京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

キューポラはあるが節操のない街〜スコラの『不細工・不潔・性悪』〜

前回に引き続きローマ方言が満載の映画についてということで、モルタッチという言葉(「なんやねん!」あるいは「腹たつわ〜」ぐらいの意)がそのままタイトルになった映画『モルタッチ』(Mortacci、1989年)を紹介する予定だったのだが、やんごとなき事情により今回は不可能になってしまった。日本でもそれなりの知名度を誇ったヴィットリオ・ガスマン(Vittorio Gassman)が出ていた作品でもあるし、この映画についてはまた折を見て紹介することにしたい。

 その代わりと言っては何だが、これまたローマとイタリア式コメディー(Commedia all’italiana)を代表する俳優の一人、ニーノ・マンフレーディ(Nino Manfredi)が主役を務める、エットレ・スコラ(Ettore Scola)監督のフィルムを紹介する。タイトルは『不細工・不潔・性悪(訳は筆者)』(Brutti, Sporchi e Cattivi、1976年、下の画像は名匠アルマンド・トロヴァイヨーリ<Armando Trovaioli>のサントラ盤ジャケット)。何とも困った人たちばかりが登場しそうな映画である。観る前から何だかわくわくさせられるこの絶妙な言葉の選択は、明らかにセルジョ・レオーネ(Sergio Leone)監督の『続・夕陽のガンマン』(Il buono, il brutto, il cattivo、1966年)を意識したものであろう(邦題からはまったくわからないが、原題を直訳すれば「いい奴・醜い奴・悪い奴」ということになる。以前観た日本語字幕のプリントで、これを「善玉・癇癪玉・悪玉」と訳していたのは味わい深かった)。

 舞台はヴァチカンのほど近く。新興住宅として戦後になって相次いで建設されたマンション群の奥に、サン・ピエトロ寺院のクーポラが見える小高い丘の上におっ建てたバラックに住む大家族を中心とした、社会の底辺に属する粗野な人々の様子が描かれている。近景にある節操のない人々の営み。中景を覆う画一的なマンションとそれが連想させる平均的な人々の平凡な暮らし。最後に後景に君臨するカトリック総本山のクーポラ。この3つの世界が絶妙に配置され、ローマという混沌とした都市の様子を映像がしっかりと観客に伝えている。マンフレーディ演じる主人公はその大家族の長である父親。大家族をたくましく切り盛りするまるまると太った妻と10人の子供たち、さらには義理の息子や娘といった近しい親戚やテレビの英会話レッスンにご執心で車椅子生活を送るおばあちゃん。総勢20名程度の大所帯が狭くるしい一つバラックの下で眠っているのを捉えたシークェンス・ショットを観るだけで価値がある。家族のどのメンバーも強烈な個性でスクリーンを彩るが、その中でも異彩を放っているのが就寝時にはライフルを抱き枕にする父親であろう。彼は片目を失い、その補償金をバラックに隠し持っている。金にうるさい彼は、家族の誰かが自分の金を盗むのではないかといつも武装して身構えているのだ。彼は本能の赴くまま自由気儘に生きているのだが、ある日フェッリーニ(Federico Fellini)の映画に登場しそうな強烈な太っちょ売春婦に惚れ込み、自宅に連れ帰ったものだから家庭内は大混乱。この大家族はあらぬ方向へ漂流し始めるというのが大まかなストーリーだ。

