京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

私が愛したローマ

 ピエル・パオロ・パゾリーニPier Paolo Pasolini)が初めて監督を務めた映画『アッカットーネ』(Accattone, 1961)の中に、主人公のアッカットーネとその友人たちがたむろするバールが出てくる。それが現在改装され、バール・ネッチというレストランになっている。ただ、ここが本当に映画で使われた場所なのかというのは甚だ疑わしい。映画を見る限り、それは現在のネッチとは明らかに別の構造をした店構えで、後に改装されたにせよ、どうしても同じ場所とは思えない。それでも、映画の大部分が撮影されたのは、ネッチのあるファンフッラ・ダ・ローディ通りであることは間違いなく、背の低い建物が並ぶ通りからは、多少ではあるが当時の面影が偲ばれる。
 だが、そんな面影も吹き飛ばすほどに、この界隈は大きく様変わりした。映画で見られるような貧しい街並みも、粗野なローマの若者たちの姿も今はなく、洒落たビストロやバーが立ち並びんでいる。粗野な田舎者の代わりにいるのは、アーティスト風の大学生たちだ。

 パゾリーニはローマ郊外の荒廃ぶりに衝撃を受け『アッカットーネ』を撮影した。そんな映画の舞台が、いまやローマ一の遊び場になってしまった。それをいちばん象徴するのが、バール・ネッチの中にあるオバマの写真だ。レジの後ろにでかでかと、来店記念で撮影した米大統領の写真が飾ってある。その写真の左斜め前、店内入ってすぐ左の壁には複雑な思想を持ちながらも共産主義者だったパゾリーニ肖像画。「いっしょに飾るな」とまでは言わないが、ここには政治的ポリシーも思想もなく、ただファッションがあるだけなのだ。
 ネッチはもはや過去のネッチではない。そこで妄想が膨らむ。1975年にパゾリーニは他界したが、もし彼がまだ生きているとしたら、ローマのどこを撮影しただろう? 現代の『アッカットーネ』の舞台はどこにあるのだろう? 
 この妄想に突き動かされ、治安が悪いと噂される郊外を巡りはじめた。人口の増加により、『アッカットーネ』の舞台の候補地、つまり荒廃した周辺地区は、輪っかが大きくなる要領で、さらにローマの外へと広がっているはずだ。そう考えて訪れたトル・ベッラ・モナカの何もない草原に突如立ちはだかる高層ビルや、スピナチェートの落書きだらけの市役所には強く心を打たれた。
 中でも、私の目を引いたのがコルヴィアーレ地区に建てられた通称セルペントーネと呼ばれる巨大な集合住宅だ。セルペントーネとは「巨大なヘビ」という意味。その名が表すとおり、全長1km、10階建てという大きさで、ヘビの内部には7000世帯もの人々が暮らしていると言われている。1972年、コルヴィアーレ地区の開発が計画され、10年の時を経てセルペントーネが完成するが、早くも不法住居が目立ちはじめる。現在を持って正確な住居者の数は定かでなく、犯罪者の温床になっているとも噂される。 

 「コルヴィアーレは集合住宅とはまったく反対の意味を提示している。今までにも繰り返されてきたもの、複合的構造や機能が研究され出来上がったものではない。その土地にとって、ローマにとって、唯一無二の存在となった」と言ったのはコルヴィアーレ開発チームの中心人物だったマリオ・フィオレンティーノ(Mario Fiorentino)。私自身も、初めてこの地を訪れた時に感じた異様な雰囲気は忘れられない。W.G.ゼーバルト(W.G.Sebald)の著書『アウステルリッツ』の中に「途方もなく巨大な建築物は崩壊の影をすでにして地に投げかけ、廃墟としての後のありさまをもともと構想のうちに宿している」という記述がある。セルペントーネはまさに崩壊の影を感じさせる場所だった。


 朽ち果てながらも整列する郵便ポストの群れ、先が見えないほど続く廊下。崩壊の影を象徴するこれらの記号には、ローマの魅力が集約されている。私が思うローマの魅力とは、キリスト教が育んだ華麗さや栄華や荘厳さと対比する形で存在する退廃の一面。それが顔をのぞかせるとき、ゾクッと身震いが起こる。セルペントーネには、そんな魅力がぎっしり詰め込まれていた。
 
 セルペントーネのすぐそばにあるショッピングモールのバールで働く女の子に話を聞いてみた。現在二十歳で、ここで生まれ育ったという彼女の話によると、荒廃した外観や悪い噂とはうらはらに、セルペントーネでは平穏な生活を営まれているらしい。犯罪率もここ数年でぐっと下がったとか。荒廃したローマと、そこで日常を生きる人々。私のごく個人的な嗜好ではあるが、そこにはパゾリーニがカメラを向けるべき風景があった。

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