京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

ファブリツィオ・デ・アンドレ広場

 住んでいるアパートから徒歩5分のところに、ファブリツィオ・デ・アンドレ広場という名前の場所がある。広場というよりは、団地にはさまれた簡素な公園という趣なのだが、その名前は同名の歌手に由来する。ファブリツィオ・デ・アンドレ(Fabrizio de Andrè) は社会批判的内容を含む歌を次々とリリースし、人気を博した。そしてこの手のアーティストが死ぬと伝説化して、人気が揺るぎないものになるのがロック界のセオリー。1960年代にデビューして、1999年に肺がんで死ぬまでの活動は、巨大なボックス・セットCDになってフェルトリネッリに積み上げられるし、オマージュのコンサートや彼に関する書物や写真集も後を絶たない。そしてローマの新興住宅地に、その名を冠にした広場が誕生したというわけだ。
 今回、アンドレを取り上げたのは、その広場に彼の曲をモチーフにしたムラーレス(壁の落書きアート)が描かれたという記事を新聞で見かけたからだ。例えばこちらが『ボッカ・ディ・ローザ』(Bocca di rosa 「薔薇の口」という意味)のムラーレス。

 この曲の歌詞は物語になっていて、ジェノヴァ付近の片田舎の村にボッカ・ディ・ローザなる女性がやってきて、その美貌で次々と男たちと体を交わし、無味乾燥とした村の生活に彩りを添えてくれる。

<歌詞より>
退屈だからとセックスをするものがいる。仕事のためにそれを選ぶものがいる。ボッカ・ディ・ローザはどちらでもない。彼女は情熱のためにセックスをしていた。
C'e' chi l'amore lo fa per noia, chi se lo sceglie per professione Bocca di rosa ne' uno ne' l'altro lei lo faceva per passione.

 そうすると、女たちは、夫たちを寝取られた嫉妬から、結託してボッカ・ディ・ローザを村から追い出すことを決める。電車に乗り、村を去るボッカ・ディ・ローザをみなが惜しみながら見送るのであった。

<歌詞より>
さようなら、ボッカ・ディ・ローザ、きみと共に春は行ってしまう
Addio Bocca di rosa con te se ne parte la primavera.

 ムラーレスを見ていて思い出したのだが、昨年公開されたイタリア映画で、60年代の左翼テロ・グループを描いた『プリマ・リネア』(La prima linea) でも、ボッカ・ディ・ローザが歌われるシーンがあった。壁にスプレーで落書きをした主人公たちが、近くにとめてあった車に火をつけ、この曲を歌いながら逃げるのである。このように、アンドレの曲はどれも意味深で、イタリアにおけるその浸透性は過去から現在まで非常に強い。だが、広場に描かれたボッカ・ディ・ローザのムラーレスは、花が口になっていたりして、残念なことに、なんだかそのまんまである。