 マンフレーディ(画像上)の名前は頻繁に耳にするわけだけれど、どういうわけか彼の出演作はこれまで同じスコラ監督の『あんなに愛しあったのに』(C’erevamo tanto amati、1974年)しか観たことがなかったので、そのあまりの豹変振りに目を疑うとともに、彼の演技の幅広さを痛感させられた。家族全員(娼婦付き)で出かけたオスティアの浜辺での昼食のシーン。父親の横暴に業を煮やした家族が結託して、彼のパスタ皿にだけ殺鼠剤を混入して殺害を謀る。食後になってようやく体調の異変に気づき(基本的に鈍感なのだ)、家族に裏切られて薬を盛られたことを知った彼は、ほうほうの体で逃げ出し渚へ。落ちていた自転車の空気入れをポンプ代わりにして海水を胃に送り込み、必死になって胃の中のものを吐き出して一命を取り止める。この場面の演技は捨て身というにふさわしく、スコラの珍しく過酷で泥臭い演出がマンフレーディの底力を見事に引き出していた。
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さて、スコラの撮る物語には、大きく分けて2つのタイプがあると思う。1つは、カップルや親子など極めて登場人物の少ない小さな世界の物語。もう1つは、大家族や公の場所に比較的大勢の人間が集って作るひとつのコミュニティーを描いたもの。前者は例えばマルチェッロ・マストロイヤンニ(Marcello Mastrtoianni)とソフィア・ローレンSophia Loren)という名コンビを主役に据えた『特別な1日』(Una giornata particolare、1977年)、『ニュー・シネマ・パラダイス』(Nuovo cinema paradiso、ジュゼッペ・トルナトーレ<Giuseppe Tornatore>、1988年)と同じ時期に封切りされ、やはり映画館を舞台にした『スプレンドール』(Splendor、1988年)で話題となったマストロイヤンニとマッシモ・トロイージ(Massimo Troisi)のコンビが今度は親子を演じる『BARに灯がともる頃』(Che ora è、1989年)などがその代表だろう。1つの大きな物語の中に実に様々なキャラクターを持った人々が登場し、伏流としての小さな物語をいくつも併置しながら、最後には観客を本流である大きな物語の結末へと誘うポリフォニックな構造を持った後者には、『あんなに愛しあったのに』、『星降る夜のリストランテ』(La cena、1998年)、『ラ・ファミリア』(La famiglia、1987年)、『ル・バル』(Ballando ballando、1983年)『アンフェアーな争い(訳は筆者)』(Concorrenza sleale、2001年)『ローマの人々』(Gente di Roma、2003年)などといったフィルムが当てはまるだろう。個人的には後者がスコラの真骨頂だとは思うが、どちらのタイプにも共通している点がある。それは、時代のヒーローや歴史上の有名人を描こうとはせず、地味ないわゆる普通の人々しか扱わないこと。逆に普通の人々であれば、ブルジョアだろうが庶民だろうが、さらには社会の最下層の人々だろうが、スコラは主人公たちを選ばない。そのあたりの器用さが私の好みにも合っている。


スコラ(画像右)は脚本家として映画界に入った。以前のコラムでも触れたが、名脚本家コンビ「アージェとスカルペッリ」(Age e Scarpelli)の回顧上映特集がトレヴィ映画館で行われたときに、なかなか豪華な座談会に出席した。主役のフリオ・スカルペッリ(Furio Scarpelli、1919年生まれ)以外には、一緒に仕事をしてきた監督として、マリオ・モニチェッリ(Mario Monicelli、1915年生まれ)、カルロ・リッツァーニ(Carlo Lizzani、1922年生まれ)と並んで我らがスコラの姿もあった。ただ、前出の二人に比べるとまだまだ若い(1931年生まれ)ため、齢70を過ぎたおじいさんが「おい、青年」などと呼ばれ、最終的には自らを「洟垂れ小僧です」と言ったのには笑わされた。そんな余談はさておき、スコラは若い頃、このアージェとスカルペッリと共同執筆しながら脚本家としての腕を磨いていたようだ。そしてスコラがポロッと言った一言は今でも印象に残っている。「僕なんかは脚本家のままで良かったんですよ」。つまり、彼はいくら監督作を手がけようとも、自分は脚本家だという自負があるのだ。

 そんなスコラだから、共同執筆が多いとは言え、いつも自分のフィルムは自分で脚本を書いている。イタリアでも笑いのセンスが卓越していると言われるローマの人ということもあって、彼のペンによる脚本はユーモアに溢れ、話も流麗でおもしろい。しかし、シナリオ・ライター出身の監督が時に脚本頼みの素朴な映像に終始してしまうようなことがあるが、スコラはどうなのか? 私には、その脚本のおもしろさを後ろ盾とした彼が、映像ではその分かなり自由に遊んでいるように思えてならない。物語の枠組みという意味ではスタイルが比較的はっきりと決まった映画作家と言えるのかもしれないが、映像のスタイルは変幻自在、その時々によって自由に変えていくのが彼のやり方なのだろう。大胆なモンタージュであっと言わせる『ちょっとよろしいですか、ロッコ・パパレーオと申します(訳は筆者)』(Permette? Rocco Papaleo、1971年)のような作品もあれば、『ル・バル』のように台詞がひとつもない実験的なフィルムもある。『あんなに愛しあったのに』のようにイタリア演劇の要素を取り入れている場合もあれば、今回の『不細工・不潔・性悪』のように長いシークエンス・ショットや360度以上のカメラの回転で映画ファンをほくそ笑ませる場合もある。このあたりの映像術も実に器用で達者である。ちゃんと勘所を心得ていてポイントを外してしまうような愚はまずない。ただし、その器用さが強烈で確立した派手なスタイルに結びつくことはない。スコラに似合うのは、あくまで職人という言葉だ。映像のアルチザン。確かに一般的に大作と呼ばれるようなフィルムはない。彼が辛口に小物だと言われたりするのは、その辺に理由があるのだろう。

