京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

A級散歩都市フラスカーティ(本編)  (旧ウェブサイトコラム『ローマで夜だった』 )

 今年の夏の猛暑は何も日本に限ったことではなかった。7月のローマ郊外。相変わらず冷房設備のない大阪ドーナッツクラブローマ支部なぞひとたまりもなかった。日の出とともに始まるのは爽やかな一日ではなく、まさに灼熱の嵐であった。午前9時。汗にまみれたしとねを抜け出して、ピタリと閉めた鎧戸の開放に向かうと、目に飛び込んでくるのは痛いほどの太陽光線とそこに置いてある温度計が示す今日という一日をサボタージュしたくなるほどの悪魔的な気温である。摂氏35度。もちろん地中海の熱気がそんな程度でおさまるわけもなく、水に近いシャワーで睡眠中に上がるに任せた体温を下げている間にも、気温は上がり続ける。だからといって一日を通して家に閉じこもっているわけにもいかない。切れかけたパスタも白ワインも買わねばなるまい。観たかった映画の上映期間も終わりかけている。肌からこんこんと湧き出る汗を拭いつつ、舞い込んできた翻訳の仕事を片付けてしまった後では、外出しない理由はない。しかし、摂氏が40度付近を行きつ戻りつするお昼時を避けて夕方に街へ出ても、ただれたアスファルトがサンダル履きの僕の足元を容赦なくすくう。ちょっくら外へ出るごとに汗を流す必要があるから、あの頃ばかりは一日に飲むエスプレッソの回数よりも水浴びの回数のほうが上回っていたのではなかろうか。あれから4カ月ほど経った今思い返してみても、ちっとも郷愁の湧かないまったくもってやれやれな日々だった。とは言ってみても、これはことローマに限った話である。我が憩いの地、フラスカーティ(Frascati)へ繰り出せば、道中の坂も何のその、A級散歩都市ならではの魅惑的な暑気払いラインナップが暑気中りした僕を出迎えてくれたものだ。

 人口2万人のワイン畑(正確にはブドウ畑だが、僕はその役割を考えてワイン畑という呼称を提唱している)に囲まれた丘の上の町フラスカーティが、意外にも都市の風格を備えているということは前振りで書いた。現代の日本で都市と言うと誰しも思い浮かべるのは、人口が100万人を超えた周囲にどこまでも見境なく広がる場所に違いない。僕だってそんな調子だ。ところが、老成した自動車でローマ郊外の景色を特徴づけるブロッコリー型の松並木が立ち並ぶ急勾配の一本道を上っていくと徐々に垣間見えてくるフラスカーティの様子を見れば、都市と呼ばずして何と呼べばよいのか、フラスカーティの威厳すら感じさせる井手達に僕はいつもくらっときてしまうのである。都市は都市でも、コンパクトな都市。とりあえず、そう形容するのが適当なところだろうか。コンパクトとは言っても、都市というものが持つ機能や魅力はいささかも損なっているわけではない。ただただ、その規模が小気味よくまとまっているだけのことだ。その証拠に、フラスカーティには活気がある。歴史がある。美食がある。生活がある。文化がある。職がある。娯楽がある。こうした抽象的な言葉ではピンと来ない向きがあるので、もっとイメージしやすいようにフラスカーティの「あるある」をもう少し続けてみよう。

 新旧のバールがやたらとある。味を競い合うジェラート屋がある。勇壮なファサードが自慢で16世紀から町の中心を陣取る大聖堂があれば、その前の広場を行き交う地元民の何やら活発な世間話がある。町はずれにはダンテの時代から佇まいを変えない愛らしい鐘楼がある。当たり前だがとびきりの味のワイン蔵と、それを目当てにローマから訪れる日帰り観光客の貪欲な舌がある。日常生活で必要だと想定できる限りのあらゆる小売店が軒を連ねれば、総合スーパーも2件ある。全国チェーンの本屋さんにCDショップに楽器屋さん。二つある映画館には合計八つのスクリーンがある。若者が踊り明かすディスコティックだってちゃんとあって、結構賑わっている。ことあるごとに古本や骨董、地元の食品で人々の機嫌を伺う市が出る。折にふれて広場で開催される美術や音楽や文学関連の文化イベントがある。流行に敏感な若者たち御用達のブティックは有名ブランドからエスニックまで一通りあるし、ダンディーなおじさま向けの仕立て屋さんも品の良いおばさま向けの化粧品屋さんもある。駅からの階段を登ると、一気に広がる明媚なパノラマがある。抜群にとは言えないが、都市にしてはおいしい空気もある。法王も輩出した由緒正しき貴族アルドブランディーニ(Aldobrandini)家の豪奢な館が町を見下ろしていて、その巨大な庭園が今ではそっくり公園となっていて、フラスカーティ市街の緑のオアシスとなっている。サッカーも3チームがしのぎを削っているし、セリエAとBを行きつ戻りつするほど地方にしては大健闘しているラグビーチームもある。

