京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

須賀 擬音語・擬態語? 〜自然の音を言葉として聞く?〜

 蛍が飛び始めると、夜気の匂いもぐっと濃さを増し出す。
 私の生まれた町には、黒川という小さな川がある。両岸が青々とした川草に覆われ、山手から町を南へ下るように流れている。毎年この時期になると、何千という自然のかわいらしい光が瞬きながら、川底をまるで夜空のように低く高くさまよいはじめる。まださわやかな涼しさが残る夜には、水を張ったばかりの田んぼからの蛙の声や生い茂った草むらから微かに鳴き続ける小さな虫の声が低く響いて、そんな時はなぜか山向こうの暗闇を間近に感じ、近くのものはどこかおぼろげなものになる。そんな気分になってしまうから不思議だ。

 3月4日にテレビ朝日で放送された『素敵な宇宙船地球号』を見ていると、日本人と自然の音との面白い関係が紹介されていた。雑音も、「ゆらぎ」を持つバイオリンの音も、音は基本的に、物事を直感的にイメージする働きを持つ右脳で処理されているそうだ。しかし、首都大学東京大学院の菊池吉晃教授の研究では、欧米人がこおろぎの鳴き声を右脳で処理する一方、日本人は論理的な思考や言語処理を司る左脳で処理しているというのである。欧米人にとっては、私たちの情感にひびくコオロギの鳴き声が、単なる機械的な音にしか聞こえないというのである。菊池教授は、この音に関する脳の反応の違いについて、日本語が母音主体の言語であるからという理由を挙げていた。虫の音や川のせせらぎなどの自然の音は、母音の音と成分がほぼ同じだそうだ。この共通性から、日本人は自然の音を意味のある「言葉」、感情的な音として聞いており、世界的にも珍しいという番組内容であった。
犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い (光文社新書)
 この番組を見ていて、ここ何年か持っていた疑問が再燃し、さらに新たな疑問も浮かんだ。そう、まず表音文字文化であるヨーロッパ言語の擬音語と日本語の擬音語が、種類も数も、そして性質においても大きな隔たりがあるのではないかという疑問だ。そして、日本語の擬態語という曲者の存在に対する疑問だ。音という観点から考えれば、擬態語はこの放送内容とは関係がないかもしれないが、日本語を母語とする者として、擬音語と同等の地位を与えられている擬態語を忘れることはできない。

 英語は長年、そしてイタリア語やフランス語をここ何年と学んでくると、翻訳を行う際の言語間の違和感というのがますます大きくなってくる。英語やイタリア語を日本語に訳す際、擬音語や擬態語をうまく活用して自然な日本語に近づけようと努力している。また、その逆の翻訳では、日本語の擬音語や擬態語に対応する訳語をどうにか見つけようと躍起になり、自分の語学力の浅さによる力不足を痛感しながらも、やはり擬音語や擬態語をうまく訳すというのは本来不可能なのではという疑問がいつも頭を掠める。擬音語・擬態語の難しさは外国語にふれる人ならば誰でも然りと感じる部分があるのではないだろうか。

 そして、また菊池教授の見解に対してイタリア語を学ぶものとして浮かぶ疑問。母音主体の言語であれば、日本語以外の言語でも自然の音を意味のある「言葉」として聞けるのではないかという疑問だ。イタリア語も日本語に負けないくらい母音が言語の音韻的側面を支えている言語だ。イタリア語にも自然の音を意味のある「言葉」として聞くことで、自然に擬音語がその言語の中に多く存在しているのではないだろうか。

 日本語では、人や動物の声、事物の音を表す語を擬音語、あるいは擬声語と呼んでおり、物事の状態や様子を感覚的に音声化した語を擬態語としている。日本語において、広義では擬態語は擬音語の一部とされている。山口仲美著『犬はびよと鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語がおもしろい―』(光文社新書、2002年)によると、日本語の擬音語・擬態語の種類は1200種類に及び、英語の分量の5倍に上るそうだ。日本語の擬音語・擬態語に関しては、奈良時代の文献にもその使用が確認でき、平安時代の『源氏物語』においてはそれらが効果的に使われ、同時代に書かれた『今昔物語集』は現代まで使われている擬音語・擬態語が見られる、この手の言葉の宝庫だそうだ。しとしとやきらきら(ABAB型)、ぽっぽっやくっくっ(AっAっ型)など現代の擬音語・擬態語に見られる一定の定型も、古代より変わらずみられる。

 一方、一般的に擬音語や擬態語をオノマトペと呼ぶことがあるが、英語 onomatopoeia は擬声語を指し、イタリア語 onomatopea も擬声語を指す。イタリア語において擬音語は、文法的に間投詞のひとつとされる。Ah!(ああ!)やAhi!(痛い!)、Ciao!(よう!こんにちは!バイバイ!)、Bene!(よし!)、Mamma mia!(困った!どうしよう!)などの仲間に入るようだ。擬音語の例としては、Bau,Bau!(犬の鳴き声:ワンワン)、Miao!(猫の鳴き声:ニャーオ)、Bee!(羊・ヤギの鳴き声:メー)、Ecci!(くしゃみ)、Pss(話し声を制する言葉、しー!)、Patatrac!(物の落ちた音)などがある。

 また、日本語と違い単独での擬態語というものは少ないようである。例えば、とぼとぼ歩くという表現であっても、とぼとぼという足音そのものを音声的に指す訳語はなく、camminare stancamente(疲れたようすで歩く)とか camminare con passo pesante(重い足取りで歩く)など意味の面を取るしかない。辞書と一時にらめっこしてみたが、ざわめきやささやき、さらさらという音をたてるなどの意味を持つ sussurare、mormorare、bisbigliare という語が、音から発生した語ではないかと想像するぐらいであり、語源を詳しく調べることができなかったため断定はできなかった。  (つづく)