京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

マイ・ライフ・アズ・ア・ズィンガリ〜

 風の民ジプシー。陽気に歌い踊り幌馬車で旅をする。そんな彼らのプラス・イメージをぼくが初めて知覚したのは、手塚治虫の『リボンの騎士』だったでしょうか。いっぽう、他国に逃げ出し寄生するように街を徘徊するジプシー。そんなマイナス・イメージを知覚したのはテレビドラマシリーズの『シャーロック・ホームズ』でした。正確な年は覚えていないものの、かなり幼少の頃にジプシーという存在を知ったことは間違いありません。そして大学に入り、西洋史を専攻する中で、多くのジプシーは移住先に居を定めていることを知りました。その文献や資料からは、子供のころ漫画やテレビから学んだ嫌われ者だけど自由奔放で大胆不敵なジプシーの姿は微塵もありません。この事実はぼくを夢から醒めさせたと言いましょうか、歴史研究とは幻想を取り払い事実を突き詰めることなのだと悟り、なんだか大学で勉強するのがいやになったこともありました。ともあれこの文章においては、彼らを指し示す語として、和製イタリア語「ズィンガリ(zingari、ジプシーの意)」を採用したいと思います。なぜなら、公的には差別語とされる「ジプシー」以外にも、「彼ら」への呼称は複数存在し、また民族的な違いがあるものの、イタリアでは同形の生活体系を持つアルバニア人などとの区別もつきにくく、混同、混乱を招きやすい。このような、メディアという場での彼らの呼称問題のデリケートさを超法的にクリアすべく、ぼくがイタリアで見聞した彼らを指し示す語として「ズィンガリ」を採用します。
 
 ぼくが実際ズィンガリに出会ったのは、イタリアに来てすぐのことでした。「出会った」というよりは、一歩距離を置いて観察したというほうがいいでしょう。今まで見たことのなかった明らかな異人。汚いロングスカートで赤ちゃんを抱えて町を徘徊する。お金をせがんだり、窃盗をしたり、ものを拾ったりして生活している。極めつけに衝撃を受けたのは、中に入っているものをさぐろうと、共同の大型ゴミ収集器に顔を突っ込んでいたズィンガリの老婆が、収集器に体重をかけすぎて、中にゴロンと転げ落ちてしまったのを目撃したときです。残酷に聞こえるかもしれませんが、そのときぼくは、「ああ、助けなければ」とはまったく思わずに、「ああ、なんてすさんだ世界なんだ」という感想を持っただけなのでした。同じ空間に共存しているにも関わらず、果てしない隔たりを感じるズィンガリ。その容姿、行動を見るにつけ、コミュニケーションの不可能さを本能的に悟ってしまいます。
 
 1999年、アントニオ・タブッキ(Antonio Tabucchi)のルポルタージュ、『ズィンガリとルネッサンス(訳は筆者)』(Gli Zingari e il Rinascimento)が出版されました。ドイツの出版社が企画した『10人の作家が世紀末におけるある現実社会を考察する』という企画の一環として執筆されたこの作品では、筆者のタブッキが、アメリカで少数民族の研究をする友人リウーバ(Liuba)を連れて、勝手知ったるフィレンツェのズィンガリ・キャンプを案内します。15世紀のルネッサンス震源地であるフィレンツェは、今もなお文化的に豊穣な土地であるよう誇示を続ける。その歪に入り込むように、フィレンツェに絡まりついているズィンガリたちを見るにつけ、町の虚勢が空しく見えてしまう。作中では、ズィンガリの青年とイタリア人女性の恋の悲劇の結末が語られます。
 父親の再婚相手に嫌気がさして家を出たフィレンツェ人の女の子ジュリアネッラ(仮名)が、旧ユーゴスラヴィアからやって来てキャンプに住んでいる青年に恋をし、妊娠する。子供が生まれ、二人は結婚します。そして青年側の家族にも認められ、キャンプでの共同生活が始まる。不衛生なキャンプの生活を改善しない自治体に憤りを感じる最中、決定的な事件が起きてしまいます。自治体の介入によってことが知れ、この青年に対し国外退去の命令が出されたのです。ジュリアネッラはタブッキに助けを求め、彼の国外追放をなんとか食い止めようとしますが、市は聞く耳を持ちません。そしてある日、忽然とジュリアネッラが我が子を連れて消えてしまいます。少ししてから地元の新聞に記事が載りました。『ズィンガリの暴力と悪意によって殺された愛』。その内容は、名前を伏せているものの、ジュリアネッラのことを言っているのだと一目瞭然してわかりました。親元に帰るわけにはいかないジュリアネッラは、せめても子供の生活保護を求め自治体の下に駆け寄ったのでした。こうして身を潜めていた青年は逮捕され、不条理な扱いを被る。現代版『ロミオとジュリエッタ』はより生々しくて残酷です。
 タブッキは作品を通してフィレンツェ市の不当さやボランティア団体の無力さ、幹根的に存在するズィンガリに対するマイナスイメージの解消を訴えています。 この他にもロシア(ズィンガリがもっとも多い国)に精通するの米原万里さんは、その音楽と踊りを、生存するという目的で芸術までに昇華させたズィンガリの功績を認めなければならない、というようなことを言われておりました。また、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のエミール・クストリッツァー監督(Emir Kusturica)の『白猫、黒猫』(Chat noir, chat blanc、1998年)では、楽しく演奏にふけるズィンガリの姿が描かれています。このように、内に入り込んだ視点、外から見た視点、その他さまざまな切り口でズィンガリを見ることで、彼らに対するさまざまな意見が生まれます。しかし、それでもぼくはイタリアで、ズィンガリのすぐ隣で暮らして、ズィンガリについての肯定的な謂れに対して、どうしても違和感を抱いてしまうのでした。
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 差別と言われればそうなのかもしれません。しかしぼくは彼らの生活を知っています。彼らは毎週土曜日の深夜になると、壊れかけた乳母車やカートいっぱいにガラクタを積めて、徒歩でマリアーナ通り(Via della Magliana)を北上します。目的地はポルタポルテーゼ(Porta Portese)。そこでは毎週日曜日、早朝から大きな蚤の市が開かれるのです。アントニオ・メウッチ広場(Piazza Antonio Meucci)の水道で喉を癒して一休みしたら、ポルタポルテーゼまであと一息。ごろごろごろごろ、ズィンガリの列が続きます。彼らの目的はなんでしょう? それは蚤の市でガラクタや盗品を売ること。もちろん正規登録はできないので、違法露天を出して売ります。このようにして稼いだごく僅かなお金で、彼らは生活し、さらには貧困と内戦が続く故郷へ仕送りをします。もちろん銀行口座はつくれないので、アジア人が経営する電話センターのマネー・トランスファーから送ります。レートは高いけど、他に方法などない。片言のイタリア語で、「おれの金、盗むなよ。ちゃんと送れよ」と念を押して、店主のアジア人にお金を託します。ぼくは、電話センターのボックス席から日本に電話する傍ら、そんな彼らの姿を目にして、えもいわれぬ切なさを感じるのでした。
 結局、善でも悪でもなく、ローマでもフィレンツェでもなく、ズィンガリという問題は、現実社会の中に深く確実に横たわっているように思われます。この問題は、先月コラムでも取り上げたイタリアの首相ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)にとっても、もっとも取り組まなければならない課題の一つとされていますが、解決や改善の糸口や方向も見出せぬまま、ただただ事態の深刻さが増しているといった感じを受けます。『リボンの騎士』でも『シャーロック・ホームズ』でもなく、世紀末を越えた今でも、現実社会の中でズィンガリは生活しているのです。