京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

[「常備軍」(Standing Army) 〜日本とイタリアの意外な共通点〜

 最近の民主党鳩山政権の迷走ぶりのおかげで、普天間飛行場はすっかりメディアでお馴染みになった。普天間飛行場は米軍が住民から土地を借り上げて建設した飛行場で、今日まで在日米軍の重要な拠点としての役割を果たしてきた。また、第二次大戦後アメリカは世界中に軍事基地を建設し常備軍(Standing Army)を展開することで覇権国家への道を進んで行くのだが、そうした米軍の世界戦略の上でも普天間飛行場は主要な拠点の1つであった。

 ところで、イタリアにも日本と同じように在外米軍の主要な基地が点在している。地政学的にみればまったく無関係とも言えるイタリアと日本であるが、実は戦後の政治体制や国際社会における地位など意外に共通点が見られる。米軍基地の存在もその一つであり、例えばヴェネト州ヴィチェンツァ(Vicenza)などでは沖縄と同様、米軍が様々な問題を引き起こし、地元市民との間で摩擦が生じている。

 人口11万人の小都市ヴィチェンツァには、もともと即応部隊である南欧タクスフォースが駐屯するエデルレ基地が街中に存在した。ところが2007年、同じく街中にあるヴィチェンツァ空港を廃止しそこに新しく米軍基地を作り、実質的に基地を拡張するという米軍の要望にイタリア政府が同意した。これに対して市民が反発、大規模なデモが行われることになった。さらに2008年3月には、エダール基地に石油を供給するパイプラインから石油が漏れたことにより、付近一帯の農業に深刻な被害が生じた。

 このような状況下で米軍基地反対派の票を得て、2008年4月にアキッレ・ヴァリアーティ(Achille Variati)が市長に当選する。ヴァリアーティは選挙期間中の公約通り、米軍基地拡張の是非を問う住民投票を行ったのだが、イタリア最高裁によって住民投票自体が途中で差し止められてしまった。このように、ヴィチェンツァ市民も沖縄県民と同様、第二次大戦の代償を未だに払わされていると言えるのかもしれない。

 ところで、そのイタリアで先月『スタンディング・アーミー』(Standing Army、トーマス・ファーツィ< Thomas Fazi >、エンリーコ・パレンティ< Enrico Parenti >、2010年)というタイトルのドキュメンタリーフィルムが発売された。タイトルからも想像がつくように、アメリカの常備軍(Standing Army)を扱った作品であり、在外米軍の典型例として沖縄、ヴィチェンツァ、ディエゴ・ガルシア、そしてコソボが取り上げられている。制作はエッフェンデムフィルム(Effendemfilm)というそれほど有名でない映像プロダクションであるが、日本では馴染みのない国や地域が取り上げられていることもあってユニークで興味深い作品に仕上がっている。

 おりしも日本では、民主党鳩山首相が政権発足から1年足らずで辞任した。辞任の最大の理由は普天間飛行場移設問題にあったが、これは自民党政権時代から日米関係における懸案事項の一つであった。既に日米間で決定済みと見られていた辺野古キャンプ・シュワブ沖)への移設案は、海上に櫓まで組んで抵抗する反対運動のおかげで環境アセス調査すら満足にできていない状況である。ちなみに、この環境アセスの対象ともなっているリーフの埋め立て工事は、東アジアでは珍しいジュゴンを始めとした付近の生態系を脅かす恐れがあるということで、グリーンピースを始めとした環境保護団体から猛烈な抗議を受けている。

 一方、問題となっている普天間飛行場は住宅密集地帯の真っただ中にある。2004年に沖縄国際大学へ米軍ヘリが墜落し大規模な反対運動が起きたが、これも60年以上にわたって普天間の、そして沖縄の米軍が引き起こしてきた様々な問題のほんの一部でしかない。『スタンディング・アーミー』には米軍に土地を奪われた普天間の元地主や米軍反対運動を行っている人々へのインタビューシーンが挿入されているが、彼らの言葉からは米軍とそれを支持する日本政府が、現地の人々を無視していかに理不尽なことを行ってきたかがよくわかる。

