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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

イタリアからの手紙8:「トリノの大木」 ミケーレ・シューティ

イタリア

 トリノの文化団体「読書人サークル」(Circolo dei lettori、以下ではサークルを意味するイタリア語「チルコロ」と表記します:イタリア語のサイトはこちら)に興味を持ったのは、ミニマムファックス社から出版された現代イタリア文学のアンソロジーの奥付にその名前があったからです。イタリア統一150周年に合わせ2006年に設立された団体なのですが、その実態はどのようなものなのでしょう? 実際チルコロに通っていた作家のミケーレ・シウティ(Michele Sciuti)さんに記事を書いていただきました。(ハムエッグ大輔)


トリノの大木

 トリノのポー通り、その回廊を横切る小道。カステッロ広場からほんの少し行ったところにあるその道からは、カリニャーノ劇場がちらりと見える。道の名前はボジーノ通りといい、そこにはトリノの中でも有数の、荘厳きわまる建物がある。それがグラネーリ宮。町の中心部を特徴づけるサヴォイア建築の傑作だ。
 近くを通りかかることがあったら、その巨大な門の前で足をとめ、休憩がてら、少し中をのぞいてみるのもいいかもしれない。騒がしい街中にあって、きれいな空気に触れるいい機会になるはずだ。
 この建築物は、千年の時を生きたカシの木のように感じられる。なぜなら、私はいつも一つの国の文化(イタリア語ではCultura<クルトゥーラと発音>、神のような絶対的存在を示すためにCを大文字とする)とは、そこに生きる人々の庭園だと想像してきた。他人と自分が存在して、互いを認め合い、互いに力を競い合う場所。この理想の庭園の内側では、信仰を伝えるものとして、木々がある。その木々は世界の忙しいリズムによって停滞してしまった空気を浄化する力を持っているのだ。
 私はトリノで暮らし、チルコロの木陰で呼吸していた。その拠点は、グラニエーリ宮の中にある。せっかくなので、読者のみなさまを建物の中にご案内しよう。

 大きな門を超えて中に入ると、豪華なロビーに出る。いくつもの階段を抜けると、幻想的な大広間にたどりつく。「外界」と重厚な雰囲気の内側との境界線がはっきりわかるほど、その空間は静けさに支配されている。とはいっても、入ろうか迷っている人を惑わすわけでも、怖気づかせるわけでもなく、厳かな空気の向こう側は、ただただ芸術の熱気に満ち溢れている。朗読会、インタビュー、対談など、多様なイベントが次々と開催される。それは玄人にとっては最良の酒、新参者にとっては新感覚の喜びだ。すべてのイベントが無料であることを考えると、さらにそのありがたみがわかる(特に、私たちが生きる現代のように、経済的に圧迫された時代においてはなおさらのことだ)。
 客観的な見方をすると、そんなものたいして目新しくもないし、他にも同じようなことをしている団体ならたくさんあると言えるかもしれない。異議はない。だがそれでも、私の目にチルコロが唯一の存在に見える訳は、その場所が、訪問者に活動を共有させてくれるからだろう。例えば、ジェイムズ・エルロイの横のテーブルで紅茶を飲む、ノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴと話ができるなんてことも起こりうるのだ。素晴らしき本の宇宙を手にとることができる。心の深い部分まで自分がその場所と一体化できる。それこそがこの場所で起こる魔法だ。
 この魔法は私の心をつかんで離さない。テクノロジーの恩恵を受ける現在、文化というものが大々的に刷新される歴史的瞬間を迎えている。それはCultura(クルトゥーラ)に人々が近づくことを目的としている。もちろんCultura(クルトゥーラ)とは押しつけるものでもなければ、教え込まれるものでもない。それは種として植えられるものだ。そのためには、除外することなく、誰もが豊かな土壌になりうるという可能性を与えることが大切だと思う。それが新しい何かを手にするための、人類の第一歩ではないだろうか。

