京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

縁は異なもの、味なもの(ドーナッツ盤 ドーナッツ版) (旧ウェブサイトコラム『ローマから遠く離れて』)

 著者である僕の身に降りかかった突然の多忙と、僕個人の諸案件処理能力の頼りなさと、さらにはほんの少しの怠慢のおかげで、先月のコラムを休載いたしました。万が一ご期待くださっていた読者の方がおられましたら、謹んでお詫び申し上げます。
誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国
 僕たちドーナッツクラブは、結成以来、地道にではあるものの、お宝アーティストと僕たちが呼ぶ、イタリアの優れた文化人を、ノンジャンルでご紹介してきた。この電脳空間を別にすれば、公に行ってきたのは、2005年の京都でのお芝居、2007年に大阪で開催した写真展であった。そして2008年。上半期の瀬戸際に、ようやく1冊の本を上梓することができた。シルヴァーノ・アゴスティの『1日3時間しか働かない国』(Lettere dalla Kirghisia、マガジンハウス)である。出版というのは、僕たちのイチオシを全国にあまねく知ってもらえるメディアであり流通形態なのだから、それはそれは感慨も一入(ひとしお)なのだけれど、もちろんこれで満足しているというわけではない。アゴスティにしたって映画や他の小説が控えているし、ましてやまだこのサイト上でのページすらオープンしていないアーティストにいたっては、僕たちののろまぶりにヤキモキしているに違いない。そのへんは、僕たちDM(ドーナッツメンバー)もじゅうじゅう反省しつつ今後の課題としつつ、まぁうまいことなだめすかしつつやっていくことにして、今回のコラムでは、アゴスティと僕の出会いと、それにまつわる「異な縁の味な広がり」をご報告してみようと思う。

 時は2005年。ODC旗揚げ公演である『湯けむりエゴ・ファイト』(原作:ダリオ・フォー、京都市国際交流会館)を打ち上げた僕は、さっそくローマ行きの準備に取り掛かった。結成してすぐに渡伊するとはどういう魂胆か。逆に言えば、どうして渡伊の予定があるこの時期に結成してしまったのか。幾多の人にそう問われたものである。僕の答えはいつも歯切れの悪いものであった。「いや、あれだよ、ほら、なんだろうね、だから、まぁ、その、なんだね…」。要はあまり深く考えていなかったのである。正直なところ、僕と有北クルーラーの「ノリ」がすべてだったのだから、何をどう取り繕ったって、それはすべて後付けなのだ。まぁ、いいではないか。ローマで何かしてくればいいんだろう? しかし、何を? 出発までに何度か持ったミーティングという名の酒盛りの会で、僕とクルーラーは悶々としていた。まったく前に進まない議論。進むのは時間と焼酎ばかり。酒瓶をいくら睨んでいても答えが出ないことに遅まきながら気づいた僕たちは、それでもどうしていいかよくわからず、書棚に並ぶ本の背表紙に視点をなんとなく移すことにした。ふと、クルーラーがつぶやいた。

 「ポンデの春樹好きはあいかわらずだよね。まぁ、それは僕も同じなわけだけど…」
 「そうねぇ…。春樹と言えば、あれだよね。最近は翻訳作業のエンジン・フルスロットルだ」
 「うん、翻訳夜話なんかもかなりおもしろかったもんね」
 「そうそう、『湯けむり』の翻訳でもかなり助けられたよ、あの対談本には」
 「あれ、この本、懐かしいねぇ」

 クルーラーが手にしたのは、学生時代に僕たちがイタリア文学の授業で使っていた教科書だった。当時の悪戦苦闘っぷりと教師に当てられる前の緊張感を思い出し、ついつい苦笑いを浮かべてしまう。

 「翻訳もいいんじゃないかな、君があちらにいる間は。ほら、このテキストにだって今こうして読めば楽しい作品がけっこうあるじゃないか。チッチャの『新米の床屋(訳は筆者)』(Il nuovo barbiere、1973年)なんて当時から爆笑してたし」

 クルーラーの言葉を耳にして、僕も思わず大きくうなずいた。「そうだね。翻訳はいいかもね」。テキストに目をやると、僕が敬愛するアーティスト、ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)の小説も掲載されている。何か視界が開けた気がした。

