京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

シネマ「笑いのカタログ」   (旧ウェブサイトコラム『ローマから遠く離れて』)

 今、日本ではジョヴァンニ・ヴェロネージ(Giovanni Veronesi)監督の『イタリア式恋愛マニュアル』(Manuale d’amore、2005年)というオムニバス・コメディーがDVD化されていて、ここ最近のイタリア映画の中でも頭一つ抜けたヒット作になっているんだろうということは、JR吹田駅前のレンタルビデオ店で僕が借り損ねそうになった(かろうじて一本だけ僕を待っていてくれた)ことからも窺える。近年稀にみる大雪になった先日、僕は遅まきながらようやくこのフィルムを頭から尻まで、すなわち恋に落ちる(innamoramento)ところから棄てられる(abbandono)ところまでを観ることになった。
イタリア的、恋愛マニュアル [DVD]
 これにはちょっとしたからくりがある。この作品がイタリアで世に出た2005年というのは、僕がイタリアでの風来坊生活を始めた年でもある。カビ臭くて地下牢のようだったローマの最初の住処にたどり着いたのが、あれは確か9月の末だった。この作品の公開は3月のことだったから、劇場ではとうに公開が終わったけれどDVD化にはまだもう少しという端境期だったわけだ。当時の僕は映画の都ローマに来たんだと鼻息も荒く、新作よりも当地でしか観れないような古いレア物にぞっこんだったから、最近のイタリア人の恋愛なんぞはどうでもよろしいとばかりに、同じオムニバスなら『街の恋』(L'amore in città、フェッリーニ<Federico Fellini>、アントニオーニ<Michelangelo Antonioni>他、1953年)を、同じシリーズもののコメディーなら敬愛してやまないドモリ芸の達人アルド・ファブリッツィ(Aldo Fabrizi、近い将来ページを開設します)の監督作品『トラブルメーカー・ファミリー(訳は筆者)』(La famiglia Passaguai、1951年)を、同じイタリア式ならジェルミ(Pietro Germi)の『イタリア式離婚狂想曲』(Divorzio all'italiana、1961年、画像左上)を観ようじゃないかと問題の『イタリア式恋愛マニュアル』にはとんと無頓着だった。日本での公開は独占禁止法で取り締まれないものかと僕たち在阪ドーナッツ・メンバーをして業を煮やさせるイタリア映画祭2006(この映画祭の功績と弊害についてはまたの機会にどこかでつまびらかにしたい)で公開され、観客を存分に魅了したようであるとは、遠く1万2千キロの彼方で微かながら耳にした。しかし僕はその情報をすかさず右から左へと受け流し、相も変わらず「お宝の発掘」に余念がなかった。

 僕が次にこのヴェロネージの佳作を思い出すことになるのは、ちょうど1年ほど前。好調な興行収入の伸びに気を良くしたのか、『イタリア式恋愛マニュアル2(訳は筆者)』(Manuale d’amore 2 〜Capitoli successivi〜、ヴェロネージ、2007)が封切られたときのことだった。シリーズとは言え、オムニバスなわけだから特に前作を観ていないとついていけないわけではないことを知り、古いお宝ばかりに目を向けていては眼前のお宝の原石を見落としてしまうぞというとある尊敬する先輩の意見を拝聴して目の覚める思いだった僕は、それでも「笑わせられるもんなら笑わせてみなよ」とばかりの尊大な気持ちで『ローマ・チェー』(Roma c’è、ローマ版『ぴあ』のような冊子で、毎週金曜に1ユーロで販売される)を開いた。劇場を確認すると、ちょうどフラスカーティでもやっている。かの町を贔屓にしていた僕は少し浮足立ってくる。配役を確認すると、ちょうどその頃小説を読み耽ってその才の多彩っぷりに嫉妬していたファビオ・ヴォーロ(Fabio Volo、彼のページも近い将来陽の目を見ることでしょう)が出ているではないか! 僕は書きかけのコラムもそこそこに外套に手を伸ばした。さらにキャストを精査すると、齢四十を越えようとも衰えることを知らない肢体で男性の鼻の下を伸ばさせっぱなしのモニカ・ベッルッチ(Monica Bellucci、画像下)が出ているではないか! 僕は飲みかけのエスプレッソもそこそこに街頭に繰り出した。
 
