京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

となりのカメレオン 〜『暗殺の森』のマルチェッロ〜 2007/05/17

 人はどのように自分の意見(政治的意見)をもつのでしょうか。たとえば、ある一人の愛国主義者がいた場合、その人はどうして愛国主義者になったのでしょうか。周囲の人間環境も一つの要因です。たとえば、父親が右翼だったか、または知人・友人がそうした思想をもっていて、彼らに影響を受けた、という可能性があります。また、ある右翼の思想家(色々いますね)の考えに感銘を受けたのかもしれません。このように、人の意見形成にはいろいろな要因があると思いますが、今回取り上げるのは順応という意見形成のタイプです。周囲の状況・環境に応じてころころ自分の立場を変える人たち。良く言えば臨機応変で柔軟性があるといえるでしょうが、悪く言えば自分というものがない人、ということになるでしょうか。まさに自分の色を周囲の色に合わせるカメレオンのような人間です。


 ここで、そんな順応主義者が描かれてるイタリア映画を1つご紹介します。ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)監督の『暗殺の森』(Il conformista、1970年)です。映像美術が高く評価されている作品ですが、今回注目するのは映画の原題にあるように、「順応主義者」(conformista)という部分です。そこで以下では映画のストーリーに沿って、順応主義者というものについて見ていきたいと思います。

 映画の舞台は30年代、ファシズム時代のイタリア。主人公のマルチェッロ(順応主義者)は、父親精神病者、母親はモルヒネ中毒者という異常な家庭環境で育ち、さらに13歳の時にお抱え運転手に犯されそうになったため、彼を殺してしまいます(実は死んでいなかったことが後でわかる)。こんな異常な少年時代を送ったためか、彼は「正常さ」に固執する人間になってしまいます。そこで、彼はファシストになることでその「正常さ」を手に入れようとします。つまり、彼にとってはファシスト体制=正常、反ファシスト=異常だったのでしょう。映画中、ファシストになったマルチェッロが「正常になれた気がする」と言う場面があります。いずれにせよ、当時はファシスト党が力をもっていたわけですから、マルチェッロにとって、体制に順応するのが一番無難な選択であることは確かです。反ファシストを掲げれば、きっと命はないでしょうから。彼にとっては、そんなファシスト体制に身を置くことで、安心感・安定感を得ようとしたのかもしれません。映画中、ファシストの友人イタロ(盲人)がマルチェッロに次のようなことを言う場面があります。「ふつうは人と違っていたいと思うのに 君は同じになりたがる」。

 ファシストになったマルチェッロは、政府から秘密の指令を受けます。それはクアドリ教授を暗殺しろ、というものでした。マルチェッロにとって、クアドリ教授は大学の恩師で、パリに亡命中のアンチ・ファシスタです。マルチェッロは自分が教授の生徒であったことを利用し、クアドリ教授に近づきます。この時、クアドリ教授はマルチェッロがファシストだと知りつつも、彼を家に招き入れます。そして、「ファシスト」を自称するマルチェッロに対してクアドリ教授はこう言います。「失礼だが 本物のファシストとは思えんな」「私は賭けてもいい。君は転向する」と。

 その後、ムッソリーニが失脚し、ファシズム政権が崩壊します。すると、マルチェッロはなんの抵抗もなく、その時代の変化を受け入れます。いたって平然としているのです。彼の妻が「これからどうするの?」と聞くと、彼は答えます。「同じ考えの連中と同じにする。大勢でいれば怖くない」と。また、外出しようとするマルチェッロに、「出かけないで。ひどい目にあうわ」と言う妻に対して、彼は平然と「独裁制の崩壊を見る」と言って家を出てしまいます。どうやら、彼はファシスト政権の崩壊に大してショックを感じていないようです。

 そして、最後の場面。少年時代に自分を犯そうとしたお抱え運転手(リーノ)に再会します。死んだと思っていたリーノが生きていたことを知り興奮するマルチェッロは、彼に向かって、やつがクアドリ教授を殺した、あいつはファシスタだ、と大声で叫びます。「いやいやクアドリ教授を殺したのも、ファシストなのもお前だろ」と言いたくなるようなシーンです。まるで自己否定しているかのようですが、彼の中では矛盾なんてないんでしょう。「ファシスト」というのは、彼にとって単なる仮面のようなもので、いつでも取り外したり、他の仮面をかぶったりすることができるのでしょうから。このとき、彼は「ファシスト」という仮面をすでに取り去っていたのだと思います。そしてさらに、側で怯える盲目の友人イタロに対しても、こいつもファシストだ、と公衆の面前で罵声を浴びせます。マルチェッロ自身だって、さっきまでファシストだったのにもかかわらず、ファシスト政権が倒れたとわかるやいなや態度が一変。(映画には描かれていませんが)仮に彼が後に反ファシストを掲げるようになったとしても、なんの驚きもありません…。

 自分の政治的スタンスを変えることは決して悪いことではないと思いますが、その過程において、何にも考えることなく、自分の中でのなんの葛藤もなく、コロッとまったく別の立場をとるようになる人もいます。ある特定の考え・意見を表明する人たち、そうした人たちの中には「コンフォルミスタ」が混じっているかもしれません。
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