京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

伊太利亜地麦酒最新事情 〜ピルスナー至上主義にドロップキック!〜      (旧ウェブサイトコラム『ローマから遠く離れて』)

 日本で日本酒離れが顕著であるように、イタリアでは葡萄酒離れが進んでいる。「地元のワインなんかより、どこか外国の飲み物のほうがクールじゃないか」。僕の極めて個人的な調査によれば、こういう意見を耳にすることもしばしばだ。よく言われる嗜好の多様化というやつがあちらでも浸透しているということなのかもしれない。実際のところ、ワインの消費量は、確実に減りつつあるようだ。特に若者。これも日本と同じ現象だろう。皆さんにとっても、日本酒通の若者といえば結構レアな存在なのではあるまいか。

 こうした相似関係にある日伊アルコール消費事情だが、違いと言えば日本の場合は、若者がむしろ酒類そのものから遠ざかり始めていることかもしれない。僕の出身大学で現役学生に聞くと、やはり、同じ専攻での飲み会なんてものはほとんどないなどと言ってのける。個人差や環境の問題もあるので一概には言えないが、飲み会をしていない日のほうが少なかった自分の学生時代とはえらい違いだ。そこへいくと、イタリアの場合は、幸いというべきか何というべきか、若者は相変わらずバッカス然とアルコールを体内に投入し続けている。でも、ワインばかりでは芸がないし、何よりダサいという調子らしく、かくして、イタリア人はビールへ向かう。葡萄から麦への転向というわけだ。

 ところで、皆さんはイタリアのビールといってどんな銘柄を思い浮かべるだろうか。海外のビールに詳しい人でも、モレッティ(Moretti)やペローニ(Peroni)の名がそらで言える人は少ないだろうし、これがカステッロ(Castello)やナストロ・アッズッロ(Nastro Azzurro)あたりになってくると、もし日本のレストランでメニューに記載されていたとしても、それがビールだとすぐに気づかない人も多いだろう。いや、そもそも、「イタリア産のビールなんてあるの?」、なんて人だって結構いるに違いない。それもそのはず、イタリアのビールは正直なところあまりパッとしない。フリウリ・ヴェネツィア・ジューリア(Friuli-Venezia Giulia)州など、オーストリアやドイツに近い、要するに、かなり寒い地方では、豊潤な味わいのビールが生産されているけれど、それはまず例外と思ってもらってかまわない。他の地方のビールは、基本的に没個性的で、イギリス・ドイツ・ベルギー・チェコといった本場のそれに比べれば、実に味気ないものばかりだ。パスタやパンをあれだけ口にする国だから、れっきとした小麦文化を有しているはずなのに、ことアルコールになると、イタリアではやはり悠久の歴史をバックにした葡萄の勢力が頑として小麦の地位向上を実力で阻止してきたようだ。結果として、イタリアのビール文化はかなり薄っぺらくて底の浅い土壌しか育んでこなかった。僕は実は日本でも状況は似たり寄ったりだったのではないかと考えている。日本人は昔からずいぶんビールを消費してきたような印象があるけれど、コンビニにでも行って大手ビール会社の出しているビール(あるいは発泡酒)のほぼすべてがピルスナータイプであることひとつとってみても、その奥行きのなさがうかがえる。そして未だに、海外で最も知られる日本のビールと言えば、アサヒスーパードライ(イタリアでも高級ビールとして出回っている。ただし、イタリア人はアルファベットのHを発音しないので、「アサイ」スーパードライではあるが…)。87年に勃発したあの不毛極まりないドライ戦争を顧みても、ビールは本来他にも色々種類があるじゃないかと嘆かわしく思う次第だ。料理に合うから、あるいは、爽快感があるから、といった、もっともらしくはあるが、逆に言えば麦の酒としてのビールのレーゾン・デートゥルを軽んじる消極的な理由から、日本にはドライ信仰、さらにはドライファシズムとも呼ぶべきピルスナー礼賛現象が蔓延してしまっているのである。ビールに本来の多様性を! ビールにもっと苦みを! ビールにもっとコクを! そして何よりビールに麦酒としての誇りを! 全国のビアマイスターがそんな風に奮い立ったかどうかは知らないが、94年の酒税法改正以降、日本では地ビールのブームが起き、小さなブリュワリーがそれぞれに技と個性を競い合うようになった。一時は100を越えた醸造所だが今はその数も頭打ち、勃興期を経て安定期に入っているように見える。安価な発泡酒に押されて厳しい状況ではあるが、職人たちは苦境にめげず、知恵を絞っている。これは草の根的でささやかでありながら、ピルスナー偏重に風穴を穿つ運動だと歓迎したい。