 他にもまだまだいろいろあるのだろうが、ざっと僕が思い起こしてみた感じではこんなところだ。こういったもろもろのあれやこれやが、僕みたいな日本の都市のあり方を基準にしている人間にしてみれば奇跡的と言っていいくらいに不思議と共存している。だから、この町からわざわざローマなんかへ出なくても、基本的なことは衣食住のすべての領域において事足りるということになる。

 僕なぞは70年代生まれの典型的なニュータウンっ子なので、都会へのあこがれはあるけれども、一定以上にごみごみしたシティーライフは想像するだに息苦しくて辟易してくるところがある。ローマへ着いてはじめの頃はわりと都心に住んでいたのだけれど、僕は根が落ち着きたがりの日常を深く愛するタチなので、正直なところ、これからどうなるものかと途方に暮れたものだ。海外で生活することに慣れるだけでも大変なのに、こんな大都会での生活にも順応していかないといけないなんて、これはえらい荷物を背負い込んだものだと思ったのだ。まぁ、結局のところ、家賃の問題なんかもあって(他にも特筆すべき事情はいろいろあったのだが、それはまたの機会に触れたい)、程なくしてやっぱり郊外に住まうことになったのだけれど、その時のホッとした感ったらなかった。

 でも…。でも、である。イタリアにおいては珍しくアメーバー状の拡張をやめない都市であるローマの周縁に属してみると、郊外ならではの暮らしやすさを感じる一方で、この高度資本主義社会の中にあって極度に均質化されていく生活の最先端を自分が走らされているような気がして、これまでは経験したことのないぼんやりとした居心地の悪さを感じるようになった。象徴的だったのは、居を本格的にしつらえてすぐの頃のことである。携帯電話を買いに行こうと出かけたショッピングセンターにカルフールが入っていたことだった。おいおい、冗談はよしてくれよ。これじゃ、大阪にいたときとまるで同じじゃないか。確かに住宅事情は格段とローマ中心部と比べればいいかもしれない。物価もいくらか安いかもしれない。けれど、経済的なゆとりと引き換えに、僕は短期間住んだチェントロの下町に文化的な豊かさやイタリアらしいちょっと濃いけれど得るものの多い人づきあいを生活から切り離してきたような気がして、いくぶんげんなりしたものだ。

 ローマ支部を何とか無事にしつらえてから半年ほど、そのローマン・ニュータウンと中心部の映画館とスーパーのトライアングルに行動範囲を限る生活が続いた。当初感じたげんなりは寄せては返す波のように濃淡を繰り返した。巨大空母さながらのイケアで家具と事務用品を揃え、車がないので店内のカートを失敬してそのまま家までガラガラ押して帰るという作業に子供じみた興奮を覚える一方で、道すがら目についた地元家具店のさびれ具合にやるせなくなった。裕福な人とそうでない人、ローマ弁しか話せないような地元っ子と世界各地から流れ着いた僕も含めた外国人が混然一体となって、周囲にはヤミ鍋にも似た怖いけれどどこか惹かれる独特の空気があって、内面は日本人で外見は異邦人という生活を四半世紀余り続けてきた僕は、これはこれでまた面白い体験だとそれなりに満喫していたのだけれど、ある未明にはす向かいのジプシー一家のスマート(自動車)が爆発炎上するのを目撃して愕然としてしまったりもした。犯人は定かではないけれど、移民を快く思わない一部の人たちの憂さが晴れたような顔を僕は次の日に見ることになった。

 そろそろ一度ローマを出たほうがいいのかもしれない。正直なところ、僕はわずか半年でローマ滞在にくたびれかけてしまっていたのだ。こうした事情から、僕は一台のこれまたくたびれた車を買った。ピサ(Pisa)外れの名もない田舎町で眠りこけていたおじいちゃんとしか言いようのないポンコツに同情心を禁じえなかったのだろう。ゆっくりいこうや、足並みそろえてさ。僕はおじいちゃんを軽くゆすり起こしてローマへ連れ帰った。