 それでは、チルコロにはどのような人が顔を出すのだろう? それについて一言で答えることは難しい。その場所で出会う個々人は、まったくもって多様であるからだ。もちろん、いわゆる作家、ジャーナリスト、編集者、その他出版関係の人々はたくさんいる。だが、彼らのとなりでは、限りなく多くの人種が空間を共有している。偶然の訪問客から、常連まで、大学教授、政治家、会社員、年金生活者とその多様さには目を見張るものがある。そこで話されるのは、仕事のこと、政治のこと、もちろん本のこと、さらには前の日曜日に行われたサッカーの試合まで話題に上ったりする。
 チルコロという試みを成功させる要因となったのは、主催者側と、受付にいる気のいいスタッフの情熱と行動力だろう。文化と名のつく場所には決まってつきまとうスノッブさが、ここにはない。だから、どこにいても新鮮な空気が共有できる。お互いが関わり合おうとする気持ちが人と人とを近づけ、自然と友情が生まれ、日を追うごとにその関係は深まる。さらにチルコロは、トリノに住む多くの学生たちが好んで使う場所にもなっている。(トリノにはイタリア有数の大学があることを付け加えておこう)。そのため、学生たちが勉強する姿、無料の無線LANでインターネットをする姿もよく見られる。

 チルコロの特徴に話をもどそう。本を社会的ツールとして考えた場合、その情熱をかきたてる要因となるのが、読書の教育学・社会学的意義と効果だろう。読書を実践することで、人間は成長できるのである。そしてもう一つは、読書が他人と自分を比較するきっかけとなること。そのために、チルコロは「グループ朗読会」を実施している。
 グループ朗読会は誰でも参加できる。その目的は小さなコミュニティをつくりだすこと(イタリア語ではそのコミュニティをComitive <コミティーヴェ>と言う。グループ講読の家族的な性格を表す言葉だ)。週に一回、日を決めて集まり、文章を読み、話し合う。もちろん文章以外が話題になることだってある。他人のために何かを読むことの難しさは、みんなが認めるところだ。その難しさとはつまり、話の途中で突然しゃべれなくなるといったような、日常でよく起こる問題に深く関係している。だからこそ、この活動は、私たちに内在する恐怖心を正しく把握するためにも、最良の機会だと私は思っている。
 何を隠そう、私はグループ朗読会に参加することで、自分が作家であることを再発見できたのだ。それは忘れられない記憶として私の頭の中に残っている。主催者の一人が、それぞれの書いた文章を他の参加者たちの前で読ませるという試みを行った。そこで私は勇気を出して、「やってみるか」とばかりに文章を書く決心をしたのだ。その体験から、この刺激的な空間の中で、私は再びペンをにぎり執筆をはじめた。そして数か月の後、詩と短編の作品集を発表することができたのである。
 きっと、チルコロという場所が、長い無気力状態から抜け出させるために、私を呼び寄せたのだろう。私はいつも作家を二種類に区別してきた。「内向的な作家」と「社交的な作家」。要はインスピレーションをどのように受けるかという違いだ。前者は気が散るものを排除し、孤立した状態に自分を置くことで、周りに円形のバリアをはる。バリアの中で彼らは外部からの干渉を受けることなく、自分の思考を形にする。後者は逆に、常に外部から、刺激と知的高揚感を受け続けようとする。自らの想像力をふくらませるものを周りのあちこちから吸収する。ゆえに彼らは劇場、映画館、美術館に足を運ぶ。私も後者なのだが、このタイプにとって、チルコロとは夢のような空間だ。そこは興味の対象が絶え間なくあふれる源泉になっている。


