京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

旅人たちのローマ

 すべての道はローマに通ず。詩人ジャコモ・レオパルディ(Giacomo Leopardi)は生まれてはじめて故郷レカナーティから足を踏み出し憧れのローマを訪れました。しかし薄汚れた外界にすっかり打ちのめされて、再び故郷に帰っていきました。ジェイムス・ジョイス(James Joyce)。アイルランドを出てから、放浪癖が昂じてローマにやって来たものの、すぐにうんざりして、トリエステに身を落ち着かせました。このように、ロムルスとレムスが創りたもうた永遠の都は、何も魅力や素晴らしさだけであふれてるわけではなく、多くの旅人がそこを拒み通り過ぎて行ったのでした。ところで、このローマに住む日本人留学生たちはどうでしょう。僕ハムエッグ大輔と、新たにドーナッツの輪に加わることとなった稲葉チョコレートは、家が近所なもんで、夜な夜なマリアーナ通りに面したバールに足を運んでは、酒を喰らい、パニーノをがっついておりました。そんなときに喋るのは、うだつのあがらない僕たちの生活をいかに向上させるかという、下世話ながら切実な話題。そして、イタリアン・ギャングのマリアーナ団で悪名高いマリアーナ通りで、今二人のジャパニーズが悪巧みを考えているぞ、と自らを俯瞰しては楽しむのでした(右の画像は、ダニエーレ・コスタンティーニ監督<Daniele Costantini>の、『マリアーナ団の現実<訳は筆者>』<Fatti della banda della magliana、2005年>)。


 稲葉チョコレートの口からクラウディオ・マグリス(Claudio Magris)氏の名前が出たのは、そんなバールでのお喋りの中ででした。なんでもノーベル賞を取り損ねたトリエステ在中の作家がいるぞ、と。その作品はきみ、ダンテ(Dante Alighieri)の『神曲』(La divina commedia)やマキアヴェッリ(Niccolò Machiavelli)の『君主論』(Il Principe)のごとく、芸術史の大いなる遺産と成りえるものなのだよ、と。ここローマの辺境に間借りし、内から湧き出てくる童貞高校生のようなエネルギーを放出する場がなくて、まんじりともしない日々を過ごしていた僕ハムエッグは、そうかいそうかいと早々に合点し、彼の作品を手にとるが早いか、マグリス氏に、ぜひお会いしたいのですがという手紙を書いたのでした。とても好意的なお返事をいただいたのはその二日後くらいだったでしょうか。そこでは3月の終わり、僕と稲葉チョコレートでトリエステに出向き、マグリス氏と直接お話させていただくという段取りに決まりました。しかしその直後から僕は後悔しました。買ったばかりの彼の小説『小宇宙』(Microcosmi、1997年、画像右)を読み始めてすぐ、とてつもない彼の知性に触れ戦慄を覚えたからです。ローマに住む衣装デザイナーの大町志津子さんは、ヴェネツィアで大学を卒業する時に、それまで師事していた現代芸術界の重鎮である教授(名前忘れました)からこう言われたそうです。「私自身気づかなかったが、きみは今まで私ではなく、私の背後にあるヨーロッパ文化を相手に闘ってきたんだな」。いかん、今のままマグリス氏と会うのはまず過ぎる。彼の背後にあるものはあまりにも大きく、自分には荷が重い。そんな不安を募らせているうちに日々は過ぎ去りました。

