京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

雲の上の本たち

どうも、僕です。

イタリアの本文化ってすごいものがあるんですよね。たとえば、本を作る学校なんてものが国立であったりする。物質としての本の魅力。手触りに匂いに書棚での存在感。中には世界に一冊しかない手作りの本なんてものもあったりするわけです。そう言えば、僕の書斎のイタリアコーナーって、サイズが不揃いなんだよね。小さな出版社も驚くほどたくさんあって、決して合理的・近代的ではないけれど、文化的な底力がそこから感じ取れたりします。

イタリア人はあまり本を読まないという事実は動かしがたいものがあるけれど、大都市はもちろんのこと、田舎町であっても、なかなかいい品揃えの本屋さんがあったりするし、青空市場には古本屋さんもよく見かける。初めて訪れた街でも、必ず本屋さんには行くのだな、僕は。

世の中には、物体として執着したくなる本があるし、その抗し難い魅力はほとんどフェティシズムに近いものがあると思う。

そんな僕が、最近せっせと自宅でいわゆる「自炊」に励んでいる。

基本的に本は売らない主義だから、そう広くもない家の書斎には限りがある。そこで、フェティシズムを感じないような、要は中身の情報にしか興味のないものは、いっそどんどん電脳の雲上へ送りこんでしまうことにしたわけだ。年末からデスクには裁断機が鎮座ましましていて、僕はそれを「本のギロチン」と呼んでいる(画像下)。

この自炊によって作られる電子本棚は、それを引き出すデバイスの進化によって、間違いなく読書体験を変質させる。情報にのみ興味があるような本については、よりその中身にアクセスしやすくなっている。「背骨を抜かれて」パルプの束と化した本はリサイクルへと回し、書斎にはスペースが生まれる。なんと、すばらしい!

でも、イタリアの本については、かなり高い確率でギロチン行きを免れている。その事実に接し、さらに僕のフェティシズムが深化する。

そんなイタリアでも、電子書籍のリーダーが各種出回るようになってきている。先進国では珍しくアマゾンが進出していない国だけれど、その代替サイトと言ってよいIBS.it(Internet Bookshop Italia)がレッゴ(leggo)という名のキンドルっぽい端末を既に発売している(↓こんなの)。

値段は199ユーロ。キンドルに先手を打った格好だ。日本のメーカーも製品を打って出ているようで、さてどこが覇権を握るのか、底知れぬ出版文化を持つイタリアへが電子化をどう受容するのか、興味深いところだ。

そして、我らが大阪ドーナッツクラブは、そのイタリアがらみで電子的な試みを今年はいくつか行う。このブログの読者には、イタリアの本事情はさておいて、ODCの電子的試みには絶大なる興味と支援をお願いしたいところなのであります。告知解禁しだい、すぐにお知らせするので、ぜひともよろしくお願いします。

そうそう、書物と人間の未来形について37人が考える、こちらの「本についての本」は、大いに面白かったですよ。
本は、これから (岩波新書)
本は、これから (岩波新書)
最後にそんな情報も添えながら、それでは、また非常に近い将来に。