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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

借り物の夢をかなえたってね…:ジョヴァンニ・アッレーヴィ

 どうも、僕です。

 昨年、11月20日、尼崎のアルカイックホールで、イタリアの若手ピアニスト、ジョヴァンニ・アッレーヴィ(Giovanni Allevi)*1のコンサートを鑑賞した。

 ピアニストといっても、クラシックを演奏するのではなく、彼は自分で曲を書く。坂本龍一ピアノ曲を思い浮かべてもらうと近いかもしれない。クラシカルではあるけれど、ジャズっぽい要素もあるし、かなりキャッチーなメロディーラインが引きも切らず登場するものも多く、そのスタイルはとてもモダンでポップとすら言える。

 日本での知名度はまだまだこれからといったところだが、イタリアでは知らない人はいないというくらいで、一昨年にはヴェローナのあのローマ時代からの野外劇場アレーナで、1万2千人の聴衆を魅了したというから、何ともあっぱれだ。こうしたシンプルなインストのライブで、そんな大がかりなことを実現させてしまうのは、並大抵のことではないし、イタリアの人口は日本の約半分だ。「知らない人はいない」という表現が、決して誇張ではないことがうかがえる。

 人気に火がついたきっかけは、EU圏でオンエアーされていたBMWのテレビCMの音楽として、演出を担当したスパイク・リーが彼の作品“Come sei veramente”(コメ・セイ・ヴェラメンテ)に「耳をとめた」ことのようだ。確かに映像に親和性のある曲が多い。それからは、あれよあれよという間に世界ツアーに出るまでになった。日本公演は、これが3度目で、関西では初めてだった。アッレーヴィは、喜びもひとしおのようだ。なにせ、17歳の時に初めて作った曲のタイトルが“JAPAN”というくらいの、親日家だというではないか。

 で、僕も「どんなもんか」と出かけた関西公演。驚いたのは、その登場の仕方。スニーカーにジーパンにTシャツといういでたちで演奏するのは知っていたから、それは置いておいて、あっけにとられたのは、その所作だ。なんと、子供が飛行機を真似るような調子で、声こそ出してはいなかったが、キーンと走ってきたのだ。そう、飛行機というよりは、アラレちゃんにより近い。そして、愛おしげにピアノを左手でなでなですると、右手を胸に当てて、深いおじぎ。こう書くとエレガントに思えるかもしれないが、実際のところは、全体的になよっとしている。要は子供っぽいのだ。確かに見た目は若いが、年齢は40がらみだ。おいおい大丈夫なのかと思わせておいて、演奏のあまりの繊細さと優雅さで観客の心をぐっと掴むという流れだ。まんまと僕もその轍を踏んだものだ。しっかり感動したしだい。

 ちょっと前に書いた岡本太郎のお言葉もそうだけど、やはり天才と呼ばれるような人は、味のある言葉を吐くものだ。翻訳や映画の上映会を通してドーナッツクラブで紹介している僕の最年長の友人アゴスティとも通じる世界観なんだな、これが。アッレーヴィのエッセー集「頭のなかの音楽」(La musica in testa)からのフレーズを最後に紹介しておこう。

子供たちが誰でも何かしらの楽器に接する機会を与えられるような社会を僕は夢見ている。音楽がそばにあれば、子供たちの暮らしはラディカルに変わると思うんだよね。そうだな、文化とか自分の存在そのものとか、きっといろんなものをもっとリスペクトできるようになるよ。そうすれば、自分のじゃない夢をかなえるためのくだらない努力で心をすり減らすことなんてしなくてもすむんじゃないかな。

 要は、感受性の問題なのだと思う。音楽には、間違いなく子どもたちの心を豊かにしてくれる力があるし、楽器はその表現手段としてうってつけだろう。

 それにもまして僕がうなずいたのは、夢のくだりだ。自分のじゃない夢、つまりは他人の夢。確かに僕たちは子供のころからやたらと夢を押し付けられてはいまいか。そんな借り物の夢、受け身の夢、人に見させられている夢に「夢中に」なるなんて、考えてみるとゾッとする。
No Concept
 いよいよ、気になる存在になってきたジョヴァンニ・アッレーヴィのことをみんなも気になるといいなと思ったりして。そう遠くない将来にまた日本へ戻ってきてほしいものだ。

 それでは、僕とはまた近い将来に。

 

*1:日本では「アレヴィ」と表記・発音されているが、どう考えても「アッレーヴィ」と書いて伸ばして読むのがよりイタリア語に近いので、ドーナッツクラブ的にはアッレーヴィと統一します。