京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

B級なローマにはB級映画がよく似合う

 クリスマス、正月と日本に一時帰国していたハムエッグ大輔です。日本では鍋を食ったり、M‐1グランプリを見たり、風呂に入ったりしてほっこりしました。そして日本を楽しんだと同時に、今までのローマ生活を振り返ってみました。アンデルセンが思い焦がれ、ゲーテがたどり着くために歩を早めたローマ。アン女王がヴェスパで走り抜けたローマ。ムッソリーニファシスト隊と共に進軍したローマ。そんな歴史と文化の大舞台は今や見る影もなく、ごみの山、移民の山、夜行バスにぎゅうぎゅうに乗り込んだ黒人たちの目はうつろで、歩行者道では、違法露店を警察がタバコを吸いながら取り締まっています。なんという体たらく。初めてローマについた時は本当に逃げ出したかった。いろんなことに腹を立てた。なのにだのに住めば永遠の都ローマとはよく言ったもの。なかなかどうして居心地がよくなっちゃったのです。思えば、このように文章を書くきっかけとなったドーナッツ・メンバーのみなさんと、最初に出会ったのもローマでした。

 嫌いな町だから長くいれるのかな、とも思います。よく旅行ガイドブックで形容されるような、「おとぎ話に出てくる」村だとか、「古きよき歴史の香り漂う」町ならば、そんな何年も住みたくないかも知れません。そういう場所は旅行したいです。旅行をするというのと住んで生活するというのは、目にする風景に大きな違いがあって、ローマは高台から見下ろす夜景や、大聖堂のモザイク画よりも、日常生活で目にする風景にたいへん魅力があるなあと思います。例えば映画『ウマキチ(訳は筆者)』(Febbre da cavallo、ステーノ<Steno>、1976年)。ローマの競馬場トル・ディ・ヴァッレ(Tor di Valle)を舞台に繰り広げられる、イタリアでは殿堂入りのB級コメディーです。その冒頭部分では、どの馬に賭けるべきか、プリンスとよばれる白髪の男(下の画像左)とその友達(同画像右)が話し合っている、本筋とは何ら関係のないワンシーンがあります。

プリンス:このレースで勝つのはセッラフィーノだ。友達:何がセッラフィーノだ? オー・ソーレ・ミーオだ、プリンス! ボケちまったのかい?

 腕を前に突き出し指を合わせて揺らすジェスチャーに、しわがれ声で友達が放つローマ弁。「ボケちまったのかい?」(Ma che te sei rincoglionito?)まさに地元のおっさんが繰り広げそうなこの会話は、ローマの愛すべき日常の一コマを感じさせてくれます。

 彼らは、その混乱から、マミアーニ通り、リカソーリ通りの方へ出て行った。魚屋と鶏肉屋の露店のあいだに小さな抜け道があったのだ。ヤリイカコウイカ、ウナギにダツ、もちろんアサリ。それはもうたくさんの海の幸を売っている場所だ。

 やさ男と金髪野郎は、真珠の淡い銀色に光る、やわらかそうなイカの身に目をやった。(それほどまでに、筋全体に細やかな光沢が出されていた)。嗅ごうともしていないのに、ピチピチにゅるりとした海草の匂いがする。循環する、放たれたCl(塩素)−Br(臭素)−I(ヨウ素)、船だまりの活き活きした朝の匂い。それは、底のほうからすでに聞こえている空腹を満たしてくれる皿、ぴっかぴかのフライを約束してくれるのだった。…  

 あるいはこちら、トーマス・ミリアン(Tomas Milian)主演の刑事ものシリーズから『中華レストラン殺人事件(訳は筆者)』(Delitto al ristorante cinese、ブルーノ・コルブッチ<Bruno Corbucci>、1981年)。主人公であるニーコ・ジラルディ警部が、その妻アンジェラと市場で買い物をしていたところ、脇役のボンボロと遭遇します。「おはようございます」。とうやうやしく挨拶するボンボロに、アンジェラは「何よ、からかってんの?」(Oà, che mi stai piglià in giro?)。「なんてピリピリしてるんだ。さてはセックスがうまくいってないんだろ」とめげずに悪ふざけするボンボロ。そんな彼に対し、別れ際にもう一言。「てめえの面倒でも見てな!」(Tu fatte affari tua!)。下ネタにたじろぎもせずに手痛いローマ弁で返す、気の強い女性の姿。まさにローマでよく見る、愛すべき風景の一つです。

 その昔、ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)は、ローマの異常な環境に感銘を受けて映画を撮ったそうです。小説を書いたそうです。それはいいんだけど、どうも彼が表現するローマはしゃらくさいというか、建物の最上階(イタリアのお金持ちが住むところ)から見下ろしているような、他者が中に入らずに覗いているビジョンのように思えてきます。それよりは、先述したB級コメディーのほうがよっぽどしっくりくる。ローマのどん詰まりの絶望の底にあるのは、パゾリーニが描くような死ではなく、B級コメディーの笑いなのです。というのが、2年半ローマに暮らした僕の個人的な感想です。

 というわけで次回からは、そんな不思議と魅力を持ったローマゆかりの文学作品を紹介してみたいと思います。