京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

イタリア・ジャーナリズムの現在・過去・未来 その2

 4月某日、今度はアウディトリウムで行われた“Le grandi lezioni di giornalismo(ジャーナリズムの大いなるレッスン)”に参加する。月に1回、著名なメディア関係者が壇上で講演をするというイベントで、最終回の今回は大手新聞社『テンポ』(il Tempo)編集長ジャンニ・レッタ(Gianni Letta)であった。首相秘書として手腕を発揮していることで有名な人物である。約1時間の講演、プラス質問タイムを加えたこのイベントで、彼はその半生や現在のジャーナリズムに対する問題提起や情熱などを語っていたが、どれも通り一遍といった感じで、本質を深くえぐるものではなかった。大手新聞で首相秘書ならめったなことも言えないといったところか。

 ところで、どんな文脈かは忘れてしまったのだが、レッタがインドロ・モンタネッリ(Indro Montanelli)のことを引用していた。そういえば、前回取り上げたマルコ・リーズィ(Marco Risi)の映画『フォルタパスク』(Fortapasc、2009年)にも名前が出てきたっけ。改めてモンタネッリが「ジャーナリストの中のジャーナリスト」の象徴とされているということを実感する。しかも今年は彼の生誕100周年らしく、その50年代〜70年代まで断片的に書かれた日記を編集した『私とその意見』(I conti con me stesso、画像上)も出版された。学生運動やモーロ事件について、そして芸術家や政治家など親交のあった多くの著名人について記されている。プレッツォリーニ(Giuseppe Prezzolini)、モラヴィア(Alberto Moravia)、エズラ・パウンド(Ezra Pound)。右派から左派までさまざまな友人を持つ彼も、思えば不思議な人物だ。晩年、そのジャーナリスト人生のすべてをかけてベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)を激烈に批判した彼だが、もともとはベルルスコーニの同僚であった。そして後に後悔することになるのだが、自分が経営する新聞社『ジャーナル』(il Giornale)をベルルスコーニに譲り渡してしまったのだ。  
 新聞にしろ、有識者にしろ、はっきりとした政治カラーを打ち出しているのが、イタリアのジャーナリズムだと思っている。だが、モンタネッリのように、はっきりものを言うにも関わらず、右派なのか左派なのかよくわからないという事例は多々ある。例えば極右派政党である北部同盟(Lega Nord)の党首ウンベルト・ボッシ(Umberto Bossi)は、「いちばん好きな政治家は?」というテレビインタビューに対し、マッテオッティ(Giacomo Matteotti 社会主義者。1924年に暗殺され、ファシズム最初の犠牲者と言われている。)と答えている。理由は「祖父が社会主義者だったから」。また、例えからは少し逸れるが、先述したジャンニ・レッタには、敵対政党に所属するエンリコ・レッタ(Enrico Letta)という甥がいる。このように、彼らの思想には因習的なところがなく、時代に応じてその考え方を変える、捉え方を変える。そんな人々を前にするとき、右だ左だという凝り固まった観念でものを見ないことに注意すべきだろう。右でも左でもない視点から見えてくるものがたくさんあるような気がする。