京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

実録、朗読天狗撲殺事件!      (旧ウェブサイトコラム『ローマから遠く離れて』)

 以前にもどこかで書いたことがあるかもしれないが、僕は昔から朗読が好きである。それも無性に。ちょっとまとまった文字群を目にすると、すかさず声に出してしまう。朗読というと、小学校の国語の時間にやらされて恥ずかしい思いをしたという、どちらかといえば苦々しい思い出として記憶の奥底にしまいこんでいる人が多いかもしれないが、保育園時代から朗読を趣味としてたしなみ、小学校に上がる頃には既に若きベテランの域に達していた僕にとっては、あの時間はちょっとした発表会にでも臨むようで気分が高揚したことを覚えているくらいだ。

 一人っ子だったせいもあるのかもしれない。親に手渡された絵本は片っ端から目を通していたのだが、そもそも買い与えられる数というのはたかが知れている。手持ちの未読絵本はすぐに底をつき、あっという間に手持無沙汰になる。暇だ。かといって家の中には一緒に遊ぶ同輩がいない。仕方がないので、絵本ライブラリーをもう一度頭から読破してみようかということになるのだが、これも3巡目4巡目ともなってくると、いい加減飽きてくる。困る。とっぷり途方に暮れた。しかし、子どもというのは、遊びのプロであって、そのことにかけてはとことん貪欲なものである。僕も例外ではなかった。現時点で自分を取り巻くものだけで、いかにして新鮮な遊びに興じるか。改めて絵本を手にした僕は、それまでもっぱらイラストに向けていた目をテキストに転じ、なおかつそれを口にしてみるという行動に出た。するとどうだろう。色褪せてもはやセピア色と化していた物語が、耳から入って脳内で情報処理されるや、まばゆいばかりに鮮やかな総天然色とあいなったのである。この、目・口・耳・脳内スクリーンという経路で文字情報を享受する楽しみに、僕は血沸き肉躍った。このプロセスの利点は、その時の気分やテンションによってキャラクターやナレーターの声色・トーンに変化をつけることで、ひとつの物語をその都度異なった切り口で味わうことができることである。僕はすっかり味をしめてしまった。これなら、同じ絵本を何度でも味わえる。朗読人(ろうどくびと)ポンデ雅夫の誕生である。

 それからというもの、僕はまるで憑かれたように、ありとあらゆる文字を手当たり次第に声に出してきた。ジャンルは問わなかった。教科書、小説、詩、戯曲。新聞、雑誌に標語まで。変わったところでは、歌詞やチラシ、さらには漫画も朗読の対象となった。小学校4年のときには手塚治虫の『ブッダ』が十八番だったし(愛蔵版で8巻に及ぶこの大作は朗読破に1週間を要したものだ)、5年時にはあだち充の『タッチ』の5巻のみを20回以上は再現しただろうか(『ブッダ』と違って、こういった漫画はあまり買ってもらえなかったので、最寄りの本屋でなけなしの小遣いをはたいて自ら購入したこの巻ばかりを後生大事にしていたのだ)。並行してアニメ版を見ながら、ヒロインの浅倉南を演じる日高のり子に「そうじゃないんだよな」とダメ出しをしていたことを思い出すにつけ、我ながらどうかしていたと思う。

 11歳の春休み。中学校という新たな世界に飛び込む直前だから、わくわくドキドキそわそわ。誰しもが何かと落ち着かない時期である。制服、部活動、増える教師陣、広がる友達の輪。その理由はいろいろだろうが、僕の最大の関心事は、母語以外に初めて本格的に接する言語、英語の学習であった。母親が外国人であることから半ば必然的に生じる未知の文化圏への好奇心もあったが、そんなことよりも何よりも、僕にとって嬉しかったのは朗読の幅が広がることであった。英語の朗読。想像するだけで心躍るではないか。教科書だけでは我慢ならず、ラジオ講座のテキストからTシャツのロゴまで、横文字であれば目についた端から読み上げていったものだ。そうやって外国語朗読にすっかり病みつきになった僕は、大学では外国語学部へ進み、専攻のイタリア語に始まり、アラビア語、フランス語にまで朗読の幅を広げていくことになった(まぁ、後ろのふたつの言語については、今となっては見る影というか読む影もないまでに能力が錆ついてしまったが…)。