 ドイツ文学者であるクラウディオ・マグリス氏が初めて作品『オーストリア文学とハプスブルグ神話』(Il mito absburgico nella letteratura austriaca moderna)を世に出したのは1963年、彼が24歳のときでした。トリノ大学での卒業論文を元に、東欧におけるハプスブルグ家の広がりと特殊性を体系づけたこの作品。出版した当時は、その深すぎる見識ゆえに彼の父親が書いたのではないかと疑われたそうです。その後、大手の新聞コッリエーレ・デッラ・セーラ(Corriere della Sera)に寄稿を続けながら、小説、劇作品、紀行文、エッセイなどを通して東欧にまたがるさまざまな民族の緻密な歴史を綴るマグリス氏。彼を知れば知るほど、作品を読めば読むほど、立っている場所の高みを感じ、おののきました。しかし約束の日も近づき、もうあとには引けない僕は、意を決してアポイントメントの詳細を決めるため彼に電話をかけました。が、電話に出てくれません。かけなおしてもかけなおしても。電話番号が間違っているのかと思って何度も確認しまた電話しても、いっこうに応答がないのです。これに拍子抜けして、今まで僕が感じていたドキドキはなんだったんだろうと思いながら、約束していた3月末がやってきました。そんなとき、マグリス氏本人から突然電話がかかってきました。彼との約束は、半ば諦めていたのもあって、不意を喰らって電話ごしに日本語で「うわあ」と叫んでしまいました。なんでも彼は先日までインドを旅行していて、それで連絡がとれなかったのだとか。こうして改めて4月初めに会う段取りを整え、僕は必要以上に「Grazie, grazie(ありがとう、ありがとう)」を繰り返して電話を切りました。

 4月某日トリエステ。今までの不安や緊張、彼に会うまでの経緯に比べると、その会合はたいへんあっけないものでした。正午きっかり、彼はタクシーに乗って待ち合わせの広場にやってきました。その日はいい天気で、海からの風が気持ちよくタクシーから降り立つマグリス氏の姿はなんとなく荘厳に見えました。僕、稲葉チョコレートとマグリス氏はお互いすぐに相手を認め、近くのトラットリアへ。席に着くなり雨嵐のようにしゃべりたくるマグリス氏。ボンゴレのパスタを食うマグリス氏、熱々のカッフェー・ルンゴ(caffè lungo、薄めのコーヒー)を飲むマグリス氏。停まることなく会話を続ける彼の顔は終始笑顔で、僕はそれに「sì, sì(はい、はい)」と相槌を打つのが精一杯。名誉のために付け加えておくと、稲葉チョコレートは世界大戦時のトリエステ領土問題の話題を交えた奥深い会話を展開しておられました。あっという間に会食は終わってしまい別れのとき、今日は本当に会えてよかったと僕たちに堅く握手を交わしてくれました。彼は結局のところ、遠い異国の東洋人が自分の作品を読んでいることが嬉しかったというだけのことなのかもしれません。そのために、わざわざ時間を割いて会ってくれことには感謝のかぎりです。そういったエネルギー、僕たちのようなまったくの他者に積極的に関わろうとする姿勢は、彼の作品の根底に通ずるものだと感じたのですが、前述の小説『小宇宙』の中に、トリエステの老舗カフェ、サンマルコについてこんな記述があります。

サンマルコは本当のカフェだった。その常連たちが掲げる自由多元主義と保守派信仰が目印の、歴史の中の辺境だった。にせもののカフェには単一の種族が陣取っている、すばらしい紳士や、希望に満ちあふれた若者たち、野党グループや新しい考えをもった知識人なんてなんとも思わない。同属ばかりで結合していては息が詰まってしまう。カレッジ、大学キャンパス、会員制クラブ、ジェットセット、政治的マニフェスト、文化シンポジウムなどなど。これらすべては海の波止場たる人生における否定だ。

 時代錯誤なクリシェに聞こえるかもしれませんが、クラウディオ・マグリスはさまざまな場所に赴き、人と出会いながら、人生という旅をしています。ゆえにその知性ははてしなく開けていて強靭です。そして僕たちもまた、ローマに来ては過ぎ去って行く。というわけで感謝と敬意と向上心を胸に僕は帰りの電車に乗り込んだのでした(稲葉チョコレートは別の電車で帰られました)。マグリス先生、マグリス先生、僕たちは旅人なのですね。

広告を非表示にする