 それから僕はおじいちゃんとあちこちの小さな町を巡ることになった。残念ながら南部へは足を運ぶ機会がなかったけれど、ローマ以北は近場を中心に気分しだいであちこちに出向いた。そうやって身をもって知ることができたのは、イタリアという国においてローマという町は、その規模も混沌も規格外なんだということだ。逆に言うと、規模が人間の身体にジャストフィットする適正サイズで、暮らしに必要な物資も情報も刺激も余さず備えている町が、イタリアにはどれほど多いかということも発見することができた。大手旅行代理店が主催する大都市周遊ツアーはこの国を知るための取っ掛かりとしてもちろん否定できないが、たった一週間ほどの日程で3・4の大都市を駆けずり回る旅行者を見ていると、何だかこちらがへとへとになってくる。そんなに無理せずとも、ゆったりとした日程でひとつの大都市をじっくり堪能すればいいのに。真珠のようなきらめきを備えた小都市がそれこそ首飾りのように周辺にはあるのだから、そういったところをかいつまんで味わってほしい。イタリア滞在が長くなるにつれ、フィアット生まれの翁とのんびり旅行をするにつけ、僕はそんな想いを強く抱くようになっていった。

 前々回のコラムで明かしたように、僕がフラスカーティに出会ったのは、今年に入ってからのことで、気づけばローマ滞在もあと半年を残すばかりという時期だった。これまで風光明媚で個性あふれる小都市をいくつも宝箱にこっそりしまいこんできたのに、今頃になってなぜ家のテラスから見えるような町を発見することになるのか。悔しさがにじんだ。もっと早く知っておきたかった。行くたびにそう思ったものだ。

  夏の夕方。といっても、サマータイムだから18時から19時くらい。長めのシエスタで寝ぼけ眼の老翁のご機嫌をうかがいながら、僕は通い慣れたフラスカーティへと続くワイン畑道を登っていく。すると、夕焼けで頬を桃色に染めたアルドブランディーニ宮が姿を見せる。まるで恋人との逢瀬のように、僕の胸は高鳴る。車は街中では無用の長物なので、街の入り口に設けられている安価な駐車場(1時間100円くらい)でおじいちゃんとおさらばして、まずは並木で車道と仕切られた広々としたプロムナードを歩く。ここは単なる街へのアクセスではない。丘上都市ならではの雄大な景色が恰好のアペリティーヴォ(aperitivo、食前酒)となる。自宅付近では火照りが残っていた空気も、ここに来れば勢い涼んでくる。むしろこちらにあるのは、夏の夜を目前に控えた人々の微熱であり、それがまた僕の心をくすぐる。街中に入ると、夏場は車両規制が行われているおかげで、いよいよ歩きやすい。丘が多いイタリアは鉄道網が貧弱で、間違いなく車社会だ。とは言っても、それぞれの歴史ある都市はそもそも車の大きさよりも人間の足に合わせた都市設計をしているのだから、そんなところへ自動車が入り込んでくると押し合いへしあいしてしまうのは当然のことだ。フラスカーティの夏の夜は、街がその本来の姿を惜しげもなく披露してくれる時間なのだ。

  大聖堂周辺はバール激戦区だ。僕の行きつけは映画館脇の一番近代的な作りのところで、まずはそこで一杯のエスプレッソを引っかけるのが散歩開始の習わしだ。ここの店員は愛想こそたいしたことないが、家族・親族での経営なのだろう、お姉さんが決まって美人だし、何より味が悪くない。しかも、少し奥まっていて店内も狭いから人が多すぎるということがない。いつも程よい客の入りで、時には持ってきた本をそこで少し読むこともある。

 散歩コースはだいたい決まっている。地元のワイン入りビスコッティや薪焼きのパン、他にも地産の総菜が安く手に入る中央市場周辺を冷やかし、男性ものの服をものほしそうにウィンドウショッピングし、街の裏手に出ると、そこからは入口のプロムナードとはまた違ったパノラマが待ち構えている。ぼちぼち街灯がともりだし、食堂の表にせり出した座席には人々がちらほら座り始め、ウェイターが忙しくなる前にと路地で急いで煙草をふかしている。その煙を追って仰ぎ見れば、どこかのマンマが干し過ぎた感のある洗濯物を取り込みつつ、向かいのベランダで紫煙をくゆらせるおじいさんと世間話をしている。歴史ある街並みの狭い路地に切り取られた夜空に弓張り月が見えると、何かを思い出したように僕はまた歩きはじめる。路地を突っ切ると、ふと人気のない広場に出る。その端にひっそりと佇んでいるのが、遥かダンテの時代から700年もフラスカーティを見守り続けるレンガ造りの小さな鐘楼だ。ロマネスク調で実に質素なものだが、そのところどころに生えた草のかげんと上部に散りばめられた陶製の鮮やかな装飾が時を超えた花火のようで実に愛らしい。僕は一目惚れした。アルドブランディーニ宮の絢爛たる雰囲気も大聖堂のどっしりとした安定感もないけれど、今も現役でその役目を着実にこなす鐘楼の健気さにはつい頬を緩めてしまうものがある。またそのうちにねと別れを告げて、散歩はピッチを上げる。本屋が閉まるのではないかと恐れるからだ。ありとあらゆる小売店が立ち並ぶ商店街のような路地を抜ける間も、目移りがして忙しい。なかでも僕好みの革靴を取りそろえる靴屋はどうしても立ち止まってしまう。ちょいちょいディスプレイとラインナップを変えられるから尚更目が離せないのだ。後ろ髪をひかれながらも、大聖堂前に戻ると、本屋へ潜り込む。さすがに専門書などは少ないが、小説なんかはきちっと押さえてあるのでざっと目を配ると、店じまいをするおっさんに促されるようにして表に出る。帰りに映画館へ寄って、かかっているフィルムをチェックすれば小一時間の散歩は終了だ。僕は満ち足りた気分でおじいちゃんと再開し、次にイタリアに住むことがあればこれくらいの寸法の町がいいよなとの想いをかみしめながら、煌めくローマを目指してアクセルを踏むことになる。

