京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ペッピーノの百歩』② 〜シチリアのマフィア〜

 今回は、マフィア(Mafia)について書きたいと思います。僕はマフィアというと、映画『ゴッド・ファーザー』シリーズのイメージしかなかったのですが、調べてみるとこれがなかなか奥が深いのです。それに映画『ペッピーノの百歩』の基本路線は、ペッピーノ青年のマフィアへの対抗なので、避けては通れません。そんなこんなで、今回はマフィアです。
 まずは、「マフィアって何?」というところから始めますと、マフィアとは19世紀中ごろにシチリアで現われた秘密結社で、目的達成のために違法な手段を用いる犯罪集団のことです。狭い意味では、シチリアのマフィアのみを指すのですが、現在では広く犯罪者集団一般を指すものとして使用されています。たとえば、ヤクザを「日本のマフィア」と言ったりもします。なお、マフィアはより正確には「コーザ・ノストラ」(Cosa Nostra)と言います。これはイタリア語で、直訳すれば「我らの事」となりますが、その意味するところは「我らの世界・伝統・価値」です。
  ここで、マフィアを理解する上で重要なものとして、「沈黙の規範」(Omerta)を挙げておきます。これはマフィアの掟のことで、「警察や政府への非協力」を意味します。犯罪の存在を知ったとしても、それを警察に通報してはいけないのです。さらに、無実の罪で起訴されたとしても、その判決を受け入れなければならず、犯罪の真相(マフィアの関与)を警察に話すことは禁じられます。この「沈黙の規範」を破ることは死を意味し、それは女性や子供にも適用されます。映画中でも、自らの夫を殺した犯人を知っていながら、泣き寝入りせざるを得ない女性の姿が描かれています。どうやら、マフィアの世界では個人よりも全体の利益が重視される、と言えそうですね。

 さて、ここからはシチリアにおけるマフィアの歴史の流れという時間軸に沿いつつ、マフィアの行動・役割・国家機関との関係などについて触れていきたいと思います。また、それらと映画の各場面との関連付けも同時に行います。
 まず、マフィアの起源なのですが、これには諸説があり学者の間で見解が一致しているわけではないようです。ひとつの説としては、15世紀に起こったスペイン人の侵略からシチリアの人々を守った秘密結社がその起源だとするものがあります。マフィアの原型はシチリアの守り神だったわけです。しかし、この説を裏付ける歴史的な根拠は乏しいとされています。さらに、この説は後のマフィアがシチリアの人々から好意・信頼を得るためにでっち上げた話だとする見解もあります。
 シチリアは1848年と1860年の独立革命のあと、完全な無秩序状態に陥ります。独立派が、独立を求めて反乱を起こしたのです。このとき、マフィアはそうした独立派の兵士に武器を提供しました。これに関して、マフィアは独立を求める市民を支持したと理解することもできますが、一方で革命の混乱に便乗して警察が持っているマフィアに関する文書・証拠を隠滅したり、警官やペンティート*1を殺害するのが目的だったとする見方もあります。その後、ローマで新政府が設立され、独立が困難な状況となると、マフィアたちはあからさまな行動は避け、巧みな方法*2で組織の維持・発展を図ります。この時代、マフィアの勢力はシチリア島の西側全域に広がります。
 1870年、ついにイタリアが統一され中央政府が権力を握ると、それまで中央イタリア(教皇領)を統治していた教皇が政府への抵抗を始めます。教皇はイタリア全土のカトリック教徒に対して、政府への抵抗を呼びかけたのです。シチリアは伝統的に敬虔なカトリック教徒が多い地域です。マフィアはこれを利用し、シチリアの農民や町の人々に対し、警察(政府の象徴)に協力するなと主張しました。つまり、教皇と政府の摩擦を、警察への非協力を正当化する根拠として使ったわけです。
 そして、イタリアはファシズム時代へと突入します。当時のパレルモ知事*3は、ムッソリーニの命令により、マフィア撲滅を進めました。映画中でもペッピーノの伯父(マフィア)がムッソリーニに流刑にされて刑務所にいた、という話が出てきます。またこのとき、多くのマフィアがアメリカへ逃れました*4。彼らはアメリカ版マフィアの母体となります。
 第2次大戦中の1943年、マフィアは米軍によるシチリア侵攻に利用されます。米軍はシチリア・マフィアとアメリカ・マフィアとのつながりに目をつけ、自国アメリカのマフィア*5から情報提供を受けたりするなどして、シチリア侵攻の足がかりとしたのです。そして、米軍の戦略事務局(CIAの前身)は、「反政府」であるマフィアを利用するため、彼らに社会的・経済的な地位を保証します。マフィアに力を与えて、イタリア政府への圧迫を図ったわけです。また、シチリア・マフィアの多くはアンチ共産主義でもあったため、戦後においても反共政策を進めるアメリアにとって、マフィアは利用価値のある組織でした。このように、アメリカとマフィアは互いに協力関係にあったといえます。

