どうも、僕です。
街歩きと街観察をささやかな愉しみのひとつとして暮らす毎日ですが、京都におりますと高い頻度で眼に飛び込んでくるのが、寺社仏閣や教会などの門前に掲示してある「教えの書」です。
そう、たとえばこんなふうな。
「河の水のようにいのちは刻一刻新たになる
喜びも悲しみも決して一所に止まることがない」
ふむふむ、なかなか含蓄がありますね。
21日のSwingin' Sundayで発してしまった放送コード綱渡り気味の下ネタも一所に止まることがなければいいんですが、そういうわけにはいきませんかね…。
さて、こういった「教えの書」(と僕が勝手に呼んでいるだけですが)って、だいたいが達筆ですよね。
これは宗教の洋の東西を問わず、言えることだと思います。
きっとどんな施設にも書道の有段者がいるのだろうな、との推測が僕の脳裏にはいつもあったんですが、先日、それがあっさり覆される事態に相成りましたので、ご報告申し上げます。
自宅のすぐ近所にあるお寺さん。
ここの「教えの書」は、達筆もさることながら、そのレイアウトも凝っているんです。
スペースの半分くらいを占める大きな熟語。
その意味をパラフレーズするようにしてツーサイズほど小さな文字で書かれる教訓。
平素よりなかなかのものだと一目置いていたのですが、考えてみるといつも2車線の道路を隔てて見ていたので、物理的にも一目置いていたんです。
そこで、ひとつ間近でじっくり拝見しようと接近してみたところ、なんとその達筆のまわりには鉛筆による下書きがあるではありませんか。
そう、ほとんどなぞっているんです。
お坊さん…。
下書きがあろうとなかろうと、教えのコンテンツには微塵も影響がないわけですが、僕がちょっくらがっくりと肩を落としてしまったのは、お坊さんが6Bくらいの濃い鉛筆で入念にレイアウトを整え、失敗を恐れて筆をそろりそろりとナメクジ並みの速度で歩ませている姿をつい想像してしまったからです。
だってねぇ、イメージとしては「えいや!」と一息に書ききってしまうもんだとばかり思ってましたから…。
どんだけ備えてんのよ!
ミスを恐れないで!
そんなことじゃ、悟れないんじゃないかしら。
大きなお世話かもしれませんが、そうおもんぱかってしまった僕でした。
それでは皆さん、また非常に近い将来に。