 「翻訳なら、文学はもちろん、今回のフォーみたいな戯曲だとか、なんなら、映画の字幕だってあるものね」と僕ポンデ。

 「うん、これだよ。僕らの活動は、やっぱりコトバにフォーカスを当てるべきなのかもね」

 夏の終わり。僕はリュックサックに問題のテキストと一握の野心を忍ばせて飛行機に乗り込んだ。ところが、大都会ローマではことはそうイージーには運ばなかった。まず何よりも街が巨大すぎる。土地勘がないから、本屋の場所すらわからない。映画館もわからない。情報をどうやって集めていいかわからない。おまけに、いったん出かけたら帰り道がわからない。そして何より、落ち着ける自宅兼仕事場がなかなか見つからない。ネットが敷けていないから、日本への通信もままならない。クルーラーをはじめとする在日メンバーからも「ポンデはどこへいった?」と騒がれる始末。そんなわけでお宝アーティスト発掘作業はなかなか進まない。ないない尽くしの切ない日々に、僕は不甲斐ない気持ちとみんなに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
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そして秋の終わり。ローマでは、その不可解な死からちょうど30年目を迎えたパゾリーニ関係のイベントが連日開催されていた。そんな中、ようやく生活も落ち着き始めた僕は、パゾリーニの映画作品をコンスタントにフィルムで上映するような、奇特な映画館はないものかと探していた。地元の新聞を広げ、映画の興行予定に目を凝らす。あるじゃないか、あるじゃないか。今度は地図を広げて所在地を確認。ヴァチカン市国のほど近くに伸びるシピオーニ通り。さっそく足を運んでみると、そこは名画座と封切り館を兼ねた2スクリーンの映画館。薄暗い照明の中にほの見える古めかしい映写機や編集機ムヴィオラが僕のような映画ファンの心をくすぐる。まずは、目的であったパゾリーニのデビュー作『アッカットーネ』(Accattone、1961年)をじっくり鑑賞、そして堪能。救いようもなく悲劇的なラストシーンを観た直後にもかかわらず、僕は少しローマに馴染んできたような感覚を覚え、すがすがしく上映室の暗幕をくぐった。余韻に浸りつつ、さらに館内を物色。出入口近くには本棚が設置してあり、映画関係の雑誌が所狭しと並んでいる。と、よく見ると、小説もそこかしこに混在している。と、さらによく見ると、置いてある小説の作者がどれも同じである。既にパゾリーニ話で共に一花咲かせていたモギリのお兄ちゃんに情報を求めてみると、その作者こそ、この映画館の経営者であり、イタリアでは異色のインディペンデント映画監督として名を知られているお人らしい。その名もシルヴァーノ・アゴスティ。「それは一度お目にかかりたいものだ」とその場のノリで口にしてみると、お兄ちゃんは「だったら月曜に来るといいよ。月曜は彼がここに来る日だから」とのたまう。「ほんとに? 会えるの? じゃぁ、それまでに1冊小説を読んでみようかな」。僕がチョイスしたのは、最新作。新しいということよりも、背表紙にあるフレーズに興味をそそられたのだ。何を隠そう、その本が今回訳出した『1日3時間しか働かない国』の原書である(画像上)。本当に偶然の出会いだった。

 帰りの地下鉄車内からさっそく読みふけり、その日のうちに読了してしまった。これはなかなか優れたお話だぞ。興奮した僕は、アゴスティをしっかりアイデンティファイするべく、情報を集め始めることにした。そして驚いた。彼は、僕たちが大学のイタリア語劇から幾度も上演してきた、あのダリオ・フォーとお友達だったのである。なんなら、フォーのドキュメンタリーすら撮っているではないか。奇妙な縁を僕たちドーナッツが勝手に感じたのも頷いてもらえることだろう。しかし、ひとつの縁はまた別の縁を呼び寄せるものだ。

 アゴスティ発掘から数カ月。僕は繁華街へ出るたびに、次なるお宝アーティストを求め、本屋での立ち読みに精を出していた。ベンチのある店舗では、座り読み。なけなしの文学的嗅覚を僕なりに駆使し、とにかく片っぱしから本をチェックしていった。そんなある日、「まぁ、たまにはベストセラーのコーナーも冷やかしてやるか。どうせロクなものはないんだろうけど…」と、僕はあちこちの書店でよく目にする小説を手にした(村上春樹が好きなのに、ベストセラーを盲目的に忌み嫌うなんてちゃんちゃらおかしいぜ、というご批判は甘んじてお受けします。その通り。矛盾してます)。よく売れている証拠に、ペーパーバックである。まずは裏表紙にあるあらすじと短評をチェック。「ふむふむ…。なんだかおもしろそうじゃないか。僕の撮ってる(あるいは撮りたいと思っている)映画ともテーマが重なるぞ」。僕はいとも簡単に籠絡されてしまった。いったん仕切り直し。今度は期待を込めて本の扉を開けた瞬間、僕は大切なその商品を床に落としそうになってしまった。あのシルヴァーノ(アゴスティとはちゃっかり友達になってしまっていた)の言葉が記されているではないか! なんだこの小説は! 『ちょっくら外出中(訳は筆者)』(Esco a fare due passi、Oscar Mondadori、Milano、2002年、画像下)? 作者名は? ファビオ・ヴォーロ(Fabio Volo)? 誰だ、それは? 僕はそのままレジへ直行した。
Esco a fare due passi
 帰りの地下鉄車内からさっそく読みふけり、その日のうちに読了してしまった。これはなかなか優れたお話だぞ。興奮した僕は、ヴォーロをしっかりアイデンティファイするべく、情報を集め始めることにした。そして驚いた。ヴォーロはアゴスティが世に出したも同然だったのだ。あどけない頃からヴォーロを知っていたアゴスティが物語を書くことを勧め、その才を後押ししたらしい。なんという偶然。フォー、パゾリーニ、アゴスティ、ヴォーロ。すべては縁が繋いでくれた不思議なラインナップだ。思い返してみれば、始点となるフォーは、僕が大学の研究室で語劇のネタに困って手を伸ばした本棚で偶然に発見したものだ。もしもあの時フォーのアンソロジーを読んでいなかったら、こんな縁の連なりはなかったわけだし、そもそもドーナッツクラブだってなかったかもしれない。そう考えると、感慨はますます深くなる。

 もちろん、すべてのお宝アーティストが数珠つなぎに縁で結ばれているわけではないが、それぞれのメンバーがそれぞれ何らかの縁や偶然を発掘作業の契機としているのは確かだろう。たとえばアクスティマンティコは、ひょんなことからメンバー入りしたハムエッグ大輔が、ひょんなことからローマで巡り合ったバンドである。「すべての出会いは神秘を運んでくれる」とは、『1日3時間しか働かない国』にある言葉だが、僕たちドーナッツクラブは、この味な考えをベースに、これからも縁を原材料にしたドーナッツの輪(円)を広げていくつもりだ。そして、いつしかきっと、素敵なドーナッツの園ができることだろう。