京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

イタリアからの手紙2:「イタリアのインディーズ・ミュージック」ラモーナ・ポンツィーニ

 こんにちは。ハムエッグ大輔です。

 今回はトリノ大学で日本語を専攻する傍ら、Painting Petals on Planet Ghostとして音楽活動を行うラモーナ・ポンツィーニ(Ramona Ponzini)さんに、イタリアのインディーズ・シーンについて、思いの丈を綴ってもらいました。彼女の音楽スタイルは、スペイシーなサウンドの中、与謝野晶子高村光太郎などの詩節にメロディーをつけて歌うというもので、それはこの文章の後半でも紹介されている My Cat Is An Alienと共同制作したニュー・アルバム“All Is Lost In Translation”(画像下)の中でも聞かせてくれます。

逆流する音楽の系譜

 イタリアのインディーズ・ミュージック・シーンは、国内にとどまらず、世界にもその名を知らしめたバンドたちによって築きあげられた。その意味でもまず、70年代を振り返りたい。冷戦の時代、カウンター・カルチャーの時代。そして伝説のバンド、アレア(Area)が生まれた時代だ。
 アレアという音楽の冒険は1972年の終わりに始まる。単一の芸術体験を超え、「すべての音楽」に到達するというメンバー共通の意思のもと、ポップス、フリー・ジャズ、電子実験音楽、現代音楽など、さまざまなスタイルの音楽を取り入れ、アレアは結成される。「アレアの音楽は、国際主義が融合したもの」と、バンドのフロントマンでボーカルのデメートリオ・ストラートは発言している。それは、ジョン・ケージにも似た知的な実験作業であり、ジャズ、ロックに中東の民族音楽、地中海地域の民謡のエッセンスを混ぜ合わせたものであった。事実、バンドの意図としてあったのは、サブカルチャーとして追いやられてしまった地中海やイタリア的地方色のある音楽を救い出し、それらに実験的なサウンドを加えることだった。イタリアン・ビートの実験音楽から始まったものの、アレアは急進的な主張や音楽的言語が特徴となり、「鉛の時代」といわれた70年代イタリアの理想と憧れを象徴す存在となった。デビュー・アルバム“Arbeit Macht Frei”(ドイツ語で労働・権力・自由という意味。ナチス強制収容所で使われていた悪名高いモットーである)は、ポー川流域の南部にある小さな村でレコーディングされた。そしてクランプス(Cramps)というインディーズ・レーベルから発表され、今なお多くの人々から70年代イタリアン・プログレッシブ・ロックの最高傑作と支持されている。その真骨頂は『7月、8月、(黒い)9月』(Luglio, agosto, settembre )という破壊力ある楽曲だ。

 この4分ほどの曲の中で、新しい音楽ジャンルを探究しながら、バンドの多様な精神を統合している。ポスト68年、新しい世代の若者たちをことごとく魅了したこの楽曲は、間違いなく、神経質で聴き手を打ちのめすような彼らのスタイルをもっとも表していると言えるだろう。アルバム“Arbeit Macht Frei”は「急進的な音楽」であると評価されているが、それは何よりも、ポップ・ムーブメントの政治的意味を追求しつつ、また純粋な音楽的構築物を破壊することを望むというスタイルに依るところが大きい。アレアの魅力は主に三つの要素から成り立っている。政治的なメッセージ、地中海やイタリアのサウンドと国際主義的音楽要素の混成、そしてなんといっても、ボーカルを担当するデメートリオ・ストラートのにわかには信じがたいずばぬけた声質である。1974 年にジョン・ケージと共同制作した“Mesostics”でストラートは、並はずれた歌唱テクニックと、およそ他のボーカリストには到達不可能な音域を獲得した。最高7000ヘルツに及ぶ音域の幅を持ってして、彼はあらゆる時代のボーカリストの頂点に君臨している。1979年、彼は白血病のために34歳という若さでこの世を去るのだが、その強力で革新的かつアヴァンギャルドな声を超えるものは、イタリアの音楽シーンを通していまだ存在していない。

 80年代、90年代に話を移そう。アメリカの音楽理論から自らを解き放った伝説のバンドCCCPは、エミリア・ロマーニャ州の田舎町を全世界が注目する場所へと押し上げることになる。イデオロギーと痛み、皮肉、パラノイア、パンクの怒りと東洋神秘主義などを含むイタリアのインディーズ・ミュージックの歴史の中で、このバンドの誕生はもっとも重要な瞬間のひとつだ。CCCPは1982年、ベルリンでジョヴァンニ・リンド・フェレッティ(ボーカル)とマッシモ・ザンボーニ(ギター)が出会ったことによって生まれる。二人はドラム・マシーンを携え、ドイツ中を演奏してまわった。ここで特筆すべきは、ベルリンのパンク・バンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(Einsturzende Neubauten)が体現した表現主義パンクを再興させたことである。そしてイタリアに帰ると、数多くのバンドに影響を与えることとなる。エミリア・ロマーニャ州の地域文化には、パンクの観念や美意識というフィルターがかかっていると言えるかもしれない。そういう伝統的な民族文化があるという本質的な意味ではなくて、観光が盛んでどこか享楽的、そして共産色が強いという表層的な意味でのことだが…。1984年、1stEP『正教への信仰』(Ortodossia)が発表される。狂乱するリズムと尖った音のギターでかきならされるパンクサウンド。そこでは、原初的な言葉が何度も繰り返されている。「撃て、ユリ、撃て。祈れ、ユリ、祈れ」や「イスラム・パンク、イスラム・パンク、パンク・イスラムイスラム・パンク」などのフレーズは、非常にイタリア的なこの創造物の産声とも呼べるべきものであろう。彼らが必要とした暴力性は、セックス・ピストルズ以降のイギリスのパンク・バンドよりも、 MC5やストゥージーズといったアメリカのパンクを彷彿とさせる。東欧らしさを想起させつつ、アメリカのパンクやポスト・ロック、イタリアの歌もの、イギリスのダークさなどがバンドの特徴となっている。CCCPはイタリア一地方のバンドとして、バッロ・リッショ(Ballo liscio、ロマーニャ地方のフォークダンス)や民謡など、何もかもをバラバラにして、最高回転数で回るパンクというミキサーの中に投げ込んだのである。

