京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

グラムシ・ワールド 〜生い立ちとヘゲモニー論〜

 今回はイタリアの政治家・政治思想家アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci、写真下)についてです。この人は世界的に有名なイタリア人なので知っておいて損はないかな、ということで、今回はこの人について調べてみました。ただ、なんだかイメージとして、すごくややこしそうなので深入りはせず、グラムシ・ワールドをほんのちょっとだけ覗いてみることにします。全体の構成としては、①グラムシの生い立ちと、②彼の代表的なアイデアであるヘゲモニー論です。

 さて、まずは生い立ち。彼は1891年、サルデーニャ(Sardegna)島のアレス(Ales)という町で、7人兄弟の4番目の子として生まれます。家は貧乏だったのですが、1898年に父親のフランチェスコが横領の罪で刑務所に入れられると、さらに家族の生活は苦しくなります。体が弱かったグラムシ少年でしたが、家庭の経済状況から学校をやめ、父親が出所するまでの間、働きました。そしてその後、カリアリ(Cagliari)で中等教育を受け、1911年トリノ大学へ進学します。
 彼が大学生だったのは20世紀の初頭。ちょうどその頃、トリノでは産業化が進んだ時期でした。資本家(Fiatなど)が貧しい労働者を使って利益を得る、という体制が出来上がります。また、労働組合が結成され、労使間の対立がスタートします。
 そんな中、グラムシは労働者や移民(特にサルデーニャ人)たちと交流を深めていきます。そして1913年、イタリア社会党(PSI)に入党。1916年には党の機関紙「アヴァンティ!」(Avanti!)の編集者になり、一方で労働者の教育・組織化にも力を入れ、1919年には新聞「新秩序」(L’Ordine Nuovo)を創刊しました。
 また、グラムシは、工場評議会運動(Consigli di Fabbrica)・工場占拠闘争に参加します。特にマルクス主義者たちは、これを社会主義実現のための組織と考え、労働者による生産管理、労働者による国家のコントロールを目指していたのです。グラムシ自身も、戦後のインフレになどにより国民の生活が苦しくなる中で、これを労働者の地位向上に不可欠な運動だと考えましたが、結局のところ、失敗に終わってしまいます。そこで、グラムシはレーニンの言うところの共産党が必要だと考えるようになり、1921年にイタリア共産党(Partito Comunista d’Italia, PCd’I)の結成に参加します。
 しかし1922年、資本家や地主からの支持を受けたムッソリーニファシスト党が、政権を握ると、イタリア共産党のメンバーは次々と逮捕されていきます。グラムシファシスト党に抵抗するために色々手を尽くしますが、1926年、ついに逮捕され、刑務所に収容されます。
  禁固20年の判決を受けた彼は、病弱ながらも、獄中で33冊ものノートを執筆します(後に獄中ノート<Quaderni del carcere>として本となる。下の写真にもあるように、この本は世界中で読まれている)。しかし、1934年に容態が悪化して、一時的に釈放されたものの、まもなくしてローマでその生涯をとじます。享年46歳でした。


グラムシ「獄中ノート」解読
世界中で読まれているグラムシ
 ここまでを見てみると、どうやらグラムシは、資本主義が大嫌いで、労働者による革命を目指していた人らしいです。マルクス主義者ですね。でも、ふと思ったんですけど、グラムシにしてもパゾリーニにしても、貧しい労働者といった「社会的弱者」との接触がありますね。グラムシは、トリノでは労働者や移民と交流があったし、彼自身も幼少時代は貧しい暮らしをしている。それから、たしかパゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)もローマで、ソットプロレタリアーティ(sottoproletariati、プロレタリアートの下にいる極貧の人々)を目にしていたし…。もしかしたら、こういう体験が人の思想に反映されていくのかもしれませんね。


 さて、ここからはグラムシの有名なヘゲモニー論。これは、「どうして産業化したヨーロッパ(労働者が悲惨な暮らしをしている社会)で、共産主義革命が起きないのか?」という問いに答えるものです。たしかにおもしろい問いですよね。労働者たちが資本家に対し、「金持ちどもめ、俺たちをいい様に搾取しやがって、いい加減にしろ〜!!」と声を上げて、社会がひっくり返ってもおかしくないのに、「それが起こらないのはなぜ?」というわけです。グラムシはこの問いに対して、以下のように答えます。

 労働者の社会の見方や自己理解は、支配的な文化(マスメディア、大衆文化)によって掌握されている。労働者たちは革命を目指すことなく、消費に取り付かれ、中産階級になろうとしており、労働者階級の地位向上よりも、自分の成功を目ろんでいる、と。

 つまり、労働者たちは資本主義に対抗するどころか、その資本主義に染まってしまっていて、自分達が労働者階級だという意識(階級意識)を失くした、ってことでしょうか。そして、この支配構造をマスメディアや大衆文化が強化していると。労働者は知らず知らずのうちに、何者か(文化)に支配・搾取されている、という感じでしょうかね。文化が支配の構造を維持・強化するっていうのは、よくあることですね。日本の家父長制とかもその一つだ(だった?)と思います。
 たしかに、もし自分が労働者で貧しい生活をしているとして、この状態をなんとかしようと思うとき、「ブルジョアによるプロレタリアートの支配構造があるんだ!」という風に大きなスケールで(本質的に)考えるのって難しそうです。そんなものを知らないまま、マスメディアや大衆文化にどっぷりと浸かって、生きていそうですもの。

 今回はアントニオ・グラムシの?生い立ちと?代表的な思想についてでした。正直、調べる前はやや億劫でしたが、調べてみると案外おもしろかったですね。グラムシの基本の基本は押えられた感じです。ただ、正しく理解できているかは定かではありませんが…。まぁそれでも、グラムシと聞いて、頭の中で「グラ虫」の文字が浮かんでいた以前の僕と比べれば、進歩だと言えます。
グラムシ・セレクション (平凡社ライブラリー) グラムシ思想探訪―市民的ヘゲモニーの可能性 財団グラムシ研究所『グラムシと20世紀』日本版 ポスト・アメリカニズムとグラムシ