どうも、僕です。
ここ最近ちょっとした用事で毎日のように大阪は阿倍野界隈へ出かけているんですが、今日も朝からいつものルートをつかつか歩いていると、とある煙草屋さんの前を通りかかったときに、聞き捨てならない言葉が僕の鼓膜を揺らしたのです。
「もうやめようや! 家が潰れてしまうやないか!」
ね? 聞き捨てならないでしょう?
朝と言ってももう10時。
平素なら既に営業しているはずの煙草屋の硝子戸は閉め切ったままです。
そこからもごもごと不明瞭に漏れ聞こえる老夫婦の諍い。
このセリフは、恐らくは初老を迎えていると思われるいい歳をした息子がふたりの間に仲裁に入った際に発したものです。
もちろん実際に垣間見たというわけではありませんが、おおよそそんなところでしょう。
「家が潰れてしまうやないか!」
この場合の「家」ってどういう意味?
概念としての家? それとも物理的なこと?
いずれにしても、嗚呼、心配。
僕は明朝も同じルートを通過予定です。
彼らの言う「家」が明日もちゃんと存在していることを祈ります。
僕の杞憂だといいのですが…。
それでは皆さん、また非常に近い将来に。