京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

アントニオ・ネグリってどんな人? 〜政治活動と『<帝国>』〜

 みなさんがお住まいの地域は梅雨に入りましたか? 僕の住む大阪はどうやら今週から梅雨入りらしく、生暖かい空気の中、空から雨がばらばらと降り出しました。じめじめしていますし、外に出るのが億劫になる、やっかいな季節です。それでも、一年に一回はやってきます。気付けばそこまで来ている。「え! もうそんな時期なの? やだよっ」と言っても決して待ってはくれません。そして、コラムの締め切り日も……。

 どうも、チュロスです。今回は、イタリアの政治家・政治思想家アントニオ・ネグリ(Antonio Negri)について調べてみました。ネグリと言えば、マイケル・ハート(Michael Hardt)との共著『<帝国>』(Impero、2002年)でよく知られた人で、戦後イタリアの左翼知識人として、左翼思想を支えてきた人です。このコラムでは、彼の?政治活動と、彼の代表的な?著書『〈帝国〉』をほんの少し覗いてみたいと思います。

 まずは、ネグリの政治活動についてです。若い頃からマルクス主義に傾倒していたネグリは、1960年の初頭、『クアデルニ・ロッシ』(Quaderni Rossi)という雑誌の編集グループに参加し、共産党から距離を置きつつ、イタリアにおけるマルクス主義の再生を模索しはじめます。そして、1969年、共産主義運動のグループ「労働者の力」(Potere Operaio)や「労働者主義」(Operaismo)の創設に携わり、70年代からはアウトノミア運動―左翼による一連の政治社会運動を指し、イタリアから世界に広がった社会主義運動―を推し進めます。

 しかし、1979年、ネグリは「赤い旅団」(Brigate Rosse)による首相アルド・モーロ(Aldo Moro)の誘拐と殺害(上の写真は、「赤い旅団」に誘拐されたときのモーロ)への関与や、政府転覆の陰謀などの容疑で逮捕・投獄されます(後に赤い旅団との関係は否定される)。1983年、イタリア議会の選挙に当選し、議員特権により釈放されるものの、下院により無効にされます。このとき、ネグリはフランスへの亡命を決意します。ネグリはフランス亡命中、パリ第8大学などで教えたり、亡命の身から活動は制限されていたものの、雑誌を創刊するなどして、フランスで14年間を過ごしました。ちなみに、イタリアとフランスは犯罪人引渡し条約を結んでいましたが、ネグリミッテラン・ドクトリン―「鉛の時代」(anni di piombo)にイタリアから亡命した極左の活動家は(過激なテロリストでなければ)その引渡しをしないという仏政府の政策―により保護されていました(下の写真はミッテラン<François Mitterrand>元大統領)。その後、1997年、残っている刑期を終えるため、ネグリは自主的にイタリアに帰国し、ローマ郊外の刑務所に投獄され、2003年にその刑期を終えて釈放されます。著書の『<帝国>』はこの獄中でネグリが書いたもので、出版されたときはまだ獄中でした。

 左翼活動家としての彼の半生は、大体このような感じです。まさに波乱万丈の人生ですね…。左翼運動を指導したり、亡命を余儀なくされたり、刑務所で過ごしたりと、鉛の時代を生きた知識人の過酷な生活ぶりがうかがえます。

 ここからはネグリが獄中で書いた『<帝国>』についてです。これはとても分厚い本で(日本語訳では500頁以上)、こんなものを獄中でシボシボと書いていたのかと思うと、ちょっと怖さを覚えます。刑務所の中は集中できるのでしょうか…? さて、『<帝国>』には、どういうことが書かれているかというと、日本語訳版の副題は「グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」となっていて、これがこの本の内容を端的に示してくれています。ネグリによると、グローバル化(資本主義のネットワーク化)が国民国家の主権を衰退させ、新たなグローバルな主権の形態である「<帝国>」が出現した。「<帝国>」は、単一の支配論理のもとにある一連の国家的かつ超国家的な組織体から成り、グローバルな秩序・支配の論理を生み出す。「<帝国>」は従来の帝国主義とは異なり、特定国家(アメリカを含め)の拡張を意味するのではなく、また国民国家の主権に不可欠であった領土によって規定されるものでもない、とのことです。もう一つの、「マルチチュード」というのは、「<帝国>」への自律的な民主的な抵抗運動で、たとえば、世界産業労働組合(Wobblies)やシアトルやジェノヴァのWTO(世界貿易機関)やIMF国際通貨基金)への抗議運動などを指します(右の写真は、シアトルで行われたWTOへの抗議運動)。ネグリは何もグローバル化を全面否定しているわけではなく、現在のグローバル化(資本主義の支配)とは異なる他の選択肢がある、ということらしいです。「グローバル化を否定するわけではなく、より民主的で正義にかなったもう一つのグローバル化を目指そう」という点でアルテルモンディアリスム(Altermondialisme)と似ていますね。

 内容としてはこんな感じです(かなり大雑把ですけど)。一般的によく言われるようにグローバル化を単に帝国主義の高次のもの(アメリカ帝国主義論)として捉えるのではなく、資本主義支配の新形態としているところが独特です(正直僕は、あまりピンときておらず、アメリカ帝国主義論による説明の方がわかりやすい…。勉強不足)。また、グローバル化がもたらした害悪を指摘しつつも、グローバル化を否定することなく、そうじゃなくて、別のグローバル化を目指すべき、というネグリの姿勢も注目すべきポイントです(僕は「左翼=反グローバル」と短絡的に捉えていた…)。それから、グローバルな主権的権力への抵抗主体としてのマルチチュードネグリの『〈帝国〉』は、まさにグローバル化時代のマルクス主義という感じです。

 今回はアントニオ・ネグリの①政治運動と②著書の『<帝国>』に関する大まかな内容についてでした。①政治活動では、ミッテラン・ドクトリンが印象的で、「へぇ、フランスは当時そんな政策をとっていたんだ〜」とひとりでつぶやきました。また、②『<帝国>』はかなり読みづらい本でした(ゆっくり時間をかけて読めばいいのでしょうが…)。できれば、ネグリ本人に会って直接いろいろと質問したいですね。「先生〜、ここってどういう意味ですか〜?」って。
<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 マルチチュード 上 ~<帝国>時代の戦争と民主主義 (NHKブックス) “帝国”をめぐる五つの講義