京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

人々が抵抗するとき 〜イタリア・レジスタンスが含意するもの〜 2008/03/17

 僕はイタリアの政治に関してはほとんど門外漢なので、「イタリア・レジスタンス」と言われても、第二次大戦中に一般のイタリア人がファシズム・ナチズムに抵抗して、ムッソリーニをやっつけた、ということ以外にピンと来なかったのですが、ひとえにレジスタンスといっても結構奥が深いようです。というのは、ノルベルト・ボッビオ(Norberto Bobbio)の著書『イタリア・イデオロギー』(Profilo Ideologico del Novecento、馬場康男・押場靖志、未來社、1993年)によると、レジスタンス運動の背景には様々なイデオロギーの協同関係があり、また、イタリア・レジスタンスというはイタリアの「革命」をも意味したとのことです。レジスタンスをもっと単純に捉えていた僕には目から鱗だったのですが、ま、とりあえず、彼によると話は以下のようです。

 まず、話の前提として、当事のイタリア(1930〜40年代)には、イデオロギーとして自由主義共産主義という陣営がありました。戦後の冷戦を見ても明らかなように、両者は互いに相容れない部分を多くもっており、あんまり仲の良い関係ではありません。ここでいう「自由主義」、「共産主義」というのは、それぞれ、保守的自由主義、革命的共産主義のことです。前者は個人の私的財産権の保護を訴え、一方の後者はそんなものは放棄して、共同的な生産・管理を(急進的に)目指そうと言うのですから、それは対立して当然ですね…。

 そんな中、ある新たなイデオロギーがイタリアに登場しました。そう、ファシズムです。ムッソリーニ率いるファシスト党が、イタリアを統治し始めたのです。しかし、ここでイデオロギー的に自由主義共産主義ファシズムと、三つ巴の対立関係になったのかというとそうではないのです。なんと、自由主義共産主義が歩み寄り、共にファシズムに抵抗し始めたというのです。

 自由主義共産主義、両者がどうして共にファシズムに反対したのかというと、自由主義ファシズムを政治的な現象として捉え、ファシズムの「独裁制」という点を批判し、また、共産主義ファシズムを階級的視点から捉え、ブルジョア独裁という性格を非難したわけです。

 さらに、イタリアのカトリシズムと社会主義も反ファシズムを掲げ、自由主義共産主義・カトリシズム・社会主義、これら四者が互いに手を差し伸べるようになります。こうした互いの譲歩は一時的なものだったものの、「妥協の精神がイデオロギーの頑なさを和らげ(中略)、レジスタンスは、精髄を抽出する蒸溜器ではなく、すべてがときかけ混ぜられる坩堝の役割を果たす」ことになります。敵の敵は味方ということでしょうか、「反ファシズム」という軸を中心に、様々なイデオロギーが混ざり合ったのです。

 N・ボッビオによると、ファシズム自由主義社会主義、二つの敵手が互いに孤立し、合同はおろか妥協的解決さえ見出せない状況を利用して勝利をおさめたのであるから、ファシズムの転覆はその二つの敵手の提携関係を予見するものだと言い、そして、こうした相異なるイデオロギー同士の結びつきが、自由主義でもない、共産主義でもない、統合的な新イデオロギーに基づく動き、言い換えれば、数世紀にわたり強奪者による統治の下にあったイタリア国民の再生を目指す民衆による戦争、つまり、レジスタンスという革命的行為を生み出したと説明します。

 また、こうした新イデオロギーファシズムの発現を以下のように考えていたとのことです。つまり、ファシズムとは、「イタリア社会の歴史的発展に内在する幾多の病根(宗教改革の欠如、挫折した革命としてのリソルジメント、統一後の指導階級によるトラスフォルミズモ、北部にだけ恩恵をあたえ南部には損害をもたらした第一次産業革命)と、イタリア人の数百年来の悪徳(シニシズム、無関心、「喰えさえすれば主人がフランスだろうがスペインだろうが構わない」式の精神、そして何よりも、イタリア人特有の利己主義)とから生じた、悪性の激発症であった」と。そして、レジスタンスはそうしたイタリアという国を「揺り動かして、永遠の無気力から目覚めさせ、慢性の精神的・物質的貧困から立ち上がらせる」もの、つまり、イタリア「革命」としての意味をもっていたのです。

 以上、N・ボッビオによる「イタリア・レジスタンス」の説明でした。悪しきファシズムという思想を生んだイタリアの土壌。そして、垣根を越えて結びついた新イデオロギーを基にその再生を目指したのが、イタリア・レジスタンスだったわけですね。

 話の大筋とは多少ずれますが、今回のN・ボッビオの話で個人的に面白いなと感じたのは「ファシズムを生む土壌」という点です。「全体主義はなぜ生まれたか?」という問いは戦後、エーリッヒ・フロム(Erich Fromm)やハンナ・アーレント(Hannah Arendt)などをはじめとして、様々な論者が色々な説を唱えていますが、N・ボッビオの「イタリア人の数百年来の悪徳」というのも面白いですね。シニシズム・無関心・利己主義はまだわかりますが、イタリア人の「喰えさえすれば主人がフランスだろうがスペインだろうが構わない」式の精神、というのはどうなんですかね…。僕がもしイタリア人だったら、「おいおい、待ってくれよ。それは言いすぎだぜ」って言いますけどね。ま、いずれにせよ、シニシズム・無関心・利己主義という三点は現在の日本人にも当てはまる部分もあるかと思うので、要注意ですね。
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