京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

使い古しの男 (旧ウェブサイトコラム 『イタリアの小噺バルゼッレッテ』)

「ねえ、弁慶って、徳川何代将軍だっけ?」
 もう何年か前の話になるが、友達がこんなふうに聞いてきたことがあった。Kさんという僕より何歳か年下の女の子だ。面食らった僕がなにも彼女に返答できずにいると、Kさんは先ほどの質問を繰り返す。
「弁慶って、徳川何代将軍だっけ?」
 弁慶というのは、たぶん、武蔵坊弁慶のことだろう。どうも、Kさんは、弁慶を歴代の徳川将軍のひとりだと勘違いしているようなのだ。
 すごいことになっている、と思った。
 なにがきっかけでKさんがそう勘違いするに至ったのかはわからないが、とにかく彼女は勘違いしている。Kさんとは、そんな女性なのだ。
 すごい知識の持ち主。人は誰かの知識を評価するときに、とかくプラスの方向には意識を向けがちだが、そうではない。あまりにも知らない、というのも立派な評価の対象なのである。
 Kさんと知り合ったのはもう結構前の話で、当時、世の中は韓流ブームに沸いており、猫も杓子もヨン様ヨン様の時代だった。だが、そんなペ・ヨンジュン礼賛の風潮に真っ向から異を唱えていたのが他でもないKさんだ。
 Kさんは、とにかくペ・ヨンジュンはだめだという。その理由がふるっていた。Kさんの下の名前はみかというのだが、
 「ペ・ヨンジュンと結婚したら、私、『ペ・みか』になるんでしょう?」
 ペ・ヨンジュンと結婚したら、の前提もすごいが(なにを想定してるんだ)、なにか間違っているんじゃないかという気持ちがぬぐえない。同じ理由で、彼女は劇団ひとりも毛嫌いしていた。
 「劇団ひとりと結婚したら、私、『劇団みか』になるんでしょう?」
 なぜいちいち結婚を視野に入れているのかはまた別の機会に追求するとして、とにかく彼女はそう主張していた。
 これらのことから、僕はKさんをすごいと感じ、あまつさえ尊敬するまでに至った。
 世の中には説得力のある人物というのがいて、そういう人は、何を発言しても、とりあえず正しいと思わせてしまう能力を持っているが、Kさんはその逆で、何をしゃべっても、とりあえず間違ってるんじゃないかと思わせてしまう。これは才能である。
 Kさんの頭の中はどうなっているのだろう? 僕は彼女にとても興味を持つようになった。
 そこで僕は、Kさんに世界地図を描いてもらうことにした。異論はあるだろうが、その人の教養や世界観を見るためには世界地図を描いてもらうのが一番てっとりばやいというのが僕の持論なのである。
 僕は、梅田のディズニーショップで散財をしていたというKさんを電話で呼び出し、「ちょっと、世界地図を描いてくれないか」と申し付けた。するとKさんは、「いいわよ」と、やけに威勢がいい。あまりの威勢のよさに、もしかして僕はKさんを誤解していたのかなと思ったくらいだ。ふだん見せている姿は仮の姿で、実際のアビリティははるかに高いのではないかと。
 はたして、出来上がってきた地図を見て、僕は驚嘆した。
 彼女の頭の中では、世界はこんなことになっちゃってるのか?
 まず中国が異様に小さい。こんな小さい国土にあれだけの人口がおさまるわけがない。まあ小さいだけならいい。オーストラリアにいたっては、ない。Kさんの頭の中では、オーストラリアは存在すら許してもらえないのか? 同様に、インドもなかった。黒海カスピ海など無論存在しなかった。だがそんなのは序の口だ。問題なのは、アメリカ大陸だ。
 こんなことになっていた。

 イタリアがこんな強大な国家になっていたとは、いったい世界はどういうことになっているのだ。僕の知らないうちに随分大規模な侵略戦争が行われたみたいじゃないか。いつだ。いつの話だ。いつの間に南アメリカを全て手中におさめたんだ。しかも海岸線まで変貌させるなんて、核でも使ったか? 人種のるつぼと呼ばれるラテンアメリカが、人種の長靴になっているのだ。こんなもの発見したら、あの大航海時代と呼ばれた時代、ヨーロッパからはるばる到着した人々は、そりゃあ驚いただろうぜ!
 そんなKさんだが、かつては人並みに恋をしたりもした。そのときのことを、Kさんが僕に語ってくれたことがある。彼女が短大に通っていたときの話だ。当初はそこそこラブラブなふたりだったが、やがて残念なことに彼氏が浮気をし、それがKさんの知るところになった。当然彼女は怒りに燃えたのかと思いきや、
「それが、別にどうでもよかったの。というのも、私、当時パラパラにはまっていてね」
 パラパラ! あの、何年か前に一世を風靡した、まったりしたダンス。
「あんな男より、新しいパラパラの振り付けをマスターするほうがよっぽど大事だったの」
 花の色はうつりにけりな、とはよく言ったもので、万物は流転し、同じところにとどまることはない。
 もちろん、人の心ほどうつろいやすいものはなく、Kさんを責めたり咎めたりする筋合いは僕にはないが、この場合、かわいそうなのは、Kさんなのか、Kさんのかつての彼氏なのか、もう僕には判断がつかないところまできちゃってるんだな。
 さて、イタリアの小噺(barzelletta)に、こんな話がある。

 Lei torna a casa (senza avvisare prima...) e, sorpresa, trova lui a letto con una giovane fanciulla.
 Scena madre, lei gli intima di andarsene e minaccia il divorzio.
 Lui con estrema calma:
 - Va bene, pero prima ascoltami e poi decidi!
 Lei acconsente malvolentieri.
 - Stavo andando in macchina quando vedo questa ragazza che fa l'autostop, sporca, lacera e patita. Mosso a compassione, l'ho caricata e mi sono fatto raccontare la sua triste storia. Non mangiava da giorni. Allora l'ho portata a casa e le ho preparato un piatto di pasta. Vedessi come l'ha divorato! Poi le ho chiesto se voleva fare un bagno, sai puzzava un po'! Intanto che si lavava ho dato un'occhiata ai suoi vestiti. Avessi visto in che condizione erano! Sporchi, puzzolenti e stracciati! Ho tirato fuori quel paio di jeans che non metti più da anni perché ti stanno stretti, quel maglione che ti ha regalato tua sorella a Natale che non ti piaceva, quel paio di scarpe che avevi comprato in saldo e che non hai mai messo e l'ho rivestita. Poi l'ho accompagnata alla porta, e quando stava uscendo si e voltata e mi ha chiesto: "Non avresti qualcos'altro che tua moglie non usa più?"

 彼女が(連絡なしに)家に帰ると、驚いたことに、夫が若い女とベッドインしていた。
 彼女は、信じられないわ、離婚よと騒ぎ立てたが、夫は冷静に彼女に説明した。
「わかったよ、だけどとりあえず話を聞いてくれないか。僕を責めるのはその後にしてくれ」
 彼女はしぶしぶ了解した。
「僕が車を走らせてるとさ、ヒッチハイクをしてる彼女に出会ったんだ。身なりは汚いし、服はぼろぼろで、しかもずいぶんくたびれてるようすだった。僕は同情して、彼女を車に乗せてやった。車の中で僕は彼女の身の上話を聞いた。もう何日もろくに食ってないってこともね。そこで僕は彼女を家に連れてきて、パスタを一皿作ってやった。わき目も振らず食べてたよ。僕は彼女に、風呂に入るかいと聞いた。なんせすごいにおいがしてたんだ。彼女が風呂に入ってる間、僕は彼女の脱ぎ散らした服に目をとめた。そりゃひどいもんだった。汚くて、においもひどい、まさにぼろきれさ。僕は、きみがもう何年もきつくてはけないって言ってたジーンズと、きみが妹からクリスマスにもらったけれど趣味じゃないって着てないセーターと、きみがバーゲンで買ってきて結局一度もはいてない靴を彼女に着せてやった。そして玄関まで送ってやった。でもね、家を出る直前、彼女が僕に言ったんだ。「奥さんが使ってないものって、もうないの?」

さて、そんな悲しい恋(?)を経験したKさんにも、人生の転機が訪れる。 ある日彼女は唐突に、
「結婚するわ」
 と言って、生まれた町に去っていった。今ではメールのやりとりをするぐらいで、あれからほとんど会ってはいないが、彼女の記憶は今でも僕の中で鮮明だ。中でも、彼女の放ったこの一言だけは、僕はどうしても忘れることはできない。
「えっ、キリストって、もう死んだの?」
 彼女は西暦というものの意味について、どう思っていたのだろうか