京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

おススメの本 『モンテ・フェルモの丘』 ナタリア・ギンズブルグ著

 最近の楽しみの一つに、河出書房新社からここ数年来をかけて刊行されている世界文学全集があります。作家の池澤夏樹さんが個人編集で選んだ20世紀後半の作品群が、ポップなカラーの背表紙で本屋に並んでいます。従来の古典作品を排したこの新しい世界文学全集に、池澤さんは、読む楽しみだけでなく、前世紀がグローバルにもローカルにもどんな時代であったかを知ることができる標として、また、21世紀の新しい文学に繋がる肥沃な土壌としての想いをのせているようです。

 時代も人も、刻々と変わっていきます。昨年、フローベールの『ボヴァリー夫人』を読んだすぐ後に、J・アーヴィングの『ガープの世界』を読んで、半世紀もたてば、(舞台がフランスとアメリカという違いはあるが)人も、風俗も、価値観も、(特に女性を取り巻く世界とその内面!)こんなにも変わるのかとひどく驚きました。古代ローマの喜劇作家ティレンティウスの「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない。」という言葉ではないですが、斬新なこの文学全集に収められたこの作品群は、今の私たちを取り巻く世界ともいまだに深く絡み合っていて、興味深く、おもしろく、そして切実でもあります。

 今回は、その中からギンズブルグの『モンテ・フェルモの丘』を紹介します。
この小説は、作品全体が、登場する人々が様々に交わす手紙から成っています。読み進めていくうちに、行き交う手紙の内容から、モンテフェルモという土地にある〈マルゲリーテ〉とよばれる館に若い頃集った者たちの絆の話だということがわかります。年月とともに、友情が恋情に、別れに、怒りに、救いに、喪失に、死に関わっていきます。老年ではないが、もう若くない人たちの物語。若い日々の喪失の後の物語。読後、悲しみのような、慰めのような気持ちが満ちたのは、私もそろそろその年代がそんなに遠い先ではなくなってきたからでしょうか。
アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-12)
 努力して何かを獲得したり、どこかに到達するというわけではなく、何気なく日々を送るなかに、なにかずっしりと重いものを耐えるようなことが多くなった気がします。それは、さまざまな責任といった重苦しいものの引力が小さかった、あの若すぎる日々からは遠くなってしまったという証であるような気もします。若い日々を過ごした仲間の生活も、価値観も、月日とともにどんどん変わっていくでしょう。長い結びつきのなかには、互いに傷つけあうこともあるかもしれません。しかし、ウンベルト・サバの「生きることほど人生の疲れを癒すものはない」という言葉のように、結びつきも、年月と同じように、人を慰めてくれるものだと信じています。皆のこころが互いに溶け合うようであったあの頃は、やはり、人生のなかのとても美しく、忘れられない季節だったと思うのです。 

『モンテ・フェルモの丘』(La città e la casa、ナタリア・ギンズブルグ著、須賀敦子訳、河出書房新社、2008年)