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 話を『不細工・不潔・性悪』に戻そう。タイトルがレオーネ監督へのオマージュを匂わせるこの作品だが、別の監督へのオマージュもこちらははっきりと感じられる。それは、ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini、1922-1975)だ。このフィルムの舞台が、パゾリーニが初期作品群で好んで描いた郊外の貧民街であるというということや、この作品がパゾリーニの死の翌年に封切りとなったというだけではない。『マンマ・ローマ』(Mamma Roma、1962年)で主人公マンマ・ローマの一人息子エットレを演じたエットレ・ガローフォロ(Ettore Garofolo、画像下の右)を、マンフレーディの息子の一人として起用しているのだ。彼は『マンマ・ローマ』に出た後もまったくの素人俳優であったが、時折ローマを舞台とした作品でスクリーンに顔を出している。イタリア映画史において、この鼻のひしゃげた印的な顔はパゾリーニのフィルムと切り離して考えることはできないのだ(ちなみに、彼は前回紹介したマリオ・モニチェッリ監督の『プチ・プチ・ブルジョア』<Un borghese piccolo piccolo、1977年>にもラストの印象的な場面で登場していた)。

 また、登場人物たちが話すローマ弁は、長年パゾリーニの助監督として活躍し、後には自らメガホンを取ることにもなったセルジョ・チッティ(Sergio Citti)がアフレコ指導をしている(セルジョの弟は、『アッカトーネ』<Accattone、1961年>で主役を務めたフランコ・チッティ<Franco Citti>だ)。スコラはローマを舞台とすることに手馴れているはずなのに、どうしてわざわざチッティに方言指導を依頼するのか。それは、彼自身がバラック出身であり、この映画でサウンド・トラックを占拠する下層プロレタリアート(sottoproletariati)の人々の用いるローマ弁は、ローマの普通の人にもなかなか手に負えないものだからである。イタリア語を少しでも齧ったことのある人なら、また、イタリア語は学ばずともイタリア映画を数本でも観たことのある人なら、アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)、ヴィスコンティLuchino Visconti)といった人たちのフィルムで聞こえてくるきれいなイタリア語とは全く違う印象を受けるはずだ。チッティが演出した登場人物たちの口にする言葉は総じてヴォリュームが大きく、野卑で、汚く、慎ましやかな表現など微塵もないのだ。前回の『プチ・プチ・ブルジョア』がローマ弁入門映画としたら、今回の『不細工・不潔・性悪』はかなりディープなローマ弁応用編映画と言えるだろう。

 ネオ・レアリズモ(Neorealismo)の作品群が方言を映画に持ち込み、パゾリーニは方言よりも一層マイナーな言葉である最下層の人々の隠語・俗語の類までをも表現手段として作品に取り込んだ。それからさらに15年が経ち、イタリアの戦後社会も復興と発展を経て経済的な安定・成熟期に入りつつあった頃、当然ながらローマのバラックを描いた映画は少なくなっていった(もともとそんなに多いものではないが…)。そういった状況で撮られたこの作品が、1976年のカンヌ映画祭パルム・ドールという華々しい賞をもらったことと、その一方で、社会の恥部と本能を剥き出しにした人間を描いたこのフィルムが、今ではあくまでカルト映画として観続けられ、イタリア映画史の中でマイナーな位置づけにとどまっているという、この映画を囲む光と影とも言える二つの事実は、象徴的でなかなか興味深い。

 イタリア滞在時間も残り少なくなってきた。好きな監督スコラの日本では観ることのできなかったフィルムを目の当たりにすることができたのは、今回のイタリア滞在の大きな収穫の1つだった。スコラとアルベルト・ソルディ(Alberto Sordi)、ニーノ・マンフレーディの3人がアフリカまで赴き撮影したいう映画のDVDを最近購入した。ODCの発掘はまだまだ続くのである。