 ただし、実際は沖縄全体が米軍基地反対で統一されているわけではない。米軍が使用する土地の地代を当てにしている普天間の地主*1や新たな基地工事の受注を期待する地元の土建業者なども少なからず存在する。このように普天間飛行場移設問題は地元の民意と利権に、後述する米軍再編問題が関わった複雑な問題であるのだ。鳩山政権はこの問題に対して2009年秋の衆院選以降、辺野古沖移設案に反対し沖縄県外移設を主張し続けてきた。ところが移転先として鹿児島県徳之島やテニアン島などの名前が挙がりはしたものの沖縄県外移設はなかなか難しく、結局、辺野古沖移設に戻るということで一応の決着がついた。

 ところで、県外移設を探る過程で、鹿児島県馬毛島という聞きなれない名前が候補地として挙がったことがあった。馬毛島鹿児島県種子島近くにあり、1950年代には500人以上の人口があったが現在は無人島である。『サンデー毎日』3月28日号*2によると、馬毛島の現在のオーナーは島を「“第2のディエゴ・ガルシア”にしたい」と述べているという。

 ディエゴ・ガルシアは、インド洋に浮かぶ小さな環礁島である。ここはもともとイギリスの海外領土であったが、ソ連を封じ込めるためインド洋の抑えを重視したアメリカが着目し、1966年に50年期限の貸与契約をイギリス政府との間で締結した。以来、島民は島から徐々に追い出され、今では一人の民間人も住まない米軍専有の島となり、リゾート設備も完備した基地として米軍募集の宣伝にも使われている。一方、イギリスやモーリシャスに強制移住させられた元島民たちは、帰還と補償を求めてイギリス政府に対して訴訟を起こしている。ディエゴ・ガルシアでは、島民が生活している場所に米軍という新たな要素が入り込んだことで、米軍と島民との間で摩擦が生じた。その後、島民の強制立ち退き、政府を相手取った訴訟、敗訴という、沖縄の米軍問題と似たような構図になっているのだ。

 ディエゴ・ガルシアの例からもわかるように、ソ連を抑え込む必要に駆られたアメリカは、1960年代以降かつてないペースで軍事力を増強していった。 1991年にはソ連が消滅するのだが、これはアメリカが際限なく軍事力を増やす必要がなくなることを意味しなかった。逆に、同年の湾岸戦争を契機に米軍は中東を中心にこれまで以上の常備軍を世界中に展開していかざるを得なくなる。そして2001年、アメリカ本土を同時多発テロが襲う。テロリストという新たな敵が出てきたことを受けて、ブッシュ政権は2002年頃から「米軍再編」という言葉を口にし出す。

 「米軍再編」とは、世界中に散らばる米軍をより効率よく機動的に活動できるように編成し直すことであるが、実態は本作でも指摘されているように「米軍再編」とともに在外米軍基地の数は増加の一途を辿り、アメリカの国防費自体も年々増加している。2009年のオバマ政権成立直後に、ヒラリー・クリントン国務長官は沖縄を訪れ沖縄の海兵隊をグアムへ移すことを明記したグアム移転協定を日本政府との間で締結した。これは「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)設置以来取られていた沖縄県民への負担削減政策の一環と見られているが、むしろ実際は「米軍再編」に即した政策であり、沖縄の負担削減などはまったく度外視されたものであった*3

 ところで、アメリカ政府が「米軍再編」を推し進める理由を『スタンディング・アーミー』は実に明瞭に説明している。米軍の内在的論理として、new wars(新たな戦争)=military buildup(軍事力の強化)=standing army(常備軍)=military industrial complex(軍産複合体)=hidden power(闇の権力)=unbalanced interests(不均衡な利害関係)=popular disagreement(住民との不一致)=democratic deficit(民主主義の欠陥)=military power(軍事力)=new wars(新たな戦争)という構図があると言うのだ。ここで最も注目すべきは軍産複合体であろう。1961年、アイゼンハワー大統領の退任演説で明らかにされた軍産複合体によるアメリカ政府支配の構造は、本作で指摘されている通り冷戦後の今日ではより強固なものとなっているのだ。

