京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

世界のシネマテークにしねまっていこ その3(中編)

 …最後の最後までウィウィノンノンとブツブツつぶやきながら、ドイツ表現主義特集のポスター(画像下)を買うか買うまいか悩みました。挙句の果てに、そのポスターの不在を貧乏学生という今日の情けない我が身の勲章として遠くない将来に思い出せるようにと、こねくり回した理由付けをして買わないことに決めました。その後悔という名の金バッジは今日すでに、僕の胸で輝いています。

 さて、シネマテーク・フランセーズの中にある本屋さんで、幸か不幸か独り押し問答を繰り返したおかげで、待ちに待った常設展示の開場です。チケットを購入し、夜の上映プログラムを確認した後で、クローク(そんなものがある!)に荷物を預け7階までエレベータで上がりました。入り口には、アフリカンのおじいさんがいすに腰掛けて本を読んでいました。そのおじいさんにチケットを切ってもらい、シネマテーク・フランセーズの常設展のモギリをして余生を送る彼の人生を想像しながら入場しました。

 7階は新しく所蔵されることになった品々の展示に充てられています。フェデリーコ・フェッリーニの『カサノバ』(Federico Fellini、Il Casanova di Federico Fellini、1976年)のポスターや16mmフィルムで作られたオブジェ、ジャック・リヴェットの『美しき諍い女』(Jacques Rivette、La belle noiseuse、1991年)で用いられた衣装などが展示されていました。

 特別展が開催される5階では、“L’image d’après”(これからの映像)と題されたインスタレーションを見ました。映画と映像(写真や動く映像)の融合を取り上げた展示です。ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)の作品と今日の写真のコラージュはかなり刺激的でしたし、潰れそうな映画館の写真はいずれ僕も撮ってみたいと思っていたものです。作品はそれぞれ、ロバート・キャパやアンリ・カルティエブレッソンらによって創設された写真家集団マグナム・フォト(Magnum Photos*1)のメンバーによるもので、映画作品や作家からインスピレーションを得た彼らの作品の数々によって、普段、「映画原理主義」のようなものに走る傾向にある僕は大いに風穴を開けられた気がしたものです。

 2階に移動し、いよいよメインの常設展示に向かいます。シネマテーク・フランセーズの展示品は、1930年代からアンリ・ラングロワ(Henri Langlois、*2)らによって収集された膨大な映画関連資料が中心です。それ以前の資料が「ウィル・デイ・コレクション」として展示の冒頭を飾る他は、すべて、ラングロワ・セクションとしてシネマテークの収集品が続きます。写真銃やプラクシノスコープ・シアターといった映画以前史の語り部たる装置に続き、リュミエール兄弟やメリエスの遺品が登場し、サイレント時代の花形たちが案内役を買って出ては、休む間もなくアヴァンギャルドの波が押し寄せます。アスタ・ニールセンのドレスや自画像、ルイーズ・ブルックスの直筆の手紙やアクセサリー、エイゼンシュテインの直筆デッサン、グレタ・ガルボヴィヴィアン・リーの衣装、『モダンタイムス』の歯車、『アンダルシアの犬』に出てきた縞模様の小箱、マン・レイの『ひとで』。陳列される展示品によって、ある種の映画史が物語られます。

 展示の最後を飾るのは、他ならぬラングロワに関連したものです。長くシネマテーク・フランセーズの映画博物館館長の座に座り続けたラングロワは、 1968年、時の文化大臣アンドレ・マルローによって館長職を更迭されます。間髪入れず、映画界を中心とした反対運動が勃発し、抗議の電報が世界中からシネマテークに送られ、果たしてラングロワは館長職に復帰したという歴史(いわゆる、ラングロワ事件)を最後のセクションは伝えます。当時の紙資料が展示され、ラングロワに関するドキュメンタリー映画が部分的に上映されていました。もちろん電報それ自体も並べられ、そこに見て取れる名前の連なりは、それすなわち、当時の映画界の縮図のようなものです。

 圧倒的な展示の質と量を見るにつけ、僕がラングロワという人間に抱いていた関心は強まるばかりです。「シネマテークの子供たち」の子供たちの一人として、ラングロワについてもう少し学ばなければならない、そんな思いが、展示を見終えてシネマテークの建物をカメラに収めようと外に出たときに僕の頭にはありました。自らの命を削るようにして(反して、彼の肉体は膨らみ続けたのだが)映画の収集に努めたラングロワは、彼自身がシネマテーク・フランセーズであり、映画についてのすべてを集めるシネマテークの精神であったことは、さまざまなところで語られます。彼のスタイルと考え方の賛否はさまざまですが、学ぶことは依然多いはずです。

 フランクフルトからパリに着いたときに降っていた冷たい夏の雨は、僕が展示を見終えたときにはすっかり上がっていました。シネマテーク前の石畳が、夕方の光で輝いていたのを覚えています。そんな夕陽の中で、正面玄関や屋上にレンズを向けていると、初老の紳士が近づいてきて、何事かをフランス語で言いました。わからない素振りを見せると、相変わらずのフランス語ですが、ゆっくりと単語に区切ってカメラを指しながら再度発言します。「銀」という単語が聞こえたので、おそらくは、デジタルではない銀塩カメラを使っているのか、と問われていたのでしょう。なんとなく彼の意図を解した気になって、「そうだよ」と笑いながら答えると、彼はニコリとうなずいてから去っていきました。

 さて。シネマテーク・フランセーズ訪問をひとしきり満喫したので、写真でも撮りながら辺りをうろついて、夜の上映開始を待つことにしました。シネマテークにたどり着くまでは、目に映りながらも心までは届かなかったパリの風景も、雨上がりの光の中で、どこかしら美しく輝いています。どうやら、パリの長い一日はもうしばらく続きそうです。  (つづく)

*1: 創設60周年を迎えたマグナム・フォトについては、こちらのウェブサイトをご覧ください。『マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』という映画も近日中に公開されます。

*2:ラングロワに関して日本語で読むことのできる文献としては、以下をお薦めします。『映画愛/アンリ・ラングロワとシネマテーク・フランセーズ』(A Passione for Films; Henri Langlois and the cinematheque francaise、著:リチャード・ラウド<Richard Roud>、訳:村川英、リブロポート、1985年)。オリジナルは“Viking Press”という出版社から1983年に出ています。