京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

わたしはテロリストなの? 〜「赤い旅団」活動家の葛藤〜

 突然ですが、今イタリアにいます。ポンデ雅夫とファンシーゆずといっしょにイタリア滞在中なのです。リグーリア州(Liguria)の、ある片田舎のアパートの窓際でこの記事を書いています。イタリアを五感を使って堪能する毎日で、窓の外に目を向けると、澄んだ青い空の下に、緑に囲まれた小さな街を見渡すことができます(下の写真がそれ)。からっとした風が心地よく、ときどき外で遊ぶ子どもたちのイタリア語が聞こえてきます。夜には盛りのついた猫の声も…。また、この街はバジルで有名らしく、バジル畑からはバジルのいい香りが漂います。バジルのソース(ぺスト)を使ったピッツァやパスタも堪能しました。

 さてさて、今回のコラムの話に入りましょう。今回はマルコ・ベッロッキオ(Marco Bellocchio)監督の『夜よ、こんにちは』(Buongiorno, notte、2003年)*1という映画を観て、僕が思ったことを書いてみることにします。

 この映画はイタリアのローマで1978年に起こったキリスト教民主党党首アルド・モーロ(Aldo Moro)の暗殺を犯人側、つまり「赤い旅団」(Brigate Rosse)の側から描いた作品です。ここで言うキリスト教民主党とは、当時の与党で戦後長期にわたって政権を担当した政党。そして、アルド・モーロはその党首、つまり当時のイタリアの首相でした。一方の「赤い旅団」は、極左の過激派グループで、1970年代にテロを繰り返していた集団です。ストーリーはこの「赤い旅団」の若者たちを中心に展開します(下は誘拐されたアルド・モーロの実際の写真。前回も掲載しましたね)。

 「赤い旅団」のメンバーたちは、マルクス・レーニン主義の影響を受けており、資本主義社会に抵抗し、労働者による革命を目指しています。物語中でも、旅団の若者がマルクスの著書を読んでいる場面が描かれています。彼らの行動(テロ行為)を、思想的にバックアップしていたものがマルクス・レーニンだったのでしょう。

 また、旅団のメンバーたちは、そうした思想にまったく疑いを感じていないようです。自分たちの思想、そしてそれを達成するための行為(モーロの誘拐・監禁)について、その善悪を問うことはありません。特に、映画中に出てくる女性メンバーは、革命戦士としての自覚がかなり強いらしく、恋愛・音楽といったものへの欲求を抑え、「赤い旅団」の目的遂行に自分の生活を捧げています。これも、自身の思想・行為の正しさを強く信じていたからでしょう。

 そして、映画はモーロの誘拐へと進みます。老いたモーロを自分たちのアパートの小さな個室に閉じ込め、監禁。メンバーたちは計画の成功を喜びます。ここで、印象的な場面がありました。メンバーたちは、テレビをつけ、イタリアの首相の誘拐によりイタリア全土が衝撃につつまれている様を確認します。そして、テレビである政治家が、この誘拐に関して演説をしているシーンが流れます。その政治家はモーロ首相の誘拐を「野蛮なテロ行為」だとし、悪しき誘拐犯を非難します。すると、それを見た旅団のメンバーの一人が怒り出します。自分たちのやったことを野蛮なテロ行為だと評価する政治家が許せないのです。ここで、僕が面白いと思った点は、立場によって特定行為の評価は変わるということです。「赤い旅団」にとって見れば、モーロの誘拐は、労働者による革命の第一歩であり、「正義」のための行為です。善か悪かと問われれば、善なのです。当時の与党・キリスト教民主党は、労働者の敵であり、悪なのです。そして、自分たちはその悪者から労働者を救う正義の味方。だから、メンバーの一人は、テレビの中で、自分たちの行為が単なるテロリズムだと批判されているのを見て、怒りを覚えたのでしょう。テロリストの自己像と、他者から見た自分たちへのイメージとのギャップがここにあります。

 これに関連して、この映画で面白い点が、「赤い旅団」のある一人の女性メンバーのジレンマです。彼女は、先ほども述べたように革命戦士としての自覚がとても強い人です。その彼女が、誘拐・監禁された老人モーロの姿を見て、自分の行為の正しさへの確信が揺らいでくるのです。モーロの誘拐・監禁は、労働者を救うために必要なものですが、一方でそれは誘拐・監禁という犯罪行為でもあるわけです。自分たちがやっていることは、正しい行為なのか? わたしはテロリストなのか? 彼女は自問自答します。そして、メンバーがモーロの殺害を今夜決行すると決めた夜、ついに彼女は他のメンバーに内緒で、モーロを逃がそうとします。映画中、監禁されているはずのモーロが、アパートの中をうろうろと歩き回る場面がいくつか挿入されてます。また、映画の最後では、監禁されていた個室のドアが開いていることにモーロが気づき、アパートを出て、さっそうと街中を歩いている姿が映しだされます。史実として、モーロは「赤い旅団」により実際に殺害されています*2。こうした、現実と乖離したシーンを通じて、映画は彼女の葛藤・ジレンマを表現しています(下の写真はジェノヴァで見つけた落書きで、“La violenza chiama violenza.”<暴力は暴力を生む>と書いてある)。

夜よ、こんにちは [DVD] 対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

*1:『夜よ、こんにちは』(Good Mornig, Night)というタイトルは、アメリカの詩人エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)の詩に由来している。

*2:アルド・モーロは55日間の監禁の後、殺害され、遺体は止めてあった車の中から発見される。