暑い。ここまでくると、非常というよりは非情といったほうが適切である。

 屋外はともかく、屋内がどうしてそうも暑いのか、不審に思われる読者もおられるだろうから端的に種明かしをしておくとしよう。いや、そうは言っても、この暑さには種も仕掛けもない、要はエアコンがないのである。考えてみれば、まだ電脳本部が大阪にあった去年を振り返ってみても、同じ状況に喘ぎ苦しんでいた(有北クルーラーのコラム「いちご50%」を参照ください)。何という進歩のなさ。地中海性気候特有のからっとした空気が救いと言えば救いではあるが、そのカラリ感もひっきりなしに吹き出す汗ですっかりおじゃんである。しかも、大阪にあった本部の場合、パソコンルーム以外にはエアコンがあった。容赦ない暑さを回避するためのシェルターがあった。ところがどうだろう、ここローマ支部にはそんな避難所すらない。エアコンなんて、どこにもない。進歩はおろか、後退である。しかしぼやいてばかりもいられないので、ともかく発汗により失った水分を取り戻すべく、咽喉は常に飲料を希求している。ここはキンキンに冷えた麦酒でもあおりたいところではあるが、それでは仕事にならない。ここが日本なら、仕方なくアルコールを排除して麦茶ということになるのだろう。しかし、ローマでは麦的な飲み物となると麦酒しかない。しかし、それではやはり仕事にならない。しかし、喉は喉で「何かよこせ」と小うるさい。弱ったものだ。気づけばいつも、この「しかし」づくめの袋小路に陥ってしまう。そこで、仕方なく麦を諦め、ここはひとつ茶へ移行しようかという結論に至る。しかし、それでもやはり問題が付きまとう。ここイタリアでは、茶を楽しむ文化が熟成していないのである。確かにブームにはなっているし、スーパーに行けば、紅茶はもちろんのこと、日本茶も手に入る。しかし、その底の浅さはどう表現すればいいのだろう。ありていに言えば、こだわりがないのである。

 ひとつエピソードを紹介しよう。
 ぶらぶらと街を散歩していると、どういうわけか無性に美味しい紅茶が飲みたくなってきたことがある。とそこへ、思いもかけず、「紅茶なら負けません」とった看板を誇らしげに掲げるバールがあったので、すかさず飛び込んだ。白を貴重としたモダンな店内はとても感じがよく、珈琲をメニューの基本にすえるイタリアの伝統的なバールとは確かに違う雰囲気だ。脳裏には早くもアツアツのポットの中で楽しそうに踊る茶葉が浮かび上がる。茶葉のみならず、こちらの心も躍ってくる。きちんとした身なりとひげの店主がオーダーを取りにやってきた。

 「あの、紅茶をお願いします」
 紅茶という言葉に反応して、ひげがぴくりと動く。
 「そうですね、お客様、一口に紅茶と申されましても、当店にはたくさんの種類がご用意してございます」
 「ほう、じゃぁ、どうしようかな」
 「では、こうしてはいかがでしょう? 後ほど、私が茶葉を一通りお持ちいたしますので、ご覧になってからお決めになっては」
 「なるほど。名案ですね。じゃ、そうします」

 こうなってくると、期待はいやがうえにも高まってくるというものだ。僕は珈琲党だし紅茶には詳しくはないが、こういうイベントがともなってくると、通にでもなったような心持ちで何やら楽しい。さらに、店長のあの自信に満ちた表情はどうだ。もはや大船に乗った気持ちで待ち構えていると、くだんのひげ店長が木製の箱を小脇に抱え颯爽と登場した。

 「こちらからお選びください」

 ひげは木箱を僕の前にきりりと配置する。僕にはそれが宝箱のように見える。そして、いよいよその蓋が開けられる… その瞬間、僕の乗り込んだ大船はあえなく沈没した。なんと、そこにはティーバッグが並んでいたのである。ショックがあまりに大きかったのだろう、それ以降の出来事は、残念ながらあまり記憶していない。

  
 イタリアの紅茶事情というのは、えてしてそういうものなのだ。美味い紅茶にはそうそう巡り会えるものではない。だいたい、友人の家に遊びに行って、ティーポットを見たことすらないのだ。まぁいい。そもそも僕にはそこまで思い入れがないのだから。そこでこちらも歩み寄ることになる。所詮は紅茶だ。僕にしてみれば、何もそこまで美味くなくてもいいじゃないか、どうせ味などわかりはしないんだ。紅茶○伝とか、そういったレベルでいいんだ。そうやって割り切り、いざ、ひいきのスーパーに足を向ける。ペットボトルのコーナーをよく見てみると、「なんだ、あるじゃないか、やればできるじゃないか」、コーラの横には、何種類かの紅茶が売られていた。夏ということでアイス専用の1,5リットル入りだ。ちなみにイタリア語で夏はエスターテ(estate)、紅茶はテ(te)という。そして、商品名は、エスタ・テ。わかっていただけるだろうか? 完全にシャレである。言葉遊びである。どうにも軽薄そうな感が拭えなかったのだが、あまりの安さに3本セットで購入してしまった。冷蔵庫でキンキンに冷えるのを待ち、もはやサウナと化した昼下がりのパソコンルームで、その味を確かめてみた。もちろんたいした期待はしていなかったが、うっすらとは存在した淡い期待も、あえなく霧散してしまった。見事なまずさ。名前だけでなく、味も軽薄そのものである。紅茶の繊細な味わいを台無しにする無尽蔵な甘さ。過剰に鼻腔を刺激する香りは、あきらかな後付けだ。それでも、「この商品が悪かっただけかもしれない」とポジティブにあのテこのテを試してはみたが、なしのつぶてだった。どの商品にも共通する、紅茶を侮辱しているのではないかとすら思える味わいには、文字通り舌を巻いた。

 さて、麦も紅茶もダメとなると、僕の喉はどうなるのか? いや、僕だけに限らず、イタリア人の夏の喉はいかなる飲み物によって潤されるのか? 結論から言えば、それはやっぱり珈琲なのである。しかも、アイスコーヒーではない。ホットなエスプレッソなのである。暑いというのにどういうわけなのか、その辺の事情はまた次回。