京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

失敗のアフターケアー  (旧ウェブサイトコラム 『イタリアの小噺バルゼッレッテ』)

どうも、有北です。
僕はふだんビジネスホテルで働いている。

 夜の11時から朝の9時までの深夜勤務だ。僕の私生活が気になっていた方、これからは僕のことを夜の男と呼んでもらいたい。基本的にはフロントマンとして毎夜宿泊客の応対にいそしんでいる僕だけど、早朝6時を回る頃、いつも僕は、花に水をやる。

 うちのホテルでは玄関の前に花壇とプランターがいくつも並べられてあって、契約している花屋さんが定期的にやってきて、手入れしたり、季節の花に交換したりしてくれるんだ。毎朝それらの花に水をやるのが、朝の僕の仕事のひとつというわけだ。これが意外に気持ちいい。すかっと気持ちが晴れやかになる。

 深夜のビジネスホテルっていうのは、酔っ払いの温床だと思ってもらっていい。ある程度の理性を保っている者が大半だとはいえ、中には泥酔して手に負えない連中もやってくる。眠い目をこすりながらそういった手合いを相手にした翌朝、すがすがしい空気を吸いながら、きれいな花に触れていると、ほんとうに疲れが洗い流されるような気がするんだな。

 まったく、早起きは三文の徳とはよく言ったもんだよ。

 さて、先日、いつものように僕が夜勤明けで花に水をやっていると、昨夜の泊まり客のひとりが僕に近づいてきた。見たところ30半ばくらいの女性だが、やけに神妙な面持ち。いったいどうしたんだろうか? その女性は、僕の前にやってくると、言いにくそうに口を開く。

「あのう、これ、どうぞ」
と、その人が僕に渡したのは、封筒だった。

 なんだ? チップだろうか? おいおい、気持はありがたいがお客さん、ここは日本だぜ。そんな習慣はこの国にはないんだ。気持ちだけで十分さ。でも、どうしてもくれるっていうんなら、もらうことにやぶさかではないぜ。

僕は笑顔でその封筒を受け取った。
持ってみると、こりゃ、ずいぶんずっしりとした封筒だ。
お客さん、ちょっとふんぱつしすぎじゃないかい?
「どうぞ、開けてみてください」

なんのアピールかしれないが、その場での開封を勧める彼女。
特に断る理由もないので、言われるままに中をあらためると、なんと、何枚ものお札が入っている!
お札。
お札(おさつ)じゃない。これは…
お札(おふだ)だ!
「私、そういう商売をしているんです。昨晩、霊気というか、ちょっと、気になったものですから」
なんだ、なにを言ってるんだ、彼女は。
そういう商売?
要するに、あなたは、その、霊が見えるとか、そういう類の人ってことですか? 美輪明弘? スピリチュアルなんとかってことですか?
彼女は続ける。
「なんだか、この建物、ちゃんとお祓いされてない気がしたものですから、ちょっと気になっちゃって。どうぞお受け取りください。お金とかそういうのは結構ですから」
彼女はそのままチェック・アウトし、去っていった。
じょうだんじゃないよ!
朝のすがすがしい気分がだいなしだよ!
やめてくれよ、よけいな宣告は! 去り際の一言としては最悪だよね! もちろん彼女にしてみれば単なる善意だったんだろうけど。疲れを洗い流してる最中になんだよ。なに宣告してくれてんだよ。あんたはもうチェック・アウトして、どっかいっちゃうからいいよ。残された僕の身にもなってみてよ。僕はずっとここで働いてるんだからさあ。しかも暗いホテルで一人で夜勤してるんだぜ!
寒気がするぜ! 思い出すだにな!
と、このことをすぐさまオーナーに報告すると、
「ちゃんとお祓いはしてるんだけどねえ」
と、心外なようす。
「ホテルみたいな、人の集まるところっていうのは、霊も集まってくるものなんだよ。だから、うちも毎月1日と15日は玄関の前に盛り塩をして、清めてるんだ」
そうなんだ、と感心する僕。オーナーがもう一度つぶやく。
「ちゃんとお祓いはしてるんだけどねえ」
オーナーとの会話を終え、一人になった僕は、水やりを再開しながら、なにか言いようのない違和感を感じていた。
そう、違和感だ。
「ちゃんとお祓いはしている」
というオーナーの言葉。
「ちゃんとお祓いされてない気がする」
というスピリチュアルカウンセラーの一言。
明らかに、矛盾している。
どちらかが、嘘をついているのだろうか? 嘘をついているとすれば、どう考えてもあのスピリチュアルカウンセラーの方だ。オーナーには嘘をつく理由も、つくメリットもないんだから。
待てよ。
オーナーは、なんと言っていた?
玄関の前に、盛り塩をして、清めている?
玄関の前とは、どこのことだ? ここか。ここのことか。僕が今水を撒いているここのことか。水は花にかかっている。だが、花以外にもかかっている。そりゃそうだ。水やりっていうのはそういうものだ。あたり一面びしょびしょだ。水が排水溝に流れ込んでいくのが見える。水とともに、落ち葉や、細かい砂やごみが、流れていく。
塩は、どうなっている?
なにか失敗をしてしまったとき、ひとはどのようにとりつくろうのがよいのだろうか?
例えば、イタリアの小噺(barzellette)に、こんな話がある。

