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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

イタリアからの手紙4:「イタリアの大学」 エンリーコ・ジュリア

 こんにちは。ハムエッグ大輔です。

 12月にイタリアでは大きなデモがありました。動画を見てもわかる通り、その様相はちょっと驚くくらい激しいもので、ローマ以外にも例えばピサでは斜塔が占拠されたりしました。目的は複数あるのですが、その最たるものは教育改革法案を差し止めることでした。さまざまな世論が飛び交っていますが、今回は大学に属する人間という意味で当事者である、ローマ大学“サピエンツァ”の“元”東洋言語文化学部(“元”というのは、12月から教育予算削減により、東洋言語文化学部が公式に文学部の一学科となったからだそうです)の博士課程に在学中のエンリーコ・ジュリア(Enrico Giulia)さんに記事を書いてもらいました。ちなみに今回は私が翻訳するのではなく、エンリーコが自分で日本語で書き、それに少し訂正を加えるという形で記事をつくりました。よりリアルなイタリアからの声をお楽しみください。

予告された苦悶の記録
 イタリアのクリスマス・シーズンは異様なものとなった。
 イタリア全土で複数の抗議運動が連続して起こり、学生たちが高校と大学を占拠したのだ。そして、12月14日、様々な都市で、抗議デモのために道路交通が遮断された。ローマ市中心部では、少なくとも過去30年間で一番乱暴で大規模な抗議デモが行われた。町の中心、ポポロ広場では憲兵のパトロール・カーが放火され大炎上するなど、ゲリラ戦に陥った。イタリア北部のミラノや南部のパレルモでも、人々が暴徒化し、警察に対して反乱を起こした。
 14日を過ぎるとゲリラ戦はおさまり、意外な小休憩をはさむこととなった。イタリア全土に純白で無言の雪が降ったのだ。その雪で道路が氷結した所為で、膨大な数のドライバーが20時間以上も高速道路で立ち往生するはめになった。そして、珍しかったローマの雪が溶けた22日、又デモが起こった。しかし今度は、暴動に警戒する武装警察がローマ中心部を装甲する中、デモ参加者たちは、中心部を避けた穏健なデモ行進を行っただけだった。
「デモの原因は一体何だろう」と考えてみよう。
 学生や教職員、労働組合員たちは、教育予算削減法案の撤回を求めていたのだ。政府はイタリア経済の由々しき状況を認めないくせに、それでもますます教育予算を削減し、教育の質を下げ続けている。14日の非常に乱暴な暴動の映像は、YouTubeで詳細に取り上げられた。そこから世論は二つに割れた。乱暴なデモ参加者に対して憤慨している人々もいる。しかしその一方で、暴力に訴えたデモ参加者に共鳴する人々の数が激増した。
 私自身はデモに参加しなかったが、丹念にニュースを視聴したり、みんなといっしょに政治家のコメントを聞いたり、特にマス・メディアのニュースが何をどのような方法で伝えているかを検討したりした。今回の件ですべての憤激をもたらした不満について考えてみた人は少なかったように思う。だが、その怒りはとてもわかり易いものだ。公立機関における教育教授法の質を下げている間に、その設備、施設等はどんどん老朽化する。もしくは全くなくなってしまう。それ以外にも、失業率(現在国民全体で8.7%、若者のみで28,9%)はどんどん高まり、高齢者年金は益々減少する。将来、定職が見つからないと恐れる若者たちの深い不安もある。事実、現在においても仕事がなく、両親に扶養されている30歳以上の大学卒業者が何処にでも普通に見られるのだ。
 学生たちが与党に対抗する政治勢力に利用されていると考える人も多い。政府と抗議者たちは互いに訴え合う。それは、政治的な討論を行っているというよりも、お互いが根拠なしに非難しているように見える。首相ベルルスコーニが率いる最大与党PdL(自由の国民)から、党内でナンバー2だったフィーニが分離した為に、議会での多数派がなくなるかもしれないというムードが高まっていた時期(つまり内閣不信任投票が行われた12月14日まで)は、そんな感じだった。
 ではこの短い間(12月14日以降から現在)に、情勢はどう変化したのだろうか。
 特に若者たちの間では、14日のようなゲリラ戦をまったく否定しないという意見が多い。「状況は最底辺に達している。ゆえにイタリア国家の運命を切り開く為には暴力が合法的であり、おそらく必要だろう」と言う堅固な思想が広まりはじめている。マス・メディアは激しく暴力的な事件を取り立て、政治家たちはそういった事件に対していちいちコメントを表明する。そういった扱われ方が、人々の注意を喚起する為にもっとも有効な手段は暴力に訴えることだと示してしまった。
 私が属するローマ大学の元東洋言語文化学部の学生たちは暴力に訴える事を否定した。ゆえにハンスト抗議を宣言した。異議を唱えつつも、暴力を捨てるという手段を明確に主張したのだ。彼らが政府に訴えていた非常に重要な願いとは、政府と、教育機関及び大学で勉強している、或いは働いている人々、即ち学生、教職員、職員との間での話し合いだった。私もこれは正当な提案ではないかと思った。
 また、クリスマスの日でさえも、いく人かの学生は高校を占拠し続け、校舎の中、寝袋で眠って夜を過ごした。このことは、「彼らが学校を占拠するのは、勉強しない為の口実でしかない」という批判が間違っていることを証明している。
 それにもかかわらず、これらの抗議や提案はすべて無視される結果となってしまった。教育改革法案は可決され、イタリア共和国大統領ナポリターノ(Napolitano)が法案に直筆のサインを記し、法律が現実のものとなったのだ。 
将来的にどのようなことが起こるだろう。
 ここ数年間で起こった事件を振り返ってみると、非常に物議をかもしだしたニュースでさえ、すぐに忘れられてしまっている事に気づかされた。これからも政府は学生の提案に耳をかさずに悪政を執り行い続けるだろう。
 しかし、世論には広がり続ける不満が大きく関わってくるだろうし、イタリア人の将来には改善の余地が見出せない。若者たちも、それをすでにわかっているのではないかと思う。