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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

童話のクマのやさしさ

 古今東西、童話に出てくるクマは、どれも共通の特徴を持っている。それというのは、ライオンやオオカミに引けを取らない猛獣のはずなのに、どこかかわいくて、やさしさまでも感じるというところ。例えばイギリスの童話『三びきのくま』。留守中のクマの家に女の子が入り込んで、ごはんを食べたり椅子を壊したりやりたい放題。ベッドに入って眠りについたところで、クマの一家が帰ってくる。家を散らかした犯人は誰だろうと、寝室に入ると、ベッドの中で女の子が眠っているではないか。目を覚ました女の子は驚いて一目散に逃げ出してしまう。恐ろしい存在でありながら、決して他者に危害を加えることがないのが童話のクマだ。ロシアの民話をもとにした『マーシャとくま』では、森で迷子になった女の子マーシャを、クマが女中としてこき使おうとする。ところが「おかしの入ったつづらをおじいさんとおばあさんのもとに届けて」というマーシャの願いを聞き入れ、つづらを背負って森の外の村まで持って行く。こっそりつづらの中に隠れていたマーシャは、こうして無事家に帰還できたのだった。力関係が上のはずのクマが、あっさりマーシャの要求に応じているところがまた憎めない。
 こういったクマのイメージは、やはりずんぐりしていて丸っこく、ふわふわの毛皮をまとったあの見た目が成し得る業なのだろうか。クマのかわいさを巡る歴史について少し調べたところ、テディベアが発明された20世紀初頭から、「クマ=かわいい」の資料がぞくぞくと現れはじめている。具体的には1903年、ドイツの人形メーカー、マルガレーテ・シュタイフがクマのぬいぐるみを発表。このぬいぐるみの一つが、子グマを助けたという逸話を持つアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに贈られたことで、アメリカでブームが巻き起こった。テディとはこの大統領の愛称のことだ。そして1926年、イギリス人作家A.A.ミルンが、息子の持っていたテディベアを主人公に据えて『クマのプーさん』を執筆。ここで童話のクマのイメージは不動のものになったと言っても差し支えないだろう。

 この文脈を念頭に置いてダヴィデ・カリーの『剣を持ったクマ』を読むと、この作品が見事なまでに童話のクマのイメージを継承していることがよくわかる。「なんだってぶったぎる」剣を自慢していたクマ。ある日、自分のとりでが水に押し流されてしまう。クマは、とりでを台無しにした犯人をさがしに出かけるのだが……「おれのとりでをぶっこわしたはんにんを見つけだして まっぷたつにしてやる」。そう高らかに宣言して手にした剣だったが、結局最後まで他者を相手に振りかざすことはない。やはり、クマは乱暴で恐ろしいはずなのにやさしいのだ。
 それが生み出された背景には、著者ダヴィデ・カリーの人となりも関係しているだろう。もともとイラストレーターだった彼は、児童図書館で「社会役」に従事したという経験をもとに、童話を書きはじめた。兵役を拒否する者に対し、代わりに課されるのがこの「社会役」。病院や公的施設などに通い、いわゆる社会サービスを行う。スイス生まれのイタリア人児童作家カリーが、果たしてどちらの国で「社会役」に従事したのか、残念ながら資料不足のためわからない。だが、兵役が義務だった当時のイタリアの話をすると、社会役をする者は「コミュニストかゲイ」とからかわれていたそうだ。つまり、「社会役」を選ぶのも、それはそれで大変な決意を要したはずだ。剣を持ったクマは武器を持ちながら、他者を傷つけるためにそれを使用しない。この作品からは、そんな著者の平和的信念も読み取ることができるだろう。
3びきのくま (海外秀作絵本) マーシャとくま―ロシア民話 (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本) クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))