 時を同じくして、切望されていたパンク精神と国際的アナーキズムに特徴づけられるトリノのインディーズ・シーンが花開く。ステファノ・ジャッコーニを中心に結成されたフランティ(Franti)は、エドモンド・デ・アミーチスの小説『クオーレ』(Cuore)の登場人物からその名前をとっている。物語の中のフランティは、ガラス窓に石を投げつけたり、王が死ぬと笑ったりする存在だ。バンドのフランティはあくまでセルフ・プロデュースにこだわり、1982年2曲入りのカセット・テープ『テープ A/B』をリリースする。翌年には『黒い月』(Luna Nera)を500本限定でリリースする。フランティの音楽精神には、ニヒリズムはどこにもなく、確かなモラルと倫理をみせてくれる。また、CCCPと同様、もしくはそれ以上に商業主義を信用していない。彼らが「著作権ファシストの法律だ」と提唱したとき、イタリア国内だけではなく、ヨーロッパ、さらに世界中のバンドから、数え切れないほどの賛同の声が上がった。彼らの作品の中でもっとも意義深いのは、もちろん1986年のLP『15の石の庭』(Il giardino delle quindici pietre)である。直接的な言葉にはしない政治的メッセージを内包しながら、フォークとハードコアを融合させた傑作だ。

 続いて90年代終わりまで話を進めよう。ソニック・ユースのサーストン・ムーアに「世界大戦以降で最高のイタリアのバンド」と言わしめたMy Cat Is An Alienに注目するためだ。

 My Cat Is An Alien(以下MCIAA)は1997年の終わりごろ、マウリーツィオ・オパリオ、ロベルト・オパリオの兄弟の気まぐれと独創性によって生み出された。フリー・ジャズ、前衛音楽からの影響を顕わに示しつつ、そこにパンクのDIY(Do it yourself)精神を知的な手法で混ぜ合わせた。音楽的革新性というだけでなく、強い芸術論的意味も持っている。それはオパリオ兄弟がビデオ・アート、デザイン、インストレーション、写真、絵画などにも手を染めていることからもわかる。ロベルト・オパリオの作品が生み出したキャラクターであるエイリアンはMCIAAのほぼすべてのCDジャケットのシンボル・マークとなっている。楽曲を量産するミュージシャンとして知られるMCIAAは、1998年から今日に至るまでに約100枚にも及ぶ作品をリリースしている。その中でも注目すべきなのは、1999年の“Landscapes of an electric city”である。極めてオリジナリティーにあふれたこの作品は、ダモ鈴木、ハーマン・ソニー・ブラント(サン・ラー)、初期のセオリティカル・ガールズを溶解させたようなサウンドで、2002年にはサーストンのレーベルエスタティック・ピース!(Estatic Peace!)からヴィニール盤で再発もされている。続いてMCIAAの方向性は実験音楽と即興音楽へと向かう。2004年の100枚限定のスプリット LPシリーズ“From the Earth to the Spheres”はサーストン・ムーア、ジム・オルーク、クリスティーナ・カーター、クリスチャン・マークレイなど著名なミュージシャンたちとのコラボレーションによって生まれた。そのジャケットには、ロベルト・オパリオ自身の手によるスペース・アート(Space Art)が用いられている。続く“Cosmic light of the Third Millennium”(2006)の神秘的で、まさにエイリアンのような歌は、オパリオ兄弟の音楽的成熟を示しており、音楽の新ジャンル、スペース・ミュージックのパイオニアであると世界中の音楽メディアから称賛される。その原点をサン・ラー的フリー・ジャズに持ちながら、甘く静謐なティム・バックリーの歌心に近づくかと思いきや、すぐさまジャパン・ノイズ音楽のような暴力的な音へと転じる。2007年、灰野敬二とコラボレーションを行った “Cosmic Debris Vol.III”を発表。さらに2008年にはMCIAAの独創的なごった煮感を常に高く評価してきたソニック・ユースに招待され、巡回型の展覧会 “Sonic Youth,: Sensational Fix”に参加する。展覧会は2年の時をかけ、ヨーロッパ中の主要な現代美術館に迎えられた後、スペインでフィナーレを飾った。
 MCIAAは、かつてなかったほど、イタリアのインディーズ・ミュージック・シーンの主役となっている。2009年以降、彼らの作品の多くはカナダのインディーズ・レーベルElliptical Noiseから発表され、最新アルバム“Photoelectric Season”(2010)は、MCIAAの音楽スタイルを、また現代実験音楽を前進させた新たな一歩であると国内外で評価されている。

ラモーナ・ポンツィーニ