京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

頭で刈る頭

どうも、僕です。

昨日からはじまった今年度の専門学校での授業を終え、梅田をぶらぶら。大学のワンダーフォーゲル部時代の同窓生で、現在は国家の要職についているけれど、良きにつけ悪しきにつけ、風貌からはその華麗なキャリアが微塵もうかがえない友人がアメリカでの勤務から一時帰国したとの報を受け、酒盛りをしてきました。彼は進歩も後退もない相変わらずの風体で、パーカーにショートパンツ、素足にサンダルといういなせなファッション。会合前にパチンコでハッスルしてきたとのことで、ごきげんでした。その無邪気な笑顔に、僕も上機嫌な夜を過ごしました。

さて、待ち合わせ場所である泉の広場へ向かう途中、前々から気になっていた看板があったので、時間に余裕のあった僕は、すかさず愛用のPHSで活写しました。

「頭で刈る頭」

どういうことか皆目見当がつかず、夜もあまり眠れなかった僕は、先ほどネット検索をしてみたところ、全国に何軒か同じ文句をあしらった看板が存在するようです。ブログで取り上げていたひとりが、「事前にカットの計画を頭でしっかり立ててから刈る頭」という解釈を披露していましたが、それってどうなんだろうか。もしかすると、本当にそういう意味かもしれないし、逆にそれ以外は考えられないということもあるけれど、やっぱり納得できないんだな、これが。だって、プロの理髪師や美容師なら、あらかじめ仕上がりを思い描くでしょ、誰だって…。あと、この「刈る」という動詞、改めて考えるとすごい言葉ですね。げにおそろしい。ああ、とにかくこれからもホワイティー梅田を歩くたびに、この看板に目をやってしまって、晴れない気持ちになるだろう自分がたやすく想像できて、今から面倒です。

どうにもすっきりせず、後味が悪いので、最後に一曲。31日のα-STATION“TWILIGHT AVENUE”で、尊敬する後藤晃弘さんが特集していたスティーヴィー・レイ・ヴォーン。80年代の音楽にあまり好感が持てないでいる僕は、この人、スルーしてしまってたんです。亡くなる直前にアンプラグドで歌った録音をコンピレーション・アルバムで持っていて、くり返しくり返し聴いていたにもかかわらず、これまで体系的に聴こうなんてアイデアがまったくなかったんですが、トワイライトの特集でオリジナルのアルバムから1曲ずつ、合計5曲をラジオで聴いているうちに、興味がむくむくと鎌首をもたげました。「かっこいい」。では、聴いていただくのは、僕が慣れ親しんだ“Pride and Joy”のアンプラグド版です。スティーヴィー、よろしく。

いいですか、皆さん。これは12弦ギターですよ。音が豊かですよね。でも、これでソロを弾くのはとっても難しいはずです。高校のときに聴いたときは、ほんと唖然としましたね。なのにどうして他の曲を聴こうとしなかったのか、今となっては当時の僕の両の頬をしたたかにぶってやりたい気分です。でも、後藤さん情報によると、今月、紙ジャケ、リマスターで再発されるらしく、財布と相談を重ねる日々です。

それでは皆さん、また非常に近い将来に。