 私の処女作である『どこでもなく』(Né di qua, né di là, Carta e Penna Editore, Torino, 2010:邦訳なし)は、まさにチルコロのテーブルの上で生まれた作品だ。 2009年の冬、私はイベントの合間、パソコンの前に座り、物語を書き記していた。半分は暇つぶし、半分は私のほとばしる制作意欲を発散させるためだった。書いている物語が形となるにつれ、それらを書かなければならなかったことに私は気づいた。このように、私の思考は紙の上にあふれ出し、私の目にはっきりと映るようになった。私の人生が、物語になることでより意味を持ち出したと言えるかもしれない。こうして私は家の机の引き出しから、むかしの創作ノートを引っ張り出し、練り直して、それを作品集の中に加えた。チルコロにいたほうが、執筆しやすかったということも覚えている。家で休み休み作業をする状態から脱すると、文章はよりなめらかなものになった。もちろん心理状態によるものなのだが、私の言葉が外に出てくるには、それに見合った場所が必要で、彼らがチルコロを選んだようにも思われる。
 初めての「作品」を書くにあたって、私は古典的な文体や型にはまった文学ジャンルに結び付けないという贅沢に身を任せてみることにした。膨大な私の読書体験を活かし、可能な限り実験的な作品を試みた。このようにして、七十年代の刑事もの(『強盗』<Rapina>)に始まり、ダークなおとぎ話(『灰と太陽とクリスタルの靴』<Ceniza, il sole ele scarpe di cristallo>)、恋愛もの(『ビストロ』<Bistrot>)、カフカ風の短編(『静かな一日』<Una giornata serena>)まで続く短編集が完成した。私の創作活動は、長い旅にも似ていた。そして、それぞれの短編の語り口に溶け込んだ小さな詩的表現にこそ、私は自分のもっとも深い部分にある思考をしのばせた。
 一話一話に違いのある短編集なので、一つの線で結ぶ必要があった。ばらばらのものを一冊の本にするためには、人間を扱うような気持で取り組まなければならない。人類学的研究は、「人間らしさ」に注目することで、思想的・宗教的戒律から離れることに成功した。まったく指針をもたない「人間らしさ」は、その不安定さと決別しなければならない。そこで、私はこの作品集のタイトルを『どこでもなく』としたのだった。

 本作りの仕事を終えると、次に立ち向かわなければならない問題がある。それは新人作家にとってはまさに深刻な問題なのだが、出版社を見つけることだ。
 私の場合は、運が良かったとしか言いようがない。チルコロで、私の短編の一つを読んだ人が、それをとても気に入ってくれて、数日後に、出版社をやっているという別の友人を私に紹介してくれたのだ。彼女もまた興味をしめしてくれた。ありがたいことに、そこからとんとん拍子で出版する運びとなったのだ。それが2010年4月のことだ。
 私個人の話は、チルコロで起こりうることのほんの一例にすぎない。会員や市民の文化的アイデンティティの成長と促進を目的とするその他団体で可能なのかもしれない。そこで湧きあがってくるのが、「楽観的すぎないか?」という疑問だ。この記事を読んだ人はこう思うのではないだろうか。「現状は本当にそんなによいものなのか?」
答えは「ノー」。イタリアでよい現状など絶対にありえない。私が住んでいる国は、矛盾をはらみ続け、自らの首をしめている。経済後退、それに伴う発展の失速の時代を経て、国を代表する観光、美術、教育といった分野で、経費の削減をせざるを得なくなってしまった。国の経済回復をけん引する力を秘めた分野であるにも関わらず。
ゆえに残念なことであり、また憤りも感じるのだが、私がこれまでお話したような団体は、生き残りをかけて戦うことを余儀なくされている。当然、経費をきりつめなければならなくなるし、周りからは空を翔ける気球ではなく、イタリア経済のお荷物として認識されている。
そんなわけで、この年老いたトリノの大木もまた、なぎ倒されるかもしれない危機に瀕している。なんとも悲しいことであるが、経済利益という祭壇で燃やされ、私たちが生きるための酸素、私たちの庭園の一部が奪われようとしているのだ。

ミケーレ・シューティ