 ギャラが足りなかったのだろう、モニカは僕ら男子を欲求不満にさせるだけでスクリーンから姿を消したが、それでも彼女が放った芳香は僕らの鼻腔を最後の最後までくすぐりっぱなしだったし十分に頬が緩んだ。ヴォーロの俳優としての才覚には恐れ入りつつ、当初の横柄さはどこへやら、僕は不覚にも笑いをこらえきれず、結局は存分に頬を揺らすことになった。先日観た1作目DVDの予告編によると、こちらの2作目も日本で公開される可能性が高そうなのでプロットには触れないが、そもそも作品以上にその時の僕の注意を惹きつけたのは、その映画館に満ちた熱気のほうだった。これには本当に驚いたし、あまり経験したことのないものであったにもかかわらず、どういうわけか懐かしい気持ちにさせられたのだ。
ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 スペシャル・エディション [DVD]
 僕がそれまでのローマ滞在で経験していた映画体験のほとんどは、「お宝発掘」という都合から、国立シネマテークトレヴィ映画館という上品な映画ファンが集う場所がその舞台だった。もちろんそこでもプログラムや時間帯によって多少の濃淡はあれど、客席は概ね一定の静粛性を保っていたし、たまに違う劇場で映画を観る機会はあっても、どういうわけか僕が行くときはいつもガラガラだったから、僕はイタリアの映画館というのも『ニュー・シネマ・パラダイス』(Nuovo cinema paradiso、ジュゼッペ・トルナトーレ<Giuseppe Tornatore>、1989年、画像下)で描かれていた頃の喧騒とは打って変わって、どこも静けさに満ちた空間になったのだな、日本と同じように、と信じ込んでいた。そんなのがまったく実態とかけ離れた思い込みであることに、僕は上映開始数分にして気付かされた。要は客のリアクションが僕たちの感覚からすると過多なのである。スターが事故に遭えば会場には悲壮感が漂い(「なんてことなの…」といったニュアンスではあろうが、背後の女の子が聖母マリアの名を思わず口にしたのを僕は聞き逃さなかった)、妖艶な場面では生唾を飲む音がドルビーさながらにあちこちから聞こえ、主人公が困った立場に立たされる場面ではどっと笑いが起きた(何なら若干前後の台詞が聞き取れなかったくらいだ。芝居小屋と違い、映画館では演者は客の笑いがおさまるのを待ってはくれない)。鑑賞した『イタリア式恋愛マニュアル2』がよくできたコメディーで、なおかつオムニバスだったからということもあろうが、とりわけこの「笑い」に関しては、実にいろんなタイプのものを体験できた。あの2時間ばかりの間、フラスカーティの満杯の映画館はちょっとした笑いのカタログと化していた。忍び笑い、盗み笑い、含み笑い、照れ笑い、助平笑い、泣き笑い、苦笑い、朗笑、嬌笑、談笑、そして大笑い。初めて足を運ぶ映画館では、僕は決まって後方に陣取り、スクリーンの明暗とともに観客の姿も視野に入れながら、その施設の雰囲気までも味わうよう努めている。この時もやはりいつもの慣例を励行したのであるが、この時ほど自分の編み出したルールに感謝したことはなかった。僕たちは映画を観ると自然と近しい人にその話をしたくなるものである。自分の感じたことを伝えたくなるし、他の人がどんな切り口で同じ作品を観たのかを知りたくなる。これが「ポスト」鑑賞の醍醐味だ。そんな欲求が湧いてこないフィルムを僕たちは「おもしろくない」と切り捨てるし、友達とついつい語り明かした作品は傑作だと持ち上げる。そういった自分以外の人達の反応を「リアルタイム」でしかも肌で感じることができたのが僕にはとても新鮮だったのだ。

映画館と観客の文化史 (中公新書) 
加藤幹郎がその意欲的な好著『映画館と観客の文化史』(中公新書、2006年)で、シネコンの隆盛によって世界の映画観客はどんどん均質化されてしまっていて、本来そこにあるべき多様性が失われてしまっていると指摘していたが、ひとびとはもはやスクリーンに眼を向けるというよりも鑑賞マナーを乱す客に眼を光らせている節があるように僕は時折思ってしまうことがある。マナーの欠落が叫ばれて久しいが、僕らにはもしかすると寛容さも欠落しつつあるのかもしれない。ホームシアターシステムは自宅を映画館に変貌させた。そこでは上映中の飲食喫煙は当然、なんだったら厠へ行くこともできるし、電話をかけることだってできる。何だって自由だ。その一方で、映画館はどんどん不自由な場所となり(たとえば昔はいつだって好きなタイミングで劇場に入り、そして立ち去ることができたが、今は総入れ替え制が主流で、座席指定のシステムも浸透している)、下手をすると緊張すら強いられる場所となっている。もちろんそれが必ずしも悪いことだとは言えまい。僕はただフラスカーティの体験が妙に人間的で愛おしく思えただけだ。先述したように、『イタリア式恋愛マニュアル2』も日本公開されるに違いない。どうだろう、読者の皆さんも劇場に足を運んで、わいわいやってみては。ただ、「やってみたけどよ、『黙って見てろ、このKY!』って罵られたぞ」なんて苦情は一切受け付けないので、予めご了承願いたい。