 さて、子供の遊びにおけるクリエイティビティーの豊かさについては先述したが、それに対して大人というのは下手に小金を持つにつれてそのスキルを失っていくものである。悲しい話だ。御多分に洩れず、僕もその口だ。ただ、幸いなことと言うべきだろうと思うが、あぶく銭には縁がない。そこで、かつてほどの勢いはないにしても、朗読好きの性向は未だに健在である。この大阪ドーナッツクラブを結成してからローマで過ごした2年間もそうだったのだが、今から遡ることちょうど1年前に、そんな僕が金槌で頭を殴られたような衝撃を受けたことがあった。
イタリアの詩人たち
 事件はローマ大学で開設されていたイタリア現代詩の授業中に起きた。ちょっとした耳学問にと、僕は軽い気持ちでその講義室に紛れ込んでいたのだが、講義はそういった教養科目にありがちの実に眠気を誘う退屈なものだった。学生たちも集中力が続かず、そこへ座っているのがやっとなようで、余計なことに余念がない。要するにどうしようもない授業だった。こんなことなら静謐な自室で教科書片手に学ぶ方がよっぽど効率が良かろうと席を立とうとしたその時である。教授がやおら居住まいを正し、「それでは、これよりモンターレ(Eugenio Montale)のくだんの詩を朗読するとしよう」と言い放った。お手並み拝見とばかり、僕は再び腰を下ろしたのだが、周囲の若造どもは相も変わらず聞く耳を持っていない様子である。これじゃ聞こえそうもないか、と改めて立ち上がろうとした僕の耳に飛び込んできたのは、それまでの平板な語り口からはおよそ想像もつかないような、教授の熱を帯びた声であった。声量もたっぷり。思い思いによそ見と私語を満喫していた遊学生たちも何事かと教壇に注意を向けた。耳目を集めるというのは、本来はまさにこういった状況のためにある表現ではないだろうか。大講堂は水を打ったように静かになり、それからはこの豹変した教授の独壇場だった。時に激しく、時にひそやかに。トーンもスピードも見事に緩急のついたその朗読に、僕は空いた口も塞がらない状況だった。なんなんだ、これは、と。
両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム (新潮文庫)
 詩というのは「ことばの彫刻」だと言われることがある。たとえ同じ情景や感情、できごとや物語を描写するにしても、詩は散文とは違って、その意味だけでなく表現性を重視するものである。リズム、韻、日常的な感覚をずらせた言葉の組み合わせ、などなど。詩は、詩人が自身の感性という鑿(のみ)で切り出した「ことば」のオブジェ、のはずである。されどその立体感は、紙という2次元の平面上では読み手に伝わりにくいものだ。印刷技術が発達するまで、詩というのはもっぱら朗読されるものであったと聞いたことがある。そう言えば、平家物語といった日本の壮大な叙事詩も、琵琶法師のような吟遊詩人たちが平曲として伝承していたのではなかったか。寺山修司は、グーテンベルクの発明した活版印刷を、「詩人に猿ぐつわをはめるもの」であったとし、「かつての吟遊詩人たちは、みな唖になってしまったのだろうか」となかなかおもしろい発言をしている。そうなのだ。ことばや詩の立体性は、人間の肉声が空気中に大波小波を作り、やがては聞き手の鼓膜を揺らすその空間が保障されて初めてすっくと立ち上がるものなのである。その意味で、紙というのは「ことばの牢獄」であり、朗読という作業は不運にも囚われの身となった「ことばの脱獄の手助け」なのかもしれない。

 その日、希代の詩人モンターレの言葉は、時空を超えて確かに僕の鼓膜を震わせた。情けないことに、意味は一聴した限りでは十全に理解できなかったものの、その躍動感あふれる立体性は肌で感じることができた。耳学問程度にと冷やかしで入った授業で、奇しくも本当の「耳」学問を体験した格好だ。あれほどにイタリア現代詩の魅力を味わえた日はなかったし、四半世紀に及ぶ実践と鍛練ですっかり自信過剰の朗読天狗となり果てていた僕にとっては、初心に帰る記念日となった。

 未知の体験にぽっかりと空いていた僕の口が閉じられたのは、教授の朗読が終わり、生徒たちの感極まった盛大な拍手が講堂を包んだ時であった(何だか書いていて自分でも嘘っぽくなってきたが、本当に本当の話である)。還暦を超えた先達の偉業を前にして、自身の未熟さに恥じ入った僕の朗読道(ロード)はまだまだ続く。