京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

ヴァルテル・ヴェルトローニとイタリアの夜明け

 今年の1月終わりにイタリアでは第2次プローディ(Romano Prodi)内閣が解散しました。よって次の首相を決める総選挙が4月半ば行われそうですが、その話題で現在メディアは大揺れしています。次の首相と予想されるのは、まずは嫌われ者のシルヴィオ・ベルルスコーニ(Silivio Berlusconi)。この度の選挙のために発足した連立右派政党、現在PdL(il Popolo della Libertà、自由市民連)のリーダーで、2006年まで首相を務めましたが、当時の選挙で敵対する左派に大敗。今回返り咲きを狙っているとかいないとか。そして彼をしのぐ勢いで注目の的になっているのが、今回の主役ヴァルテル・ヴェルトローニ(Walter Vertoloni、画像右)というやさしそうな顔をしたおっちゃんです。彼は、中道左派政党PD(Partito democratico、いわゆる民主党)の書記長であり、第1次プローディ内閣では副総理も務めました。2001年からはローマ市長も務めていましたが、今回の内閣解散後、首相になるべく、兼任が認められない市長を辞任したのでした。「おまえがローマ市長の間に何をした? 失業問題、移民、不法労働などなど問題は悪化する一方なのに市長を辞めて首相になりたいとはどういうことだ??」というのが一般的な世論と野党の意見です。しかし一方で相当の支持も集めており、総選挙まで、各政党のポスターだらけのイタリアの街々は、まだまだ騒がしそうです。


 そんなわけで世間の注目を集めているヴェルトローニさん。そもそも彼は、ローマの映画学校を卒業したスロヴェニア系の文化人でした。その政治家としてのキャリアは1976年、彼が21歳のときにPCI(Partito Comunista Italiano イタリア共産党)に入党したことに始まります(下の画像は70年代のもので、中央のサングラスの男性がパゾリーニ<Pier Paolo Pasolini>、ヴェルトローニは右側の青年)。1987年に下院議員となり、PCIの重職を重ね、その機関紙『統一』(L’Unità) の編集長となります。1996年には、ベルルスコーニを破るべく、プローディとともに「オリーブの木」(L’Ulivo)なる左派連合を結成。見事第1次プローディ内閣を実現させたのでした。そしてローマ市長に就任し、現在に至る。という流れなのですが、とにかくイタリアは政党が合体したり、一新したりでころころ名前も変わるし、とても複雑です。以上の説明でわかりにくい部分があったら申し訳ないですが、イタリアの政治ってわかりにくいんだなあという程度に読み流してください。要点はローマ市長だった左翼文化人ヴェルトローニさんが首相に立候補している。彼は是か非か。

 さて、ここでようやく話題を文学へ変えましょう。ジャーナリストでもあったヴェルトローニは、市長時代に小説を2作発表しています。『パトリーショと離れて』(Senza Patricio、2004年、画像左下)と『夜明けの発見(訳は筆者)』(La scoperta dell’alba、2006年、画像右下)。そうです、今までコラムでとりあげてきたボンテンペッリ(Massimo Bontempelli)やマラパルテ(Curzio Malaparte)、ダヌンツィオ(Gabriele D’Annunzio)、究極的に言ってしまえばダンテ(Dante Alighieri)だってそうです。歴史的に見て、イタリアの作家、芸術家たちは、各々の時代の政治に深く関わってきました。ヴェルトローニもその系譜と考えてみて『夜明けの発見』を読んでみました。

 国立資料館で働く40歳過ぎのジョヴァンニ・アステーニョ(Giovanni Astegno)は2児の父であるが、娘のステッラ(Stella)は先天的な脳障害を持っている。ステッラの兄であるロレンツォ(Lorenzo)は、その事実を受け入れ、あふれる優しさで兄弟愛、親子愛を築く。ジョバンニは彼に感謝し、ほほえましくふたりを見守るが、実は心の中で、傷が疼いている感覚もあるのだった。実は彼が子供のころ、彼の父が失踪したのである。ゆえに苦難と共に家族の関係を維持している今の状態がジョヴァンニには、余計にやるせない。そんな歯がゆさを解消するべく、彼は父の失踪の謎を突き止めようと試みる。当時住んでいた家に戻り、なつかしい電話の受話器をとってみると、事件当時の家につながるではないか。こうして叔父と偽って、子供のころの自分と対話する中で、父の失踪の秘密を探り出そうとする。すると未解決の殺人事件の関連性が浮かび上がってきて…。

 う〜ん。あらすじを書いてみると、なかなかおもしろそうになってしまいました。家族愛、ファンタジーからサスペンスにもつれ込む怒涛の展開。ページ数も少なくてなかなかに読みやすい。しかし、先述した過去の政治作家と比べてみると、彼には主張がなさ過ぎます。ボンテンペッリにもダヌンツィオにもダンテにも、「時代を変えてやる!」という、煮えたぎるような情熱が作品に込められていました。もちろん、「政治作家の系譜でヴェルトローニ作品を読む」という行為自体が無理のあることだし、くだらない色メガネにすぎません。作品自体がおもしろかったらそれでいいのです。しかし、この『夜明けの発見』で描かれる心情や登場人物が放つ言葉は、なんというか、当たり障りのない出来合の表現という気がします。

 考えるよりも、頭をぶち抜くほうが簡単なのさ。何かをつくるよりも壊すほうが簡単ってね…
  Succede che spaccare una testa è più facile che pensare. Distruggere è più facile che costituire…

 とかね。作中に登場する「ロレンツォが愛読するイタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino)」や「流行していたビートルズ」、「エドワード・ホッパーの絵」なんていうアーティストのチョイスも、ヴェルトローニのやんわりきれいごとを言いたい性格を表しているように思えてきます。エゴン・シーレじゃなくてホッパー、ピンク・フロイドじゃなくてビートルズじゃないとダメなのです。

 シリーズ初回からえらい酷評してしまいましたが、あくまでハムエッグ的な意見なのであしからず。フォローするならば、彼がジャーナリストとして書いた政治書にはなかなかすばらしいものもあるみたいです。ともあれ、もし彼が首相になったのなら、その小説に見るような姿勢じゃないことを期待しようじゃありませんか。イタリアの夜明けを夢見て。