京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

須賀敦子とナタリア・ギンズブルグ 〜『ある家族の会話』を読んで〜 その3 

 男のように書くということ、女のように書くということ。   
これは男性的な文章だ、女性的な文章だという議論も、批判も、口先に上ることさえ今はなくなっている。私は女だけれど私のこういう部分は男性的だといった会話は時々聞かれることだし、男らしさ女らしさを求められるという話も、情報ばかりが洪水のように何もかもを押し流して行く毎日には、擦り切れた一つの価値観の示し合いようになっている。

 ただ、1916年生まれのナタリア・ギンズブルグ(Natalia Ginzburg)、そして1929年生まれの須賀敦子にとっては、国は違えど、少女から娘時代を経て、20代、30代と年を重ねるにしても、ずっと重く苦しい枷のように切実なものだった。女性の書くものが、感情の吐露や自己顕示ばかりが目立つとされていた中で、深い知性と強い信念を持ち続けていた二人は、それを嫌いながらも、女性として書くということを探し続けた。

 須賀敦子が、『ある家族の会話』(Lessico famigliare、1963年、エイナウディ社)に魅せられたのは、この女性として書くということはどういうことかという重い枷をはずす鍵とこの作品がなったからであった。

 これから数回は、須賀敦子の訳を辿るというのは一旦お休みで、『ある家族の会話』に彼女が魅せられた理由について、先に書いておきたい。こういったことがどれほどひびくものなのかわからないけれど、文化は爛熟し、表現されるものは出尽くし、なにを表現しようにも薄っぺらで、もはや行き詰っていると感じているならば、彼女たちの重い枷をはずした鍵が、暗闇の中の灯りになってくれるはずと思う。  (つづく)