京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

イタリアからの手紙3:「新しい文学の潮流」 カロリーナ・クートロ

 こんにちは。ハムエッグ大輔です。

 電子ブック元年といわれかけた2010年ですが、実際は元年というよりは零年だったのではないか、と思います。ここイタリアにおいても、結局、まだまだ iPadの普及率は低く、日常生活で出会うことはないです。とはいいつつも、時代はぐんぐん進んでいて、来年の今ごろには、紙の本がアナログ・レコード並みに希少なものになっているかもしれません。今回はブログのヒットから小説の出版に至ったカロリーナ・クートロ(Carolina Cutolo)に記事を書いてもらいました。現在もローマ郊外の小さな居酒屋でバイトしている彼女。まさに作家のニュー・タイプであり、来る世代の新しい文学の潮流を感じさせてくれます。

ブログから小説へ

 私が韻のかかった詩を書きはじめたのは8才のころです。言葉遊びが好きで、連続する韻の響きがとても楽しかったのです。そして小学校を卒業するころに、私の興味はおとぎ話と短編小説へ移ります。考えていたのは、私が望む世界、幸せで、調和があって、平等な場所について語ることでした。そして思春期を迎え、社会の偽善行為を理解するようになると、怒りに満ちて、意地悪で、また悲観的な短編を書くようになりました。(通常の思春期のパッションは、最近はやりのエモ・ファッションなどとはかけ離れており、実在的で劇的なものなのです)。このように、私はいつでもたくさんものを書いてきました。そしてごく最近まで、友達や家族に、私の書いたものを読んで客観的な感想を聞かせろと迫っていたのです。無益にも。

 私が初めてブログ(Click!)を開設したのは2003年のことでした。私が素晴らしいと思ったのは、公共の空間で、完全なる他人から文章を読まれる可能性があるということです。そういった人々は、お世辞を言ったり、私の文章を読み続ける優しさを持っていません。だから私は、ブログを書くとき、より注意深くなる必要を感じたし、簡素で趣のない真実よりも、より気のきいた物事を探すようになりました。こうして私は反語法という手法を発見します。私は読者の注意を引きつけ、私の文章を最後まで読ませるために、反語法を用いました。あわよくば、何かコメントを残してくれないかと。事実、いくつかのコメントのフィードバックは、本当に貴重なもので、私を成長させてくれました。見ず知らずの読者は、極めて厳しくもあるのですが、例えそうだとしても、彼らの批判に理由があるのなら、貴重な助言者にもなりえるのです。例えば、

そのような考え方は、とてもありきたりです。
おまえは間違っている。この本を読んでみろ。
私の価値観では、あなたの言っていることに同意できません。理論の立て方や言葉の使い方が、経験不足でおこがましい。

 こういったコメントは、意見を重ねるだけの気力を持っているのなら、とても有益になります。そして私は、私の文章がよりよくなるための手掛かり以上のことを聞きだしたりはしませんでした。
 ブログのタイトルは『ポルノ・ロマンティック』としました。ちょうどそのころ、当時の恋人の呼び名としてその言葉をつくりだしたのです。そう呼ばせて、その言葉を書くのを楽しんでいました。タイトルと内容に何の関連性もありませんでした。最初の数カ月、私のブログは、現在も全世界で行われているのと同じように、主に個人的な日記を記したものでした。
 そんなある日、ブログに『ある女性オナニストの告白』というタイトルの日記を書きました。オーガズムを感じるための、ばかげていて、破綻している自分の試みについて記したのです。私の通常生活・性生活に偉大な革命が起こり、21という初々しい年齢で初めてそれに成功したのだ、と。日記の口調は、皮肉な(かつ自嘲的な)ものだったのですが、「日記を投稿する」をクリックする前、これで後に引けなくなってしまう、と私は身ぶるいがしたのをよく覚えています。ウェブ上のあらゆる変態の気を引いてしまうのではないか? 結局、私はもしもの場合には、おそろしいパラノイアにさいなまれるかもしれないという危険を冒すことにしたのですが、幸いにも結果はうまくいきました。日記に対するコメントが滝のようにあふれ、年齢や性別を問わずたくさんの人たちが、私の冗談っぽい口調をまねしながら、自らの「初めて」について語ってくれたのです。そう、試みは大成功でした! そのとき私は自分に言い聞かせたのです。「タイトルはこのままで完璧ね。テーマにそって、このブログを続けよう」。そのテーマとは、ポルノ・ロマンティシズム。つまり、どのように感情的、性的な問題に幸せに接していくかということでした。

