京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

シネマテークとは何か

 先日チネテカ・ボローニャでの上映が終わって席を立ち帰途につこうとしたその時、後ろの方の座席でイタリア人の若者たちが、「こないだからさあ、『シネマテークにしねまっていこ』っていうコラムが始まったの知ってる? なかなか興味深いね」と言う声が聞えてきました。コラムを始めるのみならず、なおかつそれを読んでくれる人がいるということは、僕たち書き手にとっては他でもなくうれしい限りです、などと思っていたら、返す刀で曰く、「冗談が良くも悪くも洗練されているから、あれは虚構でありながらすでに現実なんだよね」とのこと。難しいことを言います、学術都市ボローニャの若者たち、全く意味がわかりません。どういうことですか、「虚構でありながら現実である洗練された冗談としてのコラム」。一つのキャッチ・コピーを打ち出すことにより熱弁を奮い始めんとする理論派らしいピエルパオロに、一見して素朴であることがわかるチェーザレ(隣の女の子が彼をそう呼んでいたので間違いないでしょう)が訊ねます、「じゃあ結局、あれは本当のことを言っているのかそれとも単なる冗談なのかい?」。ピエルパオロはその実に素朴な問いにやや面食らいながらも答えます、「つまりね、あそこに記された90パーセントは軽い無意味な冗談として受け流して良いんだ、問題はその分厚すぎる表層としての冗談の向こう側に、『内なる美』としての本質、つまり著者の意図があるように僕は感じたんだ。わかるかい? 読み手が不感症でない限り、きっと思うはずなんだよ、そもそもシネマテークって何なんだ、ってね。その問題提起を、遠回りで回りくどくゴテゴテ飾った言い方をしたのがあのコラムなんだ」。僕は嫌な汗を脇の下に感じながら、足早にその場を去りました。
 
 「○○とは何か」という具合に物事の真理を探究する学問を哲学と呼ぶのであれば、今回で第二回をめでたく迎えるこのコラムはさしずめ「シネマテーク哲学」ということになりましょうか。否、このコラムは学問を目指してはいませんので、その意味において今日の話題もこれからも、哲学であることはまずありません。とは言え前回、記念すべきオープニングに「シネマテークに通う」という意味の造語「しねまっていく」を手元にある映和中辞典を参考にしながら取り上げたにもかかわらず、そもそも「シネマテーク」って何なのだろうか、という問題とその答えを丸投げにしてましたので、結局のところ今回は「シネマテークとは何か」についてのお話です。

 手元にある辞書を繰ると「シネマテーク」の項には以下のようにあります。

シネマテーク】 芸術的、歴史的、あるいは何らかの点で資料的価値のある、映画に関する素材(主にフィルムであるが、スチル写真、脚本、スケッチ、ポスター、映画人の遺品なども含む)を収集、分類、保存し、研究者や一般人に対ししかるべき閲覧と上映を通じてそれらの利用を可能にする場所とその主宰団体。こうした素材の一時性あるいは傷みやすさ、さらにそれに伴う稀少価値を考慮すれば、シネマテークによって展開される仕事が、映画史を形成する材料の保護という目的においてはその根本を成すということは言うまでもない。

 また、語源をたどれば、「シネマテーク」は「シネマのテーク」ということなのですが、シネマの語源はこの際割愛するとしても、それでは一体「テーク」とはなんでしょう。再度辞書を参照すると「ギリシャ語起源のラテン語”theca”に由来。『(なにかを)収める箱、場所』の意」とあります。とすると「シネマテーク」は「シネマを置いておく場所」、つまり「映画を保存する場所」ということになります。確かに、本(biblio-)を保管する場所を「ビブリオテーク(図書館)」、ワイン(eno-)を仕入れて売る場所を「エノテーク(酒屋)」、ウィスキー専門店を「ウィスキーテーク」、収集されたレコード(disco)の音楽で踊る場所を「ディスコテーク(ディスコ)」と言います。映画作品に特化した保管場所を「フィルモテーク」、それがビデオなら「ビデオテーク」と使い分けていることからも判るように、どうやら「シネマテーク」では、映画にまつわる全て(シネマ)を保存しようとする思惑あることがその呼称に垣間見える気がしませんか?先に挙げた例からも判るように、図書館は所蔵作品の閲覧が可能ですし、酒屋は何のためにワインを集めるかと言えばそれは売るためですし、ディスコに至っては、その場所の実際の機能が本来の言葉の意味に取って代わった結果、「ディスコテーク=踊るところ」という具合に、場所の存在目的が前面に押し出されて、今日の言葉として僕たちに伝えられました(日本語としては死にかけてますけど)。

 では結局のところ、「シネマテーク」の存在目的、つまりその本質は一体何なんでしょうか。これまで考えてきたことから「シネマテーク」とは、映画全般について保存し、それを公開する役割を担う施設/団体、と一応の定義づけができそうです。様々な解釈があるはずですが、少なくともこのコラムではこの理解で話を進めていきましょう。上映機能を持つ資料館なのか、あるいは保存機能を持つ映画館なのか、と問われれば、現時点ではそのどちらでもあると答えるに留めます。今のこの理解の向こう側に、早晩「シネマテーク」は「見せる」ことを目的としているのか、それとも「保存する」ことそれ自体が目的なのか、という問いが浮かび上がるはずですが、それについては追々考えていくことになるはずです。

 取るに足らない、にもかかわらずこのコラムにとっては大事なワケ(語呂の良さと冗談の兼ね合い)あって、当コラムのタイトルでは「シネマテーク」というフランス語をこれまで用いてきました。僕自身が些細なことに拘泥した結果ですので、その果たすべき責任と、映画の生まれた国であり「シネマテーク」の重要性を世界に知らしめた国であるフランスに敬意を表し、次回以降、当コラムでは、映画(シネマ)を保存し展示し上映する機能を持つ施設の総称、先ほど定義づけた「シネマテークという施設一般」を「シネマテーク」と記すことにします。同時に、身近な「シネマテーク」で、それ故にこれから「シネマテーク」について綴っていく中で具体的な例になるであろうイタリア国内の「シネマテーク」を「チネテカ(転用であることは明らかです)」、特に説明のない場合には修飾語を伴わない「チネテカ」はより身近でより具体的に言及することになるボローニャ市立シネマテークCineteca di Bolognaを指すことにし、ローマのそれならば国立チネテカ、フリウリ市のチネテカならばチネテカ・フリウリという様に、混乱のないように何とか使い分けていこうと思います。ご理解いただければこれ幸い。  (つづく)

=参考文献=
伊和中辞典(第二版一刷)、小学館、1999年発行(初版は1983年)
lo ZINGARELLI - vocabolario della lingua italiana (cd-rom), Zanichelli, Bolonga, 2003
Enciclopedia del cinema (2 ed.), Garzanti libri, Milano, 2005

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