『ペッピーノの百歩』マンゼッラ叔父さんが死ぬ前の宴会シーン
 そして、1950年代から70年代にかけて、マフィアは黄金時代をむかえます。映画『ペッピーノの百歩』で描かれているのは、この時代のマフィアです。麻薬取引などで彼らは勢力を強めていきます。こうした動きに対して、行政・司法はほとんど何もできませんでした。たとえ起訴されても証拠不十分で逮捕できなかったり、警察の捜査が不十分だったりしたためです。さらに、マフィアたちは役人とのコネクションも持っており、国家・地方の選挙に影響力を持ちました。このため、マフィアが絡んでいる犯罪は表ざたになることは、滅多にありませんでした。警察がこんな有様なのですから、シチリアの市民もマフィアに対抗するなんて考えもつかないことでした。反抗しても殺されるのが関の山で、警察は助けてはくれないのですから。実際、映画中でペッピーノがマフィアに暗殺されたときも、警察はマフィアによる殺人を黙認しました。こんな状態にあった当時のシチリアで、ペッピーノはマフィアと戦っていたのです。それが、いかに勇気のいることだったかわかると思います。
  さらに、この時代のイタリアにおいて、主な敵だったのは左翼テロリストたちであり、マフィアではありませんでした。映画でも、左翼運動を行うペッピーノは、シチリアの人々にとって英雄でもなんでもなく、単なる「危険分子」です。ペッピーノの戦いは、とても孤独なものだったのです。


=参考資料=
 http://en.wikipedia.org/wiki/Mafia
 http://www.centroimpastato.it/otherlang/peppino.php3
 ピーノ・アルラッキ(1995)『さらばコーザ・ノストラ』、学研
 サルヴァトーレ・ルーポ(1997)『マフィアの歴史』、白水社
さらばコーザ・ノストラ―だれも書けなかったマフィアの真実 マフィアの歴史
 

*1:ペンティート(Pentito)とは、マフィアの一員にもかかわらず、逮捕されたあとで、警察や政府に協力して減刑された者のこと。「沈黙の規範」を破ったことになるので、死をもって償うことを要求される。ちなみに、マフィアの犠牲となった警察・政治家・裁判官などは、カダーヴェリ・エッチェッレンティ (Cadaveri Eccellenti)と呼ばれる。

*2:たとえば、果樹園や地元貴族の土地を警護して収入を得るなど。

*3:チェーザレ・モリ(Cesare Mori)のこと。1925年、ムッソリーニによりパレルモ知事として任命され、マフィアの根絶という任務を受ける。ただ、その手法は強烈で残忍なものであったため、イタリアでは「鉄の知事」(Prefetto di Ferro)として知られる。

*4:海を隔てたアメリカ(特に東海岸)においても、マフィアは組織され、力をもった。映画でもアメリカに渡ったアンソニーというマフィアが出てくる。

*5:ラッキー・ルチャーノ (Lucky Luciano)のこと。彼は第2次大戦中、アメリカで刑務所に入っていた。また、戦後に国際的ヘロイン市場を拡大させた黒幕とされている。ちなみに、映画中のターノもアメリカから麻薬を密輸している。