 それでは、イタリアはどうか。先述したように、イタリアの麦酒文化はまだまだ物足りないし、発展途上である。そして彼の地でも、やはりピルスナーがのさばってしまっている。それでも、スーパーのビールコーナーを覗いてみると、輸入ビールも驚くほど多様な種類が置いてあって、ドイツやベルギーの個性派も簡単かつ安価に手に入るし、国産にいたっては660ccで1ユーロを軽く切るほどだ。このチープさもまた僕はビールの魅力なはずだと信じてやまないのだが、どうだろうか。特に若いうちは、他の酒は呑まずとも、よりはっきり言えば、経済的に他の酒は呑めずとも、ビールだけはひたすらその安さゆえにどんどん喉を通過させていくものだろうと思う。少なくとも、僕は今でもまだそんな節がある(画像右下は、モレッティビールを浴びるように呑んだ結果、若気の至りとしか言いようのない芸を披露したオールドファッション幹太。クリックすると、大きくなります)。村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』で「僕」の友人である鼠が言うように、「ビールの良いところはね、全部小便になって出ちまうことだね。ワン・アウト一塁ダブル・プレー、何も残りゃしない」ということだろう。いわゆるビール腹のおじさんを見るにつけ、こんなことを言ってられるのも、時間の問題だなとは思うのだけれど、やはりビールにはそんなところがある。「メルセデスどころかカローラにも乗れないけれど、俺にはこのミラがあるさ」といった感じだ。先ほどから僕はピルスナーを目の敵にしているようだけれど、やつにはそうした大量消費を前提とした役割があることまで否定しているわけではない。僕だって、ローマにいた2年の間にコロッセオ1杯分くらいのピルスナーを飲み干したものだ。そして、僕が偏愛していたヘルビール(画像左下)は、地獄という名前も凄いが、値段も破格で、660で40セントほどだった。そのおどろおどろしい名前とは裏腹に、味は正直なところ可もなく不可もなくといったところだ。そこで、もっと麦酒そのものを楽しみたいなという日には、イギリスのエールやドイツのメルツェンなんかをゆっくりじっくり堪能したものだ。ただ、残念だったのは、それがメイド・イン・イタリーでなかったことだ。大陸の強みでこうしたビール文化圏からいろんなものがどかどか入ってくるからか、イタリアもやはりピルスナーばかりなのである。
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 そうなると、日本のビール界の多様性を地ビールが保持しているのと同じように、イタリアでも地ビールに期待をかけることになる。ニューヨークタイムズ電子版に、まさにぴったりの記事があった。イタリアの地ビールが熱いという内容だ。それによれば、今イタリアの地ビールを引っ張っているのは、ピエモンテらしい。いくら北部とはいえ、フリウリとは真逆の西側だし、ピエモンテとくれば、人はまず赤ワイン界の親玉バローロを思い浮かべるわけで、正直なところ、僕もかなり驚いた。ここで特にフィーチャーされているのは、カーザ・バラディン(Casa Baladin)という名の醸造所。この小さなビールメーカーには、レストランが併設している。いや、レストランにブリュワリーが併設していると言ったほうが正確かもしれない。本格的なピエモンテ料理でもてなしてくれるここバラディンのソムリエは、ワインではなく、コースの一皿一皿、それぞれの料理に合ったビールを勧めてくれるというから面白い。「地元のかぼちゃとアスパラガスを詰めたラヴィオリには、かぼちゃの甘みとマッチするこちらの麦酒がおススメです」といった調子。そこはワインだろうというところで、ことごとくビールが登場する。ソムリエのテオ・ムッソ(Teo Musso)さんは、「うちの麦酒は、パブのビールと同じようには考えていただきたくないんですよ」とのたまう。それもそのはず、立ち上るような香りが特徴のバラディンのビールたち(たとえばくすんだ金色をしたエールなんてすごくうまそうじゃないですか!)は、なんとワイン酵母で発酵させたうえでワインのボトルに入れ、4年間も寝かせているらしい。これを未知との遭遇と呼ばずして何と呼べばいいのだろうか。値段もかなりのもので、1本が30ユーロするというから、バローロといい勝負だ。僕の愛したヘルビールがフィアット・ウーノなら、バラディンはレクサスに相当する。いや、ランボルギーニだろうか。いやはや、何とも恐れ入る。しかし、このわくわく感はどうしたことだろう。日常的に飲むのは到底不可能だが、特別な日にはいいかもしれない。地元の新鮮な食材の良さを存分に引き出した地元の料理に、地元特産の葡萄酒の良さを生かした地麦酒を合わせる。バラディンには、イタリア地麦酒界の横綱といった風格と気概を感じるではないか。そしてさらに頼もしいことに、最近のイタリア北部では、こうした地域の特性を生かした地麦酒(本来地ビールというのはそういうものなので、当たり前なのだが…)がそこかしこで生まれているらしい。これこそが、僕の望む麦酒文化の発酵である。問題のニューズウィークの記事は、他にも5か所のブリュワリーを巡る旅行記として成立していてなかなか興味深いので、ビール好きの方はぜひ読んでいただきたい。

 かつてフリウリのノニーノ社がそのイメージを大胆に改善して流行を生み出し、今やイタリア全土で味を競い合うまでになった蒸留酒グラッパのように、バラディンのような個性あるビールの醸造がイタリア南部にも広がるといいなと、こちらは夢が広がる。ただ、今回のコラムを書いていて今一つ達成感が得られないのは、僕がもはやローマから遠く離れた関西にいて、伊太利亜地麦酒最新事情を自分の舌と喉で確かめることができなかったことに主たる原因があるとみて間違いないだろう。このやるせなさも、ビールについてこれだけ長く書いた駄文に付き合っていただいた奇特な読者諸賢になら、きっとわかっていただけるに違いない。仕方がないので、このもやもやは冷蔵庫の中の冷えた金麦で洗い流してしまうことにしよう。やれやれ、なんだかんだ言っても、いくらドロップキックをお見舞いしようとも、僕にはまだピルスナーがお似合いのようだ。