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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

シンクロニシティー

どうも、僕です。

前にも書いたように、今月から専門学校での授業を担当している。もう結構長い間やっている講座なので、自然と足が学校へ向く。水曜日、授業を終えてから、僕はもうひとつの専門学校へ足を運んだ。専門学校のはしごなんて、なかなかしない。そこはキャットミュージックカレッジ専門学校。10年近く住んだ北摂にあるから、学校へは初めていくのだけれど、またまた足取りはスムースだ。まるで通い慣れた場所へ行くみたいに。不思議な気分だ。

日頃お世話になっているイケダさんからの依頼で、学校や学生が主宰するイベントのサウンドステッカー用に声をもらいたいということだったので、快諾した。気心の知れた人と仕事をするのは楽しいことだし、評価してくれる先輩からの要請を断る理由なんてどこにも見当たらない。

スタジオで学生さんたちに迎えられて、イベントの概要についての説明を受けたら、早速録音開始だ。ミュージックカレッジというだけあって、そこはラジオ局にあるようなスタジオではなくて、バンドが録音するために設えられた空間だった。やけに広いところにマイクが設置されて、その前でひとりポツンと座って声を出すというのは今までにない経験だったので、違和感が強烈だったけれど、それも楽しめた。何より、英語でいわゆるドナリを何パターンも収録していくことなんてめったにしないことだから、こちらも知らず知らずのうちにテンションが上がっていく。さらには、用意された音源と僕の声がミックスされて、なんだか得体のしれないくらい格好良いものになっていく過程を存分に楽しんだ。イケダ兄さんのものづくりへのこだわりが存分に感じられて、ああ、僕は何につけ現場というものが好きなんだなとえらく高揚した。

イベント名はSynchro × Radio。
江坂の学校内にある、CAT HALLで7月10日19時に開催される。
無料と聞いているので、将来のミュージックシーンを担う学生さんたちが取り仕切る、ラジオとライブが融合したイベントをぜひ体感してください。
僕の声も響くはずです。



さて、実は今日も授業に出かけていたのだが、久しぶりに危うく目的地で電車を降り損ねるところだった。本を読むのにあまりに夢中になっていたせいだ。気に入った文章をむさぼるように吸収していると、こういうことがよくある(そして、実際に2・3駅先まで進んでしまうことも…)。

読んでいたのは、宮沢章夫の『わからなくなってきました』。この人の文章は、チェーホフ論とかエッセイとか何冊か読んでいたけれど、このエッセイの名作にはまだ触れていなかったところに、この前古本屋で邂逅して、迷わず買い物かごに放り込んでしまったのだ。
わからなくなってきました (新潮文庫) 東京大学「80年代地下文化論」講義 (白夜ライブラリー002) チェーホフの戦争
この人はずば抜けた知性を持っているし、世間を観察する眼がとても鋭いのだけれど、特にことエッセイとなると、せっかくのその能力をまったく無駄に使ってしまっているような感覚にとらわれる。なんだかけなしているみたいだけど、そこがまさに楽しさのポイントだ。無駄な知性。うん、病みつきだ。

慌てて電車を駆け下りて学校へ向かう道中、ふと目についた一枚の木製の札。何の変哲もないたこ焼き屋の軒先にぶらさがっている。

「一生懸命焼いています」

なんのことはない。ごく普通の光景なんだけど、なんだか考え込んでしまった。これはいったい誰に向けたメッセージなんだろうか。ごく一般的に考えるなら、お客に向けてということになるだろう。ちょうどそのとき、店ではお客がタコ焼きが焼きがるのを今か今かと待ち受けているところだったのだけど、そんな札を見る様子はまったくない。その存在に気づいてもいない様子だ。そして、店のお姉さんは黙々とたこ焼きをひっくり返している。確かに、一生懸命焼いているのかもしれない。でも、彼女はもちろんそんなことは一言も口に出すことなく、焼きたてのたこ焼きを客に手渡すことだろう。客も無言のまま注文した品を受け取るかもしれない。となると、この札は、写真に付されたキャプションのような感じに見えてくる。

そうか、これは宣伝か。僕みたいな通行人に対して、ここは一生懸命たこ焼きを焼く店なんですよ。でも、果たしてそれでお客は増えるものだろうか。だいたい、どこの世界に「うちではたこ焼きはけっこう適当な感じで焼いてます」なんて看板を掲げるたこ焼き屋があるというのだ。悪いけれど、誠心誠意焼こうが、ぞんざいに焼こうが、お客は味で判断するものではないのか。あくまで表現としてだが、熱が入っていないたこ焼きでも、おいしければそれでいいはずだ。いや、でも、一見さんにはそれなりに効果を発揮するものなのかな…。少なくとも、僕の心にはあまり響かなかったけれど。

わからなくなってきました。

あ、シンクロした。そうなのである。この本を読んでいると、身の回りのいろんなことが気になって仕方がなくなってしまうのである。困ったものだ。

しかし、思いませんか? 以前ラジオでも紹介した町中の標語といい、このたこ焼き屋の木札といい、どうやら日本には誰に向けられたのか定かではない、その効果もあまり検証されているとは思えない、はてと考え込んでしまうようなメッセージがあふれているらしいということ。外国に行けばよくわかることだけど、日本というのは、良きにつけ悪しきにつけ、やたらとやかましい空間が多い。それ自体はたとえ音を発していなくても、やかましいなと思うことってありますよね?

まったく、宮沢章夫には今回もしてやられている。しばらくは外へ出るたびに、なんなら家の中にいたって(最近では電網の発達のおかげで、向こうから勝手にいらぬメッセージがこちらの胸元に飛び込んでくる。そんなもの受け止めたくもないのに…)、「わからなくなってきました」とつぶやく日々が続きそうだ。やれやれ。

と、どうでもいいことを書き連ねて、今回も先週の幸せ手抜き料理を紹介しそこねてしまった。反省しています。

以上、今回は珍しく「ですます」を排した文をブログに書いていることに今さら気づいた僕でした。特に意味はないんですけどね。

それでは皆さん、また明日のラジオ大阪の電波でお耳にかかりましょう。