 Un tizio sta tranquillamente leggendo il giornale quando improvvisamente sua moglie gli dà una tremenda padellata in testa.
 - Sei matta? - reagisce furiosamente lui.
 - Questo è per il biglietto che ho trovato nella tasca dei tuoi pantaloni, con il telefono di una tale Marilù!
 - Ma no, amore... ti ricordi il giorno che sono andato giocare ai cavalli? Marilù è il nome del cavallo su cui ho scommesso, ed il numero è il totale della giocata!
La moglie, pentita, gli chiede mille scuse.
Alcuni giorni dopo, stessa scena, ed altra padellata.
- Che diavolo è successo adesso? - chiede il marito.
- Il tuo cavallo è al telefono…


 ある男が新聞を読んでいると、突然、妻がフライパンで頭に一撃を食らわせてきた。後頭部から真っ赤な血が流れ出し、男は悶絶した。
「なにするんだ!」、彼は頭から火を噴いた。
「こんな紙があなたのズボンのポケットに入ってたわ! マリルって女の電話番号!」
「そりゃ誤解だよ。こないだ僕が競馬に行ったの覚えてるだろ? マリルってのはそのとき僕が賭けた馬の名前さ。その数字は電話番号じゃなく、その時賭けた金額だよ」
妻は納得して、夫の後頭部から流れている血を丁寧に拭き取った。
数日後、彼は再び妻のフライパンを後頭部に味わった。ようやくふさがった傷から、再び鮮血が吹き出した。
「おいおい、今度はいったいなんなんだい?」
妻は答える。
「あなたの賭けた馬って、電話をかけてくることもできるのね!」

 都合の悪いことがあるとつい言い訳をしてしまうのが人間なんだけど、往々にして、言い訳というのはいい結果を生まないんだよな。この年齢になると、それはもう痛いほどよくわかっている。
 だけど、さすがにこれはばれたら怒られるかなあ。お祓いのための盛り塩を、盛ったそばからいつも水に流してただなんて、知らなかったこととはいえ、ひどいことしちゃってたなあ。ばれたときのために、言い訳のひとつも考えておいたほうがいいような気がする。
 ああ、僕は、水やりは疲れを洗い流してくれるなんて能天気なことを言ってる場合ではなかったんだなあ。洗い流してはいけないものを洗い流さないように、気をつけなければならなかったんだなあ。もう後悔しかないよ!
ああ、水に流したい。水に流したいなあ。