 ブッシュ政権時はそれが特に著著で、チェイニーやラムズフェルトといった軍産複合体を体現するような人物が常に政権の中枢を占めていた。例えば「最強の副大統領」と言われたチェイニー副大統領の前職は、石油関連業の多国籍企業ハリバートン社の取締役であった。ハリバートン社はいろいろと噂の絶えない企業であり、例えばユーゴ紛争時に批判されたコソボのボンドスティール基地関係の建設を請け負ったケロッグ・ブラウン&ルート社は、ハリバートン社の子会社である。

 ボンドスティール基地は、1999年に米軍のセルビア空爆の拠点として建設された。しかし当時から、その目的に比べて基地の規模が大きすぎる上、設備が豪華すぎると非難されていた。さらに、ノーム・チョムスキーなどが指摘しているように*4民族浄化の危機にあるコソボアルバニア人を救うためセルビア空爆が決定され、その拠点としてボンドスティール基地が建設されたとされているが、実際は空爆を行った後にアルバニア人救援の話しが出てきたという。つまり、空爆という目的のために基地を建設したのではなく、軍産複合体の需要を生み出すために基地を建設すること自体が目的であり、空爆は後付けられた結果に過ぎなかったというのだ。

 こうした原因と結果の転倒は、2003年のイラク戦争でも繰り返されることとなる。大量破壊兵器イラク戦争の原因ではなく結果であり(もっとも、この場合は大量破壊兵器が発見されず結果にすらならなかったのだが)、ハリバートン社を始めとする軍産複合体の重要を満たすために戦争が行われたのではないかという批判は、マイケル・ムーアのドキュメンタリーフィルム『華氏911』(2004)などで指摘されている通りである。『スタンディング・アーミー』の冒頭で「なぜ経済危機の時期に軍事費が増え続けているのか?」と問いかけられているが、その疑問には軍産複合体の存在抜きには答えられないであろう。

 2009年、戦争と単独外交に象徴されるブッシュ政権が終わり、オバマ大統領が誕生した。オバマとともに平和と協調外交の時代が到来することを期待されたが、実際はアメリカ一国の軍事費がアメリカを除いた世界中の国々の軍事費の合計をはるかに上回っているという現状は相変わらずで、2010年度の軍事費にいたっては前ブッシュ政権時の2009年度よりも増加している。こうした事実について『スタンディング・アーミー』のラストでは「いかに意志と能力を持つ人物であろうと一人の人間に全てを託すには限界があり、個人一人ひとりが問題意識を持たなければ何も変わらない」と主張されている。それはアジアで最大規模の米軍を受け入れている沖縄の米軍基地問題に関しても言えることなのかもしれない。

*1:『スタンディング・アーミー』では米軍に土地を接収されて虐げられた元地主にインタビューをしているが、実際は、米軍に賛成し米軍の普天間飛行場使用による地代を当てにしていると見られる地主は、地主総数の約7割の2328人に達するという。詳しくは『月刊日本』2010 年3月号「振り出しに戻った普天間基地移設問題」参照。

*2:サンデー毎日』2010年3月28日号、「小鳩政権土壇場の『普天間移設』−有力候補 鹿児島・馬毛島オーナー76歳 独占告白『この島を“米軍3万人の街”にしたい』

*3:1995年に発生した沖縄米兵少女暴行事件に端を発して米軍駐在に対する反対運動が起きたことを受けて、同年11月に駐沖米軍施設に関する協議の場として日米間でSACOが設置される。翌1996年には橋本首相がモンデール駐日大使との間で、普天間飛行場の条件付き返還で合意した。一方、2009年のグアム移転協定では、米海兵隊のグアム移転のための資金及びグアム基地の設備費の一部を日本が肩代わりすることと、日本国内に普天間飛行場に代わる基地を作ることがセットになっており、沖縄の負担削減には直結していない。例えば「琉球新報」2009年1月29日付けの記事(Clicik!)を参照。

*4:ノーム・チョムスキー『お節介なアメリカ』、大塚まい訳、ちくま新書、2007年、p.228(Noam Chomsky, Interventions, 2007)参照。著名な言語学者で、反ネオコンの論陣を張るチョムスキーに関しては、『スタンディング・アーミー』でもインタビューシーンが挿入されている。