 こうした散歩は朝行っても格別だ。ただ、夜型の僕にはそのチャンスが少ないだけの話で、そんなに詳しくは語れないけれど、気まぐれに早起きした日にはここぞと出かけていくこともあった。そんな時はアルドブランディーニ宮の広大な公園をコースのしめくくりに用意し、涼を取って体を休めたものだ。

 フラスカーティをはじめとするイタリア小都市の魅力はまだまだピンポイントに伝えなければならない部分がたくさんあるのだけれど、それにはまたそれぞれ別の機会を作ることにして、最後にローマ支部界隈がどうしてB級散歩コースの汚名を与えられるのかという前回からの宿題に答えておきたい。

 これはかなりあっさりした話である。フラスカーティのコースに散見されるような活気にも発見にも刺激にも文化にも歴史にもバールにも乏しいからである。彼の地に勝るのは、自動車の量とそれに付随する空気の汚れくらいなものだ。仮にも2年にわたって住んでいたところをそんな足蹴にしなくてもいいではないかと思われるかもしれないが、僕は何も住環境として全否定しているわけではない。都会の喧騒から離れて落ち着いた暮らしができたことは良かったと思っているし、他の町や場所に住む友人が訪ねてくると、羨ましく思われることもしばしばなそれなりに満足のいく住まいだった。ただ、こと散歩ということに焦点を絞れば、誰が何と言おうとB級なのである。車がひっきりなしに通る。道幅が広い割に歩道の整備が行きとどいていない。路地に入れば、実にのっぺりとした現代建築がこれでもかと続く。小売店がほとんどないので徒歩でショッピングセンターへ足を伸ばそうとすると、間には幹線道路がくねくねと交差し、横切るのも一苦労だ。

 散歩というのはただ歩くためにするものではない。それならトレーニングマシンの上で済む話だ。散歩は単調で一本調子の生活の中で人が行う道草である。道草には未知の楽しみが潜んでいてほしい。僕にとって、人の歩幅を基準にしたサイズで、人の労働と暮らしが垣間見えて、人が上手に手を加えて取り込んだ自然があって、なおかつアセテートパルプ(つまりは映画と本)の供給が間断なく行われている町はA級散歩都市であるし、フラスカーティはそのうちで最も身近なものだったのだ。

 =追記=
 学芸出版のコラムでは既に7月号で帰国を明らかにしておきながら、本家のこの『ローマで夜だった』ではまだローマにいるかのような状態が続いてしまった。現在のローマ支部は、僕にB級散歩街だと揶揄されたローマ市南方の周縁部から、ハムエッグ大輔が住まうローマ市西方の周縁部に移った。何でもその昔盗賊団が跋扈したという通り沿いに並ぶ郊外住宅地だ。周縁から周縁へとは言っても、ローマ支部は決して終焉を迎えたわけではなく、これからもそこに所属するメンバーが現地のホットなトピックを熱いうちに日本へ送るローマのホットステーションであり続けるのでご心配なきようお願いしたいと思います。

 当コラムは、今回をもって終了し、次回からは新タイトルを冠して再スタートを切ります。扱うトピックも当然ながら変わってくることになりますが、ローマ滞在中にはいろいろな事情から書けなかったエピソードもストックがありますので、そういったものも時折引っ張りながら、およそ月に一度のペースで進めてまいろうかと考えているところです。どうぞ、これからもポンデ雅夫のコラムとよろしくお付き合いください。