 私は、イタリアのように厳しい倫理観を持った国において、女性が直接的かつ神聖さを欠いた手法で性について話をすることは、好ましくないことをすぐに理解しました。私はそれが、世論だけではなく政治にも影響力を持つヴァチカンのせいなのか、それとも、いまだに廃絶しきれない古い家父長制のなごりなのかはわかりません。とにかく、私の国では現在でも、売春婦をはべらせ、女性について程度の低い冗談を言う総理大臣が多くの人々から認められる一方で、性に対して開けた考え方を持った女性はスキャンダルとして扱われてしまうのです。
 それゆえに、「性」というものをテーマにすると、よく目立つし、確実に興味を引きつけます。(特に、さきほど言ったように、イタリアのような表面上は厳しい倫理観を持った国では)。そして辛辣とまではいかないまでも、皮肉な調子でそれを語ること。そのすべての要素が、私に幸いをもたらしてくれました。
 短期間で訪問者数は目がくらむほど増え、出版社の注目を集めるようになりました。そしてその直後、いくつかの出版社から、私の文章を本にして出版しなかという提案をいただいたのです。
 出版社と仕事をすることは、私の無知と経験不足が少なからず不安材料になったものの、すばらしい経験となりました。プロフェッショナルな人間が(友達や親戚ではないのに、とても愛情を持って)、私の文章を読み、それをよりよくするためのキーワードをさがしてくれるのです。

 こうして小説『ポルノ・ロマンティック』は2007年の3月に発売されました。出版社の広報部は、私のためにイタリア40都市を回るプロモーション・ツアーを組んでくれました。私がミュージシャンをしながらずっと願っていた夢が、作家として実現したのです! テレビ、ラジオや雑誌によるプロモーションの広大な影響範囲は話すまでもありません。(強力な広報部に巡り合えたことは私にとって幸運でした。イタリアの出版社のすべてがその名にふさわしい誇りをもっているわけではないのです)。マス・メディアの世界でまず何をすべきか、0から100まで理解するのは容易なことではありません。それに、そこには幻想と偽りが充満していることに気づいたし、性のように、ありふれたものになってしまいがちな繊細なテーマを、全国放送のテレビという偽善の巣窟で話すことはとても恐怖でした。それでも、ほとんど毎回うまくいきました。もし戻れるのなら、存在しているのかさえも知りたくない、いくつかのテレビ番組、ラジオ番組、インタビューをしてきたジャーナリストの働く雑誌を除いては。私はこれらの経験から、本当にたくさんのことを学びました。

 まとめると、長いあいだブログで訓練し、無慈悲な批評をうけ、また読者から勇気づけられ、そして私を信じてくれる出版社、特に私にとってはシンデレラの魔法使いである広報部に出会えたおかげで、私のブログの文章は現在まで約6万部を売り上げました。ほんの5年前までは、将来何をするのかわかっていなかったのに、今は、うまくいけばここ一年以内に出版できるだろう新しい小説を書き終えようとしています。将来何をしたいのか、実際のところ今でもわかりません。でも、ブログがなければ(私がそれを開設した当時は、誰もそれが何なのか知らなかったし、教えようとするのは本当に地獄でした)、私が今絶対にしたいこともわかっていなかったでしょう。絶対にしたいこと、それは書き続けることです。