京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

誕生日の肝試し

どうも、僕です。

3日前に誕生日を迎えまして、いよいよ30代、世間の言う三十路に突入いたしました。

20代の折には、そんな路へ迷い込むつもりは毛頭なかったんですが、おかしなことに、というか、好むと好まざるとにかかわらず、というか、ほとんどなし崩し的に、結局僕も御多分に洩れず、この悪路との評判の高い三十路を歩むことになってしまいました。

残念ながら後戻りできない以上、最良の三十路の歩み方を見つけたいものです。20代最後の夜、僕は仕事帰りにそう決意してスーパーに立ち寄りました。

それまでは、きのこスパゲティにしようと考えていたのですが、そんなやわなチョイスでは最良の三十路のスタートを切れないぞ、というわけで、これから10年にわたるロングランに備えるべく、ひとつ精をつけようと、メニューを鍋に変更し、具にはカワハギをチョイスしました。

それというのも、カワハギがぶつ切りされたその鍋セットの端には、肝がでっぷりと控えていたからです。

僕にはその肝クンがとても「ういやつ」に見えたので、迷わず購入、すかさず調理とあいなりました。

カワハギの肝が非常に美味だというのは、以前にどこかで仕入れていた情報です。

今宵は情報のみならず実物も仕入れてきたわけですから、僕の興奮度は秋空のごとく高く、秋生まれの僕の20代最後の晩餐は準備が整いました。

しかし、いきなり肝に行くのは無粋というもの。

まずは身を食し、そのほろほろもちもちとした食感に一通り唸った後、いよいよ本丸、肝の投入です。

鍋のセンターに最上の席をこしらえ、蓋をして火が通るのを待ちます。

と、そこへこの至高の瞬間に水を差す電話音が。

表示名を見ると、どうしても出なければならないお方でした。

仕方なく受話し、いかに会話を用件だけに済ませるかに努めました。

でも、相手は饒舌でした。

やっとのことで電話を切り、ダッシュで蓋を開けて、立ち上る湯気の先に僕が見たものは、だし汁にそのうま味どころか体躯の大部分を提供しやせ細った肝の無残な姿でした。

僕はとっさの判断で火を切り、おたまをはっしとつかむと、これ以上の被害を食い止めるべく、ちゃっちゃとサルベージしました。

どうしたことでしょう。

つい電話の前までは肥満児だったものが、いまじゃすっかりもやしっ子です。

20代最後の夜を飾る、僕史上初めてのカワハギ肝試しが…。

悲嘆にくれた僕は、そのか細い肝をしっかりと味わい、涙ではなくだし汁を最後まで飲みほしました。

僕が体験した味は、実際の味よりもきっと苦かったに違いありません。

どんより気分を引きずりながらも後片付けを終え、半ばやけっぱち気味に麦酒をあおっているところで、僕は無念の死を遂げたその肝クンの本当の苦味を身をもって味わうことになりました。

要するに、あたったんですね…。

それからどれほど大変だったことか。

僕は上半身に所狭しと出現した蕁麻疹(ジンマシン)との死闘に明け暮れながら、20代から30代への敷居をまたぎました。

正直なところ、あまりの痒さにそんなことはどうでもよくなっていたくらいですよ。

翌日には性も根も尽きはてた僕がいました。

蕁麻疹は僕のもとを立ち去りましたが、つけるべきはずだった肝心の「精」も一緒に連れて行ったようです。

やれやれ、こんなことで僕は三十路というロング・アンド・ワインディング・ロードを無事に歩けとおせるんでしょうか。

不安になった僕は、朝、鏡を覗き込みました。

不貞腐(ふてくさ)れ、どこか拗(す)ねたように口を突き出し、虚ろな眼をした僕は、妙な既視感を覚えました。

どこかで最近見たことがあるような…、はて…。

そうです、昨夜のカワハギです。

それに気づいた僕は、なんだか急におかしくなってきて、鏡に向かってけらけらと笑いました。

まぁ、こういうスタートもいいじゃない。

というか、三十路はまだ始まったばかりなんだ。

精はまた今宵つけなおせばいいことじゃないか。

かくして、僕は友人たちと一緒に行きつけの焼き肉店いちなんへ向かいました。

シャンパンでもてなしていただきつつ、僕は肝試しの仕切り直しをしました。

ただし、今度は牛で。

うまいのなんの、精がつくのなんの。

ようようと引き揚げた僕は、三十路の初夜を迎えました。

いい初夜でした。

それでは